mishiadd
2024-07-23 00:00:50
15876文字
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宮本伊織の「薔薇」トリロジー:薔薇を背負う

湊の夜、背中に斬り傷を刻まれ烙印を押されてしまった伊織くんと「誰にも見せてはいけない」と教えた師匠、兄の背中を誰にも見せないために手を尽くし続けてきたカヤちゃん、儀の最中に伊織殿の秘密を知るセイバー。【!】アレルギー表記:彌伊、モブ伊(未遂)
※『宮本伊織の「薔薇」トリロジー』は完全な言い掛かりで伊織くんの幼少期トラウマを捏造するシリーズです


五、「暴かれるならあなたがいい」



儀が日々一進一退する中、セイバーは決して伊織に無理強いをすることはなかった。
見せたくない――見せられないのだ、ということを伊織自身が遅まきながらに自覚した今、セイバーが彼のサーヴァントとして――友人としてできることは、伊織が「嫌だ」と思っていることを極力させることのないよう、する必要のないように、手を回したり気を配ったりすることだけだった。

セイバーはなぜあんなにもカヤが神経を尖らせていたのか身をもって知った。同じ穴の狢――あの使命感、あの強迫観念、あの狂気とも思える執念――そのすべては結局のところ、ただ伊織が哀しむところを見たくないだけなのだ。カヤも、セイバーも。ただ、伊織が知られたことを知ったときの顔を、想像するのが耐え難い。

普段は、そんなことはおくびにも出さない。ごく自然に、ごく当たり前に――ごく普通の友人同士のように、もしくは相棒のように、頼り、頼られ、たまには我儘や皮肉を言って伊織を苦笑させたり――セイバーは、伊織に気負わせない。気を遣われているのだということを悟らせない。実際、セイバーはふとした瞬間には伊織の背中のことを忘れているのかもしれないし――伊織に不必要に思い出させるべきではないとも思っていた。まるで、そんな秘密は存在しないのだと――セイバーがそう振る舞うことで、伊織が忘れられる瞬間が一刻でもあるのなら、それは重畳というものだ。



実際、セイバーは伊織の背中を見たことがあるわけではない。
夢で見たのはかつての伊織自身の記憶で、伊織が自分の背中を見たことがない以上、セイバーにもそれを目にする機会はなかった。だから、セイバーはそこに一体何が刻まれているのかを知らない。――ただ、それがどのようにして刻まれたのかを知っているだけだ。

セイバーにとっては、それだけで充分だった。

あの痛み、あの恥辱、あの恐怖、あの嫌悪感。――あの絶望。あの、無力な子供だった伊織の、悲痛に満ちた叫び声。
あの忌まわしい記憶のすべてが、伊織の背中に刻まれている。――幼い伊織の、その哀しみと喪失のすべてが。

それを、誰の目にも触れさせてはならない。――伊織がそう望むのなら、なおのこと。

それを見られてはならない。触れられてはならない。幾重にも厳重に、大切に大切に、肌触りのよい上等な絹の衣で包み込んで――誰の目にも触れぬ安全で温かな水底に秘匿して、護らなければならない。



あの日護られなかった子供は、今度こそ、セイバーの手で護られなければならないのだ。







助之進から融通してもらった用心棒の日雇い稼業の帰り道だった。
珍しく暴漢相手に遅れをとった伊織が脇腹に打撲を受けた。いつものようにしゃんと美しく背筋を伸ばして立ってはいたが、歩く際にはややぎこちない足運びとなっている伊織に、セイバーが「きみ、だらしないぞ」と呆れ顔で声をかける。

「すまん。……油断した」
「油断だとう。きみ、一体いつからそんなに立派になったのだ、戦闘中に他のことに気を取られるなど」
「本当に面目ない。――つい、おまえの剣捌きに気をとられた」

心から申し訳なさそうな声音で、微塵も照れや恥じらいを感じさせない口調で、そう言い放つ。「ん、」と面食らったセイバーが言葉を失い、「きみ、本当にずるいぞ。そう言えば私が黙ると思っているのではあるまいな?」と不貞腐れたように唇を尖らせた。そして、実際に黙ってしまう。

