戸倉
2024-05-19 21:42:24
16812文字
Public 終わらない牧台シリーズ
 

終わらない牧台④

【もう二度とせぇへんから編】
・現パロ W23歳 会社員 × V23歳売れない役者
・高校時代からのともだち
・4年前に失踪したVと再会して同居してる
・付き合ってない



「メリル、だいじょうぶ? 最近仕事忙しい?」
 打ち合わせのために入ったカフェの隅の席、いつも溌剌とした彼女の疲れている様子が気になった。見抜かれたことが悔しかったのか、メリルは若干むっと口と尖らせ居心地が悪そうに視線を外す。
「少しでも君の負担が減ればいいんだけどな。新人さんが入ってくる予定はないの?」
「入ってもなかなか続かないんですのよ、この仕事不規則ですし」
「そっか、まぁ僕に限っては仕事を増やせって話だよね」
 売れない役者の自嘲にメリルはますます険しい顔つきになり、誤魔化すようにコーヒーに口をつけた。ヴァッシュの仕事が増えない理由は自分のせいでもあると思っているらしい。なんとも生真面目な性格だ。
「ヴァッシュさんは、以前より規則正しい生活を送ってらっしゃるみたいで良かったですわ。ウルフウッドさんのおかげですわね」
――きみたち、よく連絡取ってるの?」
「いえ、そんなに頻繁ではありませんわ。それに、ヴァッシュさんの話以外したことありませんわ」
「えっ、なに、わるくち?」
……そうですわね、寝相が悪いとかイビキがヒドイとか」
「えっ、一緒に寝てることアイツ君に言ってるの⁉」
――あら、一緒に寝てらっしゃるんですの?」
 メリルは特に驚いた様子もなく、目の前のベリーのムースケーキを頬張る。同じベッドで寝ているだけ。それ以上でもそれ以下でもないのだが、なんとなく誰彼構わずそれを喧伝することは今までなかったから、ヴァッシュはどうにも落ち着かない気分になる。
「誰にも言いませんわ。もちろんウルフウッドさんにも」
……ありがとう、メリル」
「でもわたくしが思いますに、一緒に寝ていることをヴァッシュさんが誰かに言ったところであのウルフウッドさんが怒るとは思いませんけど」
「あのウルフウッドさんって、どの?」
「ヴァッシュさんのことを大事にしてらっしゃる、あのウルフウッドさんですわ」
 メリルは紙ナプキンで口元を軽く拭き、ぽかんと口を開けている男をちらりと見る。
 ウルフウッドとメリルのやり取りは、ヴァッシュのことばかり。仕事場での様子、無理をしていないかどうか。だからたまには逆にウルフウッドのことをヴァッシュに伝えてもいいのではないか――。そんな考えが脳裏を過ぎったが、口を滑らせすぎたかもしれない。メリルが恐る恐る見つめる先の男は、テーブルに肘をつき考え込むように顎に手をやる。
「大事ねぇ。まぁアイツ誰にでも優しいし、いい奴だからね」
 それはそうかもしれないが――、メリルが言いたいのはそういうことではない。思い切り否定したいところをぐっと堪え、曖昧に微笑むだけに留めた。

