【あしゅやよ】「それが君の望みならば──」

裏垢ふせったー支部投稿済み分。誰からも教わらず初めて抱き知ったこの想いは何処までも明け透けで、幼いながらこの先ずっとこの者以外に抱かないのだろうと身体に絡みつく確かな熱に目を閉じたのだった。
──要は大人の階段駆け上がるどころか大人のエレベーター乗っかってしまったあしゅやよのお話。その四。ひとまずこれにて一区切り。
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どれだけ現実味のある夢を見たところで所詮夢は夢。”たられば”が色濃く為す領域から出ることは難しい。
優しくてぬくい頭を撫でてくれる小さな手。頬を寄せ擦り合わせてくれる肌の柔らかさ。鼓膜を震わす密やかな吐息。重なり合う成長途中の胸から伝わる穏やかな鼓動が自身のと溶け合い、もとからひとつだったのだと錯覚すらさせる。
なにより大事に大切に抱き締めてくれる腕の強さが、形代越しではない、夢の中ではない、現実世界の自分を抱き締めてくれている事実が輪を掛け黒阿修羅の心と体を幸福感で包み込む。
「(お姉ちゃんのにおい……、やわらかくてあったかい……)」
このまま眠りについてしまうほど落ち着く夜宵の腕の中。身を預け凭れ掛る夜宵を全身で受け止めた黒阿修羅の身体がずるずる背凭れに沿ってズレ落ち沈む。心地よい重みとぬくもりに意識も沈みかけたが近付いてくる足音を拾い浮上する。
その足音を夜宵も聞き取っていたらしく、リビングの扉が開くのに合わせひょっこりソファの背凭れ越しに顔を覗かせた。
「詠子、おはよう」
「おはよう、夜宵ちゃん。今日は一段と早起きさんだ」
「うん」
朝の何てことのないやり取り。にこやかに笑う詠子が「今日も一日頑張ろう」と言えば軽く拳を掲げ「おー」と返してくれる夜宵にまた笑みが深くなる。そんな夜宵が来てから当たり前で心が和む一日が幕を開ける予定、だった。
恐怖を愛し非日常生活を楽しむ詠子であろうとも不意に出くわした際の衝撃は計り切れない。
「あれ?」
ソファの背凭れ越しにひょっこり顔を覗かせている夜宵の他に何かが見える。それは詠子が注視するのに比例して、ソファの背凭れから姿を現した。背凭れに殆ど隠れていた黒い何かがせり上がる。それは人の後頭部だと詠子が認識するや否やヒュッと喉奥で悲鳴が潰れた。
良く言えばハリのある、悪く言えばボサボサの黒髪。それが緩やかに動く様子から目を離したいのに離せない離すことが出来ない。同居人のものではない誰かの頭が振り返るのにつれ瞠られた詠子の瞳に映り込む、静寂さ満ちる夜の川のような瞳。

「──拙い」

夜宵にしては珍しく事の重大さに気付くのが遅れた。詠子と黒阿修羅、交錯する視界を遮るべく小さな夜宵の手が黒阿修羅の目元を覆い隠す。今、味方として識別する香水を詠子は付けていない。多寡だか視界内に入れないという子供染みた行為だがやらないよりかはマシ。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん」
張り詰めた空気を和らげる感情の起伏が無い声色。自分の目元を覆い隠している小さく柔い壁を黒阿修羅の手がゆっくり外していく。
「お姉ちゃんのお姉ちゃん、だよね」
憎悪や殺意に彩られていない純粋無垢な黒阿修羅の眼差しが詠子を見遣る。
「! 個別認識が出来ている」
「でも、私香水付けていないよ?」
実際問題、夜宵自身注意深く黒阿修羅の動向を観察しているが彼の手は何も持っていなかった。
描かれた対象を塗りつぶすことで肉団子にする、あのスケッチブックは何処にも見当たらない。
何故このような事態になったのか。熟考しようとした際、夜宵のお腹から可愛らしい腹の虫が鳴いた。