「なんにせよ、腹をやられたのは失敗だった。俺の不徳の致すところだ。おまえにも迷惑をかけた」
「そうだぞ。一応、私の背中はきみに任せているのだからな。……なんにせよ、早く帰ってきみの負傷の手当てをしなければな。まったく、またカヤに要らぬ心配をかけてしまう――

言いながら、セイバーが一瞬ぎくりとする。それから、すぐに思い直す。
そう、手当てはカヤにしてもらえばいい。その間、セイバーは長屋の外で待っていればいい。それはごく自然の流れで、なんの問題もない。伊織に思い出させる必要もない。突きつける必要はなにもない――

ふと、セイバーが足を止める。振り返る。「イオリ?」と声をかける。



伊織の姿が、どこにもなかった。



――イオリ? ッ……イオリ!?」

慌てて周囲を見渡す。表通りから脇道に逸れた路地裏で、ただ長屋が立ち並んでいるだけである。人の姿もひとつもない。
忽然と姿を消したマスターに、セイバーが目に見えて狼狽する。「イオリッ!? イオリ!?」と大声をあげて歩き回り、やがては大通りに出て走り回るが、どこからも返事はない。
はぐれたか――あるいは、何者かに連れ去られたか。ほんの一瞬、セイバーが物思いに耽って目を離した隙だ。そもそも、脇腹を負傷していたといっても伊織は生身の人間相手ならまず敵などいないのだ。どころか、たとえ相手が英霊だろうとそう易々と連れ去られるようなタマではない。

――であるならば、なにかがあったのだ。

セイバーの背筋に悪寒が走る。そのなにか――伊織の動きが止まってしまうような『なにか』――に、心当たりがないと言えば嘘になる。

――イオリ」

低い声で呟き、その名を案じて握りこむように額に握りこぶしを当てた。







空き家になって久しいらしい長屋の一画に連れ込まれた。
板床の上に細い体を乱暴に放り投げられ、したたかに背中を打ち付ける。その衝撃で一瞬呼吸が止まり、ごほごほと不随意に伊織が激しく咳き込む。
身を捩って横臥したところを強引に仰向けに体を開かれ、両腕を押さえ込まれる。板床に釘付けにされた己の腕を見遣り、さらにその先に打ち捨てられた二本の刀を見つける。――遠く、己の手の届く範囲の外にある。細身で体重のやや軽い伊織の、その体格に見合わぬ圧倒的強さの源である剣を奪われた。

見覚えのないごろつきが、仰向けに押さえつけられた伊織の上に仁王立ちになって伊織の顔を覗き込む。

「あんただろ、浅草の腕利きの用心棒って。
あんたさあ、最近いろんなとこから恨み買ってんだよ。ちょっとおいたが過ぎたな。……あんまり派手にやり過ぎると、俺らみたいなのがさあ、いっぺん痛い目見せてやれって、金貰うわけ」
「こいつ、別嬪の女連れって話だったろ。そっちの女は?」

伊織の右腕を押さえている男が不満そうに漏らす。いつの間にか伊織の右脚を踏んで釘付けにしていた別の男が、しれっと言った。

「ああ、そっちはこいつより更に強いって話だから捨て置いた。金貰ったのはこいつの分だけだし」
「なんだつまんねえなあ。女いねえのかよ」
「まあ、若いあんちゃんひとり相手じゃヤる気出ねえのもわかるがよ。――まあでも、初物だろうし、それなりに楽しめんだろ」

伊織の顔を覗き込んでいた男を押しやり、伊織の脚を踏んでいた男が「んー?」とまじまじと伊織の顔を覗き込む。呆けたような月夜の色をした瞳と目が合う。

「あんちゃん、どうした? あんた相当強いって話だったが、随分大人しいな」
「こいつ、よく見たら随分綺麗なツラだな。女がいないのは惜しいが、まあ代わりがこれならいいかあ」

