ナガレ
2023-03-15 21:12:25
26125文字
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【web再録】傷だらけのサンクチュアリ(ぶぜまつ)

2021/2/28 HARU COMIC CITY合わせで発行したぶぜまつ小説本。
松井江が顕現してから吹っ切れて前を向くようになるまでの話。闇堕ちを匂わせる表現があったり、お守りが発動したりしますが、最後はハッピーエンドです。
キャラクター観、カップリング観、例の回想。色んなものを自分なりに咀嚼して、捏ねくり回してぶつけてみた話です。あれこれ捏造しまくりですが、審神者の数だけ存在する解釈の一つだと思っていただければ。

発行から二年経つので、webに全文掲載することにしました。本を手に取ってくれた皆様方、本当にありがとうございました!※BOOTHに数冊在庫があるので、もし紙媒体で欲しい方いらっしゃいましたらこちらからどうぞ(https://nananagare.booth.pm/items/2710800)


【三】

 一度だけ、松井は心の内を豊前に明かした事がある。
「どうしてだろう。時々、ここにいるのが辛くなる」
 刀剣男士としての松井江は業を背負って生まれてきた。流れた血の数だけ血を流す事を己に課している。松井はそんな自分を哀れだと思った事はない。
 ただ、ふとした瞬間に苦しくなるのだ。古い穢れた血を流して新たな血を作ったところで、跡形も無くリセットされてしまう事が。
 いつしか自分は耐えきれなくなるかもしれない。今はまだ折れてしまったら楽になるのかなという漠然としたものだが、いつか膨張しきってあちら側に飲み込まれてしまうかもしれない。
 だから、誰かに繋ぎ止めてもらいたかった。

 順調に練度が上がってきたから、今日から少し先の戦場に出陣しようと審神者が言った。松井にとっては初めての場所だ。
「この戦場に現れる時間遡行軍は今までよりも手強い。気を抜かないように」
 部隊長である歌仙が松井に忠告した。松井は神妙な面持ちで頷いた。歌仙が松井と同じ部隊に入ることは今まで一度も無かった。それだけ松井の事が心配だったらしい。編成を聞かされた時、後ろで審神者が苦笑いを浮かべていた。
「危ないと思ったら無理せず撤退だ。検非違使の出現は確認されていないが、万が一遭遇したら――松井、君は真っ先に逃げろ」
……仲間を見捨てろと?」
「違う。まだ君の力量では検非違使に敵わないからだ。彼らは時間遡行軍よりも切れ者でね、こちらの力量をしっかりと見極めてから出没するんだ」
 逃げろと言われてむっとした松井を歌仙は諭した。
「出現した場合、まず狙われるのは君だ。もし僕が検非違使だったらそうする」
 歌仙の言っている事は理に適っている。群れの中でも弱い個体を狙うのは、獣の狩りと同じ事。逃げろと言われた事に納得はしていないが、理解した松井はわかったと返事をした。
「脅してしまったみたいですまないね。でも、言っておかねばいけないことだったんだ。さぁ、行こうか」
 他の者達は先に転送装置のある表門で待っている。歌仙は松井に少し話があると言って、他の者達を先に行かせた。聞かれて困る内容ではないが、二振りきりで直接伝えた方がいいと思ったからだ。
「案ずることはない。僕もいるし、彼もいる。君の戦いっぷりが楽しみだよ」
「あなたにそう言われると緊張するよ」
 歌仙と松井は談笑しながら表門に向かった。表門では他の四振りと審神者、今日の近侍を務める加州が待っていた。
 いつもの様に審神者が火打ち石で切り火を切ると、狐火が現れる。一体どこに行くのだろうか。戦場を知らされていない事に松井は気がついた。
 行ってらっしゃーいと手を振る加州に見送られ、転送装置が発動。松井達の姿は狐火の向こうに消えた。


 一瞬の浮遊感の後、地に足が付く。この感覚にも慣れた。囲んでいた狐火が消えると、そこはもう違う景色だった。
 見慣れぬ景色に、松井はきょろきょろと辺りを見回してしまった。今日も同じ部隊の豊前が鎌倉だと教えてくれた。
「鎌倉……。僕達が生まれる前の時代か」
 江の刀を鍛えた刀工は南北朝時代の生まれだ。ここから始まる動乱が無ければ、後に松井江と号のつく刀がこの世に生まれる事は無かった。――業を背負いし刀剣男士、松井江も誕生しなかった。
 ちりっと松井の胸の奥で何かが燻った。雑念を払うように松井は小さく頭を振った。幸か不幸か、そんな松井の姿には誰も気づいていなかった。
「敵の状況は?」
――見えた。太刀と打刀が多そうっちゃ」
 歌仙の問い掛けに豊前が答える。豊前は打刀の中でも目の良い方で、偵察に長けている。
「数は?」
「同じぐらいだな」
「小技で仕掛けるよりも、正面から押し入った方が早そうだ。いけそうかい?」
 歌仙の確認は、この中で練度の一番低い松井に向けたものだろう。これでも刀剣男士の端くれだ。松井はいけるぞと頷いた。
「機動力ではこちらが勝る。先手必勝、攻め入るぞ!」
 歌仙が檄を飛ばし、先陣を切る。翻る牡丹花の羽織を追いかけるように、松井もその後に続いた。松井の視界の端を豊前が風のように駆け抜けていった。

