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もち粉
2026-06-29 21:44:12
21156文字
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「愛のしおり」を読み込んで ――誠実なる友人からのアドバイス(前編)
モブミス カブ→ミス
ギャルとキモ男と練習デート
※名前のあるモブがもりもり出ます
1
2
3
4
ボクの差し出した深紅の薔薇を取り上げる白くたおやかな手。
かさり、と音を立てて花束を胸元に抱きしめた運命の恋人は、「うん」と応じてくれた。
シャイな君は、ほとんど表情を動かさなかったけど、ボクの脳内では、君がはにかんだように美しく頬を染めているのがはっきりと見えたよ。
その瞬間、草木は生い茂り、花は咲き乱れ、鳥は歌い、動物たちは踊り出し、汚れた水は清くなり、人間は争いをやめ
――
そう、ボクの灰色の人生に、女神のような君が舞い降りた。
嗚呼、天よ。ボクが三十五年間、清き体を保ち続けてきたのは、全てこのミスルンたんと出会うためだったのですね。
おっと失礼、自己紹介がまだだったね。
ボクはキモヴ。貿易商会で会計を務める、しがない勤め人だ。
神の采配か、運命の悪戯か、ボクは転勤でこのメリニへやって来た。
そして、そこでボクは奇跡の出会いを果たしたのだ。マイ・ディスティニー、ミスルンたんに。
「キモ
……
」
食堂の看板娘が顔を引きつらせて呟いた。惜しい、キモヴだよ、リナ嬢。
ボクに恋人ができたことがショックかい?
だが清らかな百合を捨て、男に走った君のようなビッチにもはや興味はない。
まあ、確かに最初は店前で呼込みをしていた彼女のゆさゆさと揺れるおっぱいと、短いスカートからすらりと伸びる張りのある脚に釣られて
……
、
いや、このように若い女性が心ない客にセクハラを受けては可哀想だと陰ながら彼女を守る騎士としてこの食堂に日参していたのだ。
「はい、スペシャル定食おまちどーう!」
……
まったく、けしからんおっぱいだ。
やがてボクは奇妙なことに気がついた。
特定の男女の二人組が店に来た時、リナ嬢は客の途切れた隙を見つけては、そのうちの片方
――
小柄な女性の隣にぴったりと座るのだ。
最初は仲の良い友達なのかと思った。だが、彼女の表情は明らかに恋をしている乙女のそれで、ベタベタとしなだれかかったり、椅子の後ろから抱きついたりしている。
これは
……
百合!!
本物の、天然物の百合だ。生で拝める日が来るなんて。
豊満で朗らかなリナ嬢にされるがままの、ほっそりと小柄な彼女の名はミスルン。
同席していた、無駄に顔のいい褐色肌の男がそう呼んでいるのが聞こえてきた。
そうだよな、さすがに「ミスぴ」が本名ってことはないだろう。
それにしても褐色肌の立ち位置はなんだ。最初はミスルンたんの彼氏かとも疑ったが、どうやら違うようだ。熱心に世話を焼く様子からして付き人だろうか。なににせよ、百合に挟まる男には死あるのみだぞ。
そうしてボクは、ほぼ毎日この店に通い詰めた。
儚げで美しいくせに、時折どこか隙のある表情を見せるミスルンたんにボクはぞっこんラヴだった。
しかしキャッキャウフフと戯れる至高の百合空間を壊す権利など誰にもない。想いをそっと胸に秘め、遠くから見守るだけで満足だった。
そのうちにミスルンたんが実は男性だと気づいたが、ボクのハートはますます狂おしく燃え上がった。
男の娘、最高!!
やがて失楽園が訪れる。
リナ嬢が彼氏を作りミスルンたんを捨てたのだ。結局、世の女など皆ビッチなのだ。
やはり男の娘しか勝たん。
そういうわけで、軽薄な小娘に捨てられ憂いに沈むミスルンたんを救ってあげるべく、ボクは彼女(男の娘は女性扱いするのが礼儀だ)に交際を申し込んだのであった。
――
さあ、ボクこそが君の運命の人だよ!
