もち粉
2026-06-29 21:44:12
21156文字
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「愛のしおり」を読み込んで ――誠実なる友人からのアドバイス(前編)


モブミス カブ→ミス
ギャルとキモ男と練習デート
※名前のあるモブがもりもり出ます



金曜日の、清々しい朝。
仕事に向かう人々でごった返す王都の往来をすり抜け、中心部からやや外れた小広場へと足を向ける。ここは中・長距離馬車の発着所だ。

キモ男との本番のデートは日曜日だという。俺はヤアドを拝み倒し、なんとかこの金曜日に休暇をもぎ取った。

(すみません、ヤアド。でも、絶対に負けられない戦いがここにあるんです)

​思い返すのは、あの男の忌々しいしおりの内容だ。

『朝七時五十分、白鴎浜行き馬車の発着所集合。八時発の始発馬車に乗る。
※切符はボクが買っておくね。お代は気にしなくていいよ。
ミスルンは、白いワンピースと素足にサンダルで来てね♡』

……殺意以外のものが湧いてこない。

目的地である白鴎浜は、白いカモメが乱れ飛ぶ、日帰り旅行先として人気のあるロマンチックな海岸だ。確かにあそこまで足を延ばすなら、この時間には王都を出発しなければならない。

だからって、初デートでこんな朝早く集合とか、ありえないだろ!
大体、お前はまだ知らないだろうが、ミスルンさんは重度の方向音痴なんだぞ。こんな複雑な場所まで一人で辿り着けるとでも思ってるのか、ちゃんと家まで迎えに行け!!

焼き立てのパンの匂いが流れてくる。
隣を歩く彼に当日の道順を丁寧に教えながら、歩調を合わせてゆっくりと進む。

「ほら、この赤い看板のパン屋の角を曲がると正面に乗り場が見えますからね。四番、四番の停留所ですよ」
「わかった」

何もわかってなさそうに、口先だけで返事をするミスルンさんは、あろうことかエルフの伝統的な民族衣装にサンダル姿だった。

今朝、彼の屋敷まで迎えに行った時のことだ。
玄関の扉が開いた瞬間、俺の目に真っ先に飛び込んできたのは、眩いばかりの「白」だった。
ただでさえ短い裾を、さらにシャーリングで引き上げた際どい服から覗く、眩しい太腿からどうにか理性を総動員して視線を引き剥がし、『な、なんで民族衣装なんですか!』と裏返った声で叫んでしまった。
あの時、彼は心底不思議そうに困った顔を浮かべたのだ。

「ワンピースというのは、トールマンの女性用衣服だろう? そのような服は所持していないからな。これも構造的にはワンピースと呼べるかと思ったのだが」
「いや、あの、脚。脚がですね……ちょっと、目のやり場に困るというか、この街で着るには、出過ぎです」

「傷だらけで醜いからな。やはり他人に不快感を与えてしまうか」

何でもないように言うくせに、その耳は微かに下を向いている。
慌てて「そんなことないです!」となだめすかす羽目になった。そのままどうにか連れ出したはいいものの、案の定、すれ違うトールマンの男たちがチラチラと下品な視線を投げていく。
……見るんじゃねぇよ。
俺はさりげなく彼の斜め前に身体を入れ、道沿いの塀側を歩かせた。


「今日はこっちです」
​ミスルンさんに本番の停留所の位置を頭に叩き込ませた後、俺はあらかじめ貸切で仕立てさせておいた馬車へと、彼を誘導した。

なにせ白鴎浜は人気の行楽地だ。週末ともなれば家族連れや浮かれたカップルで溢れかえる。
キモヴの言う通りに乗合馬車なんか使えば、蒸し暑い車内で片道三時間も他人と肌を擦り合わせる羽目になるのは想像に難くない。

「街を出る前に、一箇所だけ寄り道をしていいですか?」
「構わない」

俺は馬車の窓から御者に指示を出し、とある洋品店の前で車を停めさせた。まだ開店準備中である店の扉を叩き、顔を出した見知ったマダムにさわやかに挨拶をする。

「あらあ、カブルーくん。この間はありがとね、うちの人も喜んでたわ」
「お役に立てて光栄です、マダム。またいつでもお声がけください。……それで、朝早くの開店前に申し訳ないのですが――


 ◆

新しい朝が来た。希望の朝だ。
喜びに胸を開いて、王都の大空を仰ぐ。

今日は、ボクとミスルンたんの記念すべき初デートの日。
まるで天がボクたちの未来を祝福しているかのように、雲一つなく澄み渡った青空が広がっている。

ボクは鏡の前で入念に髪を整えると、先に切符を押さえるべく馬車の発着所へと向かった。
デキる男は、大切な彼女を列に並ばせたりしないものさ。ボクのこの紳士的でスマートな気遣いに、ミスルンたんも今頃メロメロに違いない!

