らい
2022-02-25 20:04:50
26508文字
Public こはひめ
 

鍵を拾ったその時に

こはひめ ※オブリ前注意



2.

 HiMERUと巽のペアが、『愛★スタ』の収録に苦戦しているらしい。プロデューサーのあんずから呼び出されたこはくは、HiMERUの新パートナー候補として、助っ人を担うことになった。
 パステルカラーの日用品。ぎゅっと抱き締めたくなるようなぬいぐるみ。ハート型の可愛らしいイヤリング。巷で『美少女先輩』と呼ばれるアイドルが看板娘のコスメ。女の子にしてみればこの空間は、たぶん金塊より、宝石より、不老不死の伝説よりも冒険しがいのある宝島なんだろう。
 そんな場所で、男二人がデートを強要されているのだから、すべてが滑稽な光景となってしまうのだけれど。

「マヨイさん、なにを着てもお似合いですな」
「ああっ、聖なる眼差しで見つめられても何もでましぇん!私なんて、その辺のゴミ捨て場に投げられたボロ切れの布を羽織るぐらいがお似合いですぅ!」
「まあまあ、ご謙遜なさらずに」

 試着室でショーを楽しむふたりを横目に、こはくは壁かけの帽子をぼんやりと眺めた。手に取るか、取るまいか、目下の悩みはその二択である。
 こはくには、ファッションの知識がほとんどない。所せましと並んでいる帽子を見ても、『推理ドラマの探偵がよう被ってるやつや』とか、『山登りするじいさんがよく身に付けてるやつやな』とか、他人事の想像をするばかりで、正式名称が出てこない。普段の私服ですらアパレルの店員に見繕ってもらっているぐらいだ。ましてや帽子ともなると、こはくにとっては上級レベルのおしゃれといっても差し支えなかった。
 直近の被りものといえば、深夜帯の料理番組にCrazy:Bが呼ばれたときの白三角巾ぐらいだろうか。「こはくちゃん、給食当番って感じでむちゃくちゃお似合いっすよ!」とニキに大爆笑され、燐音にも「こっはくちゃん、おかわりくださァい!」と相当いじられたものだが、被りものにまつわる逸話は結局その程度である。帽子というジャンルにさえ到達しないほど、まったく縁のないアイテムなのだ。
 それでは、どうして悩んでいるのかと問われたら、答えはひとつだけ。デート相手に、正確にはHiMERUに喜んでもらうためである。
 こはくは長いこと、雪にまみれる地蔵のような強面で帽子の棚を仰いでいたが、ふいに白のニットキャップが視界に入る。寒い冬も暖かく守ってくれるそれ。帽子の種類がてんで分からないこはくが知っている、数少ないものだ。
 頭のなかで思い浮かべた姿は、デート相手のHiMERUである。駅前で白い息を吐きながら、缶コーヒーで手を暖める姿をぱっと想像した。白のニットキャップがぴったりだ。こはくの頭に、ぴこんと電球が光る。これや、と意気揚々につぶやいて、数歩先でマフラーを吟味しているHiMERUに照らし合わせた。
 若者のファッションには疎いし、帽子のジャンルにもまるで詳しくない。なにが正解かもわからないが、公式のプロフィールによれば、HiMERUは『帽子集め』が趣味である。デートの善し悪しはさっぱりだが、相手の興味関心に寄り添うことからスタートするのは、きっと大事なことだ。右も左もわからない帽子のあれこれは、ついでに教えてもらえばいい。こはくはHiMERUに歩み寄り、ジャケットの裾をくいくいと引っ張る。

「HiMERUはん。これ、ぬしはんにどぉやろか」

 大事に抱えてきたそれを差し出すと、HiMERUは一瞬だけ唇をぽかんと開けた。毛穴ひとつさえ見受けられない滑らかな肌に、長いまつ毛が灯る。ともすればマヌケ面になりかねない隙のある表情さえも、美術館の名画に思わせるのだから完璧である。
 HiMERUは、くすっと微笑んだ。引き結んだ口角のカーブは美しく、男のこはくでさえも視線を奪われてしまうほどに整っている。ファンの女の子が間近で見たなら、たぶん卒倒してしまうだろう。
 相変わらず、綺麗やな。
 同じユニットなのだから、顔なんて呆れ返るほどに見ているのに。何十回、何百回とまったく同じ感想を抱いてしまう。美人は三日で飽きるというが、あれはたぶん嘘だ。少なくともこはくは、一緒に過ごすたびに新鮮に感動している。

