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ナガレ
2021-04-14 19:54:32
22266文字
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金糸雀の恋(ぶぜまつ)※パラレル
箱庭と鳥籠のふたり。ぶぜまつの異種恋愛譚が見たいという一心で書いた、17〜18世紀のヨーロッパ(架空)をふんわりイメージのファンタジーかつパラレル。刀持って戦う二振りは存在しません。前半3ページだけでも読めます。
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その日も豊前は与えられた部屋で静かに過ごしていた。
いつものように少しだけ開く大きな窓を開けて、窓枠に腰掛けて広がる空と遠くの海を眺めて過ごす日々。時々、この中を飛んだら気持ちいいんだろうなと思うくらいで、広い世界が恋しいと思う事は少なくなっていた。
群れの仲間達がこの姿を見たらきっと驚く。豊前はじっとしている事が苦手だった。暇さえあれば、あちらへふらり、こちらへふらりと、風の吹くままに飛んでいた。数日帰らなくて、一体どこまで行っていたのかと怒られる事も多々あった。それが今では一所にいるのだから不思議なものだ。
澄み渡る青空に流れる白い雲。今日は晴天だ。晴れた日は庭で洗濯をする松井の姿を見かけるが、今日は見ていない。書き物の仕事でしばらく忙しいと言っていたから、書斎でその仕事とやらをしているのだろうか。
羊皮紙に羽ペンでさらさらと、小川のせせらぎのように文字を綴っていく松井。豊前には難しすぎて読めないが、松井の書く文字は刺繍みたいで綺麗だと思う。
(眠ぃ
……
)
適度な日差しと吹き抜けるそよ風につられ、ふわ
…
とあくびが出た。少し寝ようかと豊前は目を閉じた。窓枠に凭れかかり、うつらうつらと微睡む。こんな風に木の上でうとうとしてたら落っこちた事もあったなぁと、昔の失敗談を思い出した。
夕飯はどうしようか。量はそこそこ食べるくせに、味には無頓着な松井。あのスープはあり得ない。よくあんなもので満足できたなと思う。彼の生活っぷりを見る限り、舌は肥えていそうなのに不思議だ。
パンと干し肉と野菜が少しあったはずだから、今夜はそれを出そうか。松井の仕事が終わったら市場に行こう。たまには果物が食べたい。一人で出歩く事は許可されていないから、松井と一緒でなければ。
そんな事をつらつらと思いながら、豊前は夢うつつに微睡んでいた。こんな調子で今日も静かに一日が終わっていく、豊前はそう思っていた。
――
それは突然やって来た。
「っ!?」
一瞬で覚醒した豊前は立ち上がり、外に飛び出そうとした。しかし行く手を阻まれた。
ほんの一瞬、微かだが確かに聞こえたのだ。誰かの「歌声」が。
たったの一声だったけれど、居ても立ってもいられない。目の前の窓ガラスを蹴破って、今すぐここから飛び出したかった。
言葉にできない「何か」が体の奥底からふつふつと沸き上がってくる。それは理屈や感情ではなく、もっと原始的なもの。
沸き上がってくるものを、こみ上げてくるものを、豊前は止める事ができなかった。
いつか歌わずにはいられない日が来る。そうか、これが
――
「ぁ
……
」
豊前が無意識に紡いだのは、生まれたばかりの拙いメロディだった。それでも豊前は繰り返し馴染ませるように口ずさむ。次第にそれは一つの旋律になり、歌声になった。鳥が囀るのと同じように、彼らは歌う。それが本能だから。
少しばかり遅い、豊前の巣立ちの時だった。
その日から、豊前は来る日も来る日も歌うようになった。
「
……
豊前、入るよ」
「松井?どーした?」
「僕が来たからって、やめなくてもいいのに」
