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柚鈴
2024-02-18 17:19:51
23129文字
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でぃあぷろSeason2 有志合唱SS
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⑤コウフク貯金
彼女の代わりに、世界が灰になればよかったのだ。
彼女以上に価値があるものなんて、この世界にはひとつも残っていないのだから。誰かにとっての大切なもの。星屑みたいに眩く煌めく欠片。両手で掬いきれないくらいに集めたって、胸にぽっかり空いた穴は埋まらない。見上げるほどの巨木に巣食った深い洞のように、心を根元から腐らせて、やがては薙ぎ倒してしまう。そこに何を入れようとしたって、ブラックホールのように跡形もなく飲み込むばかりで、空っぽの場所が狭まりはしないのだ。ミアの代わりに犠牲になるのが、世界だったらよかった。あるいは、私だったらよかった。数日前に根付いた願いは確かにレイラを蝕んで、心の柔い部分を膿ませていた。ミアの最期が、今でも瞼の裏に焼き付いて離れない。世界の幕を引いたようなその光景を目にしてから、いったい何日が経過したのだろう。精霊が姿を消してしばらくのち、まるで巨大なインク壺をひっくり返したかのように、世界中にサクリファイスが氾濫し始めた。アイドルたちは必死に戦ったけれど、すべてを守ることなんて不可能だった。灰と悲鳴に満ちた街で戦う最中、ミアは見つけてしまったのだ。おかあさん。おとうさん。いなくなった両親を懸命に呼びながら、泣き惑う幼い少女の姿を。その街は既に、危険地区に指定されていた。彼女一人を見捨てたところで、誰も責めはしないはずだった。それでもミアは、少女に手を伸ばさずにはいられなかったのだ。幼い頃の自分に、重ねてしまったのだろう。無数のサクリファイスが蔓延る街で、ミアは少女を救おうと咄嗟に駆け寄り、灰になった。じゅわり、と溶けた薔薇色の夢を、今でも忘れられないでいる。ミアの纏った鮮やかな色彩が、一瞬の間に無に帰した。掬い上げれば指の隙間から零れてしまうような、細かい無彩色の粒子に変わった。この世界のどこからも、ミア・フィオリーレという少女はいなくなったのだ。ミア。名前を呼ぶよりも先に溶けて消えた惨劇に、レイラの手足は硬直した。全身を巡っているはずの血液が、温度のない流氷に変わってしまったみたいだった。ミアが、消えた。その事実を受け入れるだけで精一杯で、指先ひとつ動かせなかったのだ。ミアはきっと、幼い少女をレイラに託そうとしたのだろう。初めて出会った日、ミアを灰に変えようとしていたサクリファイスを、レイラが倒したときのように。レイラが救ってくれることを願って、躊躇いなく飛び込んでいったのだろう。だけどレイラは、動けなかった。落雷に打たれたように、吹雪に身が竦んだように、動けなくて、少女を見殺しにした。命を賭してミアが守ろうとしたものを、守ることが出来なかった。薔薇のつぼみが咲かずに散った直後、少女はその後を追うようにして灰になった。レイラだけが生き残って、ミアの死は無駄になってしまった。その事実をようやく飲み込んだ先に、何があったのかは覚えていない。家に戻った記憶もなければ、何かを口にした記憶も、眠りについた記憶もない。辛うじて浅い悪夢を見ていた気もするが、もしかすると朧げな現実だったのかもしれない。人間が飲まず食わずで生きていられるのは、確か三日間だっただろうか。曖昧な知識が本当なら、そろそろレイラの命も危ういはずだった。それでもよかった。どうでもよかった。気付けばレイラは、ふらふらと廃墟の淵を彷徨っていた。何処を目指しているかも分からない。ミアに会える場所に行きたかった。酷く足場が悪い。砂利を踏む音だけが、虚しく暗闇に吸い込まれていく。空から溢れ落ちそうなほどに大きな満月だけが、レイラの視界を照らしていた。蜂蜜を垂らしたみたいな月明かり。綺麗ですね、レイラさん。そう告げる弾んだ声は、どれだけ待ち望んでも聞こえない。I love youを月が綺麗ですね、と訳したのは、過去の文豪だったか。彼女が月を賛美するたびに、期待するみたいに微かに胸が高鳴って、そんな自分に恥ずかしくなっていた。死んでもいいわ。胸中で密かに、陳腐な返し文句を浮かべていた。先に死んだのは彼女だった。