……ありがとうございます。HiMERUは、とても嬉しいのですよ」

 HiMERUは上品さが際立つえんじ色のマフラーから、ゆっくりと手を離す。彼が常日頃身に付けているものは、どちらかといえば寒色系が多いから意外だったけれど、ニットキャップを受け取ろうとするHiMERUに、こはくはすぐに意識を持っていかれる。
 同性相手に稀有な発想かもしれないが、デートしている以上は収録とはいえ、リードしなくては。HiMERUの手をいったん制止して、こはくは自信満々に告げてみせる。

「わしが被せたるわ」
「桜河がそうしたいのなら、HiMERUは構いませんが。なぜですか?」
「ん?デートっちゅうのは、男がグイグイ引っ張っていくもんやないん?」
「その理論からいくと、HiMERUも男なのです。むしろそこは、HiMERUが桜河に帽子を選ぶべきだと推測しますが」
「ちゃうやん? HiMERUはんが女の子っちわけとちゃうけど、今はわしが男やろ?」
「はあ。よくわかりませんが、まあいいでしょう」

 どうぞ、と柔らかに笑むと、HiMERUはすらっと伸びた上半身を曲げる。
 粉雪が降る寒空、白のニットキャップを被る姿。頭の片隅で思い描いたイメージと、一体どれぐらい線が重なるだろうか。こはくは期待を膨らませながら、屈んだHiMERUの小ぶりな頭に帽子をくぐらせる。
 乱れた前髪をかきあげ、HiMERUが視線を上げた。

「どうでしょう?」
「あ~……?う、う~ん…………せやなあ……

 実際に試着してみると、なかなかに暖かそうではあるが───全体的に重ったるい。どの角度から撮ってもそよ風が吹きそうな、HiMERUの爽快な美しさが死んでいる。もっと他に、HiMERUという良質な素材を生かせる帽子があるのではないかと思われた。
 HiMERUに似合うと感じたのは事実だが、もっと時間を掛けてイメージすれば良かったかもしれない。これでは相手をリードするどころか、幻滅させてしまう。藍良が選んでくれた女の子たちのまぼろしが、「何よ、これ!」と去っていき───最後に残ったHiMERUでさえも、「がっかりなのですよ」と冷ややかな視線を浴びせる。男の自尊心をずたずたに切り裂かれる妄想をして、こはくは思わず困り眉になった。

「これや!っち直感で選んでもうたわ……。HiMERUはんに見合ったもんが、他にもあるかもしれんのに。……それに、白より黒……いや灰色か……?わからんけど、別の色にしたほうが映えたんとちゃう……?っちゅうか、そもそも今日の服装に合っとらん気も……?」

 買い物に慣れていないと、未熟なセンスが浮き彫りになる。得意げに選んだだけに、恥ずかしい。
 むう、と頬を膨らませて赤面するこはくに、HiMERUはくすりと笑う。そして、自らの額に手を伸ばした。ピアニストと見紛うような美しい指が、こはくの瞳に反射する。

「いえ。これは単純に被り方の問題なのですよ。今の状態だと深く身に付けすぎなので、ほら。こうすると……

 HiMERUは鏡の前に立つと、眉毛の近くまでずり下がったフロント部分を、ぎゅっと持ち上げた。もっさりと身を潜めていた額が現れ、本来の美しさが輝きはじめる。雲の背後に隠れていた太陽が、ふたたび大地を照らすような───希望に満ちた眩しさが、こはくの視界いっぱいに広がった。
 こはくは、曇りかけていた顔をぱぁっと綻ばせて、HiMERUを仰ぐ。
 ふつうの一般家庭で育っていれば、文字いっぱいで埋め尽くされているはずの常識ノート。新品の白紙同然のこはくに、HiMERUはいつだって鉛筆を貸してくれる。服の着方がわからないときも、イヤモニの直し方に戸惑っているときも、今こうして帽子の被り方さえままならないときも。この世界の在り方を、決して馬鹿にすることなく教えてくれるのだ。
 HiMERUが『知らない』を『知っている』に変えてくれるたび、こはくはどうしようもなく嬉しくなる。春に芽吹く桜のように、頬がぽっと熱くなって、胸が高鳴るのだった。

