大賢なる木の花は

MHRウ教×ハ♀。両片想い、から……
微妙に本編ネタバレあり。

花占いの花と、里の桜のお話。



高く昇った天満月 あまみつつき白光 はっこうは、柔らかに、深海のような静けさに満ちた眠れる里を包み込んでいる。
なお止まることのない花風は緩やかに、夜闇すら桜の花びらで彩り、物言わずとも優しく娘を出迎えた。

太鼓橋の上に立ち、娘は静かに目を閉じる。

意識を研ぎ澄まして気配を探ったが、起きている人間の気配は感じられなかった。

……ふう。良かった……

風に溶け込みそうなほどの細声 ほそごえで囁いた娘の表情はすっかり、歴戦の狩人から恋する娘の表情となっていた。
人目がないことに安堵した娘の心は、落ち着くどころかときめき始め、早鐘 はやがねを打つ。

ようやく、念願の花占いができる。
恋心を知ったばかりで浮足立 うきあしだつ幼い少女のように軽やかな足取りで、娘は昼にヒノエと語らった集会所の前を目指して駆け出した。

念のため、足音には細心の注意を払って、慎重に。


人気は全くなく、聞こえるのは風の音。
桜木が揺れ動き、花と葉が擦れて奏でられる、 さざなみのような音。
周囲を照らす花篝 はなかがりは月光のみだが、天満月のおかげで十分な明るさだった。

音と共に、ふわりと優しい花と煙の香りを乗せた風に揺られ、量を増して桜の花びらが優雅に舞う中、集会所前に一人立った娘は「ふうー……」とゆったり深呼吸をしてから、その屋根上を見上げる。

視線を向けた先に、今は誰もいない。
けれどそこは、長年密かに想いを寄せる人、自分の最愛の師であるウツシの、いつもの立ち位置。

会いたくなって見上げた時、彼はいつもそこに居てくれる。

……教、官……。ウツシ教官……!」

名を呼びながら、娘がゆっくりと腕を伸ばす。
名を呼んだだけなのに、心がきゅんと切なく震えて、とくとくとく、と心臓の鼓動が早まった。


『キミは俺の誇りだよ、愛弟子』


最愛のウツシの声が つむいでくれた言葉、言葉と共に見せてくれた太陽のような笑顔。

その全ては娘の記憶に深く刻まれ、その全てが娘の想いを大きく育んだ。

想いを伝えようとしても、それが深すぎて。
言の葉に乗り切らず、声にもならず、心の中でぐるぐると巡り続けるばかりで。
時が経てば経つほど、想いは心に深く根を張って、あまりにも大きな、咲くことのできない つぼみとなっている。

瞳に想いを滲ませた娘が、いつも彼が立っている屋根上に向けて、ゆらりと片手を伸ばした。

はたから見れば、月を掴もうとしているような様子だが、今の彼女が掴みたいものは、月ではない。

……教え……て。……わたし、は……あの人と……

娘の細声の対象は、人でも月でもなく、里を見守り続ける桜たち。

伸ばした片手を握ろうとした刹那。


「何をしてるんだい? 愛弟子」


人の気配など全く感じなかった娘の背に、優しく投げかけられた問いかけ声。
微かに体を縦に震わせ、心臓が鷲掴みにされたように驚いた娘は、反射的に手を下ろして振り返った。

月光に桜の花びらが小さく煌めく中、立っていたのは、彼女の密かな想い人。

「ウ、ウツシ、教官っ……!?」
「おかえり、愛弟子。こんなに夜遅くまで、本当にお疲れ様!」
「夜遅いのに、ね、寝てなかったんですか……!?」

心なしか裏声になっている娘を愛おしそうに見つめながら「そりゃそうさ」と、ウツシは彼女の正面近くに歩み寄って行く。

「大社跡に行ってるはずなのに、なかなか帰って来ないなぁと思って。あと少ししたら、様子を見に行くところだったよ?」
「か、数が多くて。少し……手間取っちゃいました」
「良かったよ、無事で。まあ、今さら天狗獣に後れを取るようなキミではないと思っていたけれど、心配は心配だからね」

小さく安堵の息を吐きながら「良かった」と改めて告げたウツシの金色 こんじきの瞳が、優しく細められる。

娘の心は甘く締め付けられ、炎のような熱が顔に集まるのを感じながら、無意識のうちに、きゅっと口を結んでしまっていた。

今日はもう会えないと思っていたウツシに会えて、声を聞けた喜びが溢れそうで。
溢れてしまったら、言葉にして伝えるより先に、彼に想いがバレてしまいそうで、怖かったから。

口と共に声も結んで沈黙した娘の顔を、ウツシは「それで?」と覗き込んだ。

「何をしてたの? 何かを取ろうとしてた?」
「い、いえ! な、何でもありません!」
「ええー、何かしてたじゃないか。気になっちゃうなあ」

がんとして「内緒です!」と口をつぐみ、ぷいとそっぽを向いた娘の横顔を見たウツシが「フフ」と愛しげな吐息混じりに笑う。

そのまま彼は彼女の隣に体を密着させ、その大きな手で、先ほどまで天に、正確には集会所の屋根上に向かって伸びていた娘の片手の甲を包み込んだ。

「ッ!? ち、ちょっと、教官っ……!」

大きく、硬く、何よりも温かな強者 ツワモノの手の感触に、娘の心が更に跳ね上がる。

抗議のために発したはずの声は上擦 うわずり、妙に間抜けな響きに聞こえて恥ずかしく、そちらの意味でもますます顔に熱が集まった。

その様子さえ愛しそうに、ウツシは柔らかな力で包み込んだ娘の手を導くように、自分の手ごと再び天に掲げる。

「さっき、こうやって手を伸ばしてたよね? 何があるの? 俺の目には桜の花びらと、月くらいしか見えないけど……
「も、もう、内緒ですってば! 教官! いい加減に、放し……っ!」

