らい
2022-02-25 20:04:50
26508文字
Public こはひめ
 

鍵を拾ったその時に

こはひめ ※オブリ前注意



3.

『愛★スタ』の収録から、数日が経った。仕事が終わり、寮の共用ルームに立ち寄ったこはくは、いちごミルクの紙パックを片手に一服していたが───突然、ソファーに華奢な影が差した。そろりと近づく気配に視線を上げると、そこには見知った人物が立っていた。つい先日、『愛★スタ』のペアとして仕事したばかりの藍良である。
 かけがえのない友人の来訪に、こはくは顔を綻ばせる。しかし、足取りのおぼつかない藍良を前にして、眉が八の字になってしまった。藍良は、廃れた街を彷徨うゾンビのごとく不安定にふらついている。その薄い唇から、いまにも魂が成仏しそうだ。同室のジュンから借りたマンガにも似たような描写があって、あれは失恋のショックから昇天しかけていたけれど、果たして藍良はどうだろうか。

「とりあえず、座りや」

 こはくは隣のスペースを開けると、布地をぽんぽんと叩いて藍良を招く。普段の藍良なら「ありがとォ~!」と可愛らしく笑うはずだが、「ウウ~」と呻きながらソファーに吸収されていくあたり、よほど疲れきっているとみた。こはくはソファーの背に腕を乗せながら、疲労困憊の藍良を覗きこむ。

「ラブはん、一体どうしたん?」
「なんでもないよォ……。仕事で疲れてるだけェ~……
「いや、その様子やとなんでもありやろ。お疲れさんやなぁ」
「でも、こはくっちが見えたから。ちょっとお喋りしたくなっちゃってェ……
「嬉しいわあ。せやけど、無理せんで……?」

 現在、ALKALOIDは飛ぶ鳥を落とす勢いで急進している。各種メディアを確認していると一目瞭然だし、藍良からもホールハンズでしょっちゅう話を聞いていた。こうして実際にやつれている藍良を見ると、多忙の日々を過ごしていることを他人事ながら実感してしまう。
 藍良の下まぶたには、クマができていた。化粧が薄くとも、じゅうぶんに綺麗な容姿をしているので気づきにくいが、ろくに眠れていないのだろう。ましてや寮の同室は、かの有名なfineの天祥院英智とUNDEADの朔間零である。こはくの想像以上に、藍良の休息は少ないのかもしれなかった。

「ALKALOIDの新曲やろ、あとはBrancoのPV撮影……。あとは、有名な脚本家のドラマに抜擢された言うとったもんなあ……?」
「ウン……ど、ドラマのほうはそんなに出番が多くなくて、ネットでは『事務所のコネなのにチョイ役!』って書き込まれちゃったんだけどね……あはは………
「ア?しょうもない書き込みをしとる奴なんか放っときや。選ばれたんも実力のうちやし、端役でも立派やろがい。ラブはんを傷つける輩は、わしが全員ぶん殴ったるわ」
「ありがとォ~……。こはくっちと喋ってると、やっぱり元気でるよォ~……まっ、そんなこんなで急に忙しくなっちゃってさァ……。ドラマは昨日で撮り終えたから、いちおう一段落はしたけどねェ……

 柔らかなソファーに溶けこみながら、藍良がハア~、と呻く。こはくは、上着のポケットに保管していた小包のチョコレートを渡した。つい先ほど、偶然すれ違った司に「瀬名先輩に没収されそうなので、こはくんにあげます。くあぁあっ、Calorie管理は問題ないはずなのになぜ……!」と苦渋の決断でプレゼントされたものだったが、どうやら役に立つ運命だったらしい。
 藍良が、「こ”は”く”っ”ち”の”優”し”さ”が染”み”る”よ”ォ”」と濁音まじりにチョコレートをかじる。大げさな反応に笑いながら、こはくは会話を続けた。撮影現場の緊張感、役者の難しさ、あらゆるエピソードに花を咲かせながら、話題はクランクアップに近づいていく。

