清流行き違い、船望む

治安の悪い冨岡義勇と、なかなか再会できない皆さん(転生)


【壱】山奥の豪邸に在る者達

 かつての記憶がなければ、きっととっくに心が死んでいただろう。伊黒小芭内は、とある座敷牢の中でじっと座している。かつては離島に産まれた身であったが、今世の伊黒は山奥で産まれた。かつてほどではないが、伊黒の血縁はどうしようもない者ばかりで、敷地の山には金があるのだと嘯いては、よからぬ者から金を借りての豪遊三昧だ。実際、かつては何かしら金になるものが山にはあったようで、伊黒もその採掘跡を見たことがある。
 その出涸らしに縋り付く者たちは、かつての一財を忘れられないのだろう。この家を出るには、伊黒は世で言う親の庇護下にある歳だ。親の決めた学校に行き、送迎までされ、世間からすれば良いところの箱入りのお坊ちゃんだ。誰がそんな伊黒を問題視するというのか。
 豪邸の地下にある座敷牢に伊黒がいるのは、つい先日からだった。ただ一言、大学は己で選びたいと言っただけだ。この家を離れて暮らしたいと言っただけ。それが認められなかったのは、このハリボテのような豪遊生活の実情を、外に漏らすと思われたのかもしれない。しばらくそこに居りなさい、と家長である父に言われて大人しく入ったままだ。
 仮初の贅沢をおかしく思い、この家を離れたいと願った伊黒は、本当にそれだけの経験しか持たない人間であるならば、弱く、すぐに心が折れていたかもしれない。けれども、伊黒はかつて鬼殺隊に身を置いた記憶を持っていた。かつて鬼に従い贄を差し出していた親族たちの醜悪さを知っていた。だから、監視のように人がいたとて外に出られ、学を得ること自体は推奨され、座敷牢とは名ばかりの地下にある狭い小部屋に置かれたところで、まるで生温いと思うだけだった。
 しかし、殆ど採掘しつくした山の財はとうに出涸らしで、よからぬ者から金を借りている生活だ。遅かれ早かれ、破綻するだろうと伊黒は常々思っていた。それが間もなく始まるだろう、という漠然とした予感もある。
 屋敷は山奥、遠目からでも目立ちこそするが、付近は木々に囲まれた山の中で、麓の道から山に入る道中はひと気のない静かな場所だ。夜分に誰が来たところで、目撃者など殆どいないだろう。人目を憚らずに金貸しが押し入ることなど容易い。それにもう、何年も金の無心を方々へしていた両親が、そろそろ不味いと囁き合っているのを聞いたばかりだ。
 成績の思わしくない者は、学校に金を握らせて誤魔化している。親族たちの宴に混じっている子供達は、そうなるのも必然だ。伊黒はそんな席は早々に辞して知識を詰め込んでいたが、そんな子供は稀であった。日々の贅沢に、不正の金にと、そんなことをしているのだから幾らあっても足りないに決まっている。
「今日こそ耳揃えて返すって約束だよなぁ!」
 だからそう、地上の方からそんな声が聞こえた気がしたのも、致し方ないことなのだ。
 地下の座敷牢にいる伊黒は、屋敷の中で何が起きているのか知りようがない。ただ、女たちの悲鳴や、どたばたと駆け回る音、そして怒号が漏れ聞こえてくるものだから、いよいよ年貢の納め時が来たらしい。聞こえてくる騒がしさが消えたら、どうにかしてここから出なければならない。伊黒は誰かが座敷牢のことを思い出してくれるとは思えなかった。しかし、かつての己が居た場所と比べれば、扉を蹴破れば出られるであろうと予想はしている。
「この土地と屋敷は、まあ売っ払うとして。こいつらはどうしますか若頭」
「女はともかく、男共は船に乗せますか?」
 若頭。聞き慣れない肩書きに、伊黒は耳をそば立てる。ただまあ、良からぬ金貸しだ。そういうものの母体とは、つまりヤクザだ。その中でも比較的高い地位の者が、部下を引き連れて来たのだろう。粗野な男たちの声ばかりで、当の若頭と呼ばれる男の声はついぞ伊黒の耳にまでは届かなかったが。