「HiMERUはんは、さすがやなあ……いや、それとも若者の常識なんやろか?どんな格好しとっても、不自然にならんように軌道修正を図る……。わしはその辺、まだまだ難しいっちゅうか……やっぱり恥ずかしいわ、もう十六歳やのに」
「何事も経験だと、HiMERUはそう思うのです。世の流行に精通していない人間が、アパレルに勤め始めてから洗練されるというケースも多々あるようですし。HiMERUだって、HiMERUとして何でもこなせるようになるまでには、数えきれないほどの失敗を乗り越えてきたのですよ」

 そうなん?と相槌を打とうとして、HiMERUが一瞬だけ、遠くに───数分前まで眺めていたマフラーの方角に、視線を反らしたことに気が付いた。すぐさま元に戻ったけれど、こはくはその一瞬を見逃さなかった。
 わざわざ気に留める必要なんてないのかもしれない。友人だろうと、仕事関係者だろうと、ずっと視線を通わせながら喋り続ける人間などいない。たいていは床だったり天井だったり、会話のどこかで目を休憩させるものだ。
 それなのに、違和感が拭えない。心の奥がざわつくのはなんでだろう。こはくの疑問をよそに、HiMERUは続ける。

……それに。HiMERUは、HiMERUのために何かをしてくれた……その気持ちを何よりも大切にするタイプなのです。HiMERUは、滅多なことでは幻滅しません」

 HiMERUは目を細めて、しなやかに微笑む。鼓膜にそっと寄り添う声は暖かみを帯びている。嘘も、偽りもない、清らかな水のごとく透き通ったまなざしが、こはくを射抜いた。
 無色透明にきらめく瞳は、紛れもなく優しさに包まれているはずなのに。ほんとうの光は、なぜだかずっと深くに沈んでいるように思われた。そう簡単には手が届かない、深い海の底に。
 HiMERUは。
 HiMERUに。
 HiMERUが。
 HiMERUも。
 HiMERUの。
 そうやって繰り返されるたび、水のかさが増していく幻覚にとらわれる。ぶくぶく、と泡のノイズが鳴り響いて、HiMERUの輪郭がぼやけてしまう気がした。

『わし、まだHiMERUはんのこと、何も知らんもん』
『桜河、俺は───』

 あの時、一瞬だけ紡がれた声の揺らぎを、忘れない。完璧の皮をなにもかも脱ぎ捨てて、ありのままの姿を見せてほしい。
 けれども今はそんな些細な願いを、一方的に強制するわけにはいかない。

……せやったら。……わしも安心やけど」

 だから、こはくは唾を飲み込んで、ほろ苦く笑ってみせた。今はきっと、なにを考えたって思考が停滞するだけだ。
 桜河、俺は───不意にこぼれた、か細い声の先にあるほんとうの姿が気になったとしても。辛抱強く、待つだけだ。雪解けを望む、春の新芽のように。

「せっかくですから、今度はHiMERUが桜河の帽子を見繕ってあげましょうか?」

 こはくの葛藤を断ち切るように、HiMERUが壁かけの帽子に指を差した。こはくは拳をぎゅっと握りしめ、もどかしさを受け流す。
 なにも難しいことはない。いつもどおりに接するだけだ。そうして息を整えたあと、何事もなかったかのように笑ってみせる。

……ええの?」
「もちろんなのです。今この瞬間にHiMERUとデートしているのは、他でもない桜河ですし。四六時中HiMERUを苦しませる巽では───」
「俺が、どうかしましたか?」

 HiMERUの背後から、にっこりと手を振る巽が現れる。「はあ」とわざとらしく長い息を吐き、うんざりと腕を組むHiMERUの瞳は、気だるそうに揺れていた。
「桜河」と心地のよい声で微笑みかけてくれた姿が、まるで嘘のようだった。とはいえHiMERUは、負の感情を滅多に晒さない。嫌だ、気持ち悪い、腹が立つ、いわゆる不愉快なオーラを全開にするのは、少なくとも巽の前だけだ。そういった意味で、こはくの前で披露する笑顔は、ほんとうに虚像なのかもしれなかった。
 優等生の仮面で取り繕わなくても、ありのままの感情をぶつけられる相手がいる。HiMERUが無機質なアンドロイドでなくてよかったと安堵しているのは、確かなのだけれど。胸にぽっかりと穴が開いたような、底なしの空虚にも苛まれる。のんきに首を傾げる巽をまじまじと観察していたら、なおさら悪化するばかりだ。HiMERUの人間らしさを祝福するべきなのに、胸の裏側がムッと震えてしまうのだった。
 心臓にツタが絡まっているような不快感を覚えて、こはくはとっさに深呼吸をする。着物の袖で口元を隠して、「あんたは、ほんまにお子ちゃまやねえ」とくすくす笑う姉を思い返しながら、正体不明の感情をぎゅっと絞め殺した。
 わしは子どもやない、待てができる大人や。こはくは胸をトントン、と叩いて、入念に言い聞かせる。