(『キモヴくん……優しいのね……っ』)
脳内のミスルンたんが、頼り切った瞳でボクを見上げる。
(『キモヴくんみたいに素敵な人だったら…………。あなたに、女の子の一番大切なものをあげるわ……』)

むはー!!

いけないよ、ミスルンたん! 君は男の娘だけど、ボクの中では誰よりも可憐な女の子なんだ。もっと自分を大切にしておくれ。
ボクらはまだお付き合いを始めたばかり。でも、君がどうしてもボクに捧げたいって言うのなら……ボクは……

しかし、鼻息も荒く発着所へ到着したボクは、目を見張ることになった。切符売り場にはすでに長蛇の列ができていたのだ。

​馬のいななき、車輪の軋む音、荷物を抱えた家族連れの笑い声。

いかに白鴎浜が人気の観光地といえども、まだ本格的な行楽シーズンの手前。出発の三十分も前に来れば、余裕で始発の切符を買えると思っていたのに!

慌てて列の最後尾に走る間にも、小金を持っていそうな家族や、いちゃつく不届きなカップルたちが、優雅に貸切馬車へと乗り込んでいく。
しまった、貸切という手があったのか! 窓口の職員に詰め寄って聞いてみたが、貸切は前日までの完全予約制だという。ボクとしたことが不覚……

結局、ボクの手に入ったのは、予定を大幅に遅れる九時四十分発の、むさ苦しい乗合馬車の切符だった。


「おはよう、キモヴくん」
背後から掛けられた声に、ボクはハッと振り返った。

「おはよう! ミスルン!!」
完璧なキメ顔を作りながら振り向いたボクの視界に、朝陽を浴びた白いスカートが風をはらんでふわりとふくらむのが見えた。

――ああ、これぞ憧れの白いワンピース(を着た彼女)。

……が、どういうことだろう。
彼女の華奢な上半身は、淡い水色をしたレースのカーディガンに覆い隠され、あろうことか七色に光るシェルボタンが、喉元の一番上から裾まで全て留められていた。
さらに、涼しげなスカートの裾からは、肉感を拾わない厚手の黒いスパッツ(それも、足首まである十分丈だ)が不躾に覗いている。

(あれ……? ボクの思い描いていた、生足魅惑のミスルンたんは……?)

ちょっと残念だけど、ボクは彼氏の務めとして優しく褒めてあげた。

「ミスルン、そのワンピース、とってもよく似合っているよ。ボクのためにわざわざ着てきてくれて、本当に嬉しいな」
「そうか。指定通りにして正解だったな。喜んでもらえたのなら、私も嬉しい。
それより、キモヴくんこそ、その格好だが……

あ、気づいちゃった? そう、これこそ南方大陸の一流ブランドアルマーニョの特注スーツさ!
ボクは、足元でピッカピカに光り輝くダッチの最高級革靴にも気づいてもらえるよう、片手を腰に当て、さりげなく足を一歩前に踏み出してモデルのようなポーズを取った。

――そんな装備で大丈夫か? これから砂浜を散歩して、波打ち際で戯れ合うのだろう?」
「!!」

​しまった、とポーズが崩れると同時に、ボクは嬉しい驚きに目を見張った。
彼女が片手で器用に開いたのは、ボクお手製の『愛のしおり』。
何度も読み込んだかのように折り目がつき、しかもその端には、細かな文字で書き込みまで増えているではないか。

君がどんなにこのデートを楽しみにしてくれていたのかが伝わってくる。
ミスルンたん、マジ女神……!!


 ◆

「やっと着いた……

蒸し風呂のような車内から解放された時には、既に十三時が近かった。
背中にべったりと張り付いたシャツが気持ち悪い。地肌から伝う汗で、せっかく入念にセットした髪が濡れて崩れている。
吹き抜けた潮風の涼しさに、疲れ果てた乗客たちが一斉に歓声を上げた。

「まるでイワシ缶のごとく詰め込まれていたな」

すたん、と軽い音を立てて、ミスルンたんが馬車の屋根から飛び降りてくる。
猫のようにしなやかに着地すると、何事もなかったかのようにさりげなく服の裾を整えた。

そう、発車時点で既に定員オーバー気味だった乗合馬車は、停留所に停まるたびに容赦なく客を吸い込み、子供は他人の膝に座らされ、大人は肩を寄せ合い、床に直接座り込む者まで出る始末。そこへ街道の大渋滞が追い打ちをかけ、ボクらは三時間以上もの間、灼熱の車内に閉じ込められていたのだ。

それでも、ミスルンたんと肌を密着させて閉じ込められるなんておいしいシチュエーションなら、ボクだって幾らでも耐えられたさ。

(『大丈夫かい、ミスルン。狭くて苦しいね……さあ、ボクのお膝の上においで!』)

