いまち
2024-02-10 11:16:46
93447文字
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ティナとねじれた魔法の世界・1



5.ティナの錬金術と茨の守護者


 お水を飲んで喉も潤ったし、あとはリリアさんを待つだけなんだけど、それまではなにをしてようかな。
 さっきみたいに教科書を読もうかと思ったけど、なんとなくひと心地着いた気分だから、別のこともしたいような気持もある。どうしようかと部屋を見回していると、部屋の隅に、出入り用とは別のドアがあることに気が付いた。
 クローゼットはあるし、別に物置があるのかも。そう思って開けてみると、そこには吊戸棚と小ぢんまりとした流しがあった。そして流しを挟むようにして、さらにドアが二つ。
 それもまた気になって開けてみると、右のドアの先にはお手洗い、左のドアの先にはお風呂……なのかな? 浴槽と水道がついていた。
 水道からはお水が出てくるところとは別に、妙にぐねぐねしたパイプが伸びていた。先は丸っこくて、小さな穴の開いた部品がついている。繋がっているみたいだから、ここからもお水が出るのかも。
 二つの繋ぎ目あたりにはレバーと、数字が書かれたハンドルが付いている。お水はどうやって出すんだろう? 分からないけど、とりあえずレバーを捻ってみると、水が流れる音と一緒に上から土砂降りのような水が降ってきた。

「うえええぇぇぇぇ!?」

 慌ててレバーを戻すと水は止んだ。見上げると、小さな穴の開いた部品からお水が一雫、私の顔に落ちた。もしかしてと思って、そうっと逆方向にレバーを捻ると、今度は水道から水が出た。
 なるほど、レバーを捻る方向でお水が出る所を切り替えられるのか。便利だなぁ。……便利だけど、全身もれなく濡れてしまった。このままだとカゼをひくかもだし、調べるのは後にして一旦着替えよう。
 とはいえ、濡れた服のまま部屋に戻ったら床が汚れるから、濡れた服は脱いで浴槽にかけておいた。新品のお洋服なのにこんなにしてしまって、すごくがっかりした気分。ペンも濡れたけど、インクが漏れなかったのは不幸中の幸いかも。インク汚れって落としにくいもんね。

 お部屋に戻って、さっきもらったタオルと下着を取り出した。おろしたてなだけあって、タオルはふかふかしていてとても気持ちいい。ずっと包まっていていたい気持ちはあるけど、リリアさんが来る前に着替えないとだよね。
 身体を拭きながら下着を取り出して、飾り気はあまりないけど、しっかりした作りのそれを着ける。善意とはいえ知らない人に用意された物だから、ちょっぴり抵抗はあるかも。けど、着けてみると誂えたようにぴったりで着け心地もとてもいい。
 こういうのって身体に合った物を着けるものだから、ぴったりなのは助かる。けど、なんで? という疑問は残る。昨日の服やこの制服もだけど、サイズなんて測った覚えはないのに、どれもこれもぴったりなのだからすごく不思議で、どことなく不気味だった。
 そうは思ったけど、魔法の学校にあるお店だし、そういう便利な魔法もあるのかも。そう思っておくことにした。この世界には不思議で便利なものがたくさんあるみたいだもんね。ささやかな疑問を頭の隅に追いやって、タオルを羽織って着替えを探した。
 といっても、今ある服は元々着ていたのと、ここで渡された服だけだから探すまでもない。元々着てたものはあれから洗ってないものだから汚れが目立つ。となると、着られそうなのは運動着かパジャマだけだ。皮のお洋服もあるけど、ベルトが多くて着るのが大変そうだから、運動着でいいかな?

