夜之 夢
2022-07-14 20:49:13
26086文字
Public
 

きみ抱きし木よ

2022年7月23日用 アズジェイ無配。
※無駄に3年生設定&関係成立済み。
イベント終了後、WEBのどこかに投稿する予定です。




 5日目を迎えても、ジェイドは木のままだ。
 副寮長不在のままモストロ・ラウンジは通常どおり開店し営業を終え、22時を過ぎた頃にフロイドが突然アズールの部屋にやって来て、「ジェイドんとこ行こうよ」と言った。
 時間だとか、するはずだったルーティンだとか。フロイドの誘いを断る理由ならいくらでもあった。けれどアズールはそのどの理由も出さずに、二つ返事でそれを了承した。
「わかりました」
 服選びもいいかげんに、部屋着から私服に着替えただけで部屋を出る。
 部屋を出たところで、フロイドが珍しく大きめの荷物を持っていることに気付いた。確か以前に、ジェイドが山登りの際に使っていた、無骨で大きめなリュックだ。
「フロイド、その荷物は……?」
 問えば、「お茶会だよお茶会」と、答えになっていない返答があった。
「お茶会?」
「そ。前まで時々してたじゃん。アズールの部屋とかラウンジのVIPルームでさ。ジェイドに紅茶淹れてもらって、クッキーとか出してきて」
 実際にはそれは双子がアズールの部屋に勝手にやってきて勝手にくつろいでいたり、VIPルームでダラダラしていただけとも言えるのだが。確かに茶会と言われればそうである気もした。
 
 消灯時間ももうすぐであるため、廊下には寮生の姿はほとんど無かった。談話室を通り過ぎれば数人がいたが、その誰もがアズール達が鏡へと向かって行くことを認識しながら、誰も声をかけなかった。皆アズールとフロイドをチラと見やって、何も見なかったかのように視線をはずす。
 2人がどこへ行こうとしているかなんてわかりきっているのだろう。