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「はーい! 特製フレンチトーストだよー! たーっぷり蜂蜜と一緒に召し上がれー!」
「おおっ!」
ご機嫌にキッチンから現れた詠子が両手に持った皿を掲げた。白いスクエア型の皿の上におすまし顔で座っている焼きたてフレンチトースト。黄身色と香ばしい焼き目が織りなすマーブル模様の上にふんわり粉砂糖が降り積もり、その丘陵を蜂蜜が楽し気に滑り降り白い皿を染めあげる。
嬉々として行儀よく椅子に座り待つ夜宵の前に置かれるフレンチトーストの皿。仄かに漂っていた甘い香りが目の前に置かれより一層鼻腔を擽り、視界からも主張してくる美味しそうな見た目が情け容赦なく夜宵の空腹を刺激した。
そんな夜宵を隣の椅子に座っている黒阿修羅が見詰めていれば、コトリと自分の前から何かを置いた音がした。やおら視線を夜宵から音がした方向、そして、それを置いたであろうやんわり笑みを浮かべている人物を仰ぎ見た。
「よかったら君も食べて」
てっきり自分の分は無いものだと思っていたばかりに黒阿修羅の夜の川のような瞳が焼きたてのフレンチトーストに注がれる。黒阿修羅の分を置いた詠子は自身の分を取りにキッチンに行ってしまい、如何しようものかと戸惑っていれば隣から声を掛けられた。
「ナイフとフォークはこう持つ」
手本を見せるように夜宵が右手にナイフ、左手にフォークを持ち軽く掲げたので、黒阿修羅も見よう見まねで皿の両端に置かれていたナイフとフォークを彼女の様子を窺いつつ握った。
「上手。次にフォークで押さえつつ、ナイフで食べやすい大きさに切って、切ったものをフォークで刺して食べる」
夜宵がフレンチトーストを一口食べる一連の流れを観察後、黒阿修羅が覚束ない手つきで彼女の動きを模倣する。力加減が上手くいかずナイフで切るたび、刃先が皿の上を擦りキコキコ音が鳴った。
如何にか一口サイズにしてはやや大きいフレンチトーストの一切れを切ることに成功。フォークに刺して持ち上げれば、たらりと蜂蜜が零れ落ちそうになったので急いで頬張った。
瞬間、黒阿修羅の口の中いっぱいに広がる幸せの味。外はカリッ中はとろり柔らかく、舌先から感じる濃厚な甘さが夜の川のような瞳を瞬かせる。速くはやく次の一口を食べたい。美味しさから来る興奮で逸る気持ちを抑えられない。
慣れないながらも忙しなくナイフとフォークを動かして、フレンチトーストを食べる黒阿修羅から滲み出る余裕のない様子に夜宵は殊更穏やかな口調で語り掛けた。
「そんなに焦って食べなくていい。誰も君の分を取り上げたりなんかしない」
ギラギラしていた黒阿修羅の瞳が夜宵の言葉を聞くなり落ち着きを取り戻し、彼女を見つつ頬袋いっぱいに詰め込んだフレンチトーストを飲み込んだ。
「口もと拭いてあげるからじっとしてて」
「んむっ」
ベタベタの蜂蜜塗れな黒阿修羅の口元を夜宵が甲斐甲斐しく拭き取っていれば、自分の分を焼いてきた詠子が微笑ましい光景を見るように目を細めながらキッチンから戻ってきた。
「美味しい?」
二人の横を通り過ぎ真向かいに座り問い掛ける詠子の表情は柔らかい。
「流石詠子。これ以上ないくらい美味しい」
黒阿修羅の口元を拭き終わった夜宵がビッと詠子にサムズアップすれば、黒阿修羅も自分が感じた想いを言葉に綴る。
「カリってしてふわふわのとろとろで甘くて温かくてすっごく美味しい」
「本当? 嬉しいなあ、昨日から仕込んだ甲斐があったよ」
裏表のない手放しで喜んでくれている二人の反応に詠子の表情筋は緩みに緩み、一息吐くなり真剣な顔つきになった。
リビングに漂っていた微笑ましい空気が俄かにシリアス度を増していき、夜宵と黒阿修羅の視線も思わず詠子に注がれる。
そんな二人の様子を意味ありげに目配せした詠子が緩やかに顔の前で指を組んだ。焦らしに焦らし、喉奥からクツクツと笑い声が聞こえてきそうなその時。
「──因みに用意した分がまだあるのですが、……おかわりいる人!」
「はいっ!」
「僕もっ!」
詠子が勢いよく挙手するのに合わせ、夜宵と黒阿修羅の手が元気よく挙げられた。
「それじゃあ今度はアイスクリームも乗せちゃおう!」
更なる追い打ちをかける詠子の提案。美味しいと美味しいの組み合わせは無限大の夢いっぱい。アイスクリームと聞いた夜宵と黒阿修羅の瞳はこれ以上ないくらいキラキラ輝き、そんな思わず笑みが零れる二人の反応に詠子は沢山用意して良かったと昨日の自分をひっそり褒めたのだった。