……それでね、ドラマの共演者さんとの打ち上げがあったんだァ」
「ほォん」
「もちろん、おれは未成年だから、ジュースで乾杯したけど」
「可愛ぇな」
「もォ!こはくっちだって、お酒は飲めないでしょ!……でね。おとなの人たちのどんちゃん騒ぎがメチャクチャでさァ……
「全員、酔っ払いやったん?」
「そうそう……。み~んな揃ってビールを飲んだりしちゃって、タガが外れちゃったっていうか……。なんていうか、その……下ネタとか、とある俳優さんの暴露トークとか、そういう話題が多すぎて……もう、ほんとうに疲れちゃったよォ~……
「それは、大変やったなあ……
「ウウ~ッ、おれはピュアなアイドルだから、そういうの全然わかんなァ~い!……おまけに今日は早起きだったしィ……
「お疲れさんやわ、ほんまに……

 いつの日だったか、燐音の下劣なトークにも顔をしかめていたほどである。アイドルのプロ意識というよりは、下世話な話がほんとうに苦手なんだろう。その場にいたら、こはくだって閉口している。アンサンブルスクエアに所属している人間は、思いのほか潔癖が多いのだ。

……でねェ、一番びっくりしたのがね。普段は口数が少なくて、冷静沈着で、全然ミスなんかしないパーフェクトな俳優さんが、お酒が入った途端に『俺、このままでいいのかな……』って泣きだしちゃってェ……
「おん……?」
「普段はよくしてくれる先輩だから、なんとか助けてあげたかったけど。おれだって、芸能界まだまだ浅いしさァ……。大丈夫ですよォ~なんて適当なこと言えないし、こうすればいいですよォ~って偉そうなアドバイスもできないし、ウンウンって頷くことしかできなくて……

 結局どうすればよかったんだろうねェ。大の字になって、藍良がぼそっと呟く。

「普段、あんまり弱いところを見せないような人っぽいから、なおさら心配っていうか……
「おう……
「一度だけ共演したっきりのおれに、そういう悩みを打ち明けるぐらいだもん」
「せやなあ……
「お酒を飲まなくたって、弱音を吐ける。強がらなくたっていいよって、声を掛けてくれる。そんな間柄のひとが、傍にいてあげられたらいいのになァ~って思ったよ」
「うん……
「負の感情を隠し通すのは、職業柄だいじなことだけど。それでも、自己嫌悪でいや~になる気持ちとか。将来のビジョンがさっぱり見えなくて、不安いっぱいの気持ちとか。そういうのを痛み分けできるひとが、ぜんぜェ~ん傍にいないおとなって……すっごく大変なんだなァって。そういう頼りになるひと、いままで傍にいなかったのかな?これからも、傍にいないのかな?」
…………どうやろ……
「おれ、しみじみしちゃったよォ」

