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柚鈴
2024-02-18 17:19:51
23129文字
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でぃあぷろSeason2 有志合唱SS
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①たぶん終わり
「
……
死んじゃいたいな」
霧雨が視界を塞いだ、ひとりぼっちの帰り道。いつも持ち歩いているはずの、折りたたみの傘を忘れた。そのことに気付いた溜息と同時に、ふとそんな言葉が落ちた。ほつれた糸の先が、ふつりと音を立てて切れるように。僅かに丸まった紙の端が、些細な拍子で千切れるように。空から落ちた雪の破片が、重力に従って潰れるように。心が動いた、と言えるほど劇的なものではない。蹴飛ばされて転がった小石に背中を押されたみたいな落胆が、ドミノを倒す指先の数センチに重なった。流しきれずに胸に詰まった悲しみが、最後の一滴で氾濫した。私の人生は、ずっとこうなのかもしれない。いつでも、何をやっても、上手くいかない。落としたトーストはいつだって、バターを塗った面が下を向く。歪んだ認知に従って、何の根拠も具体性もない悲観主義が心の内に蔓延っていく。死んじゃいたい。雨が上がった先の私はきっと、気の迷いだと笑って首を振るだろう。だけど「本心じゃない」と言い切ってしまうことは躊躇われる。確かに痛みを訴える傷口が見向きもされないままに、乱暴に消毒液だけを吹きかけられたみたいな気分になる。そんな風に感じてしまうほどには、「死にたい」は私にとって嘘じゃなかった。
「
……
死にたくないよ」
お母さんは最期まで、ずっと泣いていた。生きて。たったそれだけを言い残して、動かなくなってしまった。息をしなくなって、動かなくなって、目を開けなくなって。たったそれだけで「死んだ」を認めなければならないことが、どうしようもなく怖かった。生まれたての赤ちゃんになされる名付けのような、荘厳な儀式だったらよかった。神様か精霊様が地上に降りてきて、母は亡くなったのだと告げてくれたらよかった。生まれた子供は、泣き喚いて教えてくれる。私は生まれたよ。この世界で息をしているよ。だけど人の死は、誰も教えてくれない。私は死んだよ、なんて言ってくれない。ただ、静かになるだけだ。空虚な静けさが周囲を満たして、呼びかけに答える声が消えるだけ。「存在しない」を証明するのが悪魔の証明なら、誰かが死んだという事実だって、誰にも証明出来ないはずだと思った。生は存在すること、死は存在しなくなること。心臓が止まっただけで、呼吸が消えただけで、亡骸にその人の命はもう眠っていないのだと、どうして言い切ることが出来るのだろう。初めて死を目撃した人々は、それがどうして死だと分かったのだろう。私には分からないから、死にたくなかった。嘘だ。本当は、嫌だっただけだ。大好きなお母さんが、私に託した願いを、破ってしまうことが。確かに渡された愛の形を、無碍にしたくなかっただけだ。
「早く、死なせてほしい」
降りかかる火の粉に追われるような、切迫した衝動が胸を満たしていた。出しっぱなしの蛇口の先を、必死に手のひらで押さえているみたいに。泣き出しそうな気持ちを無理やり奥底に閉じ込めて、呪いのような自己嫌悪で涙腺を詰まらせた。この世界から、塵も残さず消えてしまいたい。二度と目をあけることなく、永遠に眠り続けていたい。だけど、そんな生温い仕打ちでは許されない。苦しんで、苦しんで、苦しんで、最後の瞬間まで身が千切れるほどに泣き叫んだ末に、救済のように殺されたい。安堵と後悔に溺れながら、息の根を止めたい。悔恨と被虐の間を揺蕩う自殺願望が、緩やかに首を絞めあげる。ただ息をすることさえも、難しくなる日がやってくるなんて思わなかった。
「嫌だ
……
死にたく、ない!!」
迫り来る暗闇に抗うように、必死で足を空回す。止まったら死ぬ。たったそれだけの事実が、私を前へと駆動していた。必ず生きると誓った。諦めないで戦い続けると誓った。私に生きる理由をくれた、大切な人と。肺は形骸化した浅い呼吸を繰り返し、喉の奥で血の味が香った。痺れたように動かなくなる足を、それでも懸命に動かし続ける。お母さんとお父さんに、大好きなレイラに、繋がれた命を無駄には出来ない。目の前を霞んだ闇色が通り抜け、触れた指先が崩れていく。灰になっていく。存在の証が消えていく。誰に教えられずとも、死はそこにあった。死にたくないよ。胸の内で何度も繰り返す言葉が涙に変わって、それすら朽ち果てていく。さよならもないままに、世界が、私が、終わっていく。
「
……
嘘吐き」
「死にたい」と「死にたくない」を何周も繰り返した果ての先。嘲笑と侮蔑と哀れみを綯い交ぜにしたような口調で、少女は呟いた。エロスもタナトスも、嘘ばかりの紛い物だ。ほんの僅かにも環境が変われば、両者は手のひらを返したように逆転する。積まれたトランプのカードを捲るように。人々は彼らの人生の中で、何度も死にたいを繰り返した。淡々と続く日常の中で、自分の生きる意味を見失って。苦しみばかりに目を向けて、傲慢にも死を希っていた。だけどそれは、誘蛾灯に吸い寄せられる愚かな羽虫と変わらない。死という燈影は、遠ければ遠いほど美しく見えるのだ。先の見えない暗闇の中で、道行きを照らすように煌々と輝いている。だから人々は、そこに期待するのだ。何かがあるかもしれないと。閉塞した日々に罅を入れるような、彗星が降ってくるのだと。だけどそれが目の前に差し迫った瞬間、希望だったはずの明かりは絶望へと反転する。その身を焼き焦がさんとする熱と光に包まれて、人々はようやく懇願のように乞い始める。嫌だ、死にたくない。まだ生きていたい。祝福だったはずの流星は、世界を滅ぼす破滅の炎に転化する。何度も願って祈ったくせに。死にたい。生まれてきたくなかった。散々世界を呪い罵ったくせに、人々はいつも同じ言葉を口にする。本当は、死にたくなんてなかったんだ。たったそれだけのことが、どうして差し迫った死の直前まで理解出来ないのだろう。たった数十年の短い命が、風前の灯火になって、底の擦り切れたシュガーポットになって。そこまで追い詰められてようやく、人間は自分が呪ったもののかけがえのなさに気付く。何度繰り返したところで、その事実は変わらなかった。目の前に立ち塞がった死に、地に頭を擦り付けて延命を乞うた人々だって、時間を戻せばまた死にたいを繰り返した。たった一度きりの、取り返しのつかない現象として存在する死を、歌よりも簡単に口走った。辛い。苦しい。変わりたい。そんな代名詞として扱った。人々がそう呟くたびに、心が削られていくようだった。
それほど死にたいのなら、私が今すぐ叶えてあげる。あなたたちの「死にたい」が嘘だったって、何度だって証明してあげる。気が付くまで、何度でも、繰り返し苦しみ続ければいいんだ。己の命の無価値さを嘆いて、そのかけがえのなさに溺れてしまえばいいんだ。永遠にも等しい時間をずっと、生死の狭間に浮かんでいればいいんだ。不完全な紛い物のカミサマに、繰り返される紛い物の命。終末なんてない。幕引きなんてやってこない。出来損ないのテアトルに囚われたまま、狂言じみた芝居をループすること。それだけが、人間に下された最後の審判だった。孤独な少女の最後の砦を憎んだ、愚かで無慈悲な人々に対する罰だった。
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