万感の筆が描くもの

MHRウ教×ハ♀。相思相愛。
ハ♀視点。最後のページのみウ視点。

狩猟の他にやりたいことを見つけようと、絵を描くことを始めたハ♀のお話。



もう、やめる。

逃げと同じと分かっている。
でも、もうそれで構わない。

こんなことしなければ良かった。

踏ん切りをつけるために、両手で筆を折ろうとした、直後。

「愛弟子ッ!」

びくん、と私は体を大きく一度縦に震わせ、動きを止めた。

「こ、れは、何があったんだ……!?」

いつの間にか、水車小屋の土間に、ウツシ教官が立っていた。
屋内の惨状を見て、ただひたすら、驚いている様子。

無理もない。
私が築きあげた、紙くずだらけだもの。

筆を折る直前、両手で筆を持ったまま、私は大好きなあなたを見つめる。

……きょう、かん。……

そう呟いた途端に、私の目から、大粒の涙が零れ落ちて。

涙と一緒に、私の手から、筆が畳に滑り落ちて行く。

かたん、と音がした時、私の中でも、何かが崩れた。

……わたし…………わたし……わたし……!」
「──ッ!!」

情けない斑声むらごえが出て、私はまた、恥ずかしくなった。

刹那、あなたは私の方に駆け寄って来て、優しく私を抱きしめてくれた。

とても温かくて、優しくて。
けれどその温もりは、私の胸を罪悪感で締め付けた。

──何してるんだろう、私。

こんなに深追いしないで、早くやめて、得意な狩猟だけに精を出せば良かったのに。

こんなに苦しいのに、どうして続けていたんだろう。

最初は楽しくて、やりたくてやっただけ。

描きたかっただけだった。

もっと綺麗に、上手に、思ったように。

大切なものを。
大好きなあなたを、描きたかった。

……あ、う……! う、うぅ……ああぁあ……!!」

私、どうして泣いているんだろう。

頭の中が、今の紙くずだらけのこの部屋のようにごちゃごちゃで、何も考えられない。

大好きなあなたの腕の中、心が、ばらばらに引き裂かれそうなほど痛かった。

ぽたり、ぽたりと涙が零れて、いつしかそれは、溢れんばかりに流れ落ち、あなたの胸を濡らした。

「よく頑張ったね……! キミは、本当に凄いよ……本当に……本当に……!」

あなたは、優しい。

私が欲しい言葉が、どうして分かるのでしょう。

だから、苦しかった。

あなたの言葉すら、私の胸には、届きそうで届かなくて。
それが、私自身がとてつもなく薄情はくじょうな人間だと突きつけてくる。

泣いて、泣いて、しばらく、ずっと泣いて。

やがて、泣き疲れた。

双眸そうぼうまぶたはぼわんと熱くなって、頭がぼうっとしてるのに、くわんくわんと揺れているような気がして。

……愛弟子、落ち着いたかい? 大丈夫?」

あなたの問いに、私は首を縦に振る。

先ほどよりは、頭が整理された気がした。
思いっきり泣いたからかもしれない。

私はあなたの腕の中から離れ、視線を下に向けた。
こんなみっともない顔を、見られたくなくて。

……ごめん、なさい……。わ、たし……
「好きなことだって気付いて、一生懸命やってたからこそ……苦しかったんだね」

優しく告げながら、私の頭を撫でるあなた。

痛みが強くなったり、和らいだり、せわしない。

「それにしても……愛弟子。こんなにたくさん、破っちゃったんだ」
……ごみ、ですから」
「なるほど。ごみ、か……

あなたは不意に畳の間から、少し大きめにちぎれた何枚かを拾い上げた。

ちらりと見れば、あなたはとても、切なげな目をしていて。

そんな目をさせたくない私の胸は、罪悪感で、また痛んだ。

「どうして、ごみだと思うのかな?」
……。誰からも求められなければ、ごみ、でしょう?」
「本当にそうかな? それに、これ。俺が、綺麗だねって言った絵だよ」
「え……?」