 ヴァッシュが打ち合わせという名のお茶会から帰宅すると、ウルフウッドはリビングのラグの上でシルバーのスーツケースを広げていた。手慣れた様子で必要なものを詰めていく男の側にしゃがみ込む。
……ただいま。どっか行くの?」
「おかえり。明後日から三日間出張やねん。ほんまは先輩だけで行くはずやったんやけど、勉強がてらついてこいって言われてしもうて」
「三日…………
「ど田舎やから土産は期待すんなよ」
……うん」
「あと、ワイがおらんからって適当な生活しとったらすぐ分かるからな! 飯食え、風呂入れ、夜更かしすなよ!」
「子ども扱いするなって」
「ガキみたいなもんやろ、ジッサイ」
「言いたい放題いいやがって……
 生活リズムが合わないことはあっても、同居を始めてから丸三日もウルフウッドがいないことはなかった。朝から晩まで一度もウルフウッドと顔を合わせずにこの家に独りきり――。ヴァッシュは上手く想像することすらできず、自然と眉間に皺が寄る。
「あ、せや。ちょお一緒に写真撮ってくれへんか?」
 スーツケースへ衣類を詰める手を止めた男がニカッと笑う。唐突すぎるお願いにヴァッシュは首を傾げた。
「施設のチビどもがな、ワイがおどれとちゃんと仲直りしたんか疑っとんねん。このままやとワイはともだち泣かせて仲直りもできひん兄貴になってまう。せやから頼むトンガリ、写真一枚だけ!」
 先日、初対面の子どもたちの前で無様な泣き顔を晒してしまったことを思い出し、ヴァッシュは居た堪れない気持ちに苛まれる。両手を合わせ珍しく頼み込んでくるウルフウッドを拒絶することなんてできなかった。
「いいよ、早く撮って」
 了承と共にウルフウッドは携帯端末のカメラアプリを起動し、左手で上へ掲げる。ヴァッシュは人一人分空けた距離から画面に入るよう身を乗り出した。
「そんな離れとったら仲直りした感じせぇへんやろ」
「なんだよそれ」
 めんどくさいなぁ、とヴァッシュが続けようとした時、ウルフウッドはヴァッシュの肩を抱き寄せた。抗議の声を上げようと咄嗟に横を向こうとしたが、あまりの顔の近さにそれすらできない。ヴァッシュはカメラの方を向いたまま早く終われと呪文のように頭の中で唱えた。
「撮るで。さん、にー、いち」
 シャッター音が鳴った瞬間、ヴァッシュはウルフウッドの腕からするりと抜け出し立ち上がる。写真を確認する男の端末画面を上から覗き込むと、ひどくぎこちない笑顔の自分が写っていた。
「おんどれ顔ガッチガチやんけ。もういっぺん撮ろか……
「もういいだろ! 加工でもなんでもいいから適当におれの顔笑わせといてくれよ」
「それやと意味ないやろ」
「なんで」
――まぁ、今日はええわ。これみんなに送ったろ。ほんまにアイツらおどれのこと心配しとったんやで」
……みんなには悪いことしたと思ってる。今度また埋め合わせさせてよ。あ、凹ませちゃったロッカーの弁償も……
「それならもうワイが直しに行ったから問題ない。またおどれが遊びに来てくれたらアイツらも喜ぶわ」
 そう言ってウルフウッドは兄貴の顔をして笑った。
 水曜日の朝――。二度寝を決め込もうと布団を被り直したところで、ウルフウッドが出張に行く日だと思い出しヴァッシュは飛び起きた。いつもより一時間遅く家を出れるというだけで上機嫌の男は悠長にベランダで煙草を吸っていて、いつもとなんら変わらぬ様子。ヴァッシュが起きてこなければ何も言わずにそのまま出かけていたのだと思うと、妙に苛立たしい気分になる。
 三日なんてあっという間、連絡を取ることだっていつでもできる。ヴァッシュは自分自身にそう言い聞かせていた。ウルフウッドの方はといえば、戸締りをしっかりするように、と子どもに言いつけるみたいに残すだけであっけなく去って行った。
 一日目は雑誌モデルの打ち合わせ。二時間ほど着せ替え人形にされ、ああでもないこうでもないと、決して涼しいとは言えない気候の中、厚手のコートやセーターを着せられ続ける。空調がついているとはいえ、なかなかにハードだ。
 そのあとは夕方からバイト。何故だか店主はウルフウッドの出張のことを知っていて、休憩時間にいつもよりがっつりめのまかないを作ってくれた。どうせ家に帰ったら面倒になって食べないんだろう? と呆れ笑いを浮かべられ、いつの間にかついてしまっただらしない自分のイメージに苦笑する。
 店主の作るまかないリゾット、トマトとブラックオリーブのサラダを食べ、人の作ってくれる食事の有り難みに浸った。自分でも作れるが、一人だとどうしても面倒になってしまうのは事実。
 帰宅しシャワーを済ませ、寝室の扉を開けたところで本当に今日からウルフウッドはいないのだと思い知る。この家の中のどこにもあの男の気配がないというのは妙な感じで、居候の自分が家の主となっているこの時間が落ち着かない。窓を開け、夜の生温い風に包まれながら、抱き枕の形が潰れるほど強く抱きしめて眠りについた。

