ナガレ
2023-03-15 21:12:25
26125文字
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【web再録】傷だらけのサンクチュアリ(ぶぜまつ)

2021/2/28 HARU COMIC CITY合わせで発行したぶぜまつ小説本。
松井江が顕現してから吹っ切れて前を向くようになるまでの話。闇堕ちを匂わせる表現があったり、お守りが発動したりしますが、最後はハッピーエンドです。
キャラクター観、カップリング観、例の回想。色んなものを自分なりに咀嚼して、捏ねくり回してぶつけてみた話です。あれこれ捏造しまくりですが、審神者の数だけ存在する解釈の一つだと思っていただければ。

発行から二年経つので、webに全文掲載することにしました。本を手に取ってくれた皆様方、本当にありがとうございました!※BOOTHに数冊在庫があるので、もし紙媒体で欲しい方いらっしゃいましたらこちらからどうぞ(https://nananagare.booth.pm/items/2710800)


【一】

 彼がこの本丸に顕現したのは師走の中頃、底冷えの深まる時期だった。秘宝の里から規定数の宝玉を持ち帰ったことにより政府から報奨として与えられた、松井江を顕現させる権利。審神者は迷うことなく権利を行使した。
――郷義弘が作刀。名物、松井江」
 審神者が幾度となく目にした淡い光と舞い散る桜の花びらに包まれながら、刀剣男士の松井江はこの世界に顕現した。
 理知を感じさせる少し低めの声、どこか翳りのある愁いを帯びた中性的な顔立ち。緑青色の瞳が印象的だった。
「貴方が今代の主になるのかな?」
 そう尋ねる姿はどこか幼さを感じさせる。それもそうか、人間で言えばおぎゃーと産声をあげて生まれたばかりの赤ん坊なのだから。審神者は咳払いを一つすると、松井江と向き合った。
「ようこそ、松井江。刀剣男士としての誕生を祝そう。僕はこの本丸の主で、審神者と呼ばれる者。主と呼んでくれ。刀剣男士は付喪神の一種。神に連なる者だから真名を教えることはできないから、その辺りは了承してほしい」
「主だね。承知した。こう見えて僕は実務も得意なんだ。何か手伝えることがあれば言って欲しい」
 松井の申し出に、心強い戦力が増えたと審神者は喜んだ。この本丸は書類や管理といった運営に関する戦力に欠けていたからだ。審神者を筆頭に慣れぬ実務を悪戦苦闘しながら行ってきたが、彼はそれを得意だと豪語した。
 ここでの生活に慣れてきたら色々と任せてみるのもいいだろう。
「あと、流し流されるのも得意だよ」
 ほんの少しだけ口の端を上げて松井が微笑んだ。その瞬間、松井から発せられた何かが審神者を包んだ――ような気がした。目の前の青と緑の色彩からは想像できない、赤い色の何かが。
……何が、って聞いてもいいのかな?」
「ん? 血に決まっているだろう?」
 その言葉に審神者は政府から渡された彼の来歴を思い出した。彼の号の由来となった松井興長は熊本藩、八代城主。かつて、「島原の乱」・「原城の戦い」という、血で血を洗う乱の起きた地にいた人物だ。
 その後、名物・松井江は徳川将軍家のものになり、将軍の愛娘が嫁ぐ際の引き出物として紀州徳川家に渡ったのだが、刀剣男士としての松井は幸せな記憶よりも悲しい記憶を強く受け継いでしまったらしい。
 審神者は危惧した。城主の腰の物であった松井江は戦に同行していたかもしれないが、直接血には塗れていないだろう。しかし見ていた可能性、聞いていた可能性はある。反乱と弾圧が生んだ悲劇。刀剣男士は時代や来歴に良くも悪くも影響されやすい。血を流し流させるのが得意だとのたまう松井が、押しつぶされてしまわなければいいのだが。
「松井江、一つ約束してくれないか」
「何だい?」
「決して無理はしてくれるな」
「貴方の言う無理が何なのか分からないが、約束しよう」
 松井は頷いた。
――主、そろそろ入ってもいいかい?」
 松井と審神者が沈黙していると、謁見の間の閉ざされた襖の向こうから声がした。審神者が大丈夫だと返事をすると、静かに襖が開いた。
 襖の向こう側には藤紫の髪をした男性が控えていた。その人物の纏う雰囲気には憶えがある。松井が思わず腰を浮かせた。
「この姿では初めましてと言うべきかな。歌仙兼定だ。久しいね、松井江」
 その名乗りに松井があっと小さく声を上げた。歌仙兼定は松井のかつての主の主君だ。旧知との思わぬ再会に松井は驚いた。
「まさかこんな形で再会するなんて……
「ふふっ。僕も驚いているよ。僕だけじゃない。ここには小夜も篭手切もいる。みな訳あって細川の家から去ってしまったが、また会えたんだ。もちろん他にも色んな刀派の者達がいるよ」
「! 篭手切がいるのかい? もしかして他の江も?」
「あぁ。江は篭手切以外に二振りいる。一振りは本多に渡った桑名江。もう一振り――もしかしたら君は知っているかもしれないね。小笠原家に渡った豊前江だ」
