ナガレ
2023-03-15 21:12:25
26125文字
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【web再録】傷だらけのサンクチュアリ(ぶぜまつ)

2021/2/28 HARU COMIC CITY合わせで発行したぶぜまつ小説本。
松井江が顕現してから吹っ切れて前を向くようになるまでの話。闇堕ちを匂わせる表現があったり、お守りが発動したりしますが、最後はハッピーエンドです。
キャラクター観、カップリング観、例の回想。色んなものを自分なりに咀嚼して、捏ねくり回してぶつけてみた話です。あれこれ捏造しまくりですが、審神者の数だけ存在する解釈の一つだと思っていただければ。

発行から二年経つので、webに全文掲載することにしました。本を手に取ってくれた皆様方、本当にありがとうございました!※BOOTHに数冊在庫があるので、もし紙媒体で欲しい方いらっしゃいましたらこちらからどうぞ(https://nananagare.booth.pm/items/2710800)


【四】

 第三部隊が本丸に帰還すると、本丸中が大騒ぎだった。闇堕ちに同士討ち、その上お守りが発動した。審神者もパニック状態だった。
 加州や薬研の指示の元、手の空いていた者達によって松井と豊前は手入れ部屋に担ぎ込まれた。誰が来ても頑として松井を放そうとしなかった豊前だが、桑名と篭手切が来て強引に引き剥がした。
 気が立っていた豊前も、引き剥がしたのが桑名と篭手切だったとわかると、一言「頼んだ」と言って糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。ずっと気を張っていて、限界だったのだろう。篭手切が慌てて豊前に駆け寄った。
 歌仙が松井を連れて行くのを手伝おうかと申し出たが、僕が豊前に頼まれたからと桑名はやんわり辞退した。あの刀は心が広いようで、案外狭いのだ。本当は自分が連れていきたかっただろうに。
 結局、松井は桑名が肩を貸して手入れ部屋に連れて行き、豊前は篭手切がどうにか立たせ、自力で手入れ部屋に向かった。

 一度折れた松井の手入れは一晩掛かるという。深夜に手入れが終わった豊前が手入れ部屋から出ても、松井のいる隣の手入れ部屋には札が貼られたままだった。
 札は審神者が中に入って手入れを行っていることを示す札だった。豊前の手入れをあらかた終えた後で、松井のいる手入れ部屋に行ったのだろう。
…………
 手入れが終わる時間を確認する。日の出の頃だ。豊前は出直すことにした。一振りきりでないとはいえ、苦手なあの空間にいるのは心細いだろう。いつだって、手入れの終わった彼を迎えに行くのは自分の役目だ。
 見上げた夜空には名前も知らない一等星が輝いていた。

――ここは手入れ部屋?」
「目が覚めたんだね! よかった……
 松井が目を開けると、目の前の景色は手入れ部屋の天井だった。目覚めた事に気づいた審神者が、松井の顔を心配そうに覗き込んできた。
「怪我はもう治っているけど、痛いところはあるかい?」
「大丈夫。それよりも豊前は?」
 松井は自分の事よりも豊前の事が気がかりだった。食い気味に審神者に尋ねると、審神者は聞いてくると思ったという顔で松井に教えてくれた。
「豊前江なら隣の手入れ部屋だ。夜中には手入れが終わっているから、部屋に戻って寝てるんじゃないかな」
「それならよかった。ひどい怪我だったらどうしようかと」
「君と比べたら軽い軽い」
 審神者の言葉に松井は安堵した。闇に飲み込まれないように踏ん張るのが精一杯で、体が勝手に動くのを止める事ができなかった。豊前が痛い思いや辛い思いをしなくて本当に良かった。闇に誘う手を振り払った一瞬を見逃すこと無く、事を成し遂げてくれた豊前には感謝しかない。
「松井江、君の手入れもあと少しだ。痛いところはないか? 傷が消えたら終わりだよ」
「傷……
「そう。そのばっさり斬られた傷跡」
 あの時、豊前は迷いなく刀を振り下ろした。松井も抵抗せずにそれを受け入れた。松井が療養用の浴衣の袷から胸元を覗くと、体には綺麗な一直線が走っていた。
 顕現した時からあるのではないかと錯覚しそうなぐらいに綺麗で馴染んでいるが、触れてみると少しだけ盛り上がっており、後からついたものだとわかるぐらいだ。
――主、お願いがある」
 しばし己の体にできた直線を見ていた松井だったが、静かに顔を上げて審神者を真っ直ぐに見据えると、一つのお願い事を切り出した。
「この傷跡は残すことはできる?」
「できると言えばできるけど……
 傷跡をわざわざ残したいだなんて聞いた事がない。一体何のために残したいのかと、審神者は松井に言外に問うた。
「豊前は自分の手を汚すような真似までして、僕をこちら側に踏み止まらせてくれた。だからこれは、二度とあちら側に足を踏み入れないための戒め。……というところかな」
 松井はそっと肩から腹にかけてできた傷を撫で、審神者に微笑んでみせた。
……っ!)
 刹那、審神者の背筋に冷たいものが走った。松井の微笑みがぞっとする程に美しかったからだ。
「主?」
「え、でも、本当にいいのかい?」
「うん」
「消したくなったらいつでも言ってくれ」
「優しいね。ありがとう」
 審神者はそう言ってくれたが、松井はようやく見つけた「元に戻らない証」を手放す気はなかった。
(それに、これは僕への戒めであり――
 元から業を抱えた身だ。もう一つ増えても構わない。どうか罪深い己をゆるさないでほしい。
 刻まれた傷跡に仄暗い喜びを感じてしまったのだ。どんな形であれ、豊前の与えてくれたものを消すつもりなど、松井には毛頭無かった。

