夜之 夢
2022-07-14 20:49:13
26086文字
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きみ抱きし木よ

2022年7月23日用 アズジェイ無配。
※無駄に3年生設定&関係成立済み。
イベント終了後、WEBのどこかに投稿する予定です。



 それじゃあジェイドはどうするの、とフロイドが尋ねた言葉が、アズールの意識を妙に刺激した。
 声がする方へと振り向けば、双子がVIPルームのソファを占領しながら一つの冊子をのぞき込んでいる。一瞬だけ何だと思ったが、それが何であるかはアズールにもすぐわかった。アズールにも配られた冊子だ。
 4年生での実習についての案内説明――希望実習先についての条件、申請方法と、その期限。実習期間について、その他諸々。
 このナイトレイブンカレッジの3年生には全員配られるし、スマートフォンを持っている者達にはメールでも同じ内容の通達が行く。アズールも勿論目を通した。
 実習。近づく『卒業』という節目を嫌でも意識させられるようだった。それを不安がる者もいるし、喜ぶ者もいる。アズールとしてはどちらとも言えなかった。何かあった時だけ学生という身分を被れるのは居心地が良いとも言えたし、そんなものは捨てて早く一人前として社会に出たい気持ちもある。
 そういえばこういう話を双子とはしたことが無かった、とアズールが気づいた直後、ちょうど、ジェイドがフロイドに向かって口を開いた。
 そうですね、とその唇が微笑む。どうしましょうか、と。
 答えが決まっているのかはぐらかすつもりなのかわからないまま、ジェイドの方がフロイドへと問う。
「フロイドは、実習先にどこを希望するんですか?」
「ん~まだ迷ってる。希望先提出する時の気分で決めよっかなぁ」
「なるほど、それは楽しそうですね」
「ジェイドは? 全然決まってねぇの?」
「魔法薬専門の研究所を候補に入れています」
「ふーん……
 充分予想できた候補であるような気もしたし、少し意外でもあった。もしかしたらこいつは実習先まで菌糸類関係のことを希望するかもしれない、とアズールはそんなふうに考えていたので、ジェイドのその返事は何とも言い難いものだった。
「じゃ、ジェイドは何になるの?」
 唐突に耳に入ってきた言葉に、アズールは思わずどきりとした。
 何とはなしに眺めていた二人の様子をまじまじと見つめれば、ジェイドもまた、不思議そうな、戸惑ったような表情をしている。
「え?」
 問い直すようにジェイドが一音を発して、フロイドがそれに答えた。
「魔法薬の研究しに行くかもって話だけどさ、でも別に実習に行ったからって、その道に進まなきゃいけないわけじゃないじゃん。実習から戻ってきて卒業してさ、そのあと何になんの?」
「さあ……まだ考えていませんね。僕たちには海という世界もありますし」
「まぁね」
 頷いたフロイドは、けれど一拍を置いて付け足すように言った。
「でもそっか、ジェイドはまだ陸とも海とも決めてないんだね」
……そうですね……
 そう言われてジェイドは少し何かを考えたようだったが、何も言わなかった。2人の会話はそれで終わったので、アズールが口を挟む間も無かった。
 だからその会話は、それで終わっていたのだ。

 
 それから少ししてジェイド・リーチは姿を消した。
 前触れらしき前触れもなく、誰1人として知らない間に、ジェイドは姿を消した。
 特に何の変化も無い、いつも通りの夜だったはずだ。それは、フロイドとアズール、そして大体の寮生の共通認識だろう。
 けれどそんな夜、ジェイドは就寝直前になって部屋を出たらしい。
 同室であるフロイドが「どうしたの」と問えば、ジェイドは、学園へ行く、と答えたそうだ。
 その理由までは聞かず、フロイドは「消灯時間までには戻ってきなよ」とジェイドに声をかけたと言う。さすがに消灯時間を過ぎて戻ればアズールにバレるだろうし、そうなればアズールも怒るだろうからと。
 そうですね、とジェイドはおかしそうに笑ったのだという。気をつけます、と言い残して部屋を出て、それきり、ジェイドはその日の内に戻らなかった。
