戸倉
2024-05-07 21:20:05
19130文字
Public 終わらない牧台シリーズ
 

終わらない牧台③

【ともだちって、キスしてもいいんだっけ?編】
・現パロ W23歳 会社員× V23歳 売れない役者
・高校時代からのともだち
・4年前に失踪したVと再会して同居してる
・付き合ってない、付き合ってない



 ヴァッシュが夜遅くまで働いている日は、ウルフウッドは先に寝ることにしている。わざわざ待っているとヴァッシュが気を揉むのを知っているから。しかし、結局ウルフウッドは玄関口に鍵が差し込まれる音で意識を浮上させ、ヴァッシュがベッドに寝そべり隣で身体を丸めるまで完全に眠りに落ちることはできない。
 遠慮がちに抱き枕に手を添え横たわるヴァッシュを、寝返りをするフリをして抱き抱える。あくまでも寝ている体で、寝相が悪いフリをして。
 ヴァッシュが夜に何も予定のない時は、大抵ヴァッシュの方から「もう寝よう」とか「一緒に寝よう」と声をかけてくる。眠くなったら勝手にベッドへ行けばいい。子どもじゃないのだから。けれど、ヴァッシュの眠るという行為の中にごく自然に自分が組み込まれていることが嬉しいと気づいた時、にやけた面を抑えるのに苦労した。まるで懐かない野良猫が懐に入ってきたかのようだった。
 今日も抱き枕を挟んで向かい合いながら、就寝前の他愛ない会話を楽しむ。いつも話題は半分眠っていても問題ないような中身のないものばかりだが、今日のウルフウッドにはどうしても聞きたいことがあった。
「なぁ、最近誰と飲みに行っとるんや?」
「えっ、あぁ、えっとね、役者仲間の子」
 メリルと連絡先を交換してからウルフウッドは何度か彼女とやり取りをした。しかし、メリルは決定的な情報を得ることはできずヴァッシュにはぐらかされてしまったという。近しいマネージャーとはいえ、プライベートの深いところまで入り込むのは難しい。仕方なくウルフウッドは直球ストレートに自分から尋ねることを選んだ。
「もしかしてこの前のドラマの相手役の子か?」
「えっ、なんで分かるの?」
……やっぱり。まぁ、ただの勘や」
「おまえの勘コッワー」
 軽快な笑い声が部屋に響き、楽しそうに揺れた爪先がウルフウッドの脛に当たる。ウルフウッドはヴァッシュの脚を内側に囲い込むようにし、脚同士を絡め合わせる。
――付き合うとるん?」
「は? え? なんで? 付き合ってないよ」
 暗がりに慣れてきた目でウルフウッドはヴァッシュをじっと観察する。瞬きの回数が多い。微かに動揺している風だが、嘘を吐いているようには見えない。
「それにしては最近しょっちゅうその子と出かけとるやんけ」
「それはあの子が悩み相談したいって言うから」
「悩みィ?」
「ほら、彼女も売り出し中だし、って言っても僕よりはずっと世間に認知されてるけどさ、これからどういう風に売っていこうかとかイメージ戦略とか」
「そんなんマネージャーと話したらええやろが」
「そうなんだけどさ。きっと彼女より売れてない僕が相手だとプライドとかそういうのも気にせずに話しやすいんじゃないかと思って」
――お人好し」
「君に言われたくねぇな」
 押しに弱い男。助けてと言われると、その先のことなんて考えずに手を差し伸ばしてしまうのは美点であり欠点だ。特にスキャンダルなんて浅ましいものが存在する芸能の世界で、ヴァッシュのような甘い考えは危険すぎる。しかしヴァッシュらしいとも言える。
「なぁ、この前撮ったドラマ来週放送なんやろ? その日バイトか? ないんやったら一緒に家で――
「あ、ゴメン。その日は彼女に一緒に見ないかって誘われてて……
 暗闇の中、空気がずしりと重さを増した。すぐに適当な返事をすればよかったのに、腹の底がぐらりと煮えて喉が痞える。もしウルフウッドの方が先に誘っていたら――、ヴァッシュは彼女の誘いを断ったのだろうか。先に誘っていたとしても、同じように断られていたかもしれない。暗くて見えないのをいいことに、ウルフウッドは眉間に深い皺を刻み、奥歯をぎゅっと噛み締めた。普段とは違う異様な雰囲気を感じ取り、ヴァッシュの脚がウルフウッドの側から逃げようともがく。骨ばった踵同士が当たり、ウルフウッドはようやく意識を目の前の男に戻す。
「あ――、そら先の約束が優先やな。ほんなら、あとで率直な感想言うたるから覚悟しとけよ!」
 無理やり明るく絞り出した言葉と共に脚を軽く蹴飛ばすと、ヴァッシュは力なく「うん」とだけ返事を寄越し身体を縮こまらせ動かなくなった。

 ✧

 そして訪れたドラマの放送日当日、ヴァッシュはウルフウッドの出勤する十五分前に起きてきた。既にウルフウッドが選んでいた重苦しいダークブラウンのネクタイを見て、露骨に顔を歪める。だが、今日はいつものように意気揚々とネクタイを選び直すことはしなかった。落ち着きのない様子で袖口を何度も握り締め、頼りない声で「いってらっしゃい」と呟く。当然、笑顔はない。たったそれだけのことなのに、その日一日ウルフウッドは何に対しても気乗りせず、どんなに煙草を吸っても味がしなかった。