……別にどうもしませんよ」
「ふむ、そうですか。ちなみに俺は、帽子を制覇しようと思いまして」
「興味ありません」
「いやはや、マヨイさんはどんな服もお似合いなので、着せ替えのしがいがありますな」
「HiMERUの話を聞いていますか?というか、むやみに顔を近づけないでください。HiMERUは、パーソナルスペースを侵されるのが嫌いなのです」

 巽は、公園で遊びまわる子どものごとく楽しげだ、一方、その背後ではマヨイがはひぃ、はひぃ、と息を荒げている。試着室のカーテンにすがるマヨイの背を、あんずが優しくさすっていた。一体どんなデートを楽しめばああなるのか。まるで車酔いに苦しんでいるかのような疲弊ぶりである。
 よほど楽しかったのか、いささか興奮ぎみに語り倒している巽から離れて、こはくはマヨイに話しかける。

「大丈夫かいな……わしが支えよか?」
「こ、こはきゅ……いえ、こはくさんのお気持ちは嬉しいのですけど、謹んで遠慮しますぅ……。その優しさに触れてしまったら、私どろどろに溶けて大地と同化してしまいそうなのでぇ……。そうなるとお頭は、『わあ!陰形の術でござる!』って、無邪気に無垢に、愛らしさ全開ではしゃいでくださるかもしれませんけどぉ……ああ~っ、それはそれで興奮しますぅ~……!小柄な身体で、ぴょんぴょんと跳ねる姿を想像するだけで理性の鎖が弾けて……ああ~っ!」
……ようわからんけど、あんずはん。マヨイはんの介抱、頼むわ」

 あんずが親指を立てて、突入前の特殊部隊さながらに合図をよこした。関わる機会はそう多くはないけれど、頼りがいのあるプロデューサーである。こはくは人懐こい笑みを向けて、あんずにエールを送った。あんずが、「私に任せて」と言わんばかりに腕をめくってみせる。他愛のないやりとりが面白くて、こはくはコッコッコと笑いをこぼした。
 だが、HiMERUが「なにを探しているのですか?」と訝しげに呟いたので、すぐに視線を戻す。HiMERUの傍から離れた巽が、どうやら何かを選んでいるようだった。

「なんのつもりですか、巽」
「いえいえ。先ほどチラッと見えたので、もしかしたら……と思いましてな」

 なんの嫌味も、下心も感じられない聖なるまなざしを輝かせて、巽がそれを差しだす。つい数分前まで、HiMERUが眺めていたえんじ色のマフラーを───まるで恋人に捧げる花束のように、紳士的にたむけたのだった。

……は?」
「マヨイさんがお着替えをしている最中、HiMERUさんが熱心に選んでいるのが見えたので……。君は、こういうのが好きなんでしょう?」
……はい?」
「良かったら、プレゼントしましょうか?」

 こはくの心臓が、なぜだかズキっと痛む。毒針を一本ずつ入念に刺されているような鈍痛が、全身にひしめいた。
 巽の想いはきっと、一切の穢れもない純粋な成分で構成されている。相手の好きなものを送って、わぁっと喜んでもらいたい───誠実な精神に尽きるのだろう。こはく自身が、友人の藍良にお菓子を分けてあげたい、と考えるように、損得勘定のない完全なる善意から生まれる行為のはずなのだ。
 それなのに、妙に居心地が悪かった。一見のんびりと構えているのに、『君は、こういうのが好きなんでしょう?』とプレゼントを渡せるほどの観察眼を持っていることも。自分だってマフラーを気に掛けていたことを察していたが、結局なんでもないことだと流してしまったことも。穏やかな声で優しく甘やかされている自分より、普段から厳しく非難されている巽のほうが、よっぽどHiMERUの理解者に思える。待ちぼうけのこはくの横を、ふたりがさっさと通り過ぎてしまったような、なんとも形容しがたい寂しさがこはくに付きまとうのだった。