……くっ!」
 歌仙が出陣前に今までよりも手強いと言っていた通り、松井の攻撃はなかなか通らなかった。敵の一撃も今までの戦場で相対した時間遡行軍に比べると重たい。
 こうなったら肉を斬らせて骨を断つ方が早いかと考えたが、そんな事をしたら良くて中傷、重傷間違いなしだ。手入れ部屋にはできれば入りたくない。
 ――そんな余所事が、一瞬の気の緩みに繋がった。
「避けろ!」
 誰かが松井に向かって大きな声で叫んだ。その声に松井が振り返ると、目前に敵の凶刃が迫っていた。何たる不覚。こんなにも近づいた敵の気配に気づけなかったとは。
 この距離では避けきれない――。禍々しい気を纏った敵の一撃が松井を襲った。
「っ! あ、ぁ……
 膝をつく松井。松井を救おうとした仲間の誰かに斬られたのか、敵刀が背後でどさりと音を立てて倒れた。
 敵刃に襲われたはずなのに、松井は不思議と痛みを感じなかった。その代わりに、暗闇の中から伸びた手に引きずり込まれる感覚が松井を襲った。
 松井はその手を振りほどこうとしたが、誘う手の数は増えて松井に纏わりついてくる。幻というには質感があり過ぎた。
 通信機の向こう側から、審神者が必死に松井を呼ぶ声が聞こえてくる。審神者の恐れていた事態が起きてしまった。時間遡行軍の返り血という穢れは、松井の抱えていた漠然とした不安や恐れと結びついて、知らず知らずのうちに彼の中――精神や感情に溜まっており、それがついに決壊したのだ。
 内から溢れ出た闇が松井を押しつぶし、彼の霊力を濁していく。――闇堕ちの始まりだ。
「松井!」
「近づくな!」
 松井は近づこうとした仲間に刀を向けた。松井の刀剣男士としての矜恃が、かろうじて蛮行に歯止めを掛けている状態だ。だが、矜恃すらも闇に飲まれてしまえば、松井は時間遡行軍と同等の存在に成り果ててしまう。
「早く……僕が僕でいるうちに……
 松井は一刻も早く己を折れと言う。仲間に向かって刀を振りかざそうとする体を止めるだけでも精一杯だ。仲間の血は見たくない。ましてや自分が傷つけて流す血なんて言語道断だ。仲間と己を天秤にかけたらどちらが重いかなんて決まっている。松井はどこまでも自分を顧みようとしない刀だった。
「豊前! 歌仙! 早く僕を折って!」
 折ってくれと言われて、はい折りますなんて言えるか。豊前は苛立った。豊前だけではない。誰一人としても動けなかった。仲間を折れる者などいないのだ。
 そんな中、歌仙がじりっと動いた。部隊長としての、初期刀としての、松井の世話役としての責任。今にもその役目は僕が引き受けようと言い出しかねない。松井が折れる?豊前にとっては笑えない冗談だ。
(どうすればいーんだよ!)
 苛立ちをぶつけるように懐に手を突っ込んだ豊前。その手に何かが触れた。
……お守り?)
 その瞬間、豊前の中で一つの計画が生まれた。松井は折らせない。たとえ松井を折る事になったとしても、その役目を誰かに渡す気は無い。豊前には目の前の松井しか目に入らなかった。
 紅玉の双眸が燃え上がる。豊前に迷いは無かった。
――松井、来い!」
 事を成すにあたり、ここは狭すぎる。豊前は松井を呼んだ。堕ちるまいと耐えていた松井が、弾かれるようにぱっと顔を上げた。まだ松井の矜恃は屈していない。
「豊前江!」
 一体何を考えているのかと、部隊長である歌仙が声を荒げた。しかし豊前は止まらない。止まる代わりに、歌仙にお願いをした。
「悪ぃ! 手入れ部屋、用意しといてくれ! できれば二つ!」
……承知した! 松井のことは任せたぞ!」
 豊前がちらと見せたお守りに歌仙は気がついた。出陣にあたり、全振りがお守りを持たされている。それは松井も例外ではない。お守りがあれば、たとえ折れても一度だけなら破壊を免れる。豊前はそこに賭けたのだ。
 豊前とそれを追いかける松井の姿が見えなくなり、歌仙はゆっくりと残る敵達を見据えた。
「さてと。僕達はここで待つことにしよう」
 静かな殺気を見せる歌仙。部隊は二振り抜けて四振りとなり、状況的には不利だ。だが、負ける気はしない。手入部屋の用意は二つで十分だ。当本丸一の練度を誇る最古参の戦いをお見せしよう。
「之定が一振り、歌仙兼定。……参る」
 最上業物の切っ先が敵に向く。歌仙は直刃を一閃させると、その一振りで敵を一体屠った。こうやって戦場に赴くのは久方ぶりだったが、腕は鈍っていなかった。
 敵を殲滅し、二振りが戻るのを待って本丸に帰還する。それが歌仙の答えだった。



 松林を走り抜け、開けた場所に出たところで豊前は止まった。全力疾走ではなかったが、それでも息が上がっている。額の汗を拭っていると、少しして松井が追いついた。
「悪ぃな。こんな方法しか思い浮かばんかった」
 豊前は鞘から刀を抜くと、静かに正眼に構えた。松井はぎりぎりの所で踏ん張っている。もう体の自由はほとんど無いだろう。それでも、矜恃だけが松井を刀剣男士の松井江としてこちら側に引き留めている。
 抜刀した松井と対峙する。
……はじめっか」
 豊前は大きく大地を蹴った。

 ――カンッ!