不自然に言葉を止め、照れのあまりウツシの手を解こうした娘が、はっと目を見開く。

無意識のうちに、掲げた手を。正確にはウツシの手によって、強制的に掲げさせられた手を、握り込んでしまっていた。

(は、花びらっ……掴んじゃったかもっ……!?)

拳になった自分の手を包み込むように重なる、愛しいウツシの手。

娘が占いとして桜に尋ねたかったことは、まさに彼とのことだ。
意図したわけではないが、これほど状況が整った花占いがあろうかと、 密かに愕然とした娘の様子の変化に気付かないほど鈍感なウツシではない。

……愛弟子? どう、したの? ごめん、俺、調子に乗りすぎちゃった……?」
「あ……! い、いえ、そうじゃなくて……!」

申し訳なさそうに眉を下げ、熱いものに触れたかのように機敏に離れていったウツシの手の感触が名残惜しく、慌てて娘が首を横に振る。

「ご、ごめんなさい、変な気を使わせて! ち、ちょっとしたお遊びをしようとしてたのが、バレるのが恥ずかしかったと言うか……その……
「うん? お遊び? そうだったの?」
「そ、そうです! そうなんです、なので気にしないで下さい!」

握りしめた手を解かないままの娘は、 いぶかしげな様子ながら金色の瞳の奥に不安を灯したウツシを、正面から真っ直ぐ見つめて「気にしないで下さいね!?」と念を押す。

彼女は『お遊び』と自分自身で口にすることにより、目まぐるしく揺れ動く自分自身の感情を整理したかった。

そして何より、ウツシに余計な罪悪感を抱かせたくなかった。
もっと素直に自分の心に、募る想いに従えていたら、彼とあのまま手を繋ぐこともできたかもしれなかったのにと、後悔に近い気持ちまである。

娘の妙な気迫と、懸命な様子に、ウツシは目元を やわらげながら「分かったよ」と頷いた。

「ありがとう、愛弟子。内緒って言ってたのに、無理に聞こうとしちゃってごめんね?」
「で、ですから、いいんです……!」

場の空気と話の流れを変えようと、娘は拳を握ったまま「そんなことより!」と意識して声を張った。

「き、教官、待ってて下さってありがとうございました! 睡眠時間削っちゃって、すみません……!」
「良いんだよ、俺が好きで待っていたんだから。むしろその、キミさえ良ければ………………
……? 教官?」

娘に呼ばれても、不自然に言葉を止めたままのウツシの視線は、ゆっくりと地面に下りた。
彼の頬は、月明かりでも分かるほどに上気している。

「教官? ……あの、どうしました?」
……その。……愛弟子、明日は早い?」
「えっ? ええと、急ぎの依頼はなかったので、ゆっくりですが……
……。花によれば、大丈夫なはず」
「はい?」

桜の花屑に彩られた地面を見たまま、流れにそぐわないことを呟いたウツシに向けて頓狂声 とんきょうごえを上げた娘が、大きく目を瞬かせる。
一体何事かと、彼女が改めて具体的に問おうとした時、耳まで赤く染まったウツシが、勢い良く顔を上げた。

「ま、愛弟子! キミさえ良ければ、その、少しだけ一緒に、夜のお花見でもどうかな……!?」
「お花見、 ですか?」
「今日は満月もとても綺麗だから、夜桜もよく見えるし……! 良かったら……そこの集会所の屋根の上で、どう……かな……

紙風船のように少しずつ しぼんでいくウツシの声音は、娘の耳の中で蕩けそうなほど甘く、愛おしい響きとなって木霊 こだまする。

予想外の彼からの誘いは娘を芯から火照 ほてらせ、頭の中から歓喜以外の思考と言葉を溶かしてしまう。

返事など決まっていた。
気の利いた言葉を返したいが、口は魚のようにぱくつくだけで。

彼女は拳を握ったまま、結局こくこくと何度も首を縦に振った。

「ぜ、是非! う……嬉しい、です。ありがとうございます……!」

何とか返せた言葉はあまりに定型的で、娘は密かに胸の内で自分自身を叱責する。

だが、その言葉はウツシの表情に、夜闇をも照らし花も霞むほどの、太陽のような喜びの笑顔をもたらした。
「良かった!」と告げる彼の口元は帷子 かたびらに覆われているが、弾けんばかりに口角が上がっていることはよく分かる。

「ありがとう、愛弟子! じ、じゃあ、そこ! 屋根の上、行こっか!」
「は、はい! 行きましょうか!」

お互いに顔に熱を集めて赤くなったまま、体の向きを集会所の方に直した。

翔蟲を放つべく、娘が握っていた拳の力を緩めていく。
完全に開く前に手の中の様子が気になって、彼女はウツシの隣でこっそりと確認した。

@acadine