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柚鈴
2024-02-18 17:19:51
23129文字
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でぃあぷろSeason2 有志合唱SS
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⑦テオ
◇リオン・クルス
星が薄らぐように。月が沈むように。朝陽が昇るように。視界一面を覆った深い夜が、無数の粒子となって溶けていく。目の前を満たした暗闇が消えていく。この世の物理法則に逆らって、跡形もなく失われていく。一掴みの灰さえ残さない、砂の城より脆い幻影。どこまで覗いても底の見えない靄が、明け方の夢のように晴れていく。蛍にも似た微かな光が、視界の端で舞った気がした。荒廃した世界が、色彩を取り戻す。流れる雲の隙間から、柔い光が降り注ぐ。灰に染まった地上に手を差し伸べるように、天使の梯子が降りてくる。それはまるで、死者からの贈り物のような空だった。音もなく訪れた黎明を、美しいと思える自分が悲しかった。
犠牲者
サクリファイス
。あらゆる光を呑み込む怪物が、そう呼ばれていた理由。止まない静寂の中に、ふっと答えが落ちてくる。透き通った夜明けが、瑠璃色の空を包んでいく。暮れゆく夕に、明けゆく夜に、意識がないように。初めから存在していた設計図を、ただなぞっているように。世界のすべては神様の一人芝居で、誰も自分の願いなんて持っていなかった。サクリファイスだって、自らの意思で生まれてくることを望んだわけではなかった。最初から、そういうものとして作られていただけ。与えられた使命を全うしていただけ。それが偶然、リオンたちの使命と背反していただけ。戦争の最中、帝国軍のアイドルが「サクリファイス」なんて呼ばれていたのと同じことだ。世界という舞台において、誰もが犠牲者の役を与えられている。書き換えられない演劇を、無意味に懸命に演じているにすぎない。きっと誰もが、生まれてくることを望んでなどいなかった。勝手に産み落とされて、生きていくことを強いられているだけだ。生きていくことは、この世界の犠牲になることなのだ。幾度となく夜が明けても、同じことが繰り返され続けるのだろう。リオンは、疲れてしまった。アイドルとしての務めは果たした。精霊が消えて、この世界からサクリファイスはいなくなった。きっと、尊敬する両親に恥じない軍人でいられただろう。だからもう、許してほしかった。逃げることを。投げ出すことを。夜が尽きるよりも先に、生を終わらせることを。震える指先で、地面に落ちたダガーナイフを拾い上げる。冷たい金属の温度が、こめかみに触れた。これで、ようやく死ねる。終わらせられる。握りしめた右手に力を込めた瞬間、鼓膜の奥で声が震えた。消えていく夜に落ちた呪い。
「生きて」
リオンが幼い頃、敵国の兵士に殺された母親。帝国が混乱に陥ってからも、軍人として戦い続けた果てに命を落とした父親。サクリファイスからリオンを庇って、灰になって散ったアリシア。刻まれ続けるリオンの鼓動は、無数の人々に繋がれたものだ。犠牲になった幾つもの命を背負って、リオンは息をしている。その事実が、リオンを生へと縛りつける枷になった。肺が押し潰されたように狭まって、呼吸が阻害されていく。死にたかった。楽になりたかった。抱えたものが重すぎて、顔を上げることさえ困難だった。だけどきっと、そんなことは許されない。生き続けることが、息を続けることが、リオンにとっての罰だから。ひとりぼっちの日々でも、焼けつくような苦しみの中でも、夜明けの先へと歩いていくしかないのだ。
煤けた空気で肺を満たして、錆びついた街をふらふらと彷徨う。思考も意思も摘み取られた、幽霊になってしまったみたいだった。自分以外に意識があることを、誰も証明出来ない。遥か昔に、そんな話を耳にしたのを思い出す。表層部分に出てこない他者の内面について、人間はその存在さえ論証出来ない。他者に心が備わっていると考えるのは、証明出来ないただの仮定にすぎない。人々がそう信じていたいだけの、都合のいい想定にすぎない。あなたと私が手を繋いだとき、心が通じあっていますように。寂しい孤独を癒すために、そう希っているのだ。凍てついた極夜の下で、人々が朝を祈るように。不揃いに舗装の剥がれた地面を踏みしめ、曙光を映した薄い影に目を細める。ふと、泣き出しそうなか弱い声が耳朶を打った。何と言ったのかは、もう分からなかった。それでも声に導かれたように、徐ろに顔を上げる。目の淵いっぱいに涙を湛えた、澄んだ空色と目が合った。ミア。名前を呼んだつもりだったけれど、喉から声が漏れることはなかった。張り詰めた糸がぷつりと切れてしまったように、濡れた目元から溢れた涙が頬を伝っていく。小さな口を懸命に動かして、ミアが何事かを口にする。リオンに向かって語りかけているのだろう、とまではかろうじて理解出来た。だけど、紡がれ続ける言葉が掬えない。単なる無意味な音の並びのように、ミアの声が耳をすり抜けていく。音のない映画を眺めているかのように、彼女の伝えたい意図が一つも掴めなかった。抜け殻になってしまったみたいだ、と思った。感覚器官は正常に働いているはずなのに、それを情報として統合する部分が思考を止めている。意識を正常に保つことさえ危うくて、眩暈の予兆がずっと続いているみたいだった。現実逃避のように、二度と会えない人々の面影を現前に浮かべる。これ以上息をしていたくはなかったけれど、自らの意思で心臓を止めることは死者への冒涜だった。死んだように生き続ける以外に、選択肢はなかった。乾いた瞼のまま、瞬きを落とした直後。
「私が、助けますから」
涙でぼやけたミアの言葉が、やけにくっきりと鼓膜を揺らした。確かな質感と温度を持って、リオンの胸へ飛び込んできた。助ける? 誰を? どうやって? 無数の疑問符が浮かんで、弾ければ怒りに転化しそうになる。助けたかった人は、みんな死んでしまった。失われた命は、二度と戻らない。どんな魔法も奇跡も敵わない、この世の絶対法則。それを覆すための方法なんて、見つかるはずもなかった。それでも、僅かに、心が揺れた。救いたかったのだろうか。それとも、救われたかったのだろうか。震える心臓を包み込むように、ミアがぎゅっとリオンの両手を握りしめる。人の温もりを感じたのは、随分と久しぶりだった。三十五度と少し。生きている人の温度だった。きっとリオンも、同じ熱を持っている。自分の温度は、ふとした瞬間に自分では見失ってしまうだけだ。リオンも今、生きているのだろうか。もはやそれすらも曖昧だったけれど、同じ温度を返せていればいいと思った。生きていればいいな。あやふやな願いが言葉になった瞬間、ぎゅっと喉奥が引き攣った。目元に宿る熱に、涙腺が緩んだのを自覚する。今にも崩れ落ちそうな足を叱咤して、リオンはミアの手を握り返した。
「
……
もう一回」
涙に答えを返すように、微かな声でミアが呟く。その瞬間、ふっと目の前が昏くなった。片翅を捥がれた蝶のように、身体の軸が傾いていく。ぐらり。確かに聞こえたはずの声が、静寂に塗れて遠ざかっていく。夜明けに包まれた世界が沈んでいく。生きなくちゃ。生きていたいよ。終幕を惜しむみたいに、泣き出しそうな願いが募る。
「──」
夜空へ旅立つ鉄道の、汽笛のような音。微かに震えた幼い声を最後に、リオンの意識は途切れた。
滅びゆく世界の端に咲いた、小さな祈りだけを残して。
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