【あしゅやよ】「それが君の望みならば──」

裏垢ふせったー支部投稿済み分。誰からも教わらず初めて抱き知ったこの想いは何処までも明け透けで、幼いながらこの先ずっとこの者以外に抱かないのだろうと身体に絡みつく確かな熱に目を閉じたのだった。
──要は大人の階段駆け上がるどころか大人のエレベーター乗っかってしまったあしゅやよのお話。その四。ひとまずこれにて一区切り。
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焼きたての時点で美味しさが上乗せされ、おまけにアイスクリームが追加となればその美味しさは推して知るべし。
フレンチトーストの熱さに溶けだすアイスクリームを蜂蜜たっぷり塗り付け一緒に頬張った。熱くて冷たい甘さが口の中で混ざりあう美味しさの波状攻撃に夜宵の幸福度はうなぎ登り。今朝方色々あったりしたがそれすらも霞むくらいの美味しさにお供の牛乳を飲めば、ホッと満たされた溜息が出てしまうというもの。
同じタイミングで牛乳を飲み終えた黒阿修羅の口元に白い髭が出来ていたので、再び夜宵が彼の口元を拭き取っていた矢先、詠子がある意味聞きそびれていた疑問をふと口にする。
「そういえば、私香水付けていないけど。夜宵ちゃんは付けているの?」
「実のところ私も香水を付けていない。でも、如何いうわけか私と詠子をこの子は個別認識出来ている」
詠子がティーカップの縁に口を寄せ首を傾げていれば夜宵に口元を拭き終えてもらった黒阿修羅が口を開いた。
「僕の好きなにおい、お姉ちゃんのにおいだから覚えた」
匂い。その言葉に夜宵は頻繁に黒阿修羅が首筋や髪に顔を埋めては嗅いでいたのを思い出した。
だが、詠子に対してはそれらしいことをしていないはず。夜宵のあずかり知らぬところで匂いを覚えたのかと思いきやそうでもないらしい。極々自然に口元を拭くため近付いていた夜宵の髪に顔を埋め、スンっと匂いを満足げに嗅ぎ終えた黒阿修羅が詠子を指差し続ける。
「お姉ちゃんのお姉ちゃんだから。お姉ちゃんのお兄ちゃんも分かる」
「お姉ちゃんのお兄ちゃん?」
何故識別できるか詳しく訊きたいところだったが、一旦置いておき夜宵は詠子の疑問を黒阿修羅の代わりに答えた。
「恐らく螢多朗のことを言っている」
「螢くんも分かるの!?」
まさか螢多朗も個別認識出来ているとは思っておらず、詠子ほどでもないが夜宵も内心かなり驚いていた。
自分を含めた主要メンバー、可能であれば愛依も今後加えてほしいところであるものの、事前に香水を付けられない事態に陥ったとしても、周りに巻き込む者がいない場合に限るが呼び出すのが容易になった。
「(これは思っていた以上の副産物……)えらいえらい」
「?」
とかく夜宵に如何して褒められているのか状況を飲み込めていないが、彼女が優しく撫でる手が気持ちがいいようで黒阿修羅が目を伏せ口元に弧を描いていた。頭のかたちに沿って撫でつけ、手のひらから伝わるハリのある髪の感触に夜宵もまた目を細めた。
「思ったんだけど」
意識と視線を夜宵が向かい側に向けると、殊更いい事を思い付いたと云わんばかりに人差し指を頬に添えてウィンクをしている詠子と目が合った。とても可愛らしいポーズ。螢多朗が見たら赤面間違いなしの仕草に夜宵がひとり頷いた。
「お姉ちゃんや、お姉ちゃんのお姉ちゃん呼びもいいけど、名前呼びしてみない? ほら、他の人にも誰のこと言っているのか判別し易いかなって」
刹那、詠子が言わんとしていることを理解した夜宵が咄嗟に制止の言葉を紡いだ。紡いだはずだった、はずだったのに声が、言葉がまるで何かの力が意図的に出させまいとしているかのように喉奥から一向に出てこなかった。
「例えば……”夜宵”お姉ちゃんとか。どうかな呼んでみない?」
詠子の提案を聞いた黒阿修羅が夜の川のような瞳を瞠り、次の瞬間には彼の目と口に三日月が浮かんでいた。

