柚鈴
2024-06-18 11:08:58
28580文字
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Floruit

第1~2話:あかりん
第3~6話:柚鈴


第4話 君という神話

◇レイラ・カーティス

「今日はアイドルのみんなに、特別な力を授けにきてあげたんだよ! その名も──満開システム!」
 煙るような曇天さえ吹き飛ばすような朗らかさで、精霊が告げた。満開システム。馴染みのない響きに首を傾げれば、注目を引けたことが嬉しかったのか。新しいおもちゃを自慢する幼い子供のように、精霊は得意げに言葉を続けた。やたらと冗長で芝居がかったその要旨をまとめると、つまりはアイドルの身体能力を底上げするための新機構ということらしい。端末を介さずに精霊の力を直接受け渡すことで、これまで以上に理想のアイドルとして振る舞えるようになるという仕組みのようだった。精霊にもアイドルにも負担が大きいため、頻繁に使うことはできないのだが──今の苦境を乗り越えるためには、これを使うしかない。だからわざわざ精霊が出向いて、力を授けにきたのだという。
「満開したアイドルは、普段とは比べものにならないくらいに強くなるんだ! まさに、みんなの求める理想のアイドルになれるんだよ! だから、満開するのは一人で十分なんだけど──誰にする?」
 満開システム、使ってみたい人〜! まるで体育祭のリレー選手を決めるときのような気軽さで、精霊は挙手を促した。はい! 真っ先に手を挙げたのは、少し離れて話を聞いていたマヤだった。
「私が一番、アイドルとして先輩だから。先輩の威厳を見せなくちゃ!」
 屈託のない笑みを浮かべて、マヤは告げた。養成所に入ったのも、アイドルになったのも、マヤはエレナより一足先だったのだという。この中でもっともアイドル歴の長いマヤが立候補するというのなら、特に反対する理由はなかった。
「マヤ・アミカだね! 分かった! それじゃあ──教えて。おまえの願いはなに?」
 祈りを捧げる信徒に手を差し伸べるように、精霊がすっと目を細めた。与える者と、授かる者。憐憫を施すような眼差し。まるで荘厳な儀式のように、マヤに向かって願いを訊ねる。何のために、力を求めるのか。その覚悟を問うように。
「私の、願いは……目の前のサクリファイスを、残らず倒すことです!」
 これで、いいのかな。不安げな呟きが空気に溶ける。宙に浮いたままの精霊が、静かにマヤの両手を包みこんだ。神様の力を、マヤに分け与えるために。白い手と手が重なって、刹那の沈黙。直後、目を焼くような閃光が咲いた。眩い光の渦がマヤを取り巻いて、その姿を変えていく。竜巻の中心にいるような、荒れ狂う光の波。寄せては返し、すぐに霧散する。鮮烈な光の抜けた視界が元の様相を取り戻したときには、マヤの姿は一変していた。白を基調としたシンプルな衣装が、豪奢な夜会のドレスのように装いを異にしている。布地の色は昼夜を反転したように濃紺に染まり、無数の花が満開に咲いている。白い花弁を俯かせたブルーベリー。彼女を象徴する花だ。
「精霊さんって、形から入るタイプなんだよね!」
 驚いたようなレイラたちの反応がお気に召したのだろう、精霊は機嫌よさげににこにこと笑っている。アイドルの変身と同じ要領で、満開システムは衣装までも変化させるらしい。いくつもの花を爛漫と咲かせたマヤの姿に、微かな胸騒ぎが掠めた。喉をちくりと刺すような、飲み下せる僅かな違和。いつか目にした光景が、瞼の奥で瞬くように蘇る。レイラの通う学校の一角に、丁寧に世話をされた花壇があった。毎年の春に、暖かな彩りが地面を染めていく場所。陽だまりに包まれた花が、幸福に笑うように咲き乱れる場所。誰もが綺麗だと足を止めるその風景を、レイラはどうしても好きになれなかった。視界の端に映るたびに、苦い思いが喉を焼いていくようだった。
煌めき綴る物語リベリー・メア!」