「キースリンクよ、おるかー?」

 服を出していると、ドアをノックする音とリリアさんの声がした。いけない、もたもたしすぎた。

「えと、ごめんなさい。今お着替えしてたので、ちょっと待っててください」
「あいわかった」

 待たせるのは悪いけど、さすがにこんな格好で人前に出るわけにはいかないもんね。さっさと着替えちゃおう。
 派手な緑色のシャツをかぶると、ドアの方からカチャリと鍵をかけるような音がした。そういえば鍵は掛けてなかったんだっけ。リリアさんが掛けてくれたのかな? お着替えするのに鍵をかけないのはまずいもんね、また手間かけさせちゃったかも。
 ……でも鍵って私のペンじゃなくても掛けられるのかな? リリアさんは副寮長さんだから合鍵とか持ってるのかも? なんとなく納得しながらズボンを穿こうとすると、突然視界が大きく揺れて、私は床の上に倒れていた。

「え――?」

 ……いや、違う。引き倒されていた。やたら強い力で後ろ手に腕を押さえつけられて、背中に重たい物を感じる。自分が今どんな状態なのか気付いて、驚いて、次いで怖くなった。
 なんで? 誰が? 何はともあれ逃げなきゃと、振り払おうと思うのに、よっぽど強い力で押さえられているのかびくともしない。動く度に背中が軋む。

「暴れれば、折れるぞ」
「うぇ? え? え? リリアさん? え、なんっ――

 頭の上からリリアさんの声が聞こえてきた。でも、聞き馴染んだ明るい声じゃなくて、低く、唸るような声だ。怖い。考える間もなく背中と喉元に硬い物が押し当てられた、ただでさえうつ伏せで息がし辛いところを押さえこまれたせいで、いよいよ苦しい。

「声を上げようと無駄よ。この部屋は施錠すれば音が漏れぬようなっておる」
「あの、えと、なん――いつっ!?」

 声が聞こえてくる方向と、床の上に描かれた影の形から、背中を踏まれているんだと気付いた。なんで、どうして、こんなことになってるんだろ。リリアさんは声を上げても無駄なんて言ったけど、そもそも怖くて声なんてろくに出せない。
 でも、助けを呼べないと断言されたことは希望を根こそぎ奪われたような気にさせられた。怖い。背中が痛いのと、怖いのと、首元が苦しいのと、なんでこんなことになっているのかという疑問とで頭の中はぐちゃぐちゃだ。

「んぐっ」

 喉元から緑色の光が上がった。途端に焼けるような痛みが喉の奥に広がった。同時に喉元に押し付けられていた物がどけられる。ペンとよく似た緑色の石が視界の隅を掠めていった。でも、ペンとは違うような気がする、でも、そんなことより喉の痛みだ。痛くて、熱くて、でも確かめようにも両腕は抑えられて、それがまた怖くて。せめて喉に冷たい空気だけでも送り込もうとするも、上半身は床とリリアさんに押し込まれてただの呼吸すらままならない。

「ひぐっ!? あぐ! あっ」
「ただのまじないよ。お主が正直に話せば害はない」
「しょう、じき……?」

 リリアさんのおまじないのせいか、それとも背中を踏みつけられているせいか、うまく息ができなくて視界がチカチカして、頭がくらくらする。苦しくて、涙も出ててきた。

「んぐっ」
「問いに答えよ」
「うぇ……?」
「答えぬなら、それもよかろう」
「いぎゃっ!?」

 言いながら、リリアさんは私の背中を強く踏みつけた。胸が床に押し付けられて、また苦しくなった。
 リリアさんの声が怖い。昨日今日のリリアさんとはまるで別人のよう。低く、ぞっとするような声だ。もしかしてよく似た別の人なのかも? 一瞬そう思ったけど、リリアさんから感じるマナに似た力は全く同じものだ。つまり、この人は間違いなくリリアさん。

「その、答えないと、どうなるんですか?」
「命より沈黙をとると?」
「こ、答えます!」

 当然のように恐ろしいことを口にするリリアさん。答えないとどうなるんだろうと一瞬疑問に思ったけど、命、なんて言うってことは、そういうことなんだろう。何を聞かれるのかは分からないけど、殺されるくらいなら喋った方がずっとマシだ。聞かれて困ることなんて、私にはないんだから。……たぶん。
 頷くと喉の痛みは引いて、少し背中が軽くなった。踏まれてることには変わりないけど、それでも、息がしやすくなっただけずっとマシ。本当に、なんでこんなことになっちゃったんだろう。怖くて、情けないくらい震えているのが分かる。

