黒竹
2022-05-30 21:16:19
13769文字
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アンダンテでは遅すぎる

【ルカミク】
「フォルテッシモじゃ強すぎる」の続編。
嘘はどこまで嘘なのかなっていうお話。

 後ろ姿だけで、軽く緊張しているのが判る。
 頷く時、いつもよりほんの少し大きく揺れる髪。右手で耳たぶを触るのは何かに触れて落ち着きたいせいだ。そんなクセを見つけるくらいには深い付き合いだった。
 深い? そうだろうか。自問する。彼女と自分の関係は、ある意味ではそう、『深い関係』と言えるのだけれど、それが本質をついているとはとても思えない。
 本質はついていないが今日の自分はついている。そこでまた疑問符。今この場に居合わせたことが幸運と呼べるのか? YES、己に返答してから足を速めた。
 くわえている棒付きキャンディが勢いにのって歯に当たる。
 ぽん、と彼女の肩をたたくと、見知った瞳と見知らぬ瞳がこちらを捉えた。よく知っている彼女と、まったく知らない彼。ミク、彼女が小さく呼ばわってくる。かすかに震えていて動揺をこちらに伝えてくるけれど気づかないふりをする優しさ。
「こんにちはーっ。お買い物?」
「え、ああ、ぇ……
 寸時、意味のない声を洩らしていた彼女だったが、気を取り直したのか背筋を伸ばした。
「再来週、高校の同窓会があるのよ。その打ち合わせ」
 隣の彼が幹事をつとめるのだが、せっかくだからその席で何曲か弾いてほしいと頼まれたのだと、身振りを加えながら説明してくる。そっか、とミクは不意に腑に落ちる。当たり前だが今は大学生をしている目の前の彼女にだって高校生の頃があったのだ。今の自分と同じように、その肩書を持っていた時代が。出会う前に、隣の彼や他の誰かと出会って。
 ミクの知らない巡音ルカの時代が。
「センセ、有名人だもんね」
 このこの、と肘でつつきながらからかうと、ルカはわずかに不機嫌そうな顔を見せて、それから聞こえないくらいのため息を洩らした。複雑そうな顔だった。
 プロと言っても主に歌もののバックミュージック収録に呼ばれるのが仕事で、自分の名義が前面に出たものといったらインストロメンタルのCDを二枚出したきりだ。それだってヒットチャートに載ったわけでもなんでもない。
 あなたがそれを言う? 視線で訴えてくる。ミクは赤いセルフレームの眼鏡とまっすぐ下ろした前髪に半ば隠れた双眸で見つめ返す。隣の彼はそろそろ気づきそうだった。喉仏が小さくうごめく。
「ちょ、巡音。この子もしかして……
 言いかけた青年を無視してくわえていたロリポップをルカの口に突っ込むミク。ルカは唐突な行動に目を白黒させた。
 「あげる」おじゃましましたーと軽やかに捨て台詞を残し、手を振って二人を追い越した。

 初音ミク。十六歳。リリースしたCDはシングル三枚とアルバム一枚。
 そのすべてがヒットチャート一位を記録。デビュー以後瞬く間に音楽シーンを駆け上がり、その名前は『歌姫』と同義になった。

 冗談じゃないよね、と少女は寂しくなった唇を親指で撫でる。