佐藤
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P4 chapter6:清濁併呑

8月頃の話。行き着いた恋の形(全5話)


05.最後通告が封じた退路は

(こりゃもう、完全にお祈り状態だなあ………

三琴にゆっくり検討する時間を求められて、はや三週間。僕の心中はいくらなんでもこれは酷いと思う反面、それもそう、当然かと自嘲する気持ちが大きく占めている。
僕は元より特別気が長い方ではないし、それを差し引いたとしても、こうも長々と引き伸ばされてしまえば嫌でも見込みが無いのではと考えてしまうものだろう。
菜々子ちゃんとの約束を守るためにいつもより早く退勤していった堂島さん、その代わりに請け負った仕事をきちんと片付けて、僕は一人とぼとぼと帰路についていた。最近は何をしている最中にもいよいよなんだか余計なことばかり考えているから、事故を起こすのも嫌だしでもっぱら徒歩での通勤になっているけれど――今日ばかりはむしろ、そんなことより車でさっさと帰った方が良かったかもしれない。浴衣姿で寄り添うカップルとすれ違い、忌々しい思いをしながら苦虫を噛み潰して僕は今朝の自分を恨んだ。

……せめて、前みたくたまに一緒にご飯食べたり、なんてことない雑談したりできるようにならないかな)

そんな都合のいい考えがふと思い浮かんでしまったことに、馬鹿馬鹿しいと思って直ぐ様首を振った。……有り得ない。すっかり気力を失くして意気消沈しているくせに、内心僕の期待はまだ潰えていないのだ。これを馬鹿らしいと言わずになんとする。
僕に繕ったものでなくこんな楽天的なところがあったのかと我ながら呆れていると、そのうちに寂れたアパートが目の前となっていた。春に三琴がやってきてから後に入居者が来ることもなく、人気も無ければ味気もない閑静な建物。勿論帰宅しても一人だし、特に感じることもない。謂わば殆ど寝るだけの場所というところだ。

こん、こん、と硬い音を小さく響かせながら、そういう取るに足りない階段を昇って、――いざ自室へというところで、僕は僕の部屋の前に佇んでいる鮮やかな橙色の花火に目を奪われた。

……これ、お祭りで買ってきたので……よければ、一緒に食べませんか?」

いつから、どれくらいここで待っていたのだろう。どうしてそんな格好をして、どうしてここに来たのだろう。聞きたいことが一瞬にして頭の中を駆け巡ったけれど、言葉としては何も出てこない。
ただ深い夜色に映える大輪と困ったように小さく笑う三琴の顔ばかりが強烈に意識を奪っていくので、僕は半ばやけくそでスラックスのポケットに手を突っ込み急ぎ鍵を探した。



………この間のことなんですけど、」

焼きそばにお好み焼き、じゃがバターなどなど。どれがいいのか迷ってしまった末に色々買ってきてしまったというそれらはそれぞれ四角く薄っぺらな透明プラスチック容器に詰め込まれて乱雑にテーブルを埋め、まさに屋台の並びを歩いているときのように匂いを混じらせ辺りに漂わせている。
取り敢えず中に上がって食べ物を広げ、飲み物も用意して腰を落ち着けてからというもの――何故か黙々と
二人して好きなように箸を伸ばしていたのだが、暫くして神妙な面持ちで三琴が口を開いたので僕は咄嗟に缶ビールを手に取り、口に含んで唾を飲み下すのを誤魔化した。
どくどくと心臓が跳ねまわるのはアルコールのせいだと言い聞かせ、それを気取られないように何の気無しという風に、「うん、」と続きを促す。
三琴は慎重に言葉を選んでいるようで、瞼を少し伏せていた。

「私、何をどうしようとも結局は、『本来この世界にいるべき人間ではない』じゃないですか。
だからあまり深くこの世界に関わることは、やっぱりいけないことなんじゃないかと思うんです」

なんとなく雲が掛かった空気を感じた僕はどこか迷いを含んでいるような声を耳に入れつつも同時にまじまじと三琴の顔を見ていて、睫毛長いな、なんてこの場に不似合いなことをふと考える。

「でも、心は当人にすら思い通りにできないことが多々あって――
なし崩し的な部分もあったとはいえ、私はゲーム上でもきちんと名前を宛てられているような立場の人達とたくさん交流を持ちましたし、ひょっとしたらストーリーを変えるかもしれない行動も取りました。
……残念ながら二回ともあなたを止めることはできませんでしたが、できることなら事件が始まらずに、普通の人として生活してくれればいいと思っていました。
たぶん皆さんがあまりに優しく温かだから、いけないだなんて実際にはすっかり忘れてしまっていたんですね」

口元は笑っているけれど、少しだけ切なげに眉尻が下がるのを、瞳に柔らかな自嘲が差すのを、僕は確かに見た。今は徐に暗色へ沈み、交わらない視線が苦しくて愛しい。
まるで懺悔をしているみたいに胸中を吐き出した三琴は、それから後控えめに咳払いをして――
しかし今度は、明らかにこちらの様子を窺いながら途切れ途切れに言葉を紡ぎ出したのだ。

……それで、……ええと、色々考えまして。
……足立さんは私がここに来て最初から、一番長くお世話になっている方ですし、その、
……今後共、どうぞよろしくして頂ければ……と思うのですが」

言いにくそうに告げているのは恥じらいのためか、それ以外の理由か。
僅かばかり眉根を寄せた表情をそのどちらとも判断できずに僕は一瞬思考停止に陥る。
――どうぞよろしく、というのは即ち、………???