……貴方は、なにを言ってるのですか?」
「おや、違いましたか?俺の勘違いでしたか……失礼しました」
「当たり前でしょう。HiMERUが好いているのは『帽子』です。好きな色も、ブランドだって、HiMERUは全く違います」

 ふん、と鼻を鳴らして、HiMERUが否定する。眉が歪んでも綺麗で、欠点さえも芸術の一部としてしまう美しさには思わず見惚れてしまいそうになる。しかしながら、負の感情を反映させるのはあくまで巽であって、こはく自身には微塵も見せない顔のひとつだと思うと、どうにも直視できなくなってしまう。
 一方で、巽は朗らかに笑っている。HiMERUの厳格な判定にもすっかり慣れてしまったのか、なんの気にも留めない素振りでマフラーを戻す。

「さすがは、お洒落なHiMERUさん。俺も見習わなくてはいけませんな」
「巽に真似されたくはありませんが、他人の趣味嗜好を的確にジャッジできる程度の最低限のセンスは磨くべきだと、HiMERUは推測します……って、なぜ好感度が上がるっ……!?」
「HiMERUさん、店内ではお静かに……
「誰のせいだと思ってるのですか!?」
「ええ~っ……!?」

 ぎゃんぎゃんと喚くHiMERUから、こはくは二歩、三歩と下がる。
 HiMERUはいつだって、「桜河」と穏やかな声色で接してくれる。そんな彼と一緒にいるのは苦ではなく。むしろ心を落ち着かせられる場所のひとつとして定着しつつあった。Crazy:Bでも、共に行動することが多い。二個上だけれど、年齢を感じさせないほどに波長が合う。手を叩いて笑い転げる、気の置けない親友のような間柄とまではいかないが、一緒のテーブルでスイーツをつつきながら、最近の出来事をのんびりと話す。HiMERUとのそんな些細な時間を、こはくは好ましく思っていた。
 しかしながら今は、不快の二文字を執拗に貼りつけながら文句をぶつけるHiMERUを見ていると、胸の奥がズキズキと痛んでしまう。巽には、それなりに感情をぶつけられる。美しい眉を歪めて、ああでもないこうでもないと詰め寄るのに、こはくにはそういった負の側面を見せたがらないのだった。なぜだろう、なぜだろうと、母離れのできない我儘な子どもみたいに疑問を繰り返してしまう。
 仲の良いメンバーが、内に秘めた感情を外に爆発させている。嬉しい出来事のはずなのに、どうしようもない疎外感に襲われて、思考回路が沈没するのだ。こんな想いを抱くのは、生まれてはじめてのことだった。大切なひとを傷つけられて怒ったり、なんでも一人で解決しようとする仲間たちに苛立ったりすることはあれど、その全てが入り混じったモヤモヤを感じたことは一度たりともなかったのに。
 HiMERUは帽子集めが趣味なのです。
 壁に掛かった帽子を見つめながら、こはくは目を細める。HiMERUは、嘘なんてついていない。こはくが選んだ白のニットキャップのことも、きっと間違いなく大切に思ってくれているんだろう。
 しかし、本当のほんとうに心を奪われていたのは、実はえんじ色のマフラーなんじゃなかろうか。
 暖色系なんて、HiMERUは好んで身につけない。買い物中のよそ見はよくあることだし、ただの思い過ごしかもしれない。それなのに、虚空を切るようなもどかしさが、こはくの胸をぐるぐると這いずりまわるのだ。
 なあなあ、手とか繋ぐん?───恋の定義なんてさっぱりわからないけれど、そうすれば幸せなデートが再現できるのだと思っていた。だが、あのとき実践しなくてもよかったかもしれない。ぎゅっと握りしめた指の温度が、ほんとうに温かいものなのかどうか、今のこはくには判断がつかなかった。仮に繋いだところで、すぐに冷たくなって、不透明な海の底に沈んでしまうだろうから。

「俺と、結婚してほしい」

 わからないことがいっぱいある。好きなことも嫌いなことも、まだ本当になにも知らない。手を繋げないというのなら、いやらしい距離で肩にもたれかかっていたあのふたりは、一体どれくらい互いを知り尽くしているのだろうか。
 HiMERUとのデート撮影を終えて、あの路地裏でのワンシーンを目撃してから───こはくは、HiMERUのことを悶々と考え続けている。