「そうか。豊前江、彼がここにいる……
 松井がそっと目頭を押さえた。そんな様子に審神者はおや?と思った。刀工こそ同じだが、渡った先に直接の繋がりはないはずだ。あるとすれば、同じ九州の地だったというぐらいか。
 自分が不勉強なだけで、もしかしたら繋がりがあったのかもしれない。審神者は感じた引っ掛かりを一旦忘れる事にした。それよりも松井を人の体や生活に慣れさせる事の方が先だ。
「歌仙兼定、しばらく松井江の面倒を見てくれないか?」
「僕かい? 江の者達でなくて?」
「篭手切江は世話を焼きすぎる。豊前江はいらん事も教えそう。桑名江は絶賛練度上げ中でそれどころじゃない。見ず知らずの者より見知った顔の方がいいだろう? そうすると必然的に君しかいないじゃないか」
「それも一理あるね。松井、君もそれでいいかな?」
 歌仙の問い掛けに松井は了承の意を返した。世話役が歌仙なら心強い。
「では、さっそくこの本丸の中を案内しようと言いたいところなんだが、実はずっとそこでそわそわと落ち着きなく待っている者達がいてね。主、彼らを入れても?」
 歌仙が苦笑いで閉ざされた襖に目を向けた。審神者も襖の向こうに誰がいるのか気づいているのだろう。歌仙ほどではないが苦笑していた。
「あぁ。入ってもらって構わない」
「聞こえたか? 入っていいそうだ」
 歌仙の一声で勢いよく襖が開く。その勢いに松井はびくっと肩を震わせた。
「松井さん!」
「篭手切」
 開いた襖の向こうには三振りの刀剣男士がいた。真っ先に駆け寄ってきたのは、眼鏡とほくろが印象的な少し小柄な男士。一時期、細川家で世話になっていた篭手切江だ。姿形は変わっても根本は変わらない。纏う雰囲気はあの頃のままだった。
「松井さんが顕現するかもしれないと聞いてから、お会いできるのを心待ちにしていました」
「待たせてしまったみたいですまないね」
「そんなことないです!」
 眼鏡を外し、そっと目に浮かんだ涙を拭う篭手切。歌仙と審神者がうんうんと大きく頷いている。まさに感動の再会だ。
「篭手切、会えて良かったね」
 篭手切の後ろから、一振りの男士がぬっと顔を出した。
「直接会うのは初めてだよね。僕、桑名」
 刀工は同じでも渡った地やその後の経緯が違うため、松井は桑名江と遭遇した事がない。もしかしたら、最後に会ったのは玉鋼の時かもしれない。
「慣れたら畑仕事にも駆り出すから覚悟しててね」
「それも刀の仕事なのかい……?」
「うん。この体を維持するためには食事が必要だから。働かざる者食うべからずって言うでしょ」
 まるで人の子の暮らしと同じじゃないかと、松井は面食らった。だが、篭手切も桑名もそれが当然だという顔をしている。歌仙だけはやや渋い顔をしていたが。
「それでも適材適所ってもんがあるだろって、いつも言ってんだけどな」
「!」
 松井の目がまん丸に大きく見開かれた。一目で分かった。かつて近国の殿様が佩刀しているのを遠目に見た。――豊前江だ。
「君は豊前、だよね?」
「そーだよ」
 目を惹く華やかさは、刀だった頃から変わらない。 むしろ、増したかもしれないと松井は思った。いつしか記録が途絶え、所在不明になってしまった彼の身を案じていたが、彼は今ここに顕現している。行方知れずなだけで、きっとどこかにいるのだろう。
 よかった……と絞り出すように呟いて、松井は黙り込んでしまった。仲間達は何と声をかけていいのかわからず、謁見の間に少し重たい空気が流れた。そんな空気を打ち消すかのように、審神者がぱんと手を叩いた。
「同じ江の者として面倒を見たい気持ちもあるだろうけれど、しばらくは歌仙に面倒を見てもらう。松井江が人の身に慣れるまでしばし辛抱してほしい」
「主に言われちゃ反対できねーな」
 豊前の隣で篭手切が頷いている。桑名は歌仙から畑仕事は任せたと頼まれていた。松井は思わず顔が引き攣った。
「今日はもう解散だ。歌仙、本丸の中を案内してやってくれ。四振りは同じ部屋にするから、積もる話は後から存分にすればいい。松井江、明日からよろしく頼む」
「こちらこそよろしく」
 改めて審神者に挨拶をすると、松井は歌仙に手を引かれるようにして謁見の間を後にした。もっと話をしていたかったけれど、積もる話は後でと言われてしまったから仕方ない。
 そこから約半日、松井は歌仙にあちらこちらに連れ回された。本丸の造りや設備の説明、歌仙自慢の庭先の紹介。初めての食事も口にした。初めてなのに甘い、辛い、苦いといった味覚が備わっているから驚きだ。美味しいという意味も初めて知った。何もかもが新鮮な松井を、周りは優しく見守ってくれた。
 そして夜は四振りで枕を並べ、積もる話に花を咲かせた。生まれは同じでも、渡った地や家が違う。あれやこれやと話をしているうちに、いつしか四振りとも眠りについていた。
 ――松井江の顕現一日目は、こうして静かに幕を閉じた。