気持ちいいぐらいに晴れた日、豊前はいつも窓辺で歌っていた。しかし松井が来るとやめてしまう。豊前の歌声は松井の心にじんわりと染み渡るもので、どれだけ聞いても飽きる事はないのに。だからやめないでほしかった。
彼が何のために歌っているのかわかっているが、松井はもう少しだけここで聞いていたかった。
豊前は高らかに歌い上げるような事はしない。自分の中で口ずさむだけだ。それでも松井が聞かせてくれとねだれば、少しだけと言って聞かせてくれた。歌う豊前に身を預け、松井はその歌声に聞き耽った。
松井は歌う事をやめてしまったけれども、こうやって聞くだけなら許してもらえるだろう。
「今日も天気がいいね。庭に行く?僕が洗濯している間ならいいよ」
「そーだな。干す時に言ってくれたら手伝う」
使用人がするような仕事も松井は自ら行う。掃除も洗濯も苦にならないし、屋敷の修繕も自分でやる。今日からここがお前の家だと言われた時から少しずつ家具や調度品を入れ替えて、住み家を自分好みに変えていった。
ここは松井による松井のための箱庭だ。松井はこの屋敷に誰かを入れたがらなかった。豊前だけが例外だった。
「飽きねーのか?」
「まったく。君の声、好きだから」
「
……
正面切ってそう言われっと、ちっと恥ずかしいな」
「やめないで。もう少し聞きたい」
「仕方ねーな」
豊前が何を歌っているのか松井にはわからないけれど、目を閉じて旋律をそっと心に刻み込む。もう少し、もう少しだけでいいから僕だけに聞かせてくれ。
そんな松井のエゴで先延ばしにしていたのがいけなかった。気づくと、少しずつ豊前の歌声に空咳のようなものが混じるようになっていた。豊前はあの日からずっと歌っている。たとえ口ずさむだけのものでも、負荷になって少しずつ積もっていく。
松井は少し抑えた方がいいと進言したが、豊前は大丈夫だと言って聞かなかった。そう言われてしまうと、松井もそれ以上は何も言えなかった。せめて彼の負担にならないように、聞かせてほしいとねだるのを我慢するぐらいしかできなかった。
豊前は時が来たら歌わずにはいられなくなると言っていた。その言葉の通りなら、本当は大丈夫なんかじゃなくて止めたくても止められないのだ。
愛を求める相手が見つかるまで、彼はひたすら紡ぎ続ける。それが彼らの生き方だから。
「無理しないで」
「大丈夫っちゃ。松井は心配性だな」
豊前はそう言って松井に何ともないという顔を見せていたが、ついに限界が来た。豊前が何度も大きく咳き込んだのが聞こえ、廊下を掃いていた松井は慌てて豊前の部屋に飛び込んだ。咳き込む彼の手には血がついていた。
松井は青ざめ、声にならない悲鳴をあげた。
――
父様も母様もそうだった。何ともないよ大丈夫だと言って、結局は松井を一人置き去りにした。
喉に効くという薬を買い求めて飲ませると、松井は豊前に安静にするよう言い渡した。大げさだと言って松井の看病を固辞していた豊前だったが、最後は松井の剣幕に負けておとなしくされるがままになった。
豊前が来たばかりの頃に戻ったみたいだった。今ではすっかり世話を焼かれる立場になってしまったが、最初は松井の方から話しかけて何かと世話を焼いていた。豊前は明らかに警戒していたし、松井も人見知りをしていた。
それが今ではすっかり打ち解けて、互いの体に触れる事もできるようになった。松井が身を預けても豊前は拒まず、もっと寄り掛かってもいいぞと言うぐらいには。
松井の看病の甲斐あってか、薬を飲んでしばらく養生していると豊前の枯れかけていた声は元に戻り、痛めた喉も治った。
(
……
潮時だな)
夢はいつか覚めるもの。短いけれども、本当に楽しい夢だった。心配かけて悪かったと言う豊前に、松井は遅すぎる覚悟を決めた。
今は胸がぎゅと締めつけられてつきんつきんと痛いけれど、いつかこの日々を懐かしむ事ができるようになるはずだ。
松井はくるりと豊前に背を向けて、彼の方を見ないようにしながら告げた。病み上がりの彼には悪いけれど、少しでも早い方がいい。顔を見たらきっと言えなくなる。
