戸倉
2024-05-07 21:20:05
19130文字
Public 終わらない牧台シリーズ
 

終わらない牧台③

【ともだちって、キスしてもいいんだっけ?編】
・現パロ W23歳 会社員× V23歳 売れない役者
・高校時代からのともだち
・4年前に失踪したVと再会して同居してる
・付き合ってない、付き合ってない



「またドラマに出れることになった!」
 電気を点けたままベッドで寝落ちしていたウルフウッドの肩をヴァッシュは大きく揺さぶる。走って帰ってきた男の額には汗が滲んでいて、台本の表紙を両手で見せびらかす喜びようは背に犬の尻尾が見えるかと思うほど。ウルフウッドは思わず頭を撫でそうになった手を引っ込める。
「また恋愛モン?」
「うん、そう」
「さよか。おめでとうさん」
 軽く祝いの言葉をかけたウルフウッドは再び目を瞑り、身体を丸めて布団の中に戻ろうとする。
「聞いてよ、今度はキス―――
「ハァ?」
 言い終わるよりも先に、ウルフウッドは飛び起きヴァッシュの鼻先に詰め寄った。
――キス寸止めのシーンがあって……
「寸止め? せぇへんの?」
「ギリギリのとこで、僕が手で遮るんだ」
 手のひらを顔の前でひらひらとはためかせ、ヴァッシュは得意げに片眉を上げる。
「また成就せぇへん役?」
「そ、今度は僕が告白をごめんなさいする方」
「おどれの役、全然ハッピーエンドにならへんやん。縁起悪っ!」
「うるさいなぁ」
「ちょ、台本見せてみ」
「あっ、だから部外者に見せちゃダメなんだって! おい!」
 台本のト書きには、女性の役名の下に「好きです、受け入れてくれたら嬉しい」の文字。それから、ヴァッシュの相手役の女の子がキスをしようとして、未遂に終わることも書かれていた。
 受け入れてほしいなんて強い言葉で相手を困らせてしまうことを想像するだけで、それを自分に置き換えただけでウルフウッドは身が縮む想いがする。そして、頭では分かっていたはずのことなのに、ヴァッシュは仕事であれば誰とでもキスをするのだと今さら思い知った気がして、ドラマの本編を見た時よりも遠い存在に感じた。
 毎晩、体温を交わしながら眠る、ともだちという名の他人――。物理的な近さなんて何の保証も効力もない。
「まぁ、気張りや」
「言われなくても頑張るよ」
――ほんまは寸止めやなくてちゃんとしたキスシーンやりたかったんか?」
「え? いや、まぁ、もし台本に書いてあればその通りやるよ。仕事だし」
 ヴァッシュは淡々と、熱のない声でそう言った。その瞬間、ウルフウッドはまるで高所から真っ逆さまに落とされたような感覚に襲われ、目の前の視界がぐにゃりと歪んだ。そこにはウルフウッドの知らないヴァッシュがいた。
 仕事だから、演技だから。そう言って、脚本家が書いた簡素な文字通りに自分を作り上げる男。ウルフウッドの知っている、嘘を吐くのすら苦手な男――の面影が書き換えられていく。
 硬直したウルフウッドの様子を訝しみ、ヴァッシュは笑顔で小首を傾げる。
 よく知った笑顔の下に隠れた知らない内側は何色をしているのだろうか。誰だって、見せたい自分しか見せない。だから、自分の知らないヴァッシュの顔があるのは当然のことで、それに考えを巡らせるのは途方もない。自分のことですら分からないことだってたくさんあるのだから、当然といえば当然。しかし、その当たり前を受け入れたくない――。それが他人として烏滸がましい考えだと理解していても、そんなもの知ったこっちゃねぇと叫んでぐちゃぐちゃにしてやりたくてしょうがなかった。
 子どもの頃ですらこんな意味の分からない我儘は言ったことがないのに、どうして今になってこんな訳のわからない感情が生まれてくるのか。ウルフウッドは混乱していた。
 朗報を伝えるため急いで帰ってきたことでうっすら紅潮した頬に手を伸ばし、顔の輪郭をゆっくりとなぞる。少し冷えた指先に温もりがじんわりと移っていく。淡い色の瞳は瞬きもせずにウルフウッドを見つめている。溢れ出したどこにもぶつけようのない熱。それが確かに今ここに存在するものだと証明したい。
 耳の後ろをするりと撫でた拍子にヴァッシュの身体がピクリと跳ね、薄く開いた唇が微かに震える。そこへウルフウッドは自身の唇をゆっくりと重ねた。表に出る仕事ゆえ日頃からケアを怠ることのない唇はしっとりと滑らかで、思わず衝動的に開いた隙間を舌でなぞろうとした。その瞬間、ヴァッシュが鼻にかかった声を出し、一気に現実に引き戻される。これは台本ではない。我に返り唇を離すと、ヴァッシュは飛び退くでも怒りを露わにするでもなく、大きな瞳でウルフウッドを凝視したまま自身の唇に指で触れた。
――ともだちって、キスしてもいいんだっけ?」
……アカンことはないんとちゃう?」
 ヴァッシュの反応があまりにも薄かったので、謝るのも動揺するのも不自然だと思い、ウルフウッドは同じように平静を装って答えた。真っ赤になって慌てふためくだろうという予想に反して、ヴァッシュはただ呆然と唇の表面をぺたぺたと触り続けている。
「なんやフツーやな、おどれ」
「そ、そりゃあビックリはしたけど、キスくらいでねぇ――
 眉を顰めたヴァッシュの手首を取り、ウルフウッドはもう一度唇を押し当てた。
「んっ、んう、なん、っでもう一回した?」
「なんとなく」
 今度は少し驚いたようにヴァッシュは目を丸くさせている。キスと呼ぶには色気がない。ほんの数秒唇が触れただけ。ただの事故と言った方が正しいかもしれない。いくら衝動的で稚拙な行動だったとしても、そうしたいと願ったのはウルフウッド自身。押しつけてしまったことに反省はしていたが、もしこの先なんらかの撮影でヴァッシュにキスシーンがあったとしても、自分の方が先にしたという事実が欲しかった。
「もしかして練習のつもりだった? そもそも今回キスシーンないんだけど」
「今回はなくても次の作品であるかもしれへんやん。練習しといたってええやろ」
「うーん、そういうもん? おれはてっきり、おまえが欲求不満なのかと――。ほら、会社員生活でストレス溜まってさ……。アッ! イッッッテェエエ!」
 ウルフウッドは容赦なく金色の頭に手刀を叩き入れ、シーツの上で転がり悶えるヴァッシュを見下ろし笑う。
「アホ」
 後悔をするどころか、いっそ清々しい気分だった。