ナガレ
2021-04-14 19:54:32
22266文字
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金糸雀の恋(ぶぜまつ)※パラレル

箱庭と鳥籠のふたり。ぶぜまつの異種恋愛譚が見たいという一心で書いた、17〜18世紀のヨーロッパ(架空)をふんわりイメージのファンタジーかつパラレル。刀持って戦う二振りは存在しません。前半3ページだけでも読めます。


Cantabile 響く歌声、変わりゆくもの】


豊前の姿が空の向こうへ完全に消えて、松井は振り続けていた手を下ろした。一人になる事には慣れている。両親、使用人、親族――みんなそうだった。
両親は松井を残していなくなり、使用人はいつの間にか消えていて、親族は松井を突き放した。
どうせみんないなくなるのなら、最初からいなければいい。だから松井は自分だけの箱庭を作った。

「これでよかったんだ」

箱庭で小鳥を飼う。それはただの気まぐれだった、はずだ。不意に訪れる寂しさを埋めようと、一目惚れして手に入れた小鳥。でも松井には大き過ぎた。これ以上彼の存在が大きくなって、心の箱庭を壊してしまう前に松井は手放した。
本当は彼のためなんかじゃない、己のためだ。寂しさには慣れている。でも、傷つくことには慣れていない。

……久しぶりにこんなにも歩いたから疲れたのかな。少し休んでから帰ろう」

松井はその場に座り込んだ。今は空を見たくなかった。


*****


風に乗ってしばらく空を飛んだ豊前は、大樹の陰で小休止を入れる事にした。乗っても折れそうにない太い枝を見つけて、その上にひらりと下りて腰掛ける。翼は邪魔だからしまい込んだ。
久しぶりに味わう外の空気は新鮮そのもので、頬を撫でて髪を揺らす風が気持ちいい。松井との生活も決して悪いものではなかったが、自分はこうやって生きていく生き物なんだなと実感させられた。
豊前は松井でふと思い出した。そういえば、行きがけに松井から何か持たされた。ぐいぐいと押しつけられて、無理矢理腰に括りつけられた革袋。豊前は括りつけていた紐を外すと革袋を開けた。
中には傷薬と包帯と、火打ち石。喉に効くという薬、金貨と銀貨が少しずつ。彼は最初から自分を逃がすつもりでいた事を知った。

(傷薬……

松井が朝食を持ってきた日の朝、豊前は指を火傷していた松井を見て咄嗟に傷薬を探した。せっかちな豊前は生傷を作る事が多く、常に傷薬を持っていた。
しかし捕らえられた時に落としたのか取られたのか、いつも持ち歩いていた傷薬は見つからなかった。
あれがあれば軽い火傷や切り傷なんてすぐに治ってしまうのに。持っていたら餞別として松井に渡してやりたかった。

(人のこといえる口じゃねーけど、あいつも大概だよな)

特に松井のナイフ捌き、あの手つきは非常に危険だ。いつか必ずやらかす。別れる前にナイフの使い方を教えておくべきだったと豊前は悔いた。
針仕事している所を見る事は無かったが、おそらく似たようなものだろう。絶対に針で指を刺している。一度や二度ではなくて、何度もぶすりと。
豊前も裁縫が得意だとは口が裂けても言えないが、松井よりはマシだと思う。……今さらそんな事を思っても遅いのだが。
はれて自由の身になったわけだが、これからどうしようか。過ぎ去った日々を振り返るのはやめて、豊前はこれからの事を考えた。あの歌声の主――番う相手を探してもいいし、元の群れを探してもいい。
風に乗ってどこまでも飛んでいく一人旅の始まりだ。

(一人……松井の奴、本当に大丈夫か?)

別れ際、松井は大丈夫だと言った。しかし豊前には不安しかない。一つ思い浮かべば、そこから芋づる式に次から次に心配事が思い浮かんでくる。
かろうじて味のついた白湯をスープだと言い張って胃に収めたり、本棚の上段に手が届かないと言って背伸びをしたら押し込んであった本がどさどさと落っこちてきて途方にくれたり、たまに洗濯だらいをひっくり返してぶつくさ言いながら洗濯をやり直す羽目になったり。
群れの中にも危なっかしい奴はいたが、あそこまで目の離せない奴はいなかった。
一人きりの生活に戻る戻らない以前に、松井がこの山を下りる事ができるのかすらも心配だ。あの緩やかな山道で息を切らせていた松井。いくら帰り道の方が楽でも、彼の足では日が暮れる前に帰れるか怪しい。夜の山は危険に満ちている。
――やっぱり心配だ。せめて下山するまで……いや、屋敷まで送ろう。心配し過ぎだと言われてもいい、このままでは安心して飛び立つ事ができない。豊前は松井と別れた場所に戻る事にした。
立ち上がって枝から飛び降りると、豊前は翼を出して再び空高く舞い上がった。向かい風は少し飛びにくかった。


豊前が空の道を戻ってくると、松井はまだその場にいた。座り込んで俯いている松井。もしかして足でも挫いたのだろうか。やはり戻ってきて正解だった。豊前は「ほーと、放っとねー奴ちゃな……」とごちた。歩けないなら屋敷まで背負って行ってもいいし、抱えて人目につかないように飛んでもいい。
松井に「どーした?」と声を掛けようと、ゆっくりと高度を落とした豊前の耳に届いたのは、松井がひくりと小さくしゃくり上げた音だった。

(松井がないてる)

一人でも大丈夫だと言っていたのに、どうして。やはり強がっていただけだったのか。本当は一人になんてなりたくなかったのだろうか。
あの時何度も咳き込んだ自分を見て青ざめた松井は、君もいなくなってしまうのかと、彼自身にも聞こえていないような本当に小さな声で吐露していた。
空を飛んで生きるという種の存在意義としての本能、種の繁栄のために番う相手を求める本能。そこに松井を一人にしておけないという、焦りのようなものがぶつけられた。それはどちらも重たくて、豊前の心の天秤をぐらぐらと揺らしてくる。
しばらく揺れていた天秤はやがて落ち着き、静かに傾いて止まった。傾いた天秤が指したのは松井。豊前は松井の前に降り立った。

……松井」

不意に辺りが暗くなって松井は顔を上げた。目の前に別れを告げたはずの豊前がいた。どうして彼がここにいるのかと、松井の目がぱちくりと瞬きを繰り返す。
何度も擦った松井の目元は赤く腫れており、豊前がくるくると表情を変えると称した綺麗な緑青色の瞳も、今は充血して痛々しさしかなかった。帰ったらまず冷やそう。そうしないと、明日きっと酷い事になる。
そんな事を思っている豊前を、松井は信じられないという顔つきで見た。

「豊前……何で戻ってきたの……
「何だっていーだろ。暗くなる前に帰ろう」

立てるか?と、豊前が松井に手を差し伸べた。しばしの沈黙。ほら、と促されて松井は差し出された手を取った。恐る恐る遠慮がちに松井の手が触れて、豊前は決めた。

――松井を一人で泣かせるぐらいなら、籠の中の鳥でいい。

そのまま豊前は松井の手を引いて、二人は言葉を交わす事なく屋敷に帰った。無言のまま夕食を済ませた二人がようやく交したのは、寝る前の「おやすみ。また明日」の言葉だけ。シーツの中に潜り込んで眠れば明日がやって来る。しかし昨日までの箱庭は戻ってこない。箱庭と鳥籠は少しずつ形を変えていった。


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