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黒竹
2022-05-30 21:16:19
13769文字
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アンダンテでは遅すぎる
【ルカミク】
「フォルテッシモじゃ強すぎる」の続編。
嘘はどこまで嘘なのかなっていうお話。
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受け付けをしていたスタッフは、肩で息をする少女にぎょっとしながら、それでも冷静さを保って応対した。
「どうしました?」
「あの
……
」
息を荒げながらもなんとか同窓会について尋ねる。記憶は正しく、確かに今ここで会は催されていた。
大学生には見えない幼い風貌のせいか、招待客の妹と勘違いされて、名前を尋ねられる。違うんです、と首を振ると、ミクは呼吸を整えた。
呼吸が平静に戻るに従ってスタッフの表情も変化していく。誰でもなかった少女Aが変貌するそのさまをリアルタイムで見ることのできたその幸運に、壮年のスタッフは無意識の内で一曲の歌を思い出していた。
あの歌は、今この瞬間を歌っていたのだと、感動に打ち震える。
走ってきたせいで髪は乱れ、メイクなどしているはずもなく、汗だくになっていて、それでも。
眼に力が宿る。
身にまとう空気が変容する。
プロデューサと初めて会った時に言われた言葉を思い出す。
俺はお前を歌わせるか崇めるかしかできない。
どちらにせよ、お前は『アイドル』にしかなれない。
どっちがいい?
「──歌を、うたいにきました」
ゆっくりと噛みしめるようにされた宣言に、スタッフが同じように頷く。
当然だ。他にどんな可能性もない。
歌姫は歌うために在るのだから。
案内されたのは奥まった位置にあるホールだった。他の席とは扉で仕切られていて喧騒も届かない。閉じられた扉の向こうからピアノの音色がもれ聴こえてくる。彼女とすごす日々のうち、何よりも馴染んだ音だった。いつもより少しぎこちないのは慣れないピアノのせいか、場の空気が原因か。どちらかであればいいなと思う。
そっと扉を開けて中を盗み見ると、やはりいくつもの丸テーブルに別れて座る招待客の誰一人としてルカを見ていなかった。おしゃべりに興じたり、料理に舌鼓を打っていたり、持ち込んだ携帯ゲームで遊んでいるグループもいる。
ミクは自分の想像がほぼ当たっていたことにうんざりする。
空気のようにピアノへ
……
そこに座す彼女のもとへ向かう。
まだ誰も気づかない。
壁際に立つ青年の気配がピクリと動く。
彼が最初に気づいたのは必然だった。従者のように控えていた彼だけが、この場を仕切るためという名目で最も彼女の近くに立つ権利を得た彼だけが、数十人が集まった会場で、ただひとり彼女を見ていた彼だけが、彼女に近づく少女を見つけられた。
気づいただけで何事が起きたのかは理解できず、彼は戸惑うばかりで動けない。
その間に、案内してくれたスタッフがスタンドマイクを準備してくれた。ありがとうと目礼する。マイクはなくてもいいがあった方が便利だ。
ピアノのかげで見えなかった彼女がようやく視界に入る。それと同時に彼女も気づいた。従者の彼と同じく戸惑いを顔じゅうに広げた彼女は声も出ない。
寄り添うような空気をまとって、ミクは笑う。
「ルカさん」
いらえはなかった。聞きたいことが多すぎて何も出てこない。そして最も重要な質問は尋ねる前から答えが判っている。
何をしにここへ?
それさえ判っていれば充分だった。
ルカのこわばった肩に手を置く。かすかな震えが伝わる。反射的に右手が動いたけれど、ミクはその前に上体をかがめた。
内緒話をするように彼女の耳たぶを噛んだ。
「──っ」
声にならない声はかたく握られた拳に振り払われる。「み、ミクっ」小声で叱ってくるその顔は真っ赤で、年齢不相応に可愛らしかった。
「力抜けた?」
問うまでもなく、ルカの肩がちょうど良い具合に脱力していたのは見て判ったけれど、自覚させるために声をかける。
「
……
おかげさまで」
「ちょ、ちょっと、巡音。どういうことだよ」
やっとのことで足が動いた青年がルカに詰め寄る。「や、えっと
……
」どう答えたらよいものやら、と困り顔のルカ。それはそうだろう、彼女だってこんな事態になるとは思っていなかったのだ。
次第に衆目が集まり始め、ミクに気づく人たちも現れ始めた。空気を読んだか近づいてはこないが、だんだんと彼らの眼に色がつき始める。
ミクには見慣れた色だった。期待だ。
稀代の歌姫が目の前で歌ってくれるかもしれない、そんな期待に満ちた眼差し。それが自分たちに集中している。
初音ミクは誰でもなくてなんにでもなれる。
それはつまり、「期待に応えられる」ということだ。
マイクに手を添えて、抜群の笑顔になった。
「こんにちは、初音ミクです!」
わっと歓声が上がる。今この瞬間、少女は歌姫と同義の初音ミクになった。
さあここからだ。
百万人のためになど歌わない。
「あの
……
!」
ヒートアップする会場とは裏腹に青年の顔色は悪い。嫌な予感でも覚えているのだろうか? 彼ならありえるかもしれない。
ミクは青年に奇妙なシンパシーを感じる。
推測だけれど、おそらく彼もまた、誰でもない。
誰でもないまま自我を保てるくらい狡猾だからこそ、ルカを孤独に追いやるための、こんな企画を立てられたのだ。
だけどさせない。
ミクは無垢を装った笑顔のまま小さく頭を下げる。
「ごめんなさい、一曲だけだから」
「ほんとごめんね、すぐ終わらせるからお願い」
なにも気づいていないルカの後押しもあって、彼は「一曲だけなら」としぶしぶ譲歩した。
「ありがとうございます!」光り輝くオーラを発しながらミクが正面に向き直る。
これでよし。
必殺の間合いだ。
知らしめてやらなければならない。
彼女を救えるのは。
巡音ルカが最も美しくなるのは、初音ミクのためにピアノを奏でている時なのだと、思い知らせてやらねばならない。
百万人のために歌い続けてきた少女はこの日、生まれて初めてたったひとりのために歌った。
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