 松井が豊前の初撃を受け止めた。すかさず離れて体勢を立て直し、大きく振りかぶる松井。豊前はそれを躱した。練度上げを行っているとはいえ、まだ力量は豊前の方が上だ。しかし油断はできない。あちら側に足を突っ込んでいる今の松井には躊躇が無い。ぎりぎりのところで踏みとどまっているが、豊前を敵と見なしている。豊前はそんな松井を相手に、彼を必要以上に傷つけない事を頭に入れて立ち回らなければいけないのだ。
 しくじれば松井はこちら側にいられない。豊前だってどうなるか分からないし、この手で松井に引導を渡す事も覚悟しなくてはいけない。小難しい事を考えるのは苦手だと言ってる場合ではなかった。

(このままだと埒があかねーな……
 もう何合打ち合っただろうか。刀の刃こぼれが酷いし、お互い傷だらけだ。だが、今だというタイミングが見つからない。豊前に焦りの色が見え始めた。松井はもうほとんどあちら側に沈んでいる。差し違え覚悟で行くべきかと考えたその時だった。
 豊前お願い、と確かな声が豊前に届いた。間違えるはずのない、松井の少し低い凛とした声だ。緑青の虹彩と豊前の視線がかち合うと、松井の動きが止まった。松井が必死に藻掻いて作り出した隙を無駄にはしない。
――松井、気張れよ!」
 そこにためらいは無かった。旋風のような豊前の太刀筋が、松井を正面から袈裟懸けに斬りつけた。
……っ!」
 澱んでいた松井の瞳に光が戻った。力を失った手から刀が滑り落ち、松井はそのまま豊前に向かって倒れ込んだ。慌てて抱き止める豊前。斬り裂かれた松井の白色のシャツにじわりと鮮血の赤が滲み、抱き止めた豊前のシャツも赤く染めていく。
 どこからか、刀剣破壊を思わせる薄氷の割れるような嫌な音が聞こえてきた。――頼むから松井を連れて行ってくれるな。豊前の願いに応えるかのように音は止み、紐の切れたお守りが松井の胸元から転がり落ちた。
 豊前は賭けに勝った。目論み通り、松井のお守りが発動してくれた。折れた事で松井は闇から解放され、こちら側に戻ってくることができたのだ。

……戻んねーとな」
 一度折れた松井に比べればかわいらしいものだが、豊前も中傷だ。歌仙達が待っている元の場所には、松井を連れて自分の足で歩いて行かねばならない。比較的綺麗な地面に松井を寝かせると、打ち合いの最中で脱ぎ捨てられた松井のロングジャケットを拾い上げて裂いた。血止めの包帯代わりに傷口に巻き付けていく。豊前は松井の横にしゃがみ込むと、その腕を己の肩に回してゆっくりと立ち上がった。
 意識の無い松井の体は重たい。でも、温かかった。この温かな重みこそが松井の生きている証拠だ。
「帰ったら即行で手入れ部屋に押し込むからな」
 当たり前だが、松井の返事は無い。唇を噛みしめると、豊前はそっと頬を寄せた。


「豊前江!」
 豊前が松井を連れて元の場所に戻ると、二振りの帰りを今か今かと待ちわびていた歌仙が大きな声を出した。松井の事が心配なのだろう。歌仙の目線は意識の無い松井に向けられている。
「松井なら正気に戻った。今は死にかけて意識がないだけっちゃ」
「そうか……。うまくいったみたいで何よりだ。あぁ、君も傷だらけじゃないか」
 歌仙は満身創痍の豊前に気がついた。応急手当では間に合わない。歌仙は本丸と交信し、早急に手入れ部屋の用意と本丸への帰還を要請した。
 豊前はそのやり取りをぼんやりと聞いていた。誰かが怪我に差し障るといけないから代わろうかと申し出たが、豊前は曖昧な返事をするだけで、松井から手を離そうとしなかった。
「手入れ部屋の用意ができたそうだ。……第三部隊、これより帰還する」
 審神者からの連絡を受けた歌仙がそう宣言すると、六振りの足下に本丸への転送装置が現れた。
 転送の揺れが傷に響き、豊前は顔を顰めた。だが、もっと辛いのは松井だろう。意識を失い虫の息に近いが、松井はまだ生きている。生きようとしている。
 大丈夫だ。帰れるから。豊前は松井にずっと声を掛け続けた。


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