 夜の学園は私服では少し肌寒かった。
 鏡舎から運動場へ。ジェイドという木まで辿り着くための道は、もうすでに通り慣れ始めている。距離を苦に感じることもなくなって、ジェイドという木も、すぐに見つけられるようになっていた。
 ジェイドの根元に到着するなりフロイドは荷物を開け、その中から蓋付きのタンブラーを2つ取り出し、その片方をアズールに向かって差し出した。
 受け取って蓋を開ければ、ほのかな湯気と共に、紅茶と、ミルクの甘いような香りがたつ。
 ミルクティー、と呟けば、フロイドが「うん」とだけ言った。
 リュックの中身はまだ何かあるらしく、フロイドがガサガサと中を漁って、ビスケットの大袋やらラウンジで余ったスコーンやら封のあいたキャンディーの大袋やらを出してきたかと思うと、はてはポテトチップスなどが出てきた。
「とりあえずあるもの持ってきたけど、こんなんしか無かった」
……僕は結構です」
「お茶会なのに?」
「いま何時で、それらがどれだけ高カロリーだと思ってるんです」
「あーあ、ジェイドぉ。アズール食べてくんないって」
 お茶会なのにねぇ、とフロイドが木を見上げる。
 なんだか罪悪感が生まれたが、アズールはそれを振り払って鼻を鳴らした。
 フロイドはそれで諦めたらしく、もうスコーンにかじりつこうとしている。フロイドが歯を立てた端からスコーンの欠片が落ちて、ジェイドの根に落ちた。
 なんとなくそれを見て、「そういえばジェイドがヒトの姿をしていた時、フロイドが今みたいにジェイドの服に食べこぼしたりした時があったな」とアズールは思い出した。フロイドも同じことを思ったのか、あるいは最初からそれを狙ってしたのかもしれない。落ちたスコーンの欠片を見て、少し面白そうに笑った。
「卒業まではさ、」
 ジェイドの根元に座り込み、スコーンをかじり、食べこぼし、口を動かして、フロイドが言う。
 アズールもその隣に腰をおろし、ジェイドの幹にもたれかかって「はい」と返事をした。
「卒業まではさ、こういう風にしたら、一応はジェイドと居られることになんのかもね」
「まあ……そうですね……そうかもしれません」
「でも、夏は暑ぃし、冬はさすがに寒そう」
「そうですね……
 夏の夜はじっとりしていて不愉快な気温に違いない。外で、なおかつ、木の近くとなれば当然、虫もいるだろう。冬は冬で、アズールもフロイドも寒さには強いが、それでも夜中にそう何時間とは外に座っていられない。紅茶だってすぐに冷めてしまうだろう。
 そんなことを想像しながら、アズールは持ったままだったタンブラーに口を付けた。そぉっと傾けて中身を口に含めば、美味しくはあるが、何かが少し足りないような味がした。
 フロイドの淹れた紅茶は、残念ながらジェイドのそれに少し劣る。
「抽出時間をいい加減にしましたね?」
 一口分をゆっくりと飲み込んでから言えば、フロイドは当然のことを言うように「うん」と答えた。
「真面目に淹れる気もなかったでしょう」
「頑張った方だよ。本当はオレ、オレが紅茶淹れるの嫌だったもん」
 その理由をアズールは問わなかった。フロイドは『自分が』紅茶を淹れることは嫌だったと言ったのだ。つまりフロイドにとって紅茶とは自分以外の誰かが淹れるもので、フロイドが『誰』に紅茶を淹れてもらうことを当然としているのか、アズールは聞かずとも理解したからだった。
 フロイドの言う通りだった。アズールにとっても、紅茶とはジェイドが淹れてくれるものだった。
「コーヒーにしなかったのは」
 疑問符をつけずに、前を向いたまま問う。
 フロイドはちらとアズールに視線を向けた後、また前を向いた。
「ジェイドだったら、この時間にアズールにコーヒー出さなかっただろうなって」
「なぜ?」
 さらに問えば、フロイドは少し眉を顰めた。「何でって……」文句を言いたがるような口調でそんな呟きが聞えた後、ややあってからフロイドが息を吸う。
「アズールさぁ、ジェイドが夜にアズールに出す紅茶淹れる時、わざわざカフェイン抜いてんの知ってた?」
……夜に出される紅茶だけ、いつもと少し風味が違うな、とは思っていました」
 それが、そういう手間をかけたが故のことであるとは知らなかった。
 アズールが知っている限り、ジェイドは紅茶を淹れるごとに、使う茶葉を変える男だった。気に入っている茶葉はあったのだろうが、菓子や料理ごとに合わせる紅茶を考える男だったし、そうでなくとも何か喜ばしいことがあった時――アズールやフロイド、時には自分にとって嬉しいことがあった時――には華やかな香りのフレーバーティーを持ってきた。冬の寒い夜には完璧な比率で作ったミルクティーを出してきた。夏にはベルガモットが香るアイスティーをひじょうに上手く淹れる男であった。
 そんな風に、当たり前のように、思いやりを提供する男だった。
 もうあの紅茶も飲めないのだ。
 徹夜をして荒れに荒れたアズールへ、こっそりと睡眠薬を混ぜた紅茶を出してきたこともある男は、今は木になってしまっている。もうアズールを無理矢理に眠らせることもなければ、罵詈雑言を吐きながら寝落ちていくアズールの額に、そっと口付けてくれることもない。優しい手で髪を撫でてくれることも。甘い声で「おやすみなさい」と告げてくれることも。
 胸の内がぎゅうと痛んだというのに、アズールの味覚はジェイドが淹れた紅茶の味を思い出すことができない。ただそれが一番好きな味で、何よりも美味しいものだったと。そういう情報でしか思い出せないのだ。
 薄情なものだ、とアズールは自分で自分に呆れたが、慣れ親しみ過ぎたものを突然失ってしまって、何も出来なかった。
 木々が揺れ、葉が音をたて、夜の匂いをはらんだ風がアズール達に触れて過ぎ去っていく。
 紅茶の香り。フロイドがまたもやリュックを漁り、取り出してきたクッキーをアズールの手元に押しつけてくる。そこからほのかに香ったバターの香り。
 仕方なく一枚だけを手に取って、アズールはそれをかじった。
 ――夜の茶会は美しかった。でも、真夏や真冬には出来ないことだろう、とアズールは思う。
 一年を通して、ジェイドという木は雨にさらされたり、虫に葉を齧られたり、小動物に登られたり、鳥がとまったり、冬には雪に積もられたりするのだろう。
 木としては、それで何らおかしくはない。
 でも、とアズールは思う。
 目の下のあたりが痛いような、鼻の奥がツンとしたように感じて、それを誤魔化すようにまた一口クッキーをかじった。
 サクリと軽やかな音を立てたそれが、舌の上に甘みと、豊かなバターの風味を広げる。
 背徳感のせいか、あるいは、今アズールの胸を掻き乱している感情のせいか。禁断の味がするはずのそれが、今はただ味気なかった。