見覚えのある景色に差し掛かり、躓くみたいに足が止まる。月光に揺られて、ミアの姿が見えた気がした。都合の良い幻覚だ。僅かに保った理性に言い聞かされると同時に、ふと思い出す。彼女と初めて出会ったのも、この場所だった。サクリファイスに追われていたミアを、通りがかったレイラが偶然助けたのだ。後から思い返して、運命みたいだ、なんて柄にもなく夢見ていた。その記憶が果たして本当に正しいのか、それとも植え付けられたものなのか。今となっては分からなくて、何も知りたくなかったと泣きたくなる。戻らない過去を想うときくらい、間違いはないと信じていたかった。
「
……
ミア」
あのとき呼べなかった名前が、ようやく唇から零れた。そうしたらもう、動けなくなってしまった。自分の言葉で自分を呪ってしまったみたいに。腫れた瞼を生温い何かが伝って、まだ泣けたんだと思った。死ぬなら、この場所がよかった。ミアの代わりに死んだつもりになれる気がしたから。足を止めて立ち尽くせば、世界から一切の音が消える。オルゴールが止まったあとに似た静寂に、耳が痛かった。雲ひとつなく澄み切った夜空を憎んだ。雨が降ればいいと願った。水滴が視界を満たして、レイラがびしょ濡れになって、倒れてしまったら。あの日のように、ミアはまた迎えに来てくれるだろうか。くだらない空想が、愚かしく脳裏を掠めた。不意に砂利を踏む音が鳴って、反射的に顔を上げる。ミア? 今度は、声にならなかった。足音だって幻聴だろうと思った。だけど確かに、不規則な音が夜に揺らめいている。レイラの方に向かって、近付いてくる。今際の際みたいに鼓動が速くなった。ミアであるはずがない。分かっている。彼女はとうに、灰になってしまったのだから。視線の先に止まったのは、知らない少女の姿だった。ミアよりも、ほんの少し年下くらいだろうか。レイラの目の前で立ち止まった彼女が、焦点の合わない視線をこちらに向ける。月の光を浴びて、狂ってしまったかのようだった。
「染めた髪を、元に戻す方法を、知りませんか」
ひとつひとつの言葉を途切れさせながら、酷く緩慢な調子で少女は告げた。染めた、髪。何の話をされているのだろう。狂人との会話みたいで、一つも理解が及ばない。答えを返せないレイラに向けて、少女が続ける。
「染める方法は教えられたんですけど、元に戻す方法は教わらなくて。あの人たちに、必要のないことだったから。でも、私には必要なんです」
虚ろな眼差しのままに目を見開いて、鬼気迫る口調で彼女はレイラに詰め寄った。わからない。髪を染めるような人とは、ほとんど交流がなかったから。派手な容姿をした先輩アイドルの姿が思い浮かんだが、彼女と個人的な話をしたことはなかった。知らない。立ち去ってくれ。声を出すのも億劫で、投げやりに首を横に振る。
「どうしよう
……
クレアに、なれない」
錯乱したように髪を振り乱して、彼女は琥珀色の双眸から涙を伝わせた。三つ編みをほどいた直後のように、長い髪が緩いウェーブを描いている。どうしよう。どうしよう。諦めたように項垂れた彼女が、何処かへ歩き去っていく。ああ、とうとう世界はおかしくなってしまったんだ。そんなことを思った。だけど、どうでもよかった。どれだけ祈ったところで、もうこの世界にミアはいないのだから。レイラにとって唯一の幸福は、翳って消えてしまったのだから。手を伸ばしても届かないほど近付いた月が、まるで最後の憐憫みたいに世界を照らしていた。
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