「ならば、くれぐれも正直に答えるがいい。さもなくば」
「さもなくば……?」
「さてな。では聞こう、お主はどうやってここに入り込んだ?」

 正直に答えなきゃどうなっちゃうんだろう。さっき言ってたおまじないがどうにかなるのかな? なんにせよ、ちゃんと答えた方がいいんだよね、多分。そうすればリリアさんもこれ以上酷い事はしない、と、思いたい。

「えと、この学園に、ですよね。あの、ちゃんとは分からないんです。その、ここに来る前は『イリスの寝所』っていう遺跡で調合の材料を集めてたんです」

 声が震えてるのが自分でもわかる。着替え途中のぱんつまる出しの恰好で、床に押し付けられて、まともに話をしろというのがそもそも無理な相談なんだ。怖いけど、ここでちゃんと答えないともっと怖い目に遭わされるんだと思うと、そうも言っていられない。正直に話すしかないんだ。そもそも、嘘をつく理由なんてないんだけど。

「そこで持ってたお守り、えと、今はオルトくんに渡してるんですけど。それが暴走したんだと思います。それで、あの、気付いたら昨日の棺桶の中にいたんです」
「ふぅん」
「本当です! 私のいたところについて、学園長さんは調べてくれたんですけど、分からないとかで、もしかしたら異世界から来たんじゃないかって言ってたので、そうなのかなって思って……
「それを信じろと?」
「信じるというか、可能性としてあるかもなんです。詳しくは知らないんですけど、私のお守りは作り方をちょっと変えると別の世界へ行けるもの、らしいので。それで、なんとかなっちゃったんじゃないかって……

 ちゃんと答えたい、そうは思うもラナフレームについてあまり詳しいことは知らなかった。ママが若い頃に作ったもので、とても貴重な材料を使った、魔技術のすごい道具で、付けてるとなんとなく楽になるお守りくらいの認識でしかなかったから。
 こんなことになるならちゃんと魔技術のお勉強もすればよかった。後悔しながら、辛うじて知っていることを話す。

「ふむ。では、なぜこの寮におる?」
「え? あの、魂の選別? とかでここだって言われたから、だと思います。学園長さんが『とりあえず寮に入るように』って言ったので……言う通りにしました」
「クロウリーがそう言ったと?」
「はい、あの、お邪魔なら出て行きます! 野宿でもいいので、その……えと」
「ならばいっそ、学園から出て行ってもらいたいがなぁ」
「それは……
「できぬか?」
「ん……その、カボックに帰る研究だけは、させて欲しい、です」
「ゆうべも言うとったな、お主のいたという世界か?」
「えと、街、です」
「あぁ、そうだったな。……まぁよい」

 リリアさんは何を考えてるんだろう。こんなことをして、昨日と同じようなことを聞いてくる。今のところ、聞かれて困ることはないからいいんだけど、なんのつもりなんだろう。物々しい雰囲気のわりに普通のことを聞いてくるから、少しだけ気も緩んできた。

「ひぎっ!?」

 そう思った途端、また強く背中を踏みつけられた。ヒールが食い込んで痛くて、苦しい。

「お主は何者よ」
「あ、ぐ……
「答えよ」
「え……っと……

 聞かれても、ちょっと困る。私は錬金術と魔技術のお勉強をしてるから、錬金術士とも魔技師とも言える、それにおじいちゃんのお店のお手伝いもしていたから酒場のアルバイトだとも。リリアさんは何が知りたいんだろう。分らない、分からないから余計に怖い。

「えと、昨日も言った通りです。パパとママから錬金術と魔技術を教わったから錬金術士とも魔技師とも……半端かもですけど……いっ!?」

 ヒールがさらに食い込む。間違ったことは言ってないのに、リリアさんは何が気に食わないんだろ。
 痛くて、苦しくて、このままでは背中が折れてしまいそうだ。こんなよく分からないところで、よく分からない理由で殺されるなんて絶対に嫌だ。

