吾妻
2023-12-31 22:28:41
10125文字
Public アークナイツ
 

Short Story log03

SNSなどに投げ込んでいた短い話のまとめです。
基本的にいちゃついています。
お相手がバラバラですが、それぞれ別の世界線の話ということでひとつ……


鼓動

 静寂。
 二度のノックに返答がなかったため、扉を押し開いて踏み込んだ執務室は、静寂に包まれていた。
 業務時間中の昼下がり、いつもならばこの部屋の主人が書類にサインをする筆記音か、キーボードを叩く音が響いているはずだが、それもない。
 しかし、室内が無人かといえばそうでもなく、執務室の管理責任者――つまりドクターは、自身の城であるデスクについたまま仮眠をとっていた。

 仕事のきりが良かったが故の、少し遅い休憩時間だろうか。護衛の役割を兼ねている秘書が不在なのも、その予想を裏付ける要因の一つだった。
 とにかく多忙なドクターが時間通りに休憩を取れる日は一月に数えるほどしかなく、会議と会議の間や作業の手隙にごく短い休憩を取るのが習慣になっている。それをイグゼキュターはよく知っている。
 健全な勤務形態とは言えない。
 そもそもルールを逸脱している。
 ロドスという製薬会社自体は、公平性のある雇用に、細部まで行き届いた福利厚生まで併せ持つ、このテラでは稀に見るほどのホワイト企業なのだが、なぜか上層部の人間ほど無茶な働き方をする。
 特にこの組織においてはイグゼキュターの上司的立場に当たるドクターは、〝ワーカホリック〟がそのまま服を着て歩いているような有様だ。
 人間の集中力は、個人差はあれど無限に続くものではない。
 適切な休息と栄養補給がなければ、肉体も思考もすぐに摩耗する。
 故にイグゼキュターは幾度もドクターに適切な休息を勧めてはいるのだが、いまいち彼女の勤務スタイルが改められる兆しが見えない。

 イグゼキュターが上司の部屋を訪ねたのは、先の外勤の報告書を提出するためだ。明日でも構わないとは言われていたが、果たすべき義務を理由もなく後ろ倒しにするのは彼の信条に反する。
 メールでの提出でも構わなかったのに直接書類を持参してきたのは、口頭で補足したい点がいくつかあったのと、ドクターから質問があった際にすぐさま返答ができるからだ。
 それだけの理由なので、何も限られた上司の休息時間の邪魔をすることもない。書類だけを置いて、あとで補足事項をメールすればいい。
 だが、デスクに歩み寄ったイグゼキュターの足は、フェイスシールドを脱いで無防備に眠っているドクターの姿を見て、止まってしまった。
 椅子に座ったまま顔を右側に傾けて、ドクターは眠っている。
 イグゼキュターが今すべきなのは、可能な限り物音を立てずに書類をデスクに置き、執務室から退出することだ。
 だが、彼の足はその場に縫い留められたように動かなかった。

 心にかすかな さざなみが立つ。
 自身に起こった変化が何に起因しているのか、即座に判断がつかなかった。
 据わりが悪いような、落ち着きを欠いているような。どちらにしろ、そのような感情はイグゼキュターにとって身近なものではなく、言語化は困難だった。
 眠り続けているドクターを見つめる。
 心境の変化は、彼女の姿を間近に見てから起こった。ならば、その原因は彼女にあるのかもしれない。
 体に良い寝方ではない。効率を考えるなら、揺り起こしてせめてソファに移動させたほうがいいように思う。
 だが、気になっているのはおそらく、彼女の不健康な寝方などではない。
 その寝顔は静かだった。寝息もほとんど聞こえなかった。
 胸元がかすかに上下していなければ、息をしているのかさえ判断が難しい。
 まるで――死んでいるような。

 知らず、イグゼキュターは寝入るドクターに歩み寄っていた。
 椅子の傍らに立ち、じっと耳を澄ます。
 自分は何かを探ろうとしている。それが何なのか、よくわからないけれど。
 更に一歩近づいて、普段は隠されている素顔を覗き込めば、ようやく寝息が鼓膜に届いた。その瞬間、またしても言語化できない漣がイグゼキュターの心のおもてを撫でた。
 予めセットされていたであろうアラームがデスクの上で鳴り出したのは、その数分後だった。


            *


 デスクの上で、耳障りなアラームが鳴り出した。
 元々浅い眠りはいとも容易く破られ、ドクターは浮上する意識に抗わず瞼を開き、
「うわ……っ!?」
 思わず悲鳴を上げた。
 すぐ側に立って、自分の顔を覗き込んでいた人物に気がついたからだ。
「お目覚めですか、ドクター」
……ああ、うん。目は覚めたけど、君はどうしてここに?」
 デスクの上で鳴りっぱなしのアラームを止め、ドクターはイグゼキュターに向き直る。
 男は屈み込んでいた姿勢を正し、書類の入ったクリアファイルを差し出した。
「先日の任務に関する報告書です。ご確認を」
「そう、わざわざありがとう。寝ていてすまなかった」
「いえ」
 クリアファイルを受け取り、いつも通り過不足なくまとめられているだろう報告書を数枚めくって確かめ、再び傍らに立つ男を見上げる。
 いつもよりも視線を強く感じたためだ。
「どうかした?」
 少し様子がおかしい気がして、問いかける。
 彼にしては珍しく、戸惑いにも似た気配を発していたからだ。
「ドクター、許可をいただけますか」
「許可? 一体何の――
「接触の許可を」
……は?」
 急に突拍子もないことを言い出したな、とは思ったが、やはり彼の様子が気にかかり、
「いいよ」
 と許可を出した。
 すると、「ありがとうございます」と謝意を述べたあと、イグゼキュターはその掌をドクターの首筋にひたりと押し当てた。
 この行為に何の意味が、と初めこそ戸惑ったものの、言葉を発さずに何かをじっと探っている様子のイグゼキュターを見て、ようやく悟った。
 彼は、自分の鼓動を感じ取っているのだ。

 しばらく脈を探らせているうちに、イグゼキュターから戸惑いの気配は抜け落ちていく。
「何かわかった?」
 彼のまとう雰囲気が平素と変わらぬものに戻ったのを感じ取ってから、ドクターは問いかけをした。
「脈拍は正常のようです」
 その答えは、彼が〝どうして脈など測りたかったのか〟の説明にはなっていなかった。もしかしたらイグゼキュター自身、なぜそうしたかったのか理解していないのかもしれなかった。
 生きている限り、言語化できない感情とぶつかることもある。それが人間というものだ。
 彼にとっては据わりの悪いことかもしれないが、そう悪いものでもないだろう。

「しかし、その姿勢は仮眠に適したものではありません。次回からはソファの使用を推奨します」
 すっかり普段通りに戻ってしまった青年を見上げ、ドクターは苦笑を滲ませつつ「そうするよ」とできもしない約束を口にした。



【終わり】