戸倉
2024-05-19 21:42:24
16812文字
Public 終わらない牧台シリーズ
 

終わらない牧台④

【もう二度とせぇへんから編】
・現パロ W23歳 会社員 × V23歳売れない役者
・高校時代からのともだち
・4年前に失踪したVと再会して同居してる
・付き合ってない




 三日ぶりに帰宅した我が家の有様にウルフウッドは目を覆いたくなった。足を踏み入れた途端に鼻をつくアルコールの匂い。開けっぱなしの酒のつまみの袋が床に散乱し、キッチンは綺麗なまま。自炊をしている形跡はない。
 三日間この家の主を務めた男は、白いティーシャツに膝丈の淡い水色のショートパンツ姿で床にべったりと張りついて眠っている。横面についた寝跡――、ヴァッシュにしては珍しいそれを見て、相当な時間ここで眠っていたことを察する。ウルフウッドはヴァッシュの肩を強く揺さぶった。
「トンガリ、起きろ!」
「う、んん? うるふ、うっど……
「おどれたったの三日でどんだけ堕落できんねん! 予想をはるかに超えとって開いた口が塞がらんわ! ドアホ!」
「え~~~~、ちゃあんと食べてたし、ふろはいって、ねてたよ。おまえの言う通り……
「そうかもしれんけど……
 横たわるヴァッシュの両腕を引き身体を起こそうとするが、当の本人が起きる気がない。ヴァッシュの頭はアイボリー色のクッションへと再び沈み込んでいく。
「酒クサッッッッッッ!」
「そーんな、のんでない!」
 ひひひ、と嘘吐きの笑い声が部屋中を駆け回る。ウルフウッドは同居を始める前のことをふと思い出した。毎週のようにこの家を訪れ、酒をたらふく飲んで朝方に帰っていく男のことを。さみしい、とこぼしたあの声を。
 三日間の出張を言い渡された時、いつもなら会社の金で知らない土地に行けるのをラッキーだと思うくらいなのに、今回のウルフウッドはどうしてもそう思えなかった。
 小言を言う男がいない数日間を満喫してくれたらそれでよかったのに、こんな無理な酒の飲み方を見てしまうと遣る瀬無い。共通の知り合いには、それとなくヴァッシュを気にかけてくれるよう頼んでいて、特に連絡もなかったから安心していたのだが。
「なぁ、トンガリ、さみしかったか?」
……つまんなかっ…………
「素直やないのう」
 口を尖らせたヴァッシュは外方を向く。意地でもさみしいと言わない理性があるほどには酔いは醒めているようだった。ウルフウッドが堪えきれず笑い出すと、ヴァッシュは寝転んだまま行儀悪くウルフウッドの肩を脚でぐいぐいと押す。
「ワイも酒飲みたい。冷えとんのあるか?」
「ない、全部飲んじゃったから」
「ほんなら水………
 キッチンへ向かおうと立ち上がりかけたウルフウッドのスラックスをヴァッシュの指が強く引っ張った。ウルフウッドはそのまま片膝を立て座る体勢に戻る。ここにいろということだろうか――、ヴァッシュは潤んだ瞳でウルフウッドを見上げるだけで、何も言わない。湿度を纏った風が部屋の中に流れ込み、外からは近隣の子どもたちが走り回って遊ぶ無邪気な声が聞こえる。夕暮れ前、静かな週末の住宅街。
 透き通った瞳は依然として沈黙を保ち、ゆったりとした瞬きを繰り返している。いつ見ても、何度見ても、美しさの変わらないものっていうのはこういうものなんだろう――。ウルフウッドは立てた脚に肘をつき、無意識に自身の唇をぺろりと舐める。喉がカラカラに乾いている。何かで今すぐ満たしたいのに肝心の酒がない。強いアルコールで喉を灼いてしまいたい。
 いくら自分で唇を舐めようと一瞬で潤いは消え去るのに、ウルフウッドはもう一度唇を舐め、喉を鳴らして唾を飲み込む。すると、映し鏡を見ているかのようにヴァッシュも自身の唇をぺろりと舐めた。大人の真似をする子ども、というには無垢さが足りない。妖艶さすら宿らせた目の前の男に、脳の奥の何かがぷつんと焼き切れた。
「酒、ないんならしゃあないなぁ」
 数えるのも億劫なほどの酒の空き缶が床に転がっている。外の子どもたちの賑やかな声はもう聞こえなくなっていた。
 ウルフウッドは仰向けになったヴァッシュの上に覆いかぶさり、アルコール交じりの吐息が漏れ出る唇を塞いだ。飴を舐めるみたいに表面に舌を這わせると、ヴァッシュが鼻からくぐもった声を出す。宙を彷徨っていた白い手が躊躇いがちに黒髪に差し込まれ、ぐっと後頭部を押し込む。