「もう一度聞く。お主は何者か、全て話せ」
「え、えと……あぐっ!? て、ティナ・キースリンク、15歳です……んっ、カボックの鐘楼区でパパと、ママと、お兄ちゃんと住んで、ました。パパは錬金術士で、いづっ!? ママは魔技師で、魔技術で作った道具とかをお店で売って、生活してました……
「ふむ。そこでお主は何をしておった?」
「え? えと、調合の材料を採りに行ったり、簡単な調合とかお店番とか……です」

 家の事だとそれくらいだ。家事仕事なんかの話もした方がいいのかな? でも、なんとなく、リリアさんが私に言わせたいのはそういうことじゃないんじゃないかと、少しだけ思う。あ、でも私がカボックでしてたことって、ママのお手伝いだけじゃないから、それも話した方がいいのかな? ……そう思った途端、肩に冷たいものが走った。

「え、ひあっ!?」

 途端、熱さと痛みが肩から二の腕にかけて広がった。刃物か何かで切られたような痛みだった。血が滴る感覚と、視界の隅に赤いものが見える。

「言うただろう、正直に話せば害はない、と」
「え、あ……
「欺けば裂けるぞ」
「嘘なんて、いっ!」

 さらにヒールが食い込む、裂けた肩がじくじくと嫌な熱を持つ。おまじないって、こういうことなのかと理解した。怖い。

「なら、何を隠しておる」
「隠す気はないです! ママのお仕事だけじゃなくておじいちゃんのお仕事も手伝ってました! それだけです!」
「具体的に申せ」
「え、と、酒場のお仕事、お料理とか、お給仕とか……あと、ガルガゼットのお手伝い、です」
「ガルガゼットとは?」
「街のなんでも屋さんみたいなものです、配達とか、商人さんの護衛とか……私は魔物退治もしてまし、いぎゃっ!?」

 答えた途端、強く背中を蹴りつけられた。喉がかぁっと熱くなる。怖くて痛くて、もう何がなんだか分からない。一体私が何をしてリリアさんはこんなに怒ってるんだ。もう何でもいい、早く終わらせてほしい。それしか頭になかった。

「ぁくっ…………
「それで、妖精族も手に掛けたと?」
「えぐ……なっ、ぐっ!?」
「答えよ」
「し、知りません! なんで妖精さんにひどい事をするんですか!」
「退治しておったのだろう?」
「やっつけたのは魔物とか危ない野獣だけです! 妖精さんなんて――ひっ!?」

 今度は頬に痛みが走った。あぁ、そうだ。それだけじゃない。

……悪さをするオバケや、イタズラをする精霊も、追い払、いました……

 そうだった。この世界にくる直前も遺跡にいたオバケや精霊を追い払っていた。

「はっ! それで? 我らも狩ろうとな」
「なに言って……
「小さき妖精を誑かしておいてよぅ言いよる」
「たぶ!? そんなことしてません!」
「教室で火の妖精と風の妖精を誑かしでおったろう」
「え、なんで……ひっ!」

 私の腕を押さえている手にさらに力がこもる。指先は痺れて、腕の骨が悲鳴を上げた。

「何もしてません! お話ししてただけです!」
「それが問題だと言えば分かるか?」
「わかりません! もしかして、お話ししちゃいけなかったんですか!?」

 私が妖精さんとお話ししたこと、それにリリアさんは怒ってるんだろうか? 私としては話しかけられたからお話ししただけ。それがいけないことなら、先に教えて欲しかった。それなら私だって寂しいけど、相手にしなかった。
 痛い。手袋越しなのにリリアさんの爪が食い込むのを感じる。こんなに突き刺さってるようなら皮も剥けてるんじゃないかと、変に冷静になっている頭の隅で思った。

「話した事が問題ではない、話せる事が問題なのよ」
「ぅえ……?」
「白を切るか」
「そういうわけじゃ、あの、えと、わからない、です」
「なら単刀直入に聞こう。ティナ・キースリンク」
「はい……
「お主は何故、小さき妖精と言葉を交わせられる」
「え……?」

 リリアさんの言っている意味が分からない。あの子たちとは普通にお話ししただけだ。他の人と同じように喋っただけなのがそんなにおかしいの?
 ――疑問に思って気が付いた。もし、リリアさんの言う小さな妖精が、私が元いた世界のマナと同じようなものだとしたら?

