戸倉
2024-05-07 21:20:05
19130文字
Public 終わらない牧台シリーズ
 

終わらない牧台③

【ともだちって、キスしてもいいんだっけ?編】
・現パロ W23歳 会社員× V23歳 売れない役者
・高校時代からのともだち
・4年前に失踪したVと再会して同居してる
・付き合ってない、付き合ってない



「ヴァッシュ、この前手伝いに来てくれたアナタのともだち、機会があったらまた来てくれるように言ってよ。接客上手くてお年寄りにも子どもにも人気だし、調理も簡単なものならサッとこなしてくれて助かったわ」
 メリルの母もといアルバイト先の店主が、からすみのリングイネを皿に盛りつけながら軽快に笑う。その横で別のオーダーを調理していたヴァッシュは思わず手を止めた。
「えっ、なに? ともだちって?」
「え? この前の金曜日。アナタ予定があってバイト来れなかったから、ともだちに助っ人頼んだんでしょ? えーと、名前……ニコラスくん、だっけ? まぁ、手伝いじゃなくてもいいから普通に食べにきなさいって伝えておいて。いくらでもご馳走するわ」
 ヴァッシュは開いた口が塞がらなかった。「トンガリは予定の管理が甘いから」なんて嘘をサラリと吐いた男は今頃風呂に入ってソファで悠々と寝転んでいるのだろう。
 そのあとも、常連の年配女性に「この前の黒髪の人は?」と聞かれて困り顔で対応する。たった一日、夕方から夜までバイトを手伝っただけでファンができるとはどういうことだ。
 悶々とした気持ちを抱えながらどうにか就業時間を終え、ヴァッシュは髪が乱れるのも構わず全速力で走って帰宅した。
 既に寝息を立てている男を気遣うことなく寝室の電気を点け、ベッドが揺れるほどウルフウッドの肩を揺らした。
「ウルフウッド!」
「なっ、んやねんいきなり」
「頼んでない!」
「ん? はぁ?」
「おれの代わりにバイトまで出てくれなんて頼んでない!」
――あぁ、店長さん言うてしもたんやな。まぁ口止めはしてへんかったけど」
「金曜日の仕事帰りに店行って、おれの代わりに働いてたってこと?」
 バレてしまったならばしょうがないといった様子で、ウルフウッドは寝そべったまま軽く頷いた。
「おどれずっと元気なかったやろ。まともな連休もないみたいやし。せやから、一日遊んで次の日ゆっくり寝たら調子戻るやろって思っただけや。まぁ、確かに、頼まれてへんのにお節介やったな」
「ほんとに……お節介だよ」
 寒色の瞳が翳り、わずかに声が震える。ぼんやりと欠伸を噛み殺していたウルフウッドが一気に目の色を変え飛び起き、ヴァッシュの顔を覗き込んだ。
「怒っとる?」
……うん」
 施設で面倒を見てきた弟妹たちとは違う。同い年の男。ヴァッシュにだってプライドはあるし、何を許し何を許せないかだってウルフウッドとは違う。遊びに連れ出すまでは成功だったが、さすがに介入しすぎた。ヴァッシュのためとは言っても、結局独りよがりでしかなかったとウルフウッドは内省する。
 うつむき両膝の上で手を握り締める男の次の言葉を、ウルフウッドは判決を待つかのようにじっと待つ。少しして、すう、と小さく息を吸う音がした。
「一発殴らせろ」
……ええで。それで気が済むなら」
 ウルフウッドは目を瞑り、殴りやすいよう顔を前に突き出す。ヴァッシュはその端正な顔をじっと見つめ、やり場のない感情の行先を探していた。そもそも殴る気なんて最初からない。
 元気がないとすぐにバレてしまうことも、知らぬ間に根回しをして気を遣われていたことも、同じ男としては情けない。けれど、それは全部ヴァッシュのことを考えてしてくれたことで、ウルフウッドは悪くない。