しかし非情なる現実において、ボクの膝にいたのは見知らぬクソガキ。
愛しいミスルンたんはボクの遥か頭上――屋根の上に避難していた。

出発前、横柄な御者に「今日は定員オーバーだからね、身の軽いやつは荷物と一緒に屋根に乗っとくれ!」と言われた瞬間、彼女はひらりと屋根へ登ってしまったのだ。
当然、ボクも彼女を追って必死に車体をよじ登ろうとしたのだが、御者に『屋根が割れるから勘弁してくれ!』と全力で制止されてしまった。
言っておくが、ボクはデブじゃないぞ、ちょっとぽっちゃりしているだけだ。

目の前には、エメラルドグリーンに輝く美しい海。抜けるような青空には、評判通り白いカモメが乱れ飛んでいる。
腕を上げて大きく伸びをすると、固まっていた背中がバキバキと悲鳴を上げた。

「十一時過ぎには着きたかったのに、すっかり遅くなっちゃったね。予定を少し変更して、先にお昼にしようか」

――まったく、どいつもこいつも暇人め。週末だからってこんな田舎の海まで大挙して押し寄せやがって、他に行くところはないのかよ)
心の中で周囲の観光客に毒づきながら、あらかじめ調べておいたお洒落なレストランを探し当てたボクは、その場で絶句した。

朝の切符売り場の比ではない。レストランのウッディで洒落た景観を完全に台無しにするほどの大行列が、建物をぐるりと一周取り囲んでいるのだ。
このじりじりと照りつける炎天下、今からあそこの最後尾に並んで、店内に入れるまでに、一体何時間かかるというんだ……!?

絶望するボクを他所に、ミスルンたんは躊躇なく入り口に佇むドアボーイへと声を掛けた。

「十三時で予約しているケレンシルだが」
――あ、はい! ケレンシル様ですね。お待ち申し上げておりました」
品の良い笑みを浮かべたドアボーイによって、重厚な扉があっけなく開け放たれた。

ボクは混乱した。このレストランは基本的に手紙や魔術通信での予約を一切受け付けていないはずだ。
例外は、直接店に足を運んでの事前予約のみ。近くの別荘地に滞在している本物の大金持ちたちのための特権のはずなのに。

「ミ、ミスルン……どうやってここの予約なんて取ったの?」

恭しく店内に案内されながら、こっそり耳打ちして聞いてみた。

――内緒だ」

そう言ってわずかに口元をゆるめた。
人差し指が薄い唇の前に添えられる。

ナイショ♡って! 可愛すぎる!
きっと特別なコネでも持っていたんだね。それともまさか、わざわざ事前にここへ足を運んでくれたのだろうか?
……自分の払った労力を決してひけらかさない。なんて出来た子なんだろう。ボクはそれ以上野暮なことは聞かなかった。



潮騒に交じってカモメの鳴き声が聞こえる。

優雅な食事の後、ボクらは海岸沿いのロマンチックな遊歩道を散歩した。
先を歩く細い肢体を見守りながら、アルマーニョのスーツのポケットに手を入れてぶらぶらと歩く。

……今だ。

半歩先を歩くミスルンたんの、透き通るような白い手を握ろうと静かに腕を伸ばす。しかしその指先が触れそうになった瞬間、彼女はさっと胸元に手を引き寄せ、軽くこぶしを握って口元に添え、きゅるりと瞳を潤ませてボクを見上げてきた。

「手を……繋ぐのか?」
「う、うん。ダメ……かな?」
「駄目という訳ではないが……。こんなに人がいるところでは、恥ずかしいな」

頬をわずかに染めて長いまつ毛を伏せる奥ゆかしいその姿!
ボクは紳士だからね、彼女の純情な気持ちを尊重して、今は大人しく隣を歩くだけに留めておいた。

遊歩道は長く延び、奥に行くに従って人影もまばらになってきた。そろそろ引き返したほうがいいだろう。

あーあ、本当はしおりの通り、波打ち際で水をパシャパシャとかけあいっことかしたかったんだけどな。流石にダッチの最高級革靴を海水で駄目にするわけにはいかない。
いや、待てよ? 追いかけっこならこの遊歩道の上でもできるじゃないか。



『うふふ、捕まえてごらんなさーい♡』

脳内のミスルンたんが銀髪をきらめかせながら軽やかに駆けていく。

『ハハハ、待てよー! さ、捕まえた!』
『きゃあっ♡』

後ろからその細い腰を優しく抱きしめて捕まえるボク。

『もう二人きりだよ。ここでなら、誰に見られることもないから恥ずかしくないだろう?』

こくん、と林檎のように頬を染めて、無言で愛らしく頷くミスルンたん。
そうして、そのまま指を絡めて手を繋ぎ、人もまばらなこの遊歩道を静かに寄り添って戻るのだ。

――これだ! 

