黒竹
2022-05-30 21:16:19
13769文字
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アンダンテでは遅すぎる

【ルカミク】
「フォルテッシモじゃ強すぎる」の続編。
嘘はどこまで嘘なのかなっていうお話。



 珍しくミクの方が早く起きた。どうもルカは寝顔を見られるのが恥ずかしいらしく、いつもアラームが鳴る前に目を覚まして、ミクの髪や背中を撫でたりスマートフォンでネットニュースを見ていたりするのだが、今日はそれより先に起きてしまった。たまにしか訪れない機会なので熟睡しているルカの顔を覗き込む。小さく開いている唇に軽く唇で触れて、胸も揉んだ。どちらもふにふにしていた。
 時刻を確認するとアラームの二十分も前だった。眠りが浅かったのかな、と口の中でつぶやいて、ルカを起こさないようにそっとベッドを抜け出す。
 フローリングの床をペタペタ鳴らしながらリビングに入ると、それほど離れていない位置からバイクのエンジン音が聞こえた。あ、と気づいてドアポストをチェックする。やはり、封筒が一通入っていた。ちょうど睡眠が浅くなったタイミングで投函され、その音で目覚めたらしい。
 封筒のサイズや紙質からただの手紙ではないことは見て取れた。おそらく同窓会の招待状だろう。
 同窓会。現役高校生のミクには縁遠いイベントだ。ピアノを弾くと言っていたけれど何を演奏するのだろう。例の合唱コンクールで歌った曲かもしれない。
 テーブルに置いたところで気配を感じて振り向くと、ルカも起きてきていた。ゴソゴソしている音か気配で目が覚めたのかもしれない。
「なんか来てたよ」
「ん」
 寝ぼけまなこをすがめつつ、ルカが封を切る。予想通りそれは招待状で、ミクも肩越しに覗きこんだ。日時と会場の案内、それと挨拶文の典型的なフォーマットだった。会場はミクも知っているレストランで、格調高いとまではいかないが、ロケーションの良いそれなりな店だった。いかにも真面目な幹事が選びそうだ。後で返事を書くつもりなのか、ルカは一度開いたそれを封筒に戻した。
「あのね、『御欠席』を隠すみたいにイラスト描くの流行ってるんだよ。ネットで見たの。すごいんだから」
「美術が3だった人間に言わないで」
「5段階?」
「10段階」
「うんまあ、人生そういうこともあるよね」
 画力で人生まるごと判じないでほしい、という目つきで睨まれた。寝起きのルカはいまいち冗談が通じない。
「ちなみにわたしはずっと美術5だよ」
「10段階?」
「5段階」
「朝ごはん、パンとお米どっちがいい?」
「パンー」
 実にシームレスな話題の転換だった。
 トーストをかじりながら演奏予定の曲を尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「えー、なんでそれ?」
「なんでって……
 ルカが予定しているのはミクのデビュー曲だった。ヒットしたとはいえ、たかだか半年前にリリースされた曲だ。高校時代の思い出を想起させるはずもない。
 本気で首を傾げるミクにルカは呆れ顔になって、バターナイフをミクの鼻先に向けた。
「あのね、今は猫も杓子も初音ミクなの。誰でも知ってて、誰の思い出とも重なるの」
 それは恋の歌であり、望郷の歌であり、母への感謝の歌であり、日常に起こる小さな幸運の歌であり、可愛らしい猫の歌であり、また犬の歌でもあり、少女でもあり少年でもあり、老人でもあり胎児でもあり、熱狂であり穏健であり王道かつ奇抜であり薫風であり陽光であり、大地であり海だった。
 なんにでもなれて誰にでも愛される初音ミクだからこそ、歌える曲だった。
 懐かしい顔ぶれがそろう場で演奏するのに、それ以上ふさわしい曲が他にあるだろうか?
「ふぅん」
 気のない相槌が不満だったのか、なに? とさらなる反応を促してくる。
「あれってそんなふうに言われてるんだ」
「知らないの?」
「あんまり興味ないから」
「へえ……。じゃあ、ミクはあれどんな曲に聞こえる?」
 音楽人としての興味か、ルカは口元に微笑を浮かべながら問いかけてきた。
 少し考える。
 思考は、なんとかして意味のある答えを返そうとしたためだったが、無駄な努力だった。
「からっぽ」
「からっぽ?」
「ん。なんにもないよ。ルカさんが作った曲の方がずっといい」
 ルカが奇妙に唇を歪めた。自曲を褒められて喜びはするが、素直に単純な褒め言葉としては受け取れきれない程度に、ルカは音楽人だった。
 それでも、ミクの言葉は本心だったのだけれど。
 愛されるためにキスをして、愛されるために身を捧げて、合鍵を勝手に作って過去の恋愛に嫉妬して。
 そんなふうにいくらでも嘘をつけるミクが珍しく口にした、本音だったのだけれど。