柚鈴
2024-03-13 13:46:50
11446文字
Public
 

でぃあぷろ図書館イベント


第1話 ❀「Flyer!」

◇ミア・フィオリーレ


 あれから。
 巨大なサクリファイスを倒したあの日から──ミアがやっと戦えるようになったあの日から、一ヶ月ほどが経過した。
 あれ以来、ミアはサクリファイスと戦えるようになった。
 恐怖がなくなったわけではない。
 焼きついてこびりついたそれはきっと、簡単に拭えやしない。
 けれど──いつまでも取り憑かれたままでいるわけじゃないのだ。
 恐怖も、後悔も、無力感も。
 全部全部、持っていって──抱えたまま、乗り越えることはできるから。
 ミアは──それを成し遂げたのだ。
 とはいえ、壁はまだまだ高く──具体的には、アイドルとして肝心の固有魔法はまだ発現しておらず、同じグループの五人のなかでは、未だに最も戦闘能力が低い。
 そのため、戦闘訓練は変わらずつづけていた。

 春夕と春宵の、ちょうど真ん中。
 朱色と濃藍が綯いまぜになって、その境界をさらに紫紺がにじませて。
 錆びれて寂れた廃墟を照らす光が、徐々に閉ざされていく、そんな頃合い。
 手が、身体が止まって、誰も言葉を発さなくて、少しだけ乱れた呼吸と、衣擦れだけが、なにもないボロボロの空間に響く。
 そうなったとき、いつも一番に口を開くのはハレリだった。
 今日もきっと、
「それじゃ……そろそろ、終わりにしましょっか」
 ほら。
 それを合図に、みんな示し合わせたみたいに一緒にうなずいて、各々身支度を整える。
「それでは、また」
「ミアさん、残ってもいいですけど、無理はしないでくださいね? じゃ! 帰ろ、姉さん」
「う、うん……そ、それじゃ……また」
「はいっ、また〜!」
 前とあきらかに違ってきたことが、ひとつ。
 それは──グループ内の、雰囲気だ。
 以前と比べて、圧倒的に和やかになっている。仲良くなっている。
 それが──ミアは、ほんとうにうれしかった。
 みんなの、笑顔が増えた。
 それだけ、良い絆が育まれているということ。
 幸せが、増えているということ。
 アイドルとしては、まだまだだけれど──それでも、少しずつ、夢を叶えられている気がして、うれしかった。
「ミア」
「はいっ!」
 残ったレイラに声をかけられ、反射的に元気よく返事をする。返事をしながら、くるりと振り返る。
 レイラは──やさしい笑みを、浮かべていた。
 やはり、もっとも変わったのは──そして、大きく空気を変える一因となったのは、レイラだ。
 あの日の彼女との出来事以降、レイラは、ほんとうの意味で、グループの一員となったような気がする。
 五人での訓練、巨大なサクリファイスという大きな試練。
 そして、日々のつみかさね。
 そうしたものが、折り重なって──今の、良い空気ができているのだ。
 グループ制度をつくってくれた精霊に感謝をしなければ、なんて思いながら、少しだけあいていたレイラとの距離を詰め、彼女と目を合わせる。
「どうしましたか? まだ、帰らなくても大丈夫ですか?」
「うん。親から連絡は、来てないから。……それより、ちゃんと伝えておきたくて」
「?」
「あのね、ミア。ミアは、自分のこと、まだまだだと思ってるかもしれないけど……
 レイラは、どこか気恥ずかしそうに、少しだけ視線を宙に彷徨わせ──されど、すぐに真っ直ぐとミアを見つめて、微笑んだ。

「ミアは、ちゃんと強くなってるよ」

……!」
 気分が高揚していくのがわかる。
 水がふつふつと沸くみたいに、身体中の温度が上がっていく。顔も、首も、胴体も、腕も、手も、脚も、いたるところが熱をもち、汗がにじむ。
 心臓がバクバクと鳴って、加速する。その鼓動が速すぎて、吐き出してしまいそう。
 世界が、突然きらきらと輝きを纏ったように、明るくなった。スマホの画面の明るさを一気に上げたみたい。眩しくって、目がチカチカするほど、ミアの希望と幸せを表現している。
 ──うれしい。
 レイラに──認めてもらえた。認めてもらえたんだ。
 感極まって声の出ないミアに、レイラが不思議そうな不安そうな表情をしているのがわかって、慌てて口を動かす。
「え、えっと……ありがとうございます、レイラさん! レイラさんみたいなアイドルになりたくて、頑張ってたから……その、認めてもらえたのが、うれしくて」
「ふふ……なにそれ。まぁ、まだまだではあるけどね……でも、確実に強くなってる。そこは、自信を持って」
「はい……!」
 そう首肯した途端、バイブレーションが静かに響く。
 一瞬、サクリファイスが現れたのかと思ったけれど、警報音はしなかったのですぐにその可能性は却下して、じゃあファントム振動症候群にでもなってしまったのか──と考えていると、レイラがスマホを取り出したので、幻想でもなんでもなく、レイラのスマホが震えたのだとわかった。
「親からだ……そろそろ、帰らないと。ミアは?」
「もう少しだけ、自主訓練をしてから帰ろうと思ってます!」
「そう。無理はしないでね?」
「はいっ! レイラさんも、お気をつけて!」
 レイラを見送った途端に、夕と宵の境界だった世界は、どんどん夜へと近づいていく。
 仄暗く照らしていた沈みかけの太陽から、しららかな月と星へ、照明が交代する。
 移り変わっていく空色は、レイラの髪色を思わせた。
……よしっ!」
 紺碧のカーテンに背を向けて、自身を鼓舞するように、声を出す。
 そして、その脚を、一歩踏み出──
「──ん?」
 こつん、と。
 踏み出した一歩目。その先に、靴先に違和を感じて、二歩目を中断する。
 何か、硬いものが、あたったような。そんな感覚があった。
 目視で確認しようにも、月明かりと星明かりに背を向けたミアが屈んだところで、影が深くなるばかりで、よく見えない。
 視認することは諦めて、暗がりのなかへ手を伸ばす。
 拾い上げてみれば、それは。

……鍵?」

 だった。
 ∞みたいな穴が空いた楕円に垂直についた棒の先には、これまた垂直に撥条のような形の突起がついている、ちょうどスマートフォンで『かぎ』と入力すれば出てくる絵文字のような、イラストではよく見るけれど現実ではあまりにみない形の、スタンダードと御伽のあいだみたいな、そんな鍵。
 そんな、どこかリアリティの薄い形状をしているからだろうか──自然と、小さい頃に読んだ冒険小説が思い出された。
 地図と暗号を手がかりに、隠された宝物を探す話。
 ワクワクしながら読んだのを、こうして思い出すだけで胸が弾む感覚がするほど、よく覚えている。
 いろんなところを巡って、たくさんの未知を浴びるいい旅。
 単純な幼心は、大冒険を憧憬した。
 その憧れは──今も、確かに心の隅に存在していて。
 この鍵が──何かを開いてくれるような気がした。切り開いてくれるような気がした。
 なんの確証もないのに──根拠のない期待は、自然と口角を上げてくれる。
 ミアは、その摩訶不思議な鍵を、そっと懐へしまいこんだ。