顔を上げて、ふと気付く。

あなたは的確に、かつて、私が集会所で練習に描いた、桜の絵の破れた紙片を拾い上げていた。

……ごみなんて言われちゃうと、悲しいな。俺……この絵、好きだよ。とても明るくて、描くことが楽しい喜びに満ちて……本物にはない、キミらしい元気に溢れていて」
「いいんです、大丈夫です、無理に褒めないで。余計な気を使わせてごめんなさい……誰からも見向きもされないくらい下手なの分かってますから、大丈夫です」

あなたは、何か言おうとしていた。

けれど、私は喋らせるいとまを与えない。

与えられなかった。

まるで自分の口じゃないみたいに、言葉が溢れ出る。

「こういうのって、センスとか才能もありますし。私、やっぱり狩猟だけしてたら良かったですね。そうしたら、こんなご迷惑をおかけしなかったのに……ごめんなさい」

あなたに綺麗な絵だと言われた時は、確かに嬉しかった。

なのに、どうして今は、こんなに響かないんだろう。

──私は、最低だ。

言ってくれたことへの感謝も忘れて、自分の安定を求めるように、否定、否定、否定。

これは謙遜けんそんじゃない。
そんなものの度を超えてることは自分でも分かる。

卑下していると落ち着いた。
心が安らいだ。

どうせ自分はできないのだからと言い訳ができた。

やってもやっても、上手い人になんてかなわないし、見向きもされないことにも説明がつく、格好がつく。
堂々と見てもらおうとして、興味を示してもらえず誰にも見てもらえないより、よほど辛くない。

──ああ、私、こんなに卑怯な弱虫だったんだ。

これもきっと、一種の逃げだから。

私がしゃがんで、かつて絵だった紙くずを拾い上げようとした時、力強く腕を引かれた。

「きょうか……んっ……!? 」

気付いたら立ち上がっていて、大好きなあなたの顔は目の前。

あなたは決死の表情で、潤んだ瞳で、私を真っ直ぐ射抜いていて。

「どうして、そんな悲しいことを言うんだ……!?」
「──ッ……! 本当の、ことですよ……!」
「俺はそうは思わない! 俺はキミの描くものが好きだ! キミの絵が綺麗だと言ったあの言葉は本物なのに! 修行時代からそうだけど、俺はキミにお世辞を言ったことはないよ!?」

こんなに声を張り上げて伝えてくれるあなたからは、嘘偽うそいつわりも何も感じない。

分かっています、分かっているんです。
ごめんなさい、ごめんなさい。

そう思っているのに、私の口から言葉が出てくれない。

あなたは眉を下げ、ますます切なげに瞳を潤ませた。

「キミがどれほど真剣に向き合っていたのか、この景色からもとてもよく分かるよ……! でもね愛弟子。今、自分の芽を潰しているのは他でもない、キミ自身で……
「ッ! 分かってます! 分かってます、分かってます!!」

あなたの声を、私はさえぎった。

私は、どこまでも最低ですね。
情けない。子どもみたいに声を荒げて。

私の目からはまた、涙が溢れた。

「ごめ、なさ……ごめん、なさい……! 分かって……るんです……! でも……だめで……目につくと……どうしても……! 上手な人のが、こびりついて、はなれなくて……きれいで、うらやましくて、くらべちゃって……! そんなことしても、何にもならないって、わかってるのに……!」

気持ちが、涙と一緒に落ちる。

今度は天邪鬼あまのじゃくじゃない、心のままの素直な言葉。

「自分で楽しく描けたらって気持ちで、はじめたのに……なのに……!わたし、こんな……くるしくなって……! 好きだから……やめたくないきもちも、あるのに……全然うまくいかなくて……! でももう、くるしいから……! だから筆……折れば……嫌でも諦められるかと、思っ…………
……間に合って、良かった……!」