 魔法の呪文を結ぶ声が、雨音と警報音の支配する空に響いた。ゆらり。光が、揺れる。曇天の下に灯る微かな光が、不確かに揺蕩って目を眩ませる。蜃気楼のように、目に映る景色を歪ませていく。初めて見る魔法の使い方だった。視界の中の光を小刻みに振動させることで、持続的に視覚を撹乱しているのだろう。マヤはこれまで、目眩しの光線くらいにしか自らの固有魔法を使ってこなかった。こういう使い方があるのだと知っていたならば、もっと早く戦闘に活かしていそうなものだけれど。一時的な光の束とは比較にならないほど、視界を奪うの効果としては強力だ。空間把握の魔法を持っていなければ、何が起きているのかを確かめることさえ定かではなかっただろう。現に、エレナやミアは状況を飲み込めていない様子で、明滅する視界に目を丸くしている。脈打つ世界の中で、マヤが大きく跳躍した。ほとんど飛翔に近しい、普段のアイドルの身体能力からは考えられないような動きだ。一対の白い翼を幻視しそうになるほどに、宙を駆ける彼女の様子は軽やかだった。これまでにない、的確な魔法の使用。人間を超えたアイドルよりも、格段に上昇した身体能力。これが、精霊によって与えられた力なのだろう。満開していないアイドルとは一線を画した、凄まじい強さだ。精霊が得意げになるのも頷ける。今のマヤならば、十数体のサクリファイスが相手でも、一人で打ち負かすことができそうだった。空中に留まったままのマヤが、サクリファイスに向かって魔法のステッキを振りかざす。ちらちらと不安定に揺らぐ視野の中、見上げた先の表情に目を奪われた。思わず息が詰まりそうになるほどの、強烈な違和感。戦う彼女の横顔が、蝋人形のように見えたのだ。何の感情も浮かんでいない作り物。恐怖も高揚もなく、冷淡な眼差しでサクリファイスを見下ろしている。彼女は、こんな表情をする子だっただろうか。
「マヤ……?」
 同じ違和を抱いたように、隣に立ったエレナが微かに眉を顰めた。付き合いの長い彼女も引っかかりを覚えるほどの、飲み下せない異物感。レイラの杞憂が引き起こした、ただの気のせいではないようだった。何かに取り憑かれているかのように、マヤがステッキを振りかぶる。再び視界を掻き乱すように、稲妻に似た光が大気を劈く。冴えた光芒が網膜を焼き、視界が白に遮断される。
一人きりの夜アウローラム・スペーロー!」
 視覚は捨てざるをえない。そう判断すると同時に、詠唱が口を衝いた。雨垂れに濡れた窓を拭ったように、知覚が明瞭に澄んでいく。縁取られるのは、人間に似た無数の影。群れをなすサクリファイスと、それに立ち向かうマヤだ。徐々に白んだ視界が晴れて、裏返した残像のような暗闇が一面を覆い尽くす。宙に浮いたままのマヤと、瞬きの隙間に目が合った。暮れゆく東の空を掬うような、淡いラベンダーが掠める。蝋燭の炎越しのような、どこか焦点の合わない瞳。ゆらり、と夜を溶かしていく。ヴェールのように降り注ぐ雨が、彼女の姿を暈した。神様に拐われるように、無数の白い花が霞む。彼女の手にした短剣が、濡れた光を映して煌めいた。サクリファイスに向かって、マヤが空を蹴る。波濤のように押し寄せる影に、飛び込む形で身を投げ出す。そのまま短剣を振り上げて、敵の胸にあたる部分を刺し貫いた。冬の海に沈んでいくように、彼女の輪郭が黒に呑まれていく。迫りくる別のサクリファイスに重なって、マヤの姿が闇に塗れていく。
「マヤ!」
「マヤさん!」
 悲鳴のような声が重なった。どうして。そんな無茶な戦い方をすれば、無事では済まないに決まっている。サクリファイスに触れれば、灰になってしまうのだから。いくつもの戦いを潜り抜けてきたマヤが、そのことを知らないはずはない。喉奥が引き攣った。続く光景を予期して、肺が痛みと共に収縮した。サクリファイスとの接触は、すなわち死を意味する。全身がぐずぐずと灰になって、雨に溶け出して散っていく。そんな未来が過った。だが、暗闇の淵で、彼女の身体は形を留めていた。精霊に付与された、満開の効果だろうか。重い海から這い出すように、再びマヤが跳躍する。よかった、無事だった──そんな安堵が胸を撫でたのも束の間、曇天の下に煤が舞った。雨粒を焦がしたような灰が散り、雫に飲まれて消えていく。空気を濁した灰燼の正体は、すぐに明らかになった。宙に向かって飛翔したマヤの、左足。闇から引き抜かれたその部分が、燃されたように千切れて、灰に変わっていく。さっきまでは確かに身体の一部だったものが、炎の消えた残滓となって朽ちていく。