 翌朝になってフロイドがジェイドの不在に気づいて飛び起き、アズールの部屋に駆け込んで。そうして今なお、ジェイドは見つかっていない。

 朝に学園長にジェイドの失踪を説明したものの、学園長であるディア・クロウリーからは「事情はわかりました。後は教師達で探しておきますので、アーシェングロットくんは通常どおり授業に出るように」と言われただけだった。
 そもそも正直なところ、ここNRCでは年に1人くらいは「こっそり寮から抜け出して、1日戻らなかった者」が出る。学生特有の行動力は凄まじい。
 ジェイド・リーチという生徒がそれほど浅慮ではないという事はクロウリーも理解しているだろうが、たった1日の失踪では慌てるには早い、ということなのだろう。
 我々でも探しておきますから君は授業に戻って、とクロウリーから促され、アズールは渋々と学園長室を出るしかなかった。
 フロイドは朝から堂々のサボりだ。「ジェイド探してみる」と言って朝の食堂にすら行かなかったフロイドは、多分、アズールの不安まで背負おうとしてくれている。それがわかったから、アズールもフロイドを止められなかった。
 結局、アズールだけがいつもと変わらず授業に出席した。
 本当にこれでいいのだろうか、ジェイドはどこへ行ったのだろうか。何か事件に巻き込まれたり、いま身の危険に遭っているのではないだろうか。それとも本当に学園から出ていきたかったのだろうか、だから突然夜に寮を出て行ったりしたのだろうか――ぐるぐると考えるも答えは出ないまま、1日の授業すべてが終わってしまった。
 放課後となり、やはり自分もジェイドを探しに行こうか、とアズールは考えたが、何か手掛かりがあるわけでもない。何から手をつければ良いのかわからなかった。
 アズールの迷いを感知したかのようなタイミングで、フロイドからメッセージが入ったせいもある。
『アズールはラウンジ開けてて。ジェイド戻ってくるかもしんないし』
 確かにそうかもしれない、と思わせるあたりが上手かった。そんなメッセージを受け取ってしまったら、アズールはその通りにするしかない。『わかりました』と返信して、アズールはモストロ・ラウンジへと向かった。

 結局、フロイドは丸一日授業をサボったらしい。モストロ・ラウンジのシフトさえ放り出されたが、アズールはそれを咎めないことにした。周囲もまた、ジェイドの突然の失踪を知っている。フロイドの無断欠勤について文句を言う者はいなかった。
 そうして――アズールのスマートフォンにフロイドからのメッセージが入ったのは、モストロ・ラウンジの閉店間際の頃だった。
『運動場の、木が立ってるところに来て』
『ジェイド見つけた』
 後は閉店作業くらいだからとラウンジのことは他の者に任し、アズールは運動場に向かって急いだ。急ぐ分ハットが邪魔で、それを手に持つ。

『運動場の、木が立っているところ』と言われても、それは広範囲に及ぶ。フロイドが一体どの「木」のことを言っているのかはわからなかったが、とりあえずはとアズールは運動場に駆けつけた。
 元々こんな時間にまで運動場を使っている者はいない。しんと広がっている無人の芝生をライトが無機質に照らしており、その中で、運動場の端、木々が植えられている辺りに立っているフロイドの姿は、すぐに見つけることが出来た。
 アズールがそちらへと駆けだせば、フロイドもアズールの姿に気づいたらしい。長い腕が持ち上げられ、ひらひらと振られたのが見えた。その様子を見て、フロイドが存外に落ち着いていることを理解する。同時に、フロイドの周囲に視線を巡らせ――その近くにジェイドらしい姿は無いことも理解した。
 アズールはそれに嫌な予感を抱く。フロイドは先程『ジェイドを見つけた』と連絡を寄越したのだから、普通ならばフロイドの近くにジェイドの姿があるはずだ。だというのにそれが無いということは、たとえばジェイドは、ここから見えないような場所、そう、フロイドが立っている木々の奥で動けないような状態なのだろうか。
