吾妻
2023-10-03 20:11:36
11519文字
Public アークナイツ
 

Short Story log02

SNSなどに投げ込んでいた短い話のまとめです。基本的にイチャイチャしています。


La traviata

 女の首を掴んで背後の壁に叩き付けると、押し当てた掌の下で真っ白な喉が苦悶の呻きを漏らした。
 片手で覆えるほど細く頼りない首は、想像していたよりもずっと温かく、薄い皮膚の下に脈動を感じる。苛烈な怒りに支配されている頭の片隅で、「ああ、これ ・・は生きているのか」と、ぼんやり考えた。
 だが、視界の端に映った赤い色彩によって、その感慨は泡のように消え、再び湧き上がった憤りによって、思考は再び塗り潰されてしまった。
「無様だな、ドクター ・・・・
 女の首筋に刻まれた真新しい裂傷から、鮮やかな赤い滑りが溢れ、首を掴む男の手に滴る。
「あれほどの部下 たてに守られておきながら、このザマか」
 戦場において、血は、男に高揚を もたらす。戦意を奮い立たせ、悦びを煽り立てる。慈雨のように返り血を浴び、まだ自分の心臓が動いていることを確かめる。
 だが今、エンカクが感じているのは堪え難い喉の渇きばかりだった。
……ただのかすり傷だ」
 自身を遥かに上回る身の丈に覆い被さられ、首を支点に壁に縫い留められてなお、女は毅然と顔を上げてエンカクを見上げた。
 確かに大した傷ではない。しばらくすれば傷も塞がり、数日も経てば痕も残さず消えるだろう。だが、重要なのは傷の大小などではなかった。
「首から上がお前の武器だろう。粗末に扱っていいものなのか?」
 この女を初めて見たのは戦場だった。
 屍の山の只中に、確かにこの女は立っていたのだ。
 個の命よりも陣営の勝利が優先されるべき場所を知っているはずの人間が、民間人の避難に気を取られて負傷するなど愚の骨頂だ。
 たとえお前が、血腥 ちなまぐさい記憶を全て捨て去ってしまったのだとしても。
 この首級 くびを、雑に扱われれば腹が立つ。
 エンカクは身を屈め、今まさに鮮血を流している女の首に唇を寄せると、躊躇いなく噛み付いた。
「ぃっ……!」
 歯を立てた喉が苦痛を訴えて動く。傷口に舌を這わせると、鉄錆の味が口内に広がった。

 かつて、花首ごと花を落とす植物を見たことがある。
 花弁を散らさず、枯れもせず、死に際にぼとりと落ちるその様は、斬り落とされた首が地面に転がるのによく似ていた。
 もしこの首が落ちるとしたら、あの花よりも美しいだろうか。
 己の過去を摘み落とし、それさえ養分として咲く花は、いつ、どんな終わりを迎えるのか。

 傷痕に舌を這わせ、生ぬるい血を丹念に舐め取る。
 この傷を作った敵兵はどんな顔をしていたんだったか。一瞬で斬り伏せてしまったから、もう男か女かさえ思い出せない。何の歯ごたえもない、ただの雑兵だった。
 そんな雑魚が傷をつけていい首ではない。これは、未だ咲き誇る花なのだから。
 いずれ滅びる定めだとしても、落ちるにはまだ早い。

……君だって、私の武器だろう?」
 舌先を押し当てた喉が動き、女の唇から挑発的な言葉が漏れた。
「武器が勝手に刃を向けてもらっては困るな」
 エンカクが女の喉元から体を起こせば、不敵な笑みを湛えた瞳と目が合った。
 武器のように自分を使えと、かつてエンカクは女に告げた。彼女はその言葉を律儀に覚えて、無体を咎めようというのだ。
 胸の内で荒れ狂っていた怒りが凪いで、代わりに可笑しさが込み上げてきた。ドクターを名乗る女の返しは、それなりに満足のいくものだった。
 それでいい。
 簡単に手折られるばかりでは、つまらない。
「だったら、せいぜい刃向かわれないように上手く使うことだな、ドクター」
 唇に移った血を舐め取りつつ、エンカクは女の首から手を離す。

(お前の花首 くびがその体に乗っているべきだと思えるうちは、お前の武器でいてやるさ)
 だがもしも、その花が落ちねばならない時が来たとしたら、躊躇いなくこの刀を振るうだろう。
 他の誰にも譲りはしない。
 終わりまで見届けてこそ、花は愛でる価値がある。

 そうだろう、ドクター?

【終わり】