「あ――あぁ!」

 私のいた世界では、マナは錬金術士や素質がない人にとって、お喋りするどころか、見えもしない存在だから。だから、人の多い所ではマナとお喋りしないようにとパパに言われていた。マナを見えない人からすれば、何もない所で一人で喋ってる変な子だと思われるから、と。
 それと同じように、火の妖精さんたちの声はリリアさんには聞こえていないのかもしれない。だからって、こんなにひどい事をする理由になるかと聞かれれば、違うとは思うけど。けど、そこにリリアさんの質問に対する答えがあるように思った。このことを話せば助かるかもしれない。そう思うと、頬に、裂けた熱とは違う熱を感じた。

「あの! お話します! リリアさん、なんか誤解してるみたいなので!!」
「誤解とな」
「はい……だから、その、足だけでもどけてほしいです。お話しし辛いので……
……。よかろう」

 背中から圧迫感が消えた。うつ伏せで、腕を拘束されているのは変わりはないけど、それでもだいぶ楽になった。

「して、誤解とは」
「その、まず錬金術について説明させてください」
「よぅ言うとったな」
「えと、私が使う錬金術って、こことは違うみたいなんです。さっき、教科書を読んで知ったんですけど」
「ふむ」
「その、私の錬金術ってマナ、えっと、ここの火の妖精さん? とかと契約して、調合とかしてもらうんです。それで……
「契約だと?」

 私の腕を押さえる手が一瞬だけ緩んだ。

「はい、えと、調合するには」
「お主、精霊つかいか?」
「へ?」

 調合について説明しようとしたら、先にリリアさんが口を挟んできた。精霊使い、ってなんだろう? 錬金術士みたいなものかな。答えに迷っていると、思い出したように、腕を押さえる手に力が戻った。

「妖精たちと契約すると言うたな。違うのか?」
「そうですけど、錬金術士です。私のいた所ではそう言ってました」
……。お主も妖精たちと契約すると?」
「はい」
「水の妖精か?」

 なんでそこで水の妖精さんが出るんだろう。疑問に思うのと一緒に、教室でお話しした妖精さんたちのことを思い出した。あの二人も、私から水の妖精の匂いがすると言っていた。
 リリアさんも、あの妖精さんたちと同じように私とニンフが契約してたのかって聞いてるのかもしれない。そう思って頷いた。

「えと、はい。してました。その、ここに来た時に契約は切れたみたい、ですけど」
――それを先に言わぬかッ!!」
「ぴっ!?」

 リリアさんが大きな声を上げると同時に床に押さえつけられていた身体がふわりと浮いた。やっとまともに息ができるとほっとすると、治癒魔法でもかけられたのか、背中と腕の痛みは消えて、ほっぺと肩の傷は塞がった。
 それからあっと言う間もなく、クローゼットに入っていた皮のお洋服を着せられて、ベッドの上に座らされた。……ベルトで締め付けられているせいか胸がちょっと苦しい。

「えっ?」

 一瞬のことで、よく分からない。見ると、目の前にはペンと同じ石がついた短い杖を床に置いて、膝を着いて、深く頭を下げるリリアさんがいた。さっきまでの態度とは打って変わって畏まっている様に理解が追い付かない。

「あの……?」
「大変、申し訳ない」
「えと」
「知らぬとはいえ、貴方様を傷付けてしまったこと、謹んで詫び申し上げる」
「ちょ、顔を上げてください! なんなんですか!!」
……

 重々しく上げたリリアさんの顔は、覚えのあるにこやかな笑顔とは程遠い、静かな堅い意志を感じさせる表情だった。リリアさんの豹変っぷりは怖かったけど、どうしてこんなことをしたのか聞いておきたかった。
 なんとなく、今のリリアさんだったらちゃんとお話できる気がするし。……でもやっぱり、怖い気もする。

「えと、なんでこんなことをしたのか教えてくれます、よね?」
……その前にひとつ聞かせてもらいたい」
「え? はい。なんですか?」
「今朝方、お主は掬った水を消しておったろう? あれは何なのか教えて頂きたい」
「お水……あ。えと、源素還元です」