伊織の顎を無理やりに持ち上げ、品定めをするようにさまざまな角度から見遣る。抵抗するでもなく、伊織はただぼうっとした表情のまま、きょろりと丸い瞳で男の顔を追っている。
……?」と違和感を覚えた男が、伊織の頬を軽く叩く。ぱしん、という軽い音と共に伊織の血色のよいとは言えない白い肌が少しだけ赤くなり、叩かれたなら叩かれたまま、だらりと無抵抗のままに明後日の方を向いている。

「なんだ。――なんだか人形みてえだな。薄気味悪ィ」
「おい、あんちゃん。……いいのか? このまま俺らヤッちまうぞ。あんた綺麗な顔してるし、俺らあんたで楽しんじまうぞ。……おーい?」

返事がない。男たちは不可思議げに顔を見合わせたが、特にやめる理由も見つからず、結局伊織の着物に手を掛けた。
仰向けにしていた伊織の体を転がしてうつ伏せにさせ、両腕を押さえつける。無抵抗のまま――むしろ脱力しきってぐにゃぐにゃと、されるがままに転がる体に気味の悪さを覚えつつも、伊織の端正な顔立ちを見て「まあいいか」と思い直す。

伊織の着物を弛め、背中から剥ぎ取る。露わになった白い背中を男たちが見下ろす。その視線が徐々に下がっていき――腰のあたりで止まる。男のひとりが納得したように言った。

「あーあ、そういうことかあ。おい、こいつ初物じゃねえわ」
「おーおー、ひでえことするなあ。どこの誰か知らんが、随分可愛がられたみてえだな」
「可哀想になあ。そんときよっぽど怖い思いでもしたんかな、こういうときは『動いたらだめ』だって学んじまったのかな。……よく見たら怯えてら。はいはい、さっさと済ませてやるからな。そんなに震えなさんな」
「やたら強くて手が付けられねえって話だったのにな。……きっと俺らなんか本当なら全員斬れちまうんだろうになあ。可哀想になあ」
「ああ、可哀想になあ。……俺はなんだかこのあんちゃんが可愛いような気がしてきたヨ、なあ」

ぴくり、と押さえつけられた伊織の体が強張る。無抵抗に視線を明後日の方へ逃がすばかりだった伊織の目が、きょと、と男の顔を見上げた。その怯えた顔が男の何かを刺激したようで、男の鼻息がやや荒くなる。

――ああ、可愛いなあ。あんた可愛いよ。誰だか知らねえが、あんたを可愛がったやつの気持ちが俺はわかるようだよ。
可哀想になあ。あんたは本当は嫌なんだろうに、あんたの目が勝手に相手を誘っちまうんだろうよ。きっとあんたを可愛がったやつも、半分はあんたのせいで、あんたに誘われたんだろうサ。
俺もさあ、本当はそんな気はさらさらなかったのに、あんたがそんな目で見るもんだから。だから、これはあんたがその顔で俺にやらせてることなんだぜ」
「そんなわけないだろう」

――氷のように冷たい声が響いた。

次の瞬間、伊織を取り囲んでいた男たちの体が方々に吹っ飛ぶ。ごん、と派手に頭部や背中を壁に打ち付けた男たちがその場にずるずると崩れ落ちる。蛇行剣を構えたセイバーが、板床の上に転がっている伊織には目をくれないまま、彼を背後に庇って仁王立ちになる。

「イオリ! ――これでも、殺さないのか」
……だめだ、殺すな……
「わかった」

床に転がって呻く男たちを次々に峰打ちにし、完全に意識を失わせる。――すぐに長屋の中に静寂が満ちる。

しゅる、と衣擦れの音がして、伊織が身を起こす。襦袢を羽織った伊織が、セイバーを見た。セイバーも伊織を見る。ただ、右手を差し出した。

「帰ろう、イオリ。――帰ろう」
「セイバー」

伊織が一瞬躊躇い、やがてセイバーの右手を握る。セイバーの腕を引き、セイバーがややよろける。体が傾いだセイバーに、伊織がそっと、密やかに――囁くように言った。

「帰ったら。――おまえに、聞いてほしい話があるんだ」

一瞬の息を呑んだのちに、セイバーは深く、力強く頷いた。