「ミスルン、追いかけっこしながら戻ろうか」
「追いかけっこ?」

ふふ、とミスルンたんが笑う。「子どものような事を言うのだな」
「いいからいいから。レストランの前までボクから逃げ切れたら、ミスルンの勝ちだよ。
ほら、よーい……

ドン、と言った瞬間。

地面の砂が爆ぜた。
次の瞬間にはミスルンたんの姿は数十メートル先にあった。

早くない??
手刀を振って走り去るミスルンたんの背中は既に豆粒のようだった。


――エルフって、体力がないことで有名な種族じゃなかったっけ。


「ひぃ、ひぃ、ふぅ、ひぃ……っ!」
死に体で息を切らし、滝のような汗を流しながらようやくレストラン前まで辿り着くと、そこには汗一つかかず、呼吸すら乱していない涼しげな顔のミスルンたんが平然と立っていた。

特注のスーツは、無惨にも汗でドロドロだ。おまけに、慣れない高級革靴の硬い革の中で、両足の踵がヒリヒリと激しく靴擦れを起こして悲鳴を上げている。

「あ、キモヴくん。今の時間なら、王都までの直通馬車に空席があるらしい。街道も空いているから、二時間と少しで王都に帰れるそうだ。
先ほどのレストランのものが手配してくれると言っているが、どうする?」

……帰ろうか」

ボクの輝かしい初デートは、こうして予定表の半分も消化できないまま幕を閉じた。


 ◆

「うんうん、上出来です。ちゃんと『恥ずかしいから』って言って、手を繋ぐのは回避できたんですね。例の上目遣いも、ちゃんとできました?」
「したぞ」

そう言ってミスルンさんは、その場で実演してみせてくれた。
首を少し傾げ、銀のまつ毛を伏せるようにしてから、そっと視線だけを持ち上げる。

素晴らしい。俺が仕込んだだけあって、完璧な破壊力だ。
……不意打ちでまともに食らうと、こちらの心臓に悪いくらいに。


「しかし、しおりでは繋ぐことになっていたが、その通りにしなくて、本当によかったのだろうか」
「いいんですよ、今回の場合はちょっとキモヴが急ぎすぎです」
「そうか……リナとは初回から繋いでしまっていたのだが、良くなかっただろうか」

ちくりと痛みを訴えた胸をなだめて、言葉を紡ぐ。

……リナさんとか、例えば俺みたいな元から親しい相手なら初回から繋いでもいいんです。
でもキモヴは、告白されるまで、まともに知らなかった相手でしょう? そういう相手とは、もう少し関係を深めてからです」
「トールマンの倫理観とはそういうものか」

「ええ、でもいつかは繋ぐかもしれませんからね。今から練習しておきましょう」

キモヴとの『練習』いう大義名分を盾にして、彼の小さな手をしっかりと包むように握った。
そのまま指を絡めれば、薄い皮膚の下にある骨の感触が俺の指の間に収まる。

そうして、どちらからともなく歩調を合わせて歩き出す。
ミスルンさんは……俺の手を拒みはしなかった。


――日曜日、あのキモ男とミスルンさんの初デート当日。
できれば、物陰からついていきたかったくらいなのだが、金曜日に無理やり休暇をもぎ取ったツケが回り、俺は無念の休日出勤を余儀なくされていた。

さすがにこれ以上ヤアドに迷惑を掛けられない。おとなしく城の執務室に詰めてはいたものの、一日中気が気ではなかった。

だが、こうして帰ってきたミスルンさんからの報告を聞く限り、俺の予測と対策はかなりいい線をいったようだ。

特にあの人気レストランへ、金曜日の時点でミスルンさんの名義で日曜の予約を入れておいたのは、我ながら最高のお手柄だ。
案の定、始発の切符は取れなかったようだから、十三時の予約にしたのは正解だった。

早めの時間の帰りの便を手配してくれと、あらかじめレストランのボーイに、チップを多目に握らせておいたのも功を奏したようだ。

「カブルー、ありがとう。お前が事前にあれほど熱心に練習に付き合ってくれたおかげで、うまくできたような気がする」
「お役に立てて嬉しいですよ。また何でも、どんな小さなことでも俺に相談してくださいね」
「うん、実はだな。次回のデートのしおりが既に届いているのだが……

​(……まだ懲りてねぇのか、あのデブ)

「もちろんです。次もしっかり練習してから、本番に挑みましょうね。
……大丈夫、俺が、ぜんぶ教えてあげますからね。きっと、次回も上手くできますよ」


俺はにっこりと、誠実なる友人の顔で励ました。