 HiMERUなら、何でもこなしてみせるのです。
 こはくの頭にふとHiMERUの姿がよぎる。藍良が語っていた俳優とは分類が異なるが、己が抱えている怒りを、悲しみを、寂しさを、他人にほとんど晒さないという点ではたぶん似ている。巽には、感情の一部を露わにしているようだけれど。それでいて思うのは、負の感情をずっと秘め続けて、HiMERUは果たして一生くじけずにいられるだろうかという疑問だった。
 十代のうちなら、年齢の若さゆえに堪えきれる盤面も多いかもしれない。だが、これから二十代、三十代、四十代と歳を重ねていく過程で、彼はいつまで完璧であり続けるんだろう。
 HiMERUは、弱くない。そしてHiMERUに限って、酒に溺れるようなことも有り得ない。藍良の共演俳優よろしく、アルコールを摂取してやっと弱音を吐ける───世の成人たちが多用する仕組みに頼ることもないだろう。けれども誰にも頼れない、頼る方法さえも忘れた孤独な大人になってしまうのだとしたら、それは寂しいことだ。完璧主義で、気高くて、十八歳とは思えない強靭な精神をもって仕事をこなすHiMERUのことだから、決して弱みは見せないだろうけれど。
 できることなら、酒なんて飲まなくたって、ただの水でも愚痴をこぼせる、気の置ける間柄になりたい。こはくの、ささやかな願いだった。けれどもその役目は、巽なのかもしれない。
 デートの終わり際、路地裏で寄り添っていたふたりを思い返して、こはくの胸は雨雲にも似た、灰色の霧でいっぱいになる。本人たちは否定していたけれど、どうにも疑わずにはいられない。カップルの演技に興じているうちに、恋仲に進展しているのだとしたら。
 こんなに待っとるのに、なんでわしやないんやろ。
 訳もわからず苛立ってしまう。乳離れできない幼子じゃあるまいし、『とられた』と拗ねてしまう自身がいることに、はらわたが煮えくり返りそうになる。ありのままの感情を、巽にはぶつけられているのだから、それで問題はないはずなのだ。一緒に過ごすことは多いユニットの仲間として安堵しているのは、紛れもなく事実なのである。だが、『なんでなん?』と疑問を掲げている自身がいるのもまた本当だった。
 そして、首を傾げているのは、ユニットの仲間、サークルの同志、気の合う友人、そのいずれにも該当しない。焦燥の炎を燃やし続ける、もうひとりの桜河こはくなのだった。

「なぁ、ラブはん。実際のところ、HiMERUはんと巽はんはどうなん?」
「はへッ……?」

 どうなんって、つまりどういうことォ……
 頬をかきながら尋ねる藍良に、こはくはハッと我に返る。脳内に留めていたはずの疑念たちが、無意識に外部に流出してしまったことに驚いた。
 とっさに誤魔化そうとしたけれど、藍良はこはくの返答を待っている。いまさら引き返すわけにもいかず、こはくは話を続けた。

……『愛★スタ』で、ペアになっとったやん」
「う、ウン」
「ほんまに恋人とちゃうん?っち疑っとるんやけど」
「え?え!?えっ……?えェ~……?」

 さすがの藍良も困惑している。常に『こはくっち、すごぉい!』と全肯定してくれる藍良のことだから、よほど返答に困っているのだろう。ソファーに寝そべったまま、目を泳がせていた。

「あれって『設定』だし、『演技』だよねェ……?」
「壁ドンして、肩にもたれかかって……いやらしい距離で密着してる場面を目撃したんよ、わしは」
「えっ。えぇ~!?」
「そんで、愛の言葉を囁きあって……HiMERUはんと巽はんは否定しとるし、あんずはんも首を振っとったけど」
「い、いやいやいやいやいや。演技にしては行き過ぎてるかもしれないけど、さすがに本当の恋人ってことはないと思うけどなァ……?」
「根拠はあるん?」
「こ、こん……?そんなのおれにだってわかんないよォ、ていうか否定してたんでしょ?それにおれ、タッツン先輩からなぁ~んにも聞いてないし……

 金魚のごとく口をぱくぱくと痙攣させながら、藍良が答える。巽には勉強を教えてもらったり、悩みを聞いてもらったりと友好な関係を築いているようだから、それなりに衝撃を受けているのだろう。しかしながら、にわかには信じがたいようで、「ウ~ン?」とか「でもォ~」とか、声にならない声で疑問を呈している。
 こはくだって、巽とHiMERUの関係を疑いたくはない。だが、真実を追い求めなければ、心のすべてを覆い尽くす霧の正体が、うやむやに消えてしまう気がしたのだ。