 手入れが終わり、浴衣から着替えた松井が手入れ部屋から出ると、廊下に松井と同じく手入れ終わりと思わしき豊前が座り込んでいた。
 豊前は松井よりもずっと先に手入れが終わっているはずなのに、何故こんなところにいるのだろうか。
 松井が出てきた事に気づくと、豊前はすくっと立ち上がった。どうしてこんな所にいるのかという松井の疑問には答えず、親指で本丸の外を指差した。
「ちっと出掛けっぞ」
 気分転換だと言って、豊前は松井の手を取った。手入れを受けたはずなのに、豊前の手の甲に小さな傷があった。鍔迫り合いをした時についたような刀傷だ。
「豊前、手……
「あぁ、これか? 手入れしても治らなかった」
 わざと残さない限り、手入れで傷跡は消える。審神者は霊力や神気の乱れ、手入れ部屋の不具合を疑い、政府への報告も考えたそうだが、生活に支障は無いからと豊前が止めた。
 見た目をそこまで気にするタイプではないので、自身に傷の一つや二つあっても豊前は構わなかった。審神者は納得していない様子だったが、当の本人がそう言うのならと最後には折れてくれた。
「僕のせいだよね」
「考え過ぎっちゃ」
 豊前は松井の愁いを否定した。何となく、残ったままでいいと思ってしまったのだ。松井が気にするかもしれないと思わなかったわけではないが、それよりもこのままでいいという気持ちの方が強かった。
「少し歩くけど、いいか?」
「うん」
 明け方の本丸は、いつもの喧噪が嘘みたいに静かだった。今この世界には二振りだけしか存在しない。そんな錯覚に陥ってしまいそうなぐらい、しんとして静寂に包まれている。
 豊前と松井は不寝番に見つからないように本丸を抜け出した。こっそりと抜け出す行為は秘密を共有しているみたいで、松井には新鮮だった。
 冠木門から外に出ると、豊前はこっちだと松井の知らない道に向かった。松井が行き先を聞いても豊前は内緒だと言って教えてくれない。知らない場所に向かっているという不安と、豊前だから大丈夫だろうという安心感が交互にやって来る。今の松井には繋がれている手だけが頼りだった。
 十分ぐらい歩いただろうか。目的地に辿り着いた豊前が足を止めた。松井が連れてこられたのは、本丸の屋根瓦が木々の向こうに小さく見えるだけの、何も無い静かな場所だった。明けの明星がぽつんと白く輝き、空は朝焼けに染まっていた。
「ここは一体……
「たまに来る場所。静かだし、何も無いからちょうどいい」
 時々、豊前は朝早くに部屋を出て行く。もしかしたらこの場所に来ていたのかもしれない。
「そうだね。静かで良い場所だ」
 吹き抜ける風。松井は空いている手で髪を押さえた。
「いいのかい? 僕に教えてしまっても」
「松井だからだよ」
 少しだけ口の端を上げて、豊前が相好を崩した。
「胸の中でつっかえてたこと、あるんだろ?」
 手入れ部屋から出てきた松井は吹っ切れたというか、何かを見つけた顔をしていた。言いたくないなら無理には聞かないが、今の松井なら素直に心の内を明かしてくれるだろうと思って。だからこの場所に連れてきた。
 豊前も松井も、繋いだ手を解こうとしなかった。豊前は辛抱強く待った。しばしの沈黙の後、松井が言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。
――僕は血を流すことで生きている」
 松井は太陽の赤と宵闇の青が混じる遠くの空を見つめた。豊前は何も言わずに続きを待っている。ゆっくりでいい。少しずつでいい。松井が抱えているものを、願う事を教えてほしかった。
「どれだけ血を流しても、手入れ部屋に入れば元に戻る。僕にはそれが恐ろしかった。流し尽くして果てることすら許されないのかと。そこにつけ込まれたんだろうね。豊前がいなければ、あちら側に堕ちてしまうところだった」
 それか歌仙に折られていたかなと、松井は微かに苦笑した。闇に飲み込まれそうになりながらも松井は気づいていた。歌仙が悲痛と苦渋を浮かべながら、己に刃を向けようとしていた事に。豊前の決断があと少し遅ければ、きっと歌仙が先に動いていた。
「だから」
 繋いだ手に、縋るように力が込められた。