 そういえば、お水を調べるのに還元したんだっけ。もしかしてそれで警戒されちゃったのかな。あの時リリアさんは何も言わなかったから、ここでも使われてるんだと思ってたんだけど、そんなことはなかったんだろうね。錬金術自体が違うんだから、当然かも。

「えっと、私が使う錬金術って物を分解して、それをマナ……えと、妖精さんに作り替えてもらうんですけど、リリアさんの言うお水を消したのはその分解する作業です」
「分解された物は?」
「源素になります。なんて言っていいのか分からないんですけど、触れないお水というか、重たい光というか、そういう物になって、還元する前の物はなくなっちゃいます」
……。それで人を害したことは?」

 リリアさんの質問に言葉が詰まった。あるかないかと聞かれれば、ある。
 答えたら余計に警戒されるんじゃないか、とか、またひどいことをされるんじゃないかと不安になった。でも、隠したり嘘をついたりしたらリリアさんのおまじないでバレるのは目に見えていた。悩んだところで正直に話すほかないんだ。

……あります」
「理由は?」
「私が、死なないためです」

 そう言うしかなかった。いきなり襲われて、身を守るためとはいえ、錬金術で人を殺めてしまったことには変わりない。その時のイヤな感覚は忘れたくても忘れられない。できれば、これ以上この話については深入りしてほしくなかった。
 恐る恐るリリアさんを見ると、怒るでもなく、悲しむでもなく、静かに目を閉じていた。そして、おもむろに目を開くと床に置いていた杖を背中側に仕舞って、ゆっくり立ち上がった。

「嫌な話をさせてしまったな」
……大丈夫です。えと、それよりリリアさんのお話が聞きたいです」
「そうじゃったな。一言で答えるなら、お主を脅威と思った。……と、いうことになるな」
「脅威?」
「うむ。わしが人間とは違うことには気付いておろう?」

 言われた通り、リリアさんが人ではないのはゆうべ会った時に気付いていた。あまりに強い力を感じたから、怖くなったのを覚えている。返事の代わりに頷いた。

「わしらは妖精族と言うてな、お主が教室で話をしていた小さき妖精の……種族上の親類のようなものよ」
「なんとなく分かります。私のいた所にもいました」
「理解が早くて助かるよ。姿かたちは異なれど、似通る部分は多い。とはいえ、あやつらは仕事上の契約こそすれ、人には懐かぬのよ」
「え? そうなんですか?」
「気質もあるが、翻訳機なしでは会話もままならぬからなぁ」

 リリアさんはふっと笑うと「それが問題なのよ」と続けた。

「それなのにお主は翻訳機なしであの妖精たちと言葉を交わしておったろう? おまけに、あやつらも初対面であろうお主を気に入っとるようで……あやつらを誑かし、何を企んでおるのかと肝が冷えたよ」
「うえ!? なんでそうなるんですか!」
「先にも言うた通り、小さな妖精たちは恩でも売らぬ限り人には懐かぬ。それがあぁも懐いておったゆえ、何事かと思うたのよ……まぁ、お主が精霊つかいと聞いて合点はいったが」
「えぅ……?」

 リリアさんの言っていることがよく分からない。私、妖精さんを誑かしてなんていないんだけど。妖精さんたちと仲良くして困ることなんてあるのかな? それに錬金術士だと納得できるってどういうことだろ? 疑問に思っていると、リリアさんは悲しそうに目を伏せた。

「かつて妖精族と人間との間に争いがあった」
「争い?」

 いきなりそんな昔の話をし始めて、どうしたんだろ? その話と、さっき私に乱暴したのとどう繋がるのか分からない。だからちょっと、なんて言っていいのか困ってしまった。けど、リリアさんの真剣な様子に口を挟む気にはなれなくて、黙って話を聞いてみようと思った。