 そう考えたところで、アズールはふと奇妙な感覚を味わった。違和感、と思ったが、それが違和感なのか何なのかもわからない。
 運動場の端。植えられたのか元々生えていたのかわからない木々を背景にして、制服姿のフロイドが立っている。別におかしなところは無い。無いはずなのに、なにか、なにかが違うような気がした。
 あれ、と目を擦りながらも、足を動かす。
 呼吸を乱しながらもフロイドの前へと走り着けば、フロイドは「そんなに走らなくても良かったのに」と気遣いなのか能天気なのかわからないことを言った。
「だ、だって……連絡……ジェイドを、見つけたと」
 息と共に呼吸が途切れる。
 ぜ、と酸素を取り込みながらも、アズールは次を急ぐようにフロイドを見上げた。
「ジェイドは?」
「んー……すぐ近くにはいるんだけどさぁ、ちょっと、オレにもよくわかんなくて」
 歯切れ悪く答えたフロイドには、ふざけているような様子は無かった。
「どういうことですか? 何が……ジェイドはどこに?」
 見つけたんですよね、と確認のように言いながら、アズールはフロイドの腕を掴む。力を込めないように意識したせいで、それは縋るようになった。
 フロイドが自らの髪をぐしゃりと掻く。「あのさぁ、」前置きみたいな言葉は、子供が大人に叱られることを恐れているようでもあった。
……アズールさぁ、オレが今から言うこと、信じるって約束して?」
「え?」
「確認。信じてくんないと話進まないから」
 で、どう。と聞かれて、アズールはすぐには返事を出来なかった。ただ、フロイドが言うには『フロイドが言うことを信じなければ話は進まない』のだ。ならば信じるしかなかった。少なくとも表面上だけでも、そう答えるしか選択肢が無いだろう。そうアズールは判断した。
「し……信じます」
 答えた言葉は誓いか何かのようだ。アズールがフロイドを見上げてそう告げ頷けば、フロイドはほんの少しだけ困ったような曖昧な表情を見せて、自らの背後にある大きな木を指して言った。
「ジェイド、木になっちゃった」
 そう告げたフロイドは、平素には無い表情をしていた。やわい苦笑のような、どちらかというと無表情に近いような。本当に曖昧な表情だった。多分それはフロイドの感情の通りだったのだろう。
「え……?」
 問う声は掠れてしまう。アズールはフロイドが言った言葉が信じられなかったし、目の前に立っている大きな木のことも信じられなかった。
 けれど、同時にハッとした。
 フロイドと合流する直前に感じた違和感。あれはまさしく、この木のせいだったのだと納得できたからだ。
 こんな木、確かに、今までここに植わっていなかったはずなのだ。
 言われなければ気づかないような変化だ。けれど言われたならば、この運動場のこの場所の光景に見慣れていた者は、確かにその変化を理解するだろう。確かに、見慣れぬ――無かったはずの木が一本。今、アズール達の前に立っている。
 アズールはそれを理解してしまった。それが事実であることは認めざるをえなかった。
 だが、だからといって「そうなんですね」と受け入れられるわけでもない。数秒前に『フロイドが言うことを信じる』と答えたのも忘れて、アズールは力無く首を横に振った。
「そんな、」
 ジェイドが木に。
 まさかそんな筈があるまい。目の前の木だって、たとえば今日か昨晩の内にどこから持ってきて植えられただけで――とアズールは考えるのに、咄嗟に視線を向けた木の根元は、しっかりとその根を地に巡らせていた。周囲の土だって、昨日今日で掘り起こされたような様子は無い。
 木は、まるで何年も前からそこにあったかのようにして存在している。
 確かに、1日前には無かったというのに。
……フロイド、そんな冗談を言っている場合では……
 ないんですよ、とどうしても最後まで言えなかった。それは先程の宣言のせいでもあったし、目の前の光景がフロイドの言葉を肯定しているからでもあった。
 中途半端に口を閉ざしたアズールを見て、フロイドがへらりと笑う。あまり見ない笑い方だった。
「アズール、わかんないんだ?」
……何が?」