 伊黒は、今はまだ扉を蹴破るタイミングではないだろうと、じっと息を潜めていた。物音で気付かれれば、伊黒も同罪としてどこかへ連れて行かれるだろう。それだせは避けたかった。伊黒の気掛かりは、甘露寺蜜璃が己と同じようにかつての記憶を持って生まれているかどうかにつきる。ヤクザの課す労働で、いつ返し終わるともしれない借金のためだけに生きるなど願い下げだ。
 しかし相手はヤクザであり、この屋敷の人間を片端から捕まえるような集団だ。地下がある可能性も頭に入れてやって来たのかもしれない。もしくは、親族の誰かが命乞いで相手に告げたか。地下へ通じる、つまり伊黒のいる場所へ繋がる戸口がガタガタと音を立てた。逃げ出すにしろ、地下の出入り口は一ヶ所だけ。何人がなだれ込んでくるかによるが、掻い潜って逃げ出せるだろうかと、伊黒は息を潜めたまま思考を巡らせる。
「若頭の言う通りだ! 地下室がある」
「しっかし、地下牢なんて残ってるモンなんすね」
「とりあえず誰かがいたら、若頭の言う通り麓の方に逃がしゃあいい」
 地下へ足を踏み入れたのは、どうやら男が二人。話に出て来る若頭という者ではないようだ。伊黒は彼らの会話を、油断させるための嘘かどうか判断しかねた。荒事に慣れている男二人を、今の伊黒ではどうにかすることはできないだろう。だからといって、彼らの会話を頭から信用してノコノコと出て行くには、判断材料が足りなすぎる。
 そもそもだ、麓の方に逃がす方針が事実だとして、逃して終わりという可能性もある。身一つ、何の後ろ盾も助けもない中で、少なくとも一夜を過ごさなくてはならないかもしれない。伊黒の疑り深さは、根強かった。
「お、いるじゃねえか一人」
「ここまで若頭の予想通りだと、逆にこえぇっす」
 しかしまあ、逃げ道などないも同然。息を潜めたところで、片っ端から扉を蹴破られてしまえば、伊黒のいる座敷牢まで男たちが辿り着くのは、単なる時間の問題でしかなかった。扉のあった場所を塞ぐように並ぶ二人の男は、伊黒の姿を確かめると、努めて穏やかな表情を浮かべた。
「オウ、この家は土地ごと売っ払う話がついた。お前はまあ、麓の町で面倒見てもらえ」
「ダメっすよ兄貴、ちゃんと面倒見る家のアテがあるって言わねえと!」
……まあ、そんなトコだ。送ってやるから、歩けるンなら着いてこい」
「変な気ィ起こさなきゃ命は助かるんで」
 男たちは、どうにか穏やかに話を進めたいようだった。伊黒は彼らが粗暴な言葉遣いでも、かつての鬼殺隊で柱であった記憶があるので、そこは気にしなかっただろうが。むしろ、伊黒の記憶にある不死川実弥よりも、随分と人相は良く見えてしまった。
 丸きりの嘘、というわけでもない雰囲気。伊黒はひとまずその、『面倒を見る家』が実際どんなものなのかを見てから逃げ出すでも良いかと判断を下し、一晩の宿を借りるつもりで男たちに着いていくことにした。明るくなった際に警察でもなんでも飛び込めばいいと。



 果たして、伊黒が送り届けられたのは小ぢんまりとした一軒家であった。夜半だというのに、一人の優しげな女性が出迎えてくれた。まるで藤の花の屋敷のようだと思いながらも、伊黒は男たちに促されるままに彼女の後を追うように、その家に足を踏み入れる。
「細けえ話は、明日にでも別のモンが来るから、そいつと話してくれ」
「悪いようにはならねえと思うっすよ」
「二人ともお疲れ様。じゃあ、義勇くんによろしく伝えてね」
 にこりと笑んだ女性の言葉に、伊黒は荒れそうになる心を必死に鎮めることで精一杯だった。同じ名前の他人だろう、不幸を背負い込んでいたような顔のいけ好かない男ではないだろう、そも、そんな男だったとて、彼がヤクザ者になる理由もなさそうだ。というよりも、彼がその世界に足を踏み入れる姿が想像できなかった。きっと他人だ、そうに違いない。伊黒は無理矢理にそう結論付けて、部屋に案内するわと笑んだ女性に、小さく頷いた。