「
――
明日、早起きをして少し遠くへ出掛けようか」
*****
翌日、松井は豊前を連れて小さな山に来ていた。両親が健在していた頃に数回来ただけだが、まだ道は覚えていた。
松井は豊前を先導するように、緩やかな山道を登っていった。目的地は遠くない。成人男性の足ならそんなにも時間は掛からないだろう。そう軽く考えていた。
「
……
でーじょうぶか?」
「大丈夫
……
」
豊前には何ともない山道だが、体力の無い松井には思いの外きつい道だった。完全に息が切れている。松井はもう少しで着くと言うが、この調子ではいつまで経っても着かない気がする。
ここから見る限り、山道は一本道だ。道なりに歩いていけば着くだろう。豊前は松井の手をむんずと掴んだ。
「引っ張ってやっから、もうちょい頑張れ」
「体力おばけ
……
」
「松井がなさ過ぎるだけっちゃ」
豊前に手を引かれながら松井は目的地、山の中腹の開けた場所に辿り着いた。
春には花が咲き乱れ、秋には木々が赤や黄色に染まる。今はそのどちらでもない季節だから、青葉が風に吹かれて揺れていた。
あちらこちら飛び回りながら渡り鳥の生活を送っていた豊前も初めて見る、広くて雄大な景色。松井の隣で言葉を失っていた。
「すげーな
……
」
「この近くに別荘があって、小さい頃は避暑のために来てたんだ」
遠い幼少期の思い出。今も一族の誰か使っているのだろうか。目に見える金銀財宝交易品にしか興味を持たない達ばかりだから、きっと見向きもしていない。忘れ去られて朽ちていなければいいのだが。松井は朧気な記憶に思いを馳せた。
静謐な月明かりの夜が怖くて泣いた事もあったけれど、そんな時はいつも両隣に
……
これ以上思い出すのはやめよう。どれもこれも過去の話だ。
「どこでも好きな所に飛んでいけそうだろ?」
松井は豊前という籠の中の鳥を自身の箱庭から逃がそうとしている。大空を自由に翔けながら生きる豊前を解き放とうとしていた。
事実、豊前の背中は翼を出そうとしてむずがっている。果ての見えない青空に、どこまでも遠く高く飛んでいきたいと心が湧いていた。穏やかな時の中でいつしか忘れてしまっていた感覚が甦ってくる。己の生きるべき世界は遠くにあるのだと、豊前に訴えかけてきた。
今ならどこへでも飛んでいける。でも、松井は一人になって大丈夫なのだろうか。ただの話し相手が欲しかったと言って、見ず知らずの存在を買ったぐらいなのに。豊前の懸念はその一点だった。
豊前がいなくなれば、松井はあの静か過ぎる箱庭のような屋敷に一人きりだ。元の生活に戻るだけと言われてしまったらそれまでだが、そう簡単に戻れるものなのだろうか。豊前は悩んだ。
そんな豊前を見透かした松井は、「豊前は心配性だな」と苦笑した。
「僕は一人でも大丈夫だから。ほら、早く行って。君が行ってくれないと帰れない」
とん、と松井が豊前の背中を押した。
――
一人でも大丈夫。豊前はその言葉を信じるしかなかった。たとえそれが強がりの台詞だったとしても。
「
……
少し離れてくれないか」
そう言われて松井は数歩後ろに下がった。豊前は一瞬だけ振り向いて、名残惜しそうな表情を浮かべた。別れの言葉はいらない。言葉を交わせば二人とも覚悟や決意が鈍ってしまうから。
豊前が空を見上げると、頬を撫でるような微風とともに松井の目の前に純白の翼が現れた。翼を背負った豊前の後ろ姿は神様の御使いにも見え、松井には目映かった。
軽く地を蹴った豊前の体がふわりと宙に浮く。ばさりと翼を震わせ、豊前は一気に舞い上がった。
高く、遠く、空を翔ける豊前。松井はその背中に手を振った。どんどん小さくなる背中。豆粒よりも小さくなって松井の目では見えなくなるまで、松井はずっと手を振り続けた。
豊前は振り返らなかった。
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