 翌日、松井は審神者に呼ばれた。松井は前夜に篭手切が書いてくれた本丸の見取り図を片手に謁見の間に向かった。謁見の間には歌仙と篭手切、そして小夜左文字がいた。
「松井江、まずは遠征に行ってもらいたい」
「遠征?」
 まだ戦場に出すには経験が足りないので、遠征で少しずつ人の体で刀を使うことに慣れてもらいたいと審神者は言った。
「遠征は時代時代に異常がないかを確かめる見回りがほとんどだから、そんなに構えなくても大丈夫。サポート役として篭手切江と小夜左文字も一緒に行ってもらう。顔見知りがいれば心強いだろうから」
 ここに集められた四振りはみな細川家に何らかの縁がある。こうやって一堂に会するのは、一体いつぶりだろうか。
「篭手切江、小夜左文字。松井江を頼んだよ」
「主、僕もいるんだが」
「歌仙はすぐ寄り道をしたがるから」
 この本丸の初期刀として面倒を見るはずなのに、面倒を見られる側に入れられたのが納得いかないらしい。小夜にも面倒を見られる側だと暗に言われて不服そうな歌仙の態度に、松井江はくすりと小さく笑った。
「あ!」
 それを見た篭手切が思わず声を上げた。そして少し恥ずかしそうに言葉を続けた。
「昔を思い出してしまって……
 今となれば瞬きするような短い間だったが、こうやって穏やかな時を過ごした事を思い出す篭手切。往時を懐かしむという感情は人の姿になってから覚えたものだが、存外悪くないものだと思う。
「そうだね。遠征から帰ってきたら、皆で思い出話に花を咲かせるとしよう。主、行き先は?」
 歌仙が審神者に尋ねた。
「遠征先は美濃国。たまには様子を見に行かないと」
 出立は半刻後だと告げられ、松井達は一度解散した。
 部屋に戻ると、松井は篭手切に言われるがまま、遠征の支度をした。霊力の込められた戦装束に身を包むと、気合いが入ってくる。初陣とは少し違うが、刀剣男士としての初めての役目だ。
 少々気負い気味の松井に、篭手切が声を掛けた。
「大丈夫ですよ。私も歌仙も小夜もいますから」
「そうだね。よろしく頼むよ」
「お任せください」
 半刻後、松井と篭手切は本丸の表門にいた。ここから転送装置で遠征先に飛ぶのだ。見送りは審神者と近侍――今日の近侍の前田藤四郎だった。
 道中の安全を祈願し、審神者が火打ち石で切り火を切る。出立の時だ。転送装置が静かに動きだし、松井達は狐火に包まれた。