 リリアさんのお話しでは、リリアさんの住んでいる妖精さんたちの国と、お隣の国との境が原因で長い間戦争をしていたのだそうだ。その時、お城で兵士をしていたリリアさんもその戦争で戦ったのだそう。リリアさんは詳しくは話さなかったけど、戦い以外にも、本当に、色々あったらしい。お互いに身体だけじゃなく、心もたくさんたくさん傷付いたのだそうだ。
 そして、その争いもずいぶん昔に終わりを迎えたものの、お互いの溝はなかなか埋まらずにいるのだそう。長く生きている妖精族の中には今でもその時の傷が癒えていない人がいれば、逆に妖精族を良く思わない人間というのも、悲しいことに、いるのだそうだ。

 悲しくて怖い話だと思った。それと同時に、リリアさんが長く生きてきたことも分かって、最初に会った時に感じた通りの存在だったようでほっとした。ずいぶん若作りしてるなぁとは思うけど、パパのお友達のおばあちゃんみたいなものだから、どこにでもそういう人っているんだろうね、たぶん。

――じゃからわしは、お主をそういう輩が送り込んできた刺客かと思うたのよ」
「へ!? なんでですか!」
「言葉通りよ。妖精たちを誑し込んでいるのを見た時、魅了の術でもばら撒いているのかと思うたわ」
「してませんし、そんなことして何になるんですか……

 確かに、妖精さんたちは私の近くは居心地がいい、なんて言ってくれてたけど、それを「誑かす」というのはなんだかしっくりこない。そもそも、カボックならともかく、ここでマナ契約をする気はないから、そんなに仲良くなろうなんて思ってないんだよね。
 考えているとリリアさんはじっと私の顔を見つめて「ふむ」と小さくこぼした。

「本心のようじゃな」
「そりゃあ、そうですよ。その、リリアさんは何をそんなに心配? してるんですか?」
「我らが王よ」
「王様……
「そう。ここには我らが妖精族の郷、茨の谷の次期王が通っておる」
「じゃあ王子様ですね」
「聡く強い子よ。お主がただの人間であれば手も足も出まい」
「はぁ……

 そうは言うけど、ただの人間なんだけどなぁ。なんでこう含みのある言い方をするんだろ。

「それがどうじゃ、わし含め妖精たちを無闇矢鱈誑かしおって、マレウスも誘惑する気かと気が気でなかったわ」
「マレウスさん、ですか?」
「うむ、マレウス・ドラコニア。我らが王の名よ」

 答えたリリアさんの顔はどこか誇らしげで、嬉しそうに綻んでいた。ドラコニアさんの名前は昨日からちょこちょこ聞いていた。王子様ってことなら、セベクくんの言っていた「若様」っていうのもその人なのかな。
 王様がどうこうっていうのはカボックにはない。元々は王様が治めていた土地だったらしいけど、ずっと昔に放棄されたらしいから。だから、リリアさんたちの王様を思う気持ちは分からない。分からないけど、分からないなりに、なんとなくリリアさんの考えていることが見えてきた。

「しかし、お主のような精霊つかいがまだおったとはな。長生きはしてみるものよ」

 なんでそう思ったかは分からないけど、リリアさんは私がマレウスさんに何かして、昔起きた事のようにリリアさんたちの国をめちゃくちゃにするんじゃないかと心配して、私のことを調べようと強引な手を使った。と、そういうことなんだろう。
 ちょっと乱暴すぎる気もしたけど、きっと、それもリリアさんの国を思う気持ちがあってのことだ。私だって、カボックを荒らされたりしたら何がなんでも守ろうって思うもん。そう考えたら、リリアさんの気持ちが分かった気がした。

「お主の父は錬金術士と言うておったが、やはりお主のような精霊つかいなのか?」

 でも、だからってあんなに怖い目に遭わされたことを許せるのかと聞かれたら、素直に頷ける気がしない。いきなりあんな暴力を振るわれて怖かった。理不尽だと思った。痛くて、怖くて、苦しくて、恥ずかしくて、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだって何度も思った。
 でも多分、それはリリアさんも一緒なんだろうと思う。大切なものを守るため、脅威かもしれない、正体の分からない相手に立ち向かわなきゃいけなかったから。