 柔らかく温かく潤んだヴァッシュの舌、咥内の粘膜。その感触がたまらなく心地よく、ウルフウッドは夢中になって貪り口づけた。ざらついた舌の表面と柔らかな内側。笑顔の内側の誰も知らないところ。側面を辿るとヴァッシュはくすぐったそうに声を漏らす。それが楽しくて、わざとすり抜けさせながら舌の付け根の方まで追い詰めていく。互いの唾液が交じり合い、触れ合わせた熱から苦味が染み出す。煙草の匂いには慣れ親しんでいるというのに、こうしてじっくり内側で味わうのは初めてのことで、ヴァッシュの思考の輪郭がどんどんあやふやになっていく。
 人の咥内を縦横無尽に動く舌から逃げてばかりいたが、それもなんだかおもしろくない。勇気を出してヴァッシュの方から舌を絡め合わせてみると、一瞬だけウルフウッドが動きを止めた。リビングの時計の秒針の音と心臓の音が共鳴するように鈍く脳内に響く。いきなり積極的になりすぎたことが恥ずかしくなり、ヴァッシュは唇を離そうと試みる。だがそれがウルフウッドに火をつけてしまうことになったと気づいた時には、息を吸う間も与えられなくなっていた。
 頭が酸欠でぐるぐるする、息が苦しい。薄目を開けると、そこには制御の効かなくなったように唇にかぶりつく男がいた。砂漠の惑星でやっと水にありつけたような、一滴たりともこぼしてなるものかという気迫すら感じる男の顔――。眩暈がする。気を失いそうだ。黒髪に差し込んでいた手を背に滑らせ、ヴァッシュは無我夢中で叩く。
「トンガリ……⁉」
「ん、っ、は、いき、できな……
 汗でぺたりと張りついた前髪の生え際をウルフウッドの指が撫で、顔を真っ赤にしたヴァッシュの背を支えながらゆっくりと上体を起こす。
 息の乱れた背中を一定のリズムでさする男は、申し訳なさそうに眉を寄せていて、数十秒前までの、貴重な水に縋る旅人とはまるで別人だった。ヴァッシュは呼吸を整えながら、目の前の男の変貌ぶりを眺める。
「どうや? 落ち着いてきたか?」
……うん。あのさ、ウルフウッド。言いそびれてたんだけどさ」
「今は無理にしゃべらんと……
「おかえり」
 鼻の頭に皺を寄せ、ヴァッシュがくしゃりと顔を綻ばせる。そしてそのままウルフウッドの肩口に頬を擦り寄せ頭を乗せた。
 背を撫でていたウルフウッドの手がぴたりと止まる。たった三日ぶりの「おかえり」がこんなに沁みるとは――。出張先では先日二人で撮った写真をこっそり見ていたが、やはり本物の笑顔も、おかえりも、嬉しいなんてもんじゃない。写真じゃ足りない。
「ただいま、トンガリ」
「そうだ! 酒、買いに行く? ほんとに全部飲んじまったんだ」
 ヴァッシュがぱっと顔を上げる。会話ができるくらいには呼吸は落ち着いたようだ。至近距離で見ると、アルコールとは別の理由で紅潮した頬にどうしても目が行ってしまう。しっとりと汗ばんだ首筋が、普段よりも無防備な瞳が、濡れた唇が――。それにほんの数分前まで実際に触れていたと自覚した時、ウルフウッドは自身の下肢に違和感をおぼえ、じわりと嫌な汗が額に滲む。
「どうする? 行くなら着替えてこなくちゃ」
 首元がだらしなく伸びたティーシャツの生地を摘まみ、ヴァッシュは笑う。惜しげもなく晒された鎖骨の下の白い肌を前にウルフウッドの思考は一瞬停止した。
……あー、酒買いに行く前にシャワー浴びてきてええか?」
 ウルフウッドは背を丸め、ヴァッシュから顔を背ける。
「いいけど、外出たらまた汗かくんじゃないの?」
「今ベットベトで気持ち悪いねん」
「ふーん。そっか。まぁ、出張から帰ってきたばっかりだしね。お疲れ様。待ってるからさっさと済ませてよー!」
 特に追求する様子のないヴァッシュに心中で感謝し、ウルフウッドは浴室へ駆け込んだ。衣服を脱ぎ捨て、誤魔化しようのないほどに反応を見せている身体の中心部を見下ろす。疲労からくる誤作動、欲求不満、ありとあらゆる可能性を必死で考えるが、それを嘲笑うかのようにウルフウッドの脳内には己に組み敷かれながら必死に鼻で息をする男の姿がこびりついている。

――トンガリがエロいわけないやろ」
 後頭部を押した白い指の感触がまだ残っている。