 夜の八時を過ぎてウルフウッドが仕事から帰宅すると、予定通りヴァッシュの姿はなかった。
普段通りの労働をこなしてきただけだというのに、疲労感はいつもの倍以上。鞄を椅子に置き顔を上げた途端、ホワイトボードに遠慮がちに書かれた「外で食べてきます」の文字を勝手に目が拾ってしまう。先週から知っているし、できればもう一度突きつけられたくはなかった情報。冷蔵庫に入った作り置きのおかずをレンジで温め、口に放り込み咀嚼する。今までずっと一人で食べてきたし、ヴァッシュとだって毎回一緒に食べているわけではない。それなのに、今日の食事はどこか味気なかった。
 夕食の片づけとシャワーを済ませ、九時からのドラマまであと十五分。歯を磨きリビングに戻ろうとしたところで、ガチャリと鈍い開錠音が部屋の中に響いた。
……たっ、ただいま!」
――おう、おかえり」
 まるで幽霊でも見ているような気分だったが、ウルフウッドの口はすんなりといつもの挨拶を返した。すると、「おかえり」という言葉を聞いた瞬間、ヴァッシュはへにゃりと眉を八の字にし、帰ってきたことを肯定されて喜んでいるように笑った。見たところ、息を切らしていて、走って帰ってきたことが分かる。
「九時、まだ間に合うよね。一緒にドラマ見てくれない?」
「おどれ、約束してたんやろ?」
「うん。そうなんだけどさ。なんか彼女の家の近くまで行って、やっぱりやめといたほうがいいなってやっと気づいたんだ。バカだよな」
「引き止められたんとちゃうんか?」
「まぁね。でも一度家の中に入っちゃったらさ、いつ出ていったらいいのかタイミングが分からなくなるだろ?」
「なんや経験者は語るみたいな口ぶり腹立つな」
「そんなんじゃないって。それより、ゴメン。一緒に見ようって誘ってくれたのに」
……誘ってへんわ」
「えっ、さそ、……ってないっけ? え――? 誘われたと思ってたおれ恥ずかしいじゃん……
「アホらし。トンガリ、冷蔵庫からビール出して持ってこい」
 ウルフウッドは顎をしゃくり、ソファに背を預けながら脚を組む。雑な指図にヴァッシュは苦笑しつつも言われた通りにビールのロング缶を二本持って隣に座った。
 皺の刻まれた眉間を横目に缶に口をつけ、放送開始を待っていると、視線に気づいたウルフウッドが「なんやねん」と難癖をつけてきた。少し照れ隠しの入った悪態。一緒に見ようとはっきり言われたわけではないが、やっぱりあの夜ウルフウッドは誘ってくれていた。帰るという選択をした自分をこころの中でこっそり褒め称え、ヴァッシュは頬を緩ませた。
 そうして、九時きっかりに肩を並べてヴァッシュの出演しているドラマを見た。前半にヴァッシュの出番はなく、後半に少しだけ。ふたりとも一言も発さずに集中して画面を見つめていた。見ている最中に口を挟まれるものと思っていたヴァッシュは正直内容よりも隣に座る男の反応が気になって落ち着かない。顔は正面に向けたまま脚を何度も組み替える。微かな空気の揺れにさえ敏感になるほどだった。

 見終わったウルフウッドは微動だにせず、何も言わない。ヴァッシュは唇を噛み締め、沈黙に耐えた。二分ほどしてようやくウルフウッドは感嘆の声を漏らす。
「おどれ演技できたんやなぁ」
「なんだよ、その感想」
「ワイの知らん間にとんでもない世界に足突っ込んで、すごい奴やなっちう話」
……褒められてる?」
「褒めとるやろ」
「そっか」
 ほっと胸を撫で下ろし、ヴァッシュは残っていたビールを胃に流し込む。すごい奴――。そんな大雑把な肯定の言葉だけでヴァッシュには充分だった。
「あとな、別におどれが誰か恋人作ったからってすぐに出ていけとは言わんし、作るなとも言わんし、ここでは自由に好きに暮らしてくれたらええねん」
 ウルフウッドは細く長い息を吐く。
……そうなの?」
「ワイにおどれを縛る権利はないしな。ただ、生活面は口出しさせてもらうで? 主に飯と睡眠やな。ほんで、トンガリがこの家に帰ってくる限りは、どんなに気まずくても喧嘩しとってもおかえりって言うたるわ」
 ウルフウッドは立ち上がり、冷蔵庫から新たなビールの缶を二本取り出す。たった数メートル先にあるその後ろ姿が妙に遠い存在に思えた。
……逆の場合は? おまえが恋人つくったら、おれ出ていかなくちゃいけないから、早めに言ってほしい……かも」
 逆の場合、ヴァッシュはのほほんと過ごしていてはいけないだろう。至極真面目に聞いたのだが、ウルフウッドの調子は驚くほど軽かった。
「それは多分しばらくないから気にせんでええ。それより、ひとつだけ。もし出ていくなら、一言でいいから、書置きでもいいから何か言うてから出て行ってくれ」
 ヴァッシュの質問は軽く流したくせに、ウルフウッドは自分の要望には声に重みを持たせて言った。もしヴァッシュがまた何も言わずに姿を消したら――。きっとずっと気掛かりを抱えたままヴァッシュのことを探してしまう。数日前にメリルに言われた「心配」の言葉が脳裏に浮かび、ウルフウッドは苦笑する。やはりそんなやさしいものではない。心配なんて柔らかい言葉を隠れ蓑にして、自分のことばかり考えているのだから。