「この木がジェイドだ、って」
……わかりません。わからないから、信じられない」
 だってそんなことが有り得るわけないだろう。アズールの理性はほとんどそう怒鳴っているが、どうしてもそれは言葉として出てくれなかった。
 胸の内がざわざわとしている。
 フロイドが、見た事の無いような曖昧さで微笑んでいる。目の前に1日で突然あらわれた木がある。たったそれだけで。
 風がふいて、アズールの髪を揺らし、フロイドの髪を撫でたようだった。草と、夜の空気の匂いがする。少し冷えて湿ったような空気の乱れ。あたりの木々がさわさわと囁き合ったようだった。
 それに誘われたかのように、フロイドがその木の根元へと歩いていく。そうして、制服が汚れるのも構わずにのそりとその根元に腰を下ろし、フロイドはアズールへと口を開いた。
「アズールもこっち来てみなって」
 ここに座って。オレの隣にさ。
 そう言ったフロイドの声は、甘えているようにも、アズールを宥めようとしているようにも聞こえた。フロイドの大きな手が、隣の草をぽんと小さく叩いて撫でる。
 それを突っぱねることも出来ず、アズールはそろりと足を踏み出した。靴が草を踏んで、かさりと音をたてる。やけに大きな音に聞こえた。夜の静けさのせいだろう。
 そろそろとした動きでフロイドの隣に腰を下ろせば、さわりと木々の葉が揺れた。夜の空気の匂い、藍色の空、少し冷えて湿っぽい風、風に混ざる「緑」の匂い。
 ただただ不思議だった。
 自らが腰を下ろしたこの木が、元は人間……否、人魚だったなど、信じられなかった。
 フロイドが言い出したのでなければ、アズールは今こうしてここで大人しく座っているはずがない。人間が、ましてや人魚が木になるわけがないだろうと怒鳴って否定して、ジェイドを探そうと奔走しているに違いなかった。
 そのことを考えて、アズールは自らの手をぐっと握り込む。
……本当に、この木は……ジェイドなんですか」
 問う声は不安げに僅かに震えていた。フロイドがそれに気づいたかどうかはわからない。ただフロイドは、何もない紺色の空気をじっと眺めて、その横顔のまま力無く笑った。
「うん。そのはず」
 アズールは何も言えない。
「あーぁ。ジェイド、残念だねぇ。アズールはわかんないんだって」
 そう言って頭上に広がる葉を見上げたフロイドが、流し目のような視線をアズールに寄越す。
 揶揄われているような、挑発されているような気になって、アズールは吃った。
「わか、わからない……
 だって、本当にわからないのだ。これがジェイドだ、と言われても、アズールにはわからない。見えているのはただの大木だ。確かに背は高いが、それはジェイドの身長を思わせたが、それだって周囲の他の木とそれほど変わらない。ジェイドという木より背の高い木は他にもあった。
「フロイドは、この木がジェイドだって確信してるのか?」
 アズールの声は少し不自然に掠れ歪んだ。気を抜いた瞬間に泣いてしまいそうだったので、そういう声になった。
「してるよ。わかるもん」
 答えたフロイドの声は、何だか落ち着いた、優しいともとれるような音をしている。
 それが何よりも確かに『この木こそがジェイドだ』と主張するかのようだった。
「フロイドが……フロイドがそう言うなら、きっとジェイドなんでしょう」
 視線を落として自分の足先を見つめながら、アズールは認める。認めるしかなかった、とも言える。
 とにかく何だっていい。これが、この木がジェイドだというなら、とりあえずジェイドは無事だということだ。
「無事なら、いい……
 今はそれだけで良かった。それだけしか考えられなかった、というのが大きいが。
 ざ、と風がふく。木々が揺れる。ジェイドという木の枝がしなって、そこにある葉が夜空をなぞったようだった。
 フロイドと二人で無言のまま、しばらくそうしていた。
 どのくらい時間が経ったかはわからない。アズールは時計を見ていなかったし、フロイドも時間を気にした様子が無かった。示し合わせたわけでもないのに、ふとフロイドが立ち上がって、それを見たアズールも立ち、二人は寮に戻った。