「僕のこと、繋ぎ止めておいてね」
 同じ刀工から生まれたというだけの関係なのに、重たいと思われるだろうか。でも、他の誰でもない豊前に松井は縋りたかった。空いている両手で繋ぎ止めてほしかった。
 そんな松井の不安を消すように、豊前は軽く笑って「いーぜ」と返した。松井は繋ぎ止めておいてくれと言ったが、離さなかったのは自分の方が先だ。
 あの時、誰が何を言っても松井を離そうとしなかった。後から歌仙をはじめとする同じ部隊の面々にそう聞かされて、豊前は自分の行動に驚いた。完全に無意識だった。
 桑名達が来てくれなかったら、試した事は無いが二振りまとめて同じ手入れ部屋に押し込もうかと考えたと、審神者にも言われてしまった。
 無意識でこの有様なのだ。松井を繋ぎ止めておくぐらい、豊前にはお安い御用だ。離す気なんて無いのだから。
……あと、手入れを受けながらもう一つ考えていた。僕はどこに行くのかなって」
 業を背負った身だから、きっと極楽浄土や天国には行けない。地獄の業火に灼かれるのも少し違う気がする。どこにも行けないというのが正解なのかもしれないと、松井は結論づけた。
 終わりの日が必ず来る事は、歴史が証明している。いつか来る終わりの日、数多の同位体達と共に戻っていくのだろう。記憶も感情も混ざり合い、名物・松井江の中へ。
 でも、自分は少しだけ欲深かったみたいだ。記憶も感情もこの傷跡も忘れてしまうぐらいなら、どこにも行きたくないと願ってしまった。この本丸に顕現した刀剣男士の松井江として生きて、消えていきたかった。
 そんな事を考えてしまうのは自分だけなのだろうか。松井はふと気になって聞いてみた。
「豊前はそういうのを考えたことってある?」
「まぁ、少しぐらいは。折れかけて三途の川を渡りそうになった時とか。先のことはわかんねーけど、行くならここがいいって所ぐらいはある」
……それはどこか聞いても?」
 豊前にも言いたくない事、言えない事の一つや二つあるかもしれない。松井は恐る恐る尋ねてみた。
 しかしそれは杞憂だった。そこには愛おしそうに、それでいてどこか切なそうに松井を見ている豊前がいた。
 それは松井が初めて見る表情で、松井は息を飲んでしまった。どうして彼がそんな顔をするのかわからない。松井はその表情の意味が知りたくて、声を震わせた。
 豊前が繋いでいた手を離した。何で離してしまったのかと、松井の目が離れていった指先を追った。離れていった手は松井の顔の辺りで止まり、そっと指先が松井の頬に触れ、つつと滑っていった。
「うまく言えないけど、どこでもない場所」
 過去でも未来でも現在でもない、名前すらも知らない場所。そこに行ける日がいつになるかのは分からないし、当然行き方も知らない。いつか終わる時が来たらそこに行きたいと、ただ漠然とそう思っているだけだ。
 もし彼が望んでくれるのなら共に行きたいと思っている。きっとどこかに存在する、真っ白な世界へ。
「行くなら松井と一緒に行きたいよ」
 豊前が松井の顔を覗き込む。その紅赤色が、松井にどうか受け入れて欲しいと語りかけていた。連れていってしまう事を許してくれないかと、松井に願っていた。
……っ、そんなことを言われたら、もっと欲深くなってしまうじゃないか……
 どこにも行けず、どこにも行かず、己のまま消える事ができればそれで十分だと思っていたのに。豊前はどこまでも松井を貪欲にさせる。
 どこにも行かないで欲しい。行くなら連れていって欲しい。松井の中に新たな欲が生まれてしまった。これ以上は求めないと決めたのに。
 そんな松井の葛藤も、豊前にはお見通しだったのだろう。彼が望んでくれるのなら、どこまでも連れていく覚悟はできている。この両手は松井のためにあるのだから。
「いーんだよ。もっと欲張って」
 豊前の真っ直ぐな視線と松井の揺れる視線。緑青色の瞳が躊躇いがちにゆっくりと閉ざされる。豊前の両手が松井を包み込んだ。

 重なる影。

 風が吹き、木々を揺らして草がさざめいた。

【終】


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