 ――狐火が消えた。四振りが降り立ったのは山や小高い丘に囲まれた盆地だった。この背筋が粟立つ感覚は一体何だろうか。松井は思わず両腕を擦った。
 審神者は行き先を美濃国だと言っていた。美濃国といえば、天下分け目の合戦の舞台となった地を有する。もしかしてここは――
……関ヶ原?」
 松井の呟きは、辺りを窺う他の三振りには聞こえなかった。
「小夜、篭手切。様子はどうなっている? 時間遡行軍の痕跡は無さそうだが……
「でも、いる」
「いるね」
 歌仙の含みに、篭手切と小夜が短く答える。空気がぴんと張り詰めた。松井はぎゅっと提げた刀の柄頭を握った。
「数は?」
「短刀が二振りと打刀。下見に来たってところかな」
「生かしておくと面倒なことになりそうだ」
「単純な数ならこちらが優位か……
 ふむ、と顎に手を当ててしばし考え込む歌仙。三振りのやりとりに松井は置いてけぼりだ。
「先陣は小夜。僕と篭手切がその後に続く。松井は篭手切から離れないようにしてくれ」
「わかった」
 すっと刀を構えた三振りにならい、松井も刀を抜いた。
 小夜が三、二、一と小さく数を数え、零で飛び出した。流石、短刀。弾丸のような機動力だ。歌仙がそのあとに続いた。
 小夜の不意打ちが敵短刀にひびを入れる。歌仙が楔を打ち込むように追撃し、まずは一体破壊した。返す刀で打刀に向かっていく小夜と歌仙。松井と篭手切の相手は残った短刀だ。
 顕現したばかりの打刀では短刀の機動力には勝てない。
 敵短刀の剣先がこちらに向いた事を認めた松井はとっさに避けたが、少し肩の辺りを斬られた。
「はぁっ!」
 ピリっと痛みが走ったが、それに構っている余裕はない。刀の使い方は刀だから言われなくても知っている。松井は直刃を下から上に斬り上げた。が、破壊までは至らなかった。
「貰うぞ!」
 すかさず横から篭手切がとどめを刺した。
「松井さん! お怪我は……
「大丈夫。かすり傷だから」
「それはかすり傷と言いません!」
 じわりと松井の上着に血が滲む。篭手切の顔が歪み、松井は人の体の脆さを知った。
「歌仙!」
 篭手切が大声で歌仙を呼んだ。彼が手当ての道具を持っているからだ。呼ばれた歌仙が何事かと眉を顰めた。
「松井さんが怪我をした!」
 その一言に歌仙の顔色が変わる。小夜もびくんと肩が跳ねた。
「すぐに診よう」
 血振りした刀を収めると、歌仙はすぐ松井に駆け寄った。失礼するよと断りを入れ、松井の上着をそっと脱がす歌仙。松井の傷口を検分すると、歌仙は詰めていた息を安堵したようにほっと吐き出した。
「見た目よりも浅そうだ。じきに出血も止まるだろう。ひとまず応急処置をして、戻ったらすぐに手入れをしてもらわねば……
「手入れ?」
 手当てではないのかと、松井が聞き返した。
「あぁ。僕達の体は不思議でね。どんな大怪我を負ったとしても、手入れ部屋に入れば綺麗さっぱり治ってしまうんだ」
「そんな、僕は……
「だめだ」
 言葉を濁す松井に歌仙はぴしゃりと返した。
「傷薬を塗って上から綿布を当てておこう。小夜、布を押さえていてくれないか。上から包帯を巻けば、ずれてこない」
……すまない」
「今だけだ。戦力として数えられるようになったら、これぐらいの怪我で手当てしてる余裕はないからね」
「気にしないで。歌仙、世話を焼く相手ができて楽しんでるだけだから」
「小夜!」
 歌仙と小夜のやりとりに、松井は申し訳ない気持ちが少しだけ軽くなった。
 その後の見回りは特に何の異変も無く終わった。下見に来ていたと思われる事から、時間遡行軍が近いうちに侵攻してくるかもしれない。審神者には注視するよう進言する事にした。
 そうこうしているうちに、帰還する時間になった。歌仙は審神者に持たされたからくり盤で本丸と連絡を取ると、今から帰還する旨を告げた。来た時と同じように転送装置を発動させ、時空を越えて本丸に戻るのだ。
 交信を終えた歌仙が篭手切にからくり盤を渡す。篭手切は慣れた手つきで歯車やらぜんまいやらを弄った。どうやら歌仙はからくり盤の操作が苦手らしい。
「松井、戻ったら手入れ部屋だ」
「これぐらい別に……
 松井は手入れ部屋に行くのを躊躇った。戦う為に生まれたのだから怪我はついて回るものだし、傷が残ろうとも構わない。見てくれで戦うわけではないのだから。
 しかし審神者と歌仙は容赦が無かった。本丸に帰還した松井が渋るのなんてお構いなしに、歌仙は強引に手入れ部屋に押し込んだ。審神者が襖を閉め、ぺたりと札を貼る。手入れ開始だ。
 手入れ部屋の中は普通の和室だった。布団と文机と茶箪笥が置かれており、手入れが終わるまで自由に過ごすことができる。
 しかしここは摩訶不思議な空間で、部屋の中で過ごすうちに自然と怪我が治っていくのだ。刀剣男士達の戦闘装束も霊力でできているので、衣装も綺麗に繕われて元通りだ。
 松井にはそれが何だか空恐ろしいものに感じられた。
(僕の業も消えて……いや、消えても元に戻るのか)
 汚れた血は消えて無くなるのか、それとも流した分が元に戻るのか。松井には分からなかった。ただ、恐ろしいと思うだけだった。

