眠りに引き摺り込まれる寸前の視界のような、前後感覚が奪われそうなほどに純粋な暗闇。瞼を下ろしても景色が変わらないような部屋に、端正な顔立ちをした少女が佇んでいた。目を伏せた彼女は、俯いたまま微動だにしない。ネジの切れた機械人形のように、だらりと細い手足をぶら下げて立ち尽くしている。その姿は眠っているようでいて、一切の生気が感じられなかった。呼吸の音がしない。陶器のように冷たい白肌は、きっと触れたところで脈を伝えないだろう。隅々まで彼女を観察しても、どこにも透けた血管は見つからない。不気味なほどに真っ白な皮膚の下には、血の通わない詰め物だけが眠っているかのようだった。しなやかな指先の関節部分には、細かな皺の一つさえ見つからない。単なる美貌の持ち主として片付けるには、彼女はあまりに美しすぎた。世界で一番と謳われている美女でさえ、彼女の前では裸足で逃げ出すに違いない。全身を隈なく眺めても瑕疵一つ見つからないその姿は、まるで人間を模した精巧な人形のようだった。それも、腕のいい職人が生涯を賭して作り上げた一級品。人間が体現出来る美の最大値を、惜しむことなく一身に注ぎ込まれたような存在。人間という概念の純化、と言い換えても良いだろう。通常、人間は美しいものに魅入られる。だが何事においても、度の過ぎたものは疎まれ敬遠されるものだ。幸せの象徴である甘いスイーツでさえ、山盛りに積まれれば胸焼けがする。彼女についてもそうだ。美しすぎるあまり、見つめ続ければ恐怖にも似た感情が呼び起こされる。背筋が冷たくなって、握りしめた手が震えて、最後には目を逸らしたくなる。それはおそらく、神的なものを覗いている畏怖のようなものだった。美しさに焦がれる者ほど、彼女の美を恐れずにはいられない。それは陳腐な嫉妬や僻みではない。信じていた規範や価値の輝きを、ピンヒールで踏み割られるような感覚に近い。彼女が人間の模造品なのではなく、人間が彼女の模造品であるかのような錯覚に陥る。人間という概念を司る、理想化されたイデア。洞窟の中で影だけを見つめて暮らす人々の、両目を焼いた地上の太陽。俗世を生きる人々には、存在だけで猛毒なのだ。だからこそ彼女は──神の似姿である精霊は、前も見えないような深い地下室に幽閉されていた。よく目を凝らせば、少女の前には太い金属の棒がほとんど隙間なく張り巡らされている。彼女の肢体には無数の鎖が巻きつけられており、指の一本さえ簡単には動かせないよう拘束がなされていた。そんな扱いを受け続けてもなお、彼女に抵抗の素振りはない。感情を持たないマネキンのように、一切の表情なくその場に佇んでいる。神の使徒である精霊が、自らの劣化コピーである人間に隷属している。それはどう見ても、異様な光景だった。だが常として、驕った人間はそのことに気付かないものだ。信仰心を捨てた人々は、傲岸不遜に言い放った。
「我々軍部は、精霊を服従させることに成功した! 進歩した科学は、神さえも凌駕した! 今や精霊は、我々の支配下にあるのだ!」
壮大なプロパガンダとして伝えられたその言葉は、きっと彼らにとっては真実だった。実際に、精霊は一度も軍部に逆らうことはなかったのだから。それでも彼らは、重要なことを見落としていた。抵抗しないことと抵抗出来ないことは、イコールではないことを。
見る者のいない暗闇の中で、精霊の口元が微かに弧を描く。知覚されないものは存在しない。昔の懐疑論者は謳った。誰にも知られることなく、密やかに嘲笑は消えていく。水面に立った細波が、跡形もなく水底へ溶けていくように。吐き出した溜息が、周りの空気に混ざって見えなくなるように。過ぎゆく時間に塗り潰されて、「存在しない」に置き換わる。
新月の夜に似た停滞と、眩暈がしそうな静寂。ただそれだけが、闇夜に覆われた地下室を満たしていた。
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