「止まって、マヤ! 治療しなくちゃ!!」
 半狂乱のようなエレナの声が耳朶を打った。耳を塞ぎたくなるほど、悲愴さを帯びた響き。振り絞られたその声に、マヤは振り向かなかった。透明な膜に隔たれて、声が届いていないかのように。片足が失われたというのに、彼女は痛みに顔を顰める様子もなかった。ただ作り物のように、遠くのサクリファイスに視線を向けている。自らの足が欠損している、という事実を認識しているかさえ危ういような表情だった。千切れた足のままで、マヤが高々とステッキを掲げる。それから再び、息を詰めるようにして暗闇の群れに飛び込んだ。光のない夜を彷徨い、あてもなく泳いでいくように。
「なんで……?」
 ぽつり、と頼りない声が落ちた。それが自分のものだったか、エレナのものだったかは定かでない。理性を失ったようなマヤの異様な様子に、意識のすべてが奪われていた。怪我をしても、シノに治癒してもらえばいい。精霊の力があるから、きっと大丈夫だ。そんな楽観的な思考すら、今の彼女の行動には挟まっていないように思われた。何の狙いも意図も透けてこない。敵を蹴散らすという目的のみに突き動かされて、ただ闇雲に動いているだけのように見えた。まるで、敵を殺すために組み上げられた精巧なオートマタだ。自分が傷付くことや、それによって被る損失の一切を度外視している。代えのない命さえも犠牲にする覚悟で、サクリファイスの殲滅だけを願っているかのように見えた──いや、願ったのだ。彼女は。確かに、願っていた。目の前のサクリファイスを、残らず倒すことを。精霊の目の前で、誓いを捧げるように。その事実に思い至った瞬間、レイラは反射的に地を蹴っていた。
一人きりの夜アウローラム・スペーロー!」
 短く呪文を唱えて、マヤのもとへ駆け寄ろうとする。彼女を、援護しなければ。これ以上、マヤが傷付くところを見ていられなかった。精霊の与えた「満開」という状態が、アイドルにどのような影響を及ぼすのかは分からない。だがこのまま放っておけば、マヤは間違いなく命を落とすだろう。十数体にも連なるサクリファイスの群れを、捨て身の攻撃で壊滅させられるはずがなかった。力尽くでも、まずは止めなければ。どす黒い渦をなす無数の暗闇に向かって、駆け出しかけた刹那。
煌めき綴る物語リベリー・メア
 抑揚のない響きが、湿った宙を裂いた。ゲームセットを宣告するような、淡々とした声音。雨に紛れて、幕引きが言い渡される。ぷつり。彼女の呪文を合図に、光が途絶えた。舞台の終幕よりも暗い、灯火の潰えた夜の底。眼が抉られたのかと錯覚しそうなほど、先の見えない深い闇。固有魔法のおかげで、かろうじて状況を把握することができた。空中に浮かんだ一人分の影が──サクリファイスに囲まれたマヤが、天高く魔法のステッキを掲げる。喉がひりついた。止めなければ。落雷のように、そんな直観が掠めた。間に合うはずがない。壊れた視界の中で、声の届かない相手を、どうして制止できるだろう。呪文が鼓膜を揺さぶる。瞼の裏が明滅する。皮膚を焼いた熱。遠雷。雨が、呼吸を止める。耳鳴りのような静寂が抜けた、瞬刻の後。轟音の予兆が空気を焦がして、聴覚が毀れた。さっき目にしたものとは比にならない、圧倒的な白熱色の光が押し寄せる。堰を切ったような閃光が、サクリファイスの群れを横断する──その中心にいる、マヤを巻き添えにして。喉が枯れるほどの、絶叫が爆ぜる。白に塗れていく意識に、走馬灯のような記憶が瞬いた。校舎の片隅に咲いた、花壇を埋める無数の色彩。美しく咲きこぼれる花に、どうして苦い感傷が拭えなかったのか。チカチカと、目の前が不安定に点滅する。見てしまったからだ。季節の終わりとともに、醜い花の亡骸が折り重なるのを。知ってしまったからだ。満開した花は、必ず朽ちて枯れていくことを。