「路地裏にこっそり抜け出して、『俺と結婚してほしい』っち求婚しよるHiMERUはんを見とったら、わしは胸がザワザワすんねん……
「け、結婚~!?」
「わしには恋っちゅうもんはわからんし、ほんまに巽はんと付き合っとったとしても、HiMERUはんが幸せなら、わしはそれでええはずなのに。……せやけど」
「こ、こはくっちィ……?」
「負の感情をぶちまけたり、接吻するんとちゃうかっち至近距離で密着したり、結婚を申し込んだり……。その相手が巽はんなんは、なんでやろ……?」
「あれっ……エ?」
「いや、巽はんの悪口とちゃうんよ。わしも困惑しとんねん。この疑問を突き詰めるだけで、身体じゅうの血液が、真っ赤なマグマみたいにブクブク煮えたぎるっちゅうか……
「う、ウ~ン……?」
「デートの収録が終わってから、わしはずうっとこの調子やねん。わし、疲れとるんやろか?」
……ええとォ、要するにこはくっちは───」
「桜河。こんなところにいたのですか」

 藍良の答えが返ってくる前に、急にHiMERUが現れた。なんの気配もなく訪れたものだから、ふたり揃って「わ~っ!」と声がひっくり返ってしまう。
 藍良にいたっては、ソファーからずり落ちていた。カメラが回っているわけでもないのに、まるで芸人が披露する愉快なコントのようである。両足をバタつかせながら、必死に這い上がろうとする藍良にぱちくりと瞬きして、HiMERUが詫びた。

「すみません。驚かせるつもりはなかったのですが。……それにしても、見事なまでにシンクロしていましたね」

 この際、事務所越境のデュオでCDデビューでもしたらどうですか?
 頬に垂れた髪を耳に掛けながら、HiMERUが微笑んだ。きゅっと引き結ばれた口角の曲線に、こはくは視線が釘付けになる。
 男の自分でもまじまじと眺めてしまうほどの、完成された美しさ。スポットライトのない寮の共有ルームでさえも、華やかなステージに変えてしまう。こはくは、うっかり吸い寄せられそうになって───ふと、先日の路地裏を思い返す。HiMERUにいやらしく密着し、垂れ目の瞳をぼんやりと輝かせる巽がよぎって、視線を反らしてしまった。

「こんっ、こんこんっこんこんこんこんにちはァ!?」

 先に行動したのは藍良であった。まるで海上の脱出用ボートにすがりつくような動きでソファーに戻ると、慌てながら挨拶をする。落っこちた影響で髪が乱れていたことに気が付いて、さらに忙しなく頭を下げた。

「そんなにかしこまらずとも、HiMERUは構いませんよ。貴方は桜河が認める友人ですし、例のゲームでもペアとして認められていました。HiMERUは貴方のことを比較的、好ましく思っているのですよ」
「あ、あははァ、それは、どっ、どうもありがとうございまァす~……?」

 えへ、えへへェ、と照れながらも、やはり動揺が隠しきれていない藍良をよそに、HiMERUがこはくに歩み寄る。いきなり距離を詰められたものだから、他人のふりで無視するわけにもいかなくて、こはくは渋々と顔を上げた。透明感のある肌に、艶のある前髪が垂れている。伸びたまつ毛は陰影をつくり、夜に映える月のようだった。
 なんど見たって飽きない、端麗な顔をしている。ずっと見つめていたい欲望に駆られるが、どういうわけだか胸の鼓動がやかましく跳ねるために、今はただ避けてしまいたくもあった。相反する感情が、こはくの頭に揺れている。季節はずれの風鈴のように靡いて、鳴り止まない。とくりと高鳴る脈とともに、延々と歌い続けるのだ。

「なんや、わしに用か……?」

 しかし、不協和音が奏でられるこの奇妙な音楽会は、自らが指揮をとって中止せねばなるまい。こはくは意を決して、HiMERUに尋ねた。向こうから『こんなところにいたのですか』と声を掛けてきた以上、なんらかの目的があるはずだ。
 するとHiMERUは、腕時計を確認しながら答えた。

「突然ですが、桜河。この後、時間はありますか?」
「え?」
「先日のデートで、HiMERUは桜河にとても助けられました。あれから、すこし間が空いてしまいましたが……HiMERUは、お礼がしたいのですよ」

 よかったら、HiMERUとシナモンでも行きませんか。
 解析不能の感情を抱いたまま、一緒にいたくはないのに。断る理由も思いつかず、こはくは自然に「ほんまに?」と返してしまった。