「──夜宵、お姉ちゃん」

目尻が下がった目、耳の付け根にまでつり上げた口端。一目で笑顔と受け取れる黒阿修羅の表情に宿る只ならぬ黒く重苦しい威圧感がリビングに満ちていくが、詠子はその気配に全く気付いていなかった。
っ、……っっ」
黒阿修羅に名前を呼ばれた時、夜宵の鼓動がひと際大きく打ち鳴らされた。
無意識に心臓の上にある服をぎゅっと掴む。落ち着くどころか動悸が収まる気配が一向に来ず、呼吸が荒くなり嫌な汗が滲み出る。苦しさから服を握りしめる力が徐々に強まっていく最中、夜宵は何かの気配を察し其方に意識と視線を向けた。
隣に座っている黒阿修羅からやせ細った手が伸びてくるのを、再び名を紡ごうとする口の動きを、夜宵の重瞳に映り込む世界がゆっくり廻る。全ての音を置き去りにしたスローモーションな世界で頭蓋奥に響く鼓動の音だけがやたら大きく木霊する。
「詠子、ちょっと来て」
「えっ、夜宵ちゃん!?」
されど、夜宵は渾身の力を振り絞って椅子から下りるなり詠子の手を取ってリビングと廊下を仕切る扉を開けた。
伸ばした手は掴むどころか掠めることすら出来ず、今度はリビングから出て行こうとするのを引き留めるべく名を紡ごうとしている黒阿修羅に夜宵が先手を打つ。
「すぐ戻る。フレンチトースト食べて待ってて」
……うん」
幾分か威圧感が減り態度が柔和になった黒阿修羅を確認後、夜宵は静かに扉を閉めた。
扉から離れ、しゃがむよう促された詠子は困惑を隠せないものの夜宵に従いしゃがみ込んだ。面と向かって話し始める夜宵の声色は淡々と、されど扉向こうにいる黒阿修羅に聞こえないよう顰めたものだった。



まず結論から言えば、幽世の存在に自分の名前を呼ばせる行為自体極力避けた方がいい、可能ならしないのが一番好ましい
以前霊なるモノには”言霊”が強く作用するっぽいって説明したと思うけど、その最たる例が名前そのものにある
生前の強い記憶や特に神様クラスは別格として、その自身の在り方、強いては魂を象る他者の名前を呼ぶことは普通の霊であればまずない、というか出来ない
何かしらの許可がない限り新しく名前を呼ぶことそのものが基本不可能と思ってもらって構わない
だけど、あの子は詠子の言葉を私の名前を呼んでいいと捉えて実際名前を呼んできた
結果、私とあの子のパワーバランスが崩れて、今あの子は私の魂を手中に収めている状態
恐らく魂に直接的関与できるから形代は意味をなさない、一方的に危害が加えられ抵抗すら儘ならない
でも、幸いなことにあの子自身敵意や殺意を向けて来ないお陰で私は助かっている
今回の件は、事前に詠子に言わなかった私の落ち度、あとで螢多朗にも言うけど今後気を付けてほしい



リビングにいる黒阿修羅を扉にはめ込まれた縦長の窓ガラスから窺い覗いていた夜宵が同じく窺い覗いていた詠子に目配せして扉から音を立てぬよう細心の注意を払いまた距離を取った。
こめかみに人差し指をぐりぐり押し付け詠子が唸る。
「えーっと、つまり夜宵ちゃん大丈夫なの? 聞いた限り結構ヤバそうなんだけど……
「多分、大丈夫。平気平気」
これ以上心配させまいとする夜宵の声音は普段と変わりないが、詠子の眼差しから不安の色を完全に取り除くことは出来なかった。それでも、夜宵はこれ以上詠子を心配させまいと彼女の手を取りリビングの扉を開け潜った。
丁度フレンチトーストを全て食べ終わった黒阿修羅がリビングに入ってくる二人分の足音を聞くなり椅子から軽快に下りた。
夜宵を視界に捉えた途端、再び黒阿修羅の顔に浮かぶ三つの三日月。ぺたぺたとフローリングを歩く裸足の音が夜宵の前でピタリと止まった。夜宵に向かって伸ばされるやせ細った手から発せられる今度は逃がさないという無垢で黒い威圧感。
肌をビリビリさせるほどの威圧感から一歩も下がらず逃げない夜宵の重瞳が黒阿修羅を見据えれば、逃げないのをいいことに黒阿修羅のやせ細った指先が夜宵の柔肌に触れ頬を包み込んだ。間髪入れず黒阿修羅の笑みが深まり、明確な意思を持って唇が動き夜宵の名前を紡ごうとするのに合わせて、制止するように夜宵の人差し指が黒阿修羅の口を指差した。
「今後、私の名前を呼ぶ時は私と二人っきりの時しか駄目。分かった?」
黒阿修羅の出鼻を挫いたのは確かだった。彼の顔に浮かんでいた三日月たちは為りを顰め、纏っていた無垢で黒い威圧感も霧散した。
「分かった。っ、……お姉ちゃん」
この場には夜宵と自分だけではない、詠子もいるの理解して危うく言いかけていた言葉を飲み込み黒阿修羅が言い直す。
「うん、えらいえらい」
今度はアイスクリーム分も増えたベタベタな黒阿修羅の口元を拭きつつ器用に夜宵は彼の頭を撫でた。甲斐甲斐しく夜宵が世話を焼き、それを満更でもないのか黒阿修羅は拒まず受け止めている。
その二人の様子を見ていた詠子がホッと胸を撫で下ろした。少なくとも先程夜宵が言っていた通り大丈夫なのかもしれないと思い始めた頃、黒阿修羅の口元を拭き終えた夜宵が詠子を仰ぎ見つめた。
「詠子、頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」
「うん」