……えーっと……ごめん、つまりそれ、返事はOKってことでいいの?」
…………………
「ちょ、そこでますます渋い顔して黙らないでよ!?
何なのもう、別にダメならダメでそのくらい僕だって分別付けられ――
「いや、……正直、本当になんと申し上げたらよいのか……

否定的な方向で話を進めるのが嫌で、敢えてポジティブな方に寄せて尋ねてみると三琴はなんとも難しい顔をした。それなので僕は思わず口を尖らせたけれど、僕のやけっぱちに任せた台詞を遮った上で彼女はぽつぽつと語り続ける。

「足立さんのことは、……あー、……お慕いしている、と、思います。……なのですが。
こういう身の上なので、……細かいことは省きますが、なんというか、すごく微妙な関係の方があちらにいらっしゃいましてですね。あちらの方はたぶん、それでもいいと言うのですけど。
もし、足立さんがそういう曖昧な状態を好ましくないと思うのならば、お応えすることはできません。……ということになります」

複雑な表情と詰まる息に、先程より一層慎重に言葉を選んでいることがわかる。
「お慕いしている」だなんて仰々しい言い回しをしたのはきっと恥ずかしさを凌ぐためと思って一瞬頬が緩むが、咄嗟に引き締めつつ僕は三琴の語った一字一句を頭の中でじっくり反芻した。

……ちなみに、君の理想は?」
………優柔不断と言われるだろうとは思いますけど、そこを踏まえてでも、選べませんよ。私は、……はっきりとした関係を否定してはいるけれど、なんだかんだであの人に引っ張られてしまうところが多分にあるので」
……へーえ、なるほど」

答えにだいたい予想はついていたけれど、敢えて追加で問いかけたことは少し意地悪だったろうか。再び視線を下の方に落としてぎこちなく返事をする三琴が気の毒な気はした。
しかしそれは僕からしてみれば本当のところ全くもって面白くない。

「まぁつまりは、『どっちかに決めろなんて無理、どっちも好き!』ってやつね。ハハ、とんだ悪女……って言えばそうだけど、ある意味義理堅い君らしいっちゃらしいか」

大事にしてきた間柄のどちらをも守らんとするべく、自分の中で生じてしまった不義理に苦しむなどととは、随分な皮肉だけど。
しかも都合の悪いことは黙っておいてひらひら上手く躱してしまえばいいのに向き合う姿勢は大真面目、それを通り越して馬鹿正直だ。
僕は苦笑するような揶揄するような、どっちともつかないおかしな調子だった。
あっちに男がいるだとか聞いて何も思わないわけがない、彼女の話を聞く限り、ともすればあちらの方が彼女の中で絶対唯一で限りなく優位な存在のように感じてしまう。おそらく三琴がストレートにそう言うことはないだろうが、あるいはそれが真実ならば。
顔も名前も知らないし知り得ない人物の影に思考が渦巻いて巡り、真綿で首を絞められていく心地がする。同時に何かもやもやと胸の奥に溜まり留まっていたものが、ますます濃密に熱を持って燻るのがわかった。けれどそれがどこかどうしようもない愛おしさ、三琴のことを何より大事にしてやりたいという気持ちを孕んでいることもわかっていた。

……ぶっちゃけさ、別に今更、どうだって構わないよ。僕も君のこと、好きだから」

結局、僕の口から出たのは脱力し呆れきった溜め息混じりの格好が付かない告白で。
三琴はどんな顔をしているだろうと思って見ると丁度ばちりと視線が交じり、瞳を僅かばかり見開いた後に何やら決まり悪げにテーブルの上の烏龍茶の缶へ手を伸ばしたかと思えば、それを飲むでもなく口元に持っていくだけして僕から目を逸らした。……ぞわり、と一筋の邪な疼きが背筋に走る。

…………足立さん、すごく思うんですけど、本っ当にギャップ激しいですよね」
「あのねぇ、それ褒めてる?人が散々待たされた挙句もう一回告白してるのに、もうちょっと違う返事してくれてもいいんじゃない」
「初め告白の前に不貞行為を強いたことをお忘れで」
……君ってホントに口の減らない子だな」

口の回りは達者なのに視線は未だ交わらず、悪態は照れ隠しにしか聞こえない。そして照れ隠しはどろりとした欲望をねちこく煽る。
言いようのない情が段々と鎌首をもたげてきて、三琴が缶を置いた瞬間を見計らい僕はテーブルに手を付き徐に腰を上げた。それから三琴のすぐ側に席を移した後、きょとんと目を丸くしてこちらを見た三琴が何かを言い出す前に、柔らかな唇に甘く噛み付いた。逃げられないよう頭を抱え込みながら何度も口付けを繰り返す間、微かに響く濡れた音や漏れ出る吐息が脳髄を痺れさせた。
はあ、と不意に吐き出した息はすっかり熱が篭っていた。好きだよ、と耳元に囁いてやれば三琴はわかりやすく肩を強ばらせ身を縮め声を詰まらせたので尚更たまらない。

「嫌だったら言わないと、僕は止めてあげないからね」
「成程、言ったら必ず止めてくれるんですか」

顔を離してから少し改まった態度で忠告したら、三琴は薄く笑いながらわざとらしい揶揄を返してきた。言い分が尤もだったのも勿論だが、添えられたその笑みが憎らしくも愛らしくてたかが負け惜しみとは片付けられず、僕は思わずなんと言ったらよいか迷ってしまった。
――例えあらゆる点から眺めて他の誰かに劣ろうと、もう既においそれと黙って譲れやしないところまで来てしまったのだ。好きで、自分だけに許された存在になってほしくて、苦しいくらい焦がれているのだ。
まだ見ぬ敵に嫉妬を募らせながら「さぁね」と嘯き、僕は差し当たって僕の中でざわめいている思いの様々をありったけ流し込んでゆくゆく染め上げてやろうと横目でひっそりベッドを見やり企んでいた。
(後の三琴の反応は、決して拒絶でなかった)


<了>