……って、聞いとるか?」
「え? うぇ!?」

 気が付くとリリアさんは私の顔を覗き込んでいた。

「えと、ごめんなさい。別の事を考えてました……
「なんじゃ、つれないのぅ。何を考えっておった?」
「えと、リリアさんがなんでこんなことしたのかな、って」

 どことなく楽しそうにしているリリアさんにそう答えると、途端にその表情が強張った。悲しいような、傷ついたようなそんな表情だ。

「本当に、お主らは厄介よ」
「えぅ」
「お主の血が、存在が、そうさせるのよ。どうしても魅了されてしまう」
「えっと……

 リリアさんはもう一度、膝を着いて深く、深く頭を下げた。

「許してくれ、などと言えぬ。此度は我が独断でのこと、虫のいい話ではあるが、恨むのであれば我一人に収めていただきたい。そのためであればこの老いぼれの首も差し出そう」
「い、いりませんよ! そんなの!! ……えっと私、考えてたんですけど」

 そうして、リリアさんが何を考えてこんなことをしたのか、私が感じたことを伝えた。
 リリアさんは何も言わなかった。肯定も、否定もしないで、膝を着きながら静かに耳を傾けていた。
 リリアさんの気持ちは分からなくもない、けど、怖い思いをしたのは事実で、されたことを受け入れられるかと聞かれれば正直、複雑だ。それをそのまま伝えると、リリアさんは「当然だな」と頷いた。

「でも……

 ここに来てからのことを思い出す。
 いきなり知らない世界に放り込まれて、周りから変な目で見られる中でリリアさんにはとても助けられた。
 右も左も分からない私に色々と教えてくれて、親身になってくれて……今思えば、それだって私を油断させて正体を探ろうとしていただけなんだろうとは思う。けど、リリアさんの笑顔と手助けに救われたのも事実だ。
 それを思うと、とてもじゃないけど恨む気になんてなれなかった。できるなら、これから先は仲良くしていきたい。
 重ねてそれを伝えると、リリアさんは一瞬驚いたような顔を見せた。けど、すぐに大きな声を上げて笑った。

「あぁ、お主らはそういうタチじゃったわ。久しく忘れておったわ。どうしようもなくお人好しで、何にでも心を預けよる」
「えと、もしかしてバカにしてます?」
「しとらんよ。だからこそ、わしらはお主らを愛おしく思えてしまうのよ」
「はぁ……

 リリアさんがあまりにも楽しそうに笑うものだから、私もつい、つられて笑ってしまった。そうしてふたりで、ひとしきり笑って、改めて「これからよろしく」と、言い合った。

 リリアさんは、ほっとしたように一息つくと「さて」と、まっすぐ立ち上がった。

「もう少しすればマレウスも帰ってくる。改めてお主を紹介したい」
「あ、はい」

 マレウスさんはここの寮長さんだと聞いていた。
 これからお世話になるんだから、ちゃんとご挨拶しないとだもんね。やっぱり今朝見たツノの人なのかな? 王子様だっていうし、ちょっと緊張しちゃうかも。

「しかしまぁ、その間にここにある設備の使い方を教えるとするか。濡れた服も乾かさねばならんしな」
「あ、はい。お願いします」

 寮の中のお洗濯をする所に服を乾かす所があるから、まずはそこに行こう、とリリアさんは笑った。
 ……リリアさん、なんで私の服がびしょびしょになってるのを知ってるんだろ? ちょっと気になったけど、シワとかになる前に乾かしたかったから、ありがたく教わることにした。このお部屋には洗濯ロープとか引っ掛けられそうにないもんね。
 お風呂場に置きっぱなしてた濡れた服を取り出して部屋を出る。出る間際、リリアさんは壁に立てかけたままの、私の杖に目を向けた。ほんの一瞬、悲しそうな目をして。

「どうかしたんですか?」

 聞いてみるも、リリアさんは小さくかぶりを振って「とっとと乾かしに行くか」とドアを閉めた。
 昨日も私の杖を気持ち悪いとか言ってたけど、あの杖の何が気に入らないんだろう? 気になるけど、なんとなく聞けるような雰囲気でもなくて、ちょっぴりもやもやしながら部屋に施錠して、廊下の奥に向かうリリアさんを追いかけた。