 ――それから数日後の事だった。

「どうしてこんなことしたの!」
 珍しく桑名が大きな声を出している。偶然通りかかった審神者は、一体何事かと江の四振りにあてがわれている部屋を覗いた。そして桑名と同じように大きな声を上げた。
「松井江!」
 松井の左腕を赤いものが伝っている。どう見ても血液だ。
「て、手入れ部屋に……
 たじろぐ審神者。松井は首を横に振った。
「行かなくても大丈夫だし、あそこには行きたくない」
「そんなん言ってる場合やない!」
 桑名にお国訛りが出てしまっている。あぁ、もう! としびれを切らした桑名が、松井と審神者をそれぞれ小脇にひょいと抱えた。
「手伝い札でも何でも使っていいから、さっさと終わらせて!」
「わ、わかった!」
 出陣と遠征以外の手入れでは基本的に手伝い札を使わない方針の審神者だが、桑名の勢いに押されて思わず頷いてしまった。
 そんなやり取りをしているうちに、手入れ部屋の前に到着し、よろしくと二人まとめて下ろされた。渋る松井と二人きりにされた審神者は、思わず「デジャビュ……」と呟いた。
「そのうち止まるから放っておいていいのに」
「そういう問題じゃないから。というか、何でこんな事をしたんだ?」
「瀉血のこと? この血が全部流れたら許されるのかなと思って」
 手入れ部屋の中で、閉ざされたままの襖の向こう側を見ながら、ぽつりと松井が呟いた。
「許されるって、誰に?」
……誰にだと思う?」
 秘密主義の刀は多い。松井も聞かれたところで言わずに隠すタイプなのだろう。審神者は手強そうな刀が来たと改めて実感した。
「でも、ここに来たら元に戻ってしまうね」
「松井江?」
「何でもないよ」
 この話はおしまいと言わんばかりに、松井は口を閉ざした。話す気は無いのだろう。審神者は手入れを始めた。
 消えていく傷を、黙って無表情で見つめている松井。今までも自分を顧みない者は何振りかいた。だが、松井はその者達と少し毛色が違う。審神者はうまく言語化できないのがもどかしかった。
「頼むからひやひやさせないでくれ……
 今言えるのはこれぐらいしかない。歌仙に世話役を頼んだが、初期刀としての役目もある彼一人では大変だろう。誰かもう一振り、松井を見ていてくれる者が欲しい。
 松井が信頼している者で、彼の思っている事を無理に聞き出そうとしない、責めたり咎めたりしない者――

「いるじゃないか、適任者」


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