心底ほっとしたように呟いたあなたは、また、私を優しく抱きしめて、頭を撫でてくれた。

どこまでもどこまでも、あなたは優しい。

矛盾むじゅんに満ちた、こんな面倒な感情を抱く私さえ、丸ごと受け止めてくれて。

愛しているはずのあなたからの言葉も、この件に関しては響かない自分が、本当に恥ずかしい。

心の底から、薄情だと思う。

……愛弟子……狩猟の後に、ずっとコツコツ練習を頑張っていたよね。俺、見てたから知ってる。言わないだけで、ゴコク様もミノトさんも、里のみんなもちゃんと知ってるよ」
…………
「これはお世辞とかじゃなくて、事実だから。……そうだろう?」

事実。

私はその言葉に何も否定を返せなくて、こくんと首を縦に振る。

あなたは「ふふ」と少し安心したように笑ってくれて、その笑みに私もほんの少し安堵した。

「愛弟子。ここに散らばってる絵、全部直そう」
……えっ!?」

何を言い出すのかと驚き、私が顔を上げる。

あなたの目は、とても真剣で、優しくて。
私の愚かな心を包み込むように、目尻を下げて笑ってくれた。

「俺も協力するから。ね? 直そう。キミは、これを捨てなかった。この中にはまだ確かに、キミの心や想いが生きているんだ。ばらばらになってしまった、キミの込めた想いを、心を、ちゃんと繋ぎ合わせたい」
……ウツシ、教官」

あなたは、何でもお見通し。

あまりにも申し訳なくて、私が震えて黙っていると、不意に、あなたは小さく、何故か照れたように「ふふ」と吐息を漏らした。

「俺も少しお面を作るから、キミの気持ちは何となく分かるんだ。周りには絵心えごころのある上手な人……才能溢れた人がたくさんいて。見向きもされない中で、たまにもらえる優しい言葉が信じられない時もある。何の言葉も反応ももらえない時だってね。創っている時というのは、とても孤独なものだから。孤独は深まれば深まるほど、信頼しようとする心を凍らせてしまう」
……!」

はっとして、私は大好きなあなたの顔を見直す。

あなたは変わらず、笑ってくれていた。
心配しなくていいんだよ、とあんに私に告げてくれるような、優しい微笑み。

「そういうのもひっくるめて、全部、分かるから……。俺、できる限りのことをしたいんだ。良いと思ったら、凍ってしまった心が溶けるまで良いと伝え続けたいし、なくなってほしくないと思ったものは、ちゃんとすくいたい」

胸が苦しい。
息が詰まる。

私は目を見開いたまま、まばたきも忘れていた。

苦しいけれど、とても、とても優しい温かさが、やっと、心の芯に届いた気がして。

「愛弟子。この絵はキミの大切な心、精魂せいこんを込めた、かけがえのないものだ。ごみなんかじゃない。ちゃんと直したら、良かったら、俺に見せてくれないか? キミの絵を、俺……もっと見たいんだ」
……ッ、う……! あ、ううぅ……教、官っ……

今溢れている涙は、先ほど溢れていたものとは違う。

手で、腕で、何度も何度もぬぐっても、次々に溢れて止まらない。

「うあぁ、ごめん、なさ……! わたし、わたし……あ、あぁぁ……ごめ、なさあぁあ……ッ!!」

優し過ぎるほどの、愛しいあなたの腕の中。

私は自分を恥じ、絵を裂いたことを悔い、大好きなあなたに感謝し、混沌とする想いの中で、ただただ、泣いた。

私にとって、大切なものを描いたはずだったのに、安易にそれを裂いたこと。

私はようやく気が付いた。

私はきっと描いたものより『絵を描いている』という自分の方が大切だったんだ。

なのに、私を想ってくれた言葉には耳を塞ぎ続けていた愚かな矛盾。

あなたは私が泣き止むまで、ずっと傍にいてくれた。

@acadine