 二日目、夕方のバイトまでの時間を持て余していると、メリルから連絡がきた。呼び出されたのは古い建物を改築したカフェ。差し込む太陽の光が心地よい場所だった。到着するやいなや、大きな瞳が上から下までじっくりと査定するようにヴァッシュを見る。何も悪いことはしていないはず。案内された席についてからもジトリとした視線が絡みつき、どうにも居た堪れなくなったヴァッシュはメニューの冊子を開き意識を逸らす。
 十五時までランチメニューを提供していて、地域の農家の野菜を使った料理も多い。デザートを始めとしたカフェメニューも見た目の華やかさだけで興味が唆られる。機会があればウルフウッドを連れてまた来よう。そんなことをぼんやり考えていると、突然メリルがふっと笑い始めた。さっきとは打って変わって楽し気な彼女に、そういえば用事はなんだったの? と訊けば、「忘れましたわ」と言ってヴァッシュの見ていたメニューを一緒に覗き込む。結局それから十五分、AランチかBランチか、デザートをつけるかどうかで延々と二人で悩むことになった。

 三日目。自然と早く目覚めた朝、ヴァッシュは真っ先にカレンダーアプリで日付を確認した。もう三日目、やっと三日目。部屋が荒れることもなく、食事も睡眠もきちんと取っている。ウルフウッドの小言を受ける隙もないくらい完璧な生活。そういえば、予定をちゃんと聞いていなかったが、今日は何時に帰ってくるのだろうか。いつもと同じくらいの時間ならば十九時か、遅くて二十時か――
 ヴァッシュがバイトから戻る頃には、きっとウルフウッドも帰宅しているだろう。リビングの電気が久々に点いている光景を想像し、二十二時五十分、ヴァッシュは自宅への道を走った。
 しかし、思い描いていたイメージに反して部屋は真っ暗。メッセージアプリにも一切連絡はない。予定が変わったのなら一言くらい連絡がきてもいいはずなのだが――
 ヴァッシュは日付の変わる直前の街をベランダから見下ろし、ポケットの中の携帯端末を握り締める。文字を打つよりも話した方が早い。ヴァッシュは意を決して通話ボタンを押した。夜も遅い時間だから、数コール鳴らすだけ。出なければ諦めて寝てしまおう。
「トンガリ?」
「ご、ごめん。遅い時間に……
 電話越しの穏やかな声からするに、ひとまず事故やトラブルに遭ったわけではないらしい。すぐに応答してくれたことに胸を撫で下ろす。
「さっきまで取引先の人らと飲んどって今ホテル帰ってきたとこや」
――ホテル?」
「朝飯付きの宿泊プランなんやけど、ここのホテル飯マッズイねん。味噌汁なんて出汁の味がせぇへんっちうか明らか手抜きやねん。明日やっと帰れると思うとほんま清々するわ」
「あぁ、明日……
 脚の力が抜けたヴァッシュは軽くよろめき、手すりに掴まる。
「ん、なんかあったんか? わざわざおどれの方から電話してきて」
「別に、何もない。明日ってちなみに何時頃帰ってくるんだっけ?」
「三時には帰れそうやな」
「そうか、分かった」
「声がしょぼくれたジーサンみたいやけど、ほんまになんも用事ないんか?」
「しょぼくれたジーサンとはなんだコノヤロ!ほんとに何も用事はないんだよ。ただこの家、一人だと意外と広いな……って」
 広くて、静かで、煙草の匂いがしないこの家を一言で表すなら――。ヴァッシュは小さく唇を噛み締めた。
「ほんで、さみしくなったんか?」
「うるさい同居人がいなくてセーセーする!」
「さよか。まぁ精々明日までひとりぼっち堪能せぇや」
「言われなくても!」
 全く内容のない会話を終え、ヴァッシュは室内へ戻る。そのまま冷蔵庫の前へと直行し、両手で持てる限りのビールとチューハイを取り出し、テーブルの上に並べた。
「あー! 帰ってくるの今日じゃなかったのかよ―――!」
 勘違いしていた恥ずかしさも、結局電話をしてしまった挙動も全部アルコールで流して忘れてしまおう。明日は土曜日。幸い何も仕事は入っていない。ヴァッシュの長い夜が始まった。