 みっともない、情けない、お礼を言いたい、心配してくれてありがとう、気にかけてくれてありがとう。でもどうしてただのともだちにそこまで良くしてくれるの。誰にでも優しい男の行き過ぎたお節介にどう返したらいいのか、ヴァッシュの頭の中はとっ散らかってぐちゃぐちゃになっていた。
 数秒経っても何もされないことを不審に思ったウルフウッドが眉間に皺を寄せ始める。黒い瞳に再び見つめられる前に――。ヴァッシュは己の唇をウルフウッドのそれに押し当てた。キスをしたと言えるかどうかも怪しいほど一瞬だったが、そこへ熱を残そうとヴァッシュは必死だった。唇が離れた瞬間、ウルフウッドは目を開ける。そして珍しく困ったような笑みを浮かべた。
「ともだちって、キスしてもええんやったっけ?」
「君が言うか!」
「ちうか殴るんやなかったんか?」
「お望みなら殴ってやってもいいけど」
 拳を握り締める動作を見て、すぐさまウルフウッドは降参とばかりに両手を小さく上げる。
「あ~、もう寝よ! 君も早く寝ろよ!」
 ヴァッシュは近場に転がっていたゴールデンレトリバーの抱き枕をウルフウッドへ思いきり投げつける。
「おどれが起こしたんやろ! ちうか乱暴に扱うなや! 可哀相やろが!」
「おまえが妙なことするから起こして文句言いたかったんだよ! あと、投げたのは悪かった! ゴメン!」
 ヴァッシュは布団を被り、ウルフウッドに背を向けて身体を丸める。
「おどれ風呂は?」
「ぜんぶ明日にする!」
 ウルフウッドは膝の上に乗せた抱き枕と目を合わせ、肩を竦める。
 触れた唇の感触はお礼を言われているようだった。勘違いでなければそうなのだが、目の前のヴァッシュはご機嫌斜め。もう何も話してくれそうにない。
「なぁ、トンガリ。もう寝たか?」
 布団を目元まで被っているせいでヴァッシュの様子はよく分からない。後ろから覆いかぶさるように腹の前に手を回しながら肩口に顎を乗せ、微かに香る汗の匂いを吸い込んだ。
「またしたくなったら、してもええか?」
 全身に絡みつくような低い囁き。感触が完全に消え失せる前に、忘れてしまう前に、ウルフウッドは「次」の許しが欲しくなった。
 ヴァッシュの身体が小刻みに震えている。怒りか、拒絶か、それとも――
 後ろ足で抉るような鋭い蹴りをお見舞いされ、ウルフウッドは脛を押さえベッドから転がり落ちる。蹴られた箇所を押さえながらベッドの端に手をかけ這い上がろうとすると、呼吸を荒げたヴァッシュが立っていた。
 吊り上がった眉、引き結んだ唇、自分を落ち着かせるように呼吸することで大きく上下する胸元。それらが意味するところはイエスなのかノーなのか。限りなくノーに近いノーであることは間違いないはずなのに、ヴァッシュの頬が赤らんでいるように見える。信じたいものしか信じない脳が見せる都合のいい幻覚かもしれない。
「やっぱり風呂入ってくる!」
 捨て台詞を吐いて洗面所へと消えていったヴァッシュの後ろ姿を茫然と眺めた数秒後、ウルフウッドは失態に気づいて自身の鼻をゴシゴシ擦った。だが、どんなに擦っても脳は既にその汗の匂いを記憶してしまっている。
「あー、また欲求不満やって言われるやんけ。何やっとんねんワイ」
 ヴァッシュが横たわっていた場所に倒れ込み、生温かいシーツの上に頬を擦りつける。反省はしているが、後悔はしていない。そして、また次に本当にしたくなった時に、どうやって自分を抑え込んだらいいのか分からなくて途方に暮れる。

 順調だと思われたふたりの生活に浮上した新たな問題、その解決策はいかに――