◆
いやいやミスぴ
……
、本気?
ウチは持っていたお盆を落としそうになった。
「では早速、お互いをよく知り合うために食事をしようじゃないか。
……
ふ、ふたりっきりでっ」
――
どもってやんの、ダッサ。
キモ男は指をパチィンと鳴らし、「おい給仕、ボクたちのために一番いい席を!」と横柄に叫んだ。
一番いい席って言われたって、ここは単なる街の食堂だ。ウチは冷めた目で、ちょうど空いた窓際の席を指差してやった。
意気揚々と歩き出すキモ男の後ろに、やけに高級そうな花束を持ったミスぴが続く。その腕を掴んで耳元に素早く囁いた。
「ちょっとミスぴ! ほんとにあんなキモ男と付き合うの!? イヤだったらウチからガツンと言ってあげるよ!?」
ミスぴは首を傾げて、それから少しだけ微笑んだ。
「大丈夫だ、ありがとう。ああこれ、店に飾るか?」
差し出された深紅の花束に、ウチは心の中で(えぇー
……
)と盛大にのけぞった。
そりゃ本人がいいなら、元カノが口出しする権利はないけどさ。
付き合ってた時には一度も貰えなかった花束(しかも横流し品)を押しつけられて、ウチはぽつりと言葉を漏らした。
「なんか
……
アレと同レベルにされたみたいでフクザツ
……
」
「ある意味、同じですよ。ミスルンさんの中ではね」
「うわびっくりした!」
背後から、地獄の底から響くような声がして心臓が跳ねた。いつの間にかすぐ後ろにカブっちが立っている。
背負っているオーラが暗すぎて、本当に周囲にどよどよと縦線が見えるかのようだ。なんであんたがそこまで落ちてんのよ。
「
……
ミスルンさんには、顔の良い相手がいいとか、好みのタイプの人と付き合いたいとかいう欲もないですからね
……
」
カブっちの目は、窓際の二人を凝視したまま完全に据わっている。声も低くて怖いんですけど。
「"欲のなさ"って、そういう所にも出ちゃうんだ
……
。え、待って、ウチともそんな感じで付き合ってたってこと!?」
「いえ! ミスルンさんの好みはともかく、リナさんは世間的に見て充分美人ですし、すごく可愛いですよ!」
「言いくるめ感すご過ぎだから」
(なーんか、引っかかるんだよな、カブっちって)
「それよりリナさん、あの二人の会話が聞こえる席に案内してください。今すぐ!」
「ちょ、肩掴まないでよ。見りゃわかるでしょ、窓側は満席! そっちの壁際に座ってよ!」
「すみませーん、注文いいですかー?」
「はぁい、ただいま参ります!」
カララン、とドアベルが連続して鳴り、ランチタイムの喧騒がドッと店内に流れ込んできた。
キモ男が何やら手作りっぽい小冊子を広げて、ミスぴに熱弁を振るっているのが死ぬほど気になったけれど、これ以上は構っていられない。
こっちはプロの看板娘なのだ。ウチは、未だに窓際を睨みつけているカブっちをその場に残し、気持ちを切り替えて仕事へと走り出した。
◆
城に戻ってから、夕方の執務時間が終わるまでの記憶が見事にない。
あの後、俺は食堂の隅の席に陣取り、冷めかけていく食事を喉に流し込みながら窓際を睨み続けていた。
キモ男が仕事に戻るタイミングを見計らって、ミスルンさんを強引にでも連れ出すつもりだったのだ。なのに
――
あの男、今日は非番だったらしい。
いつまで経っても席を立とうとしない男を前に、無情にも俺の昼休憩が終わりを告げた。
いまだ熱弁を振るい続けるキモ男とデザートを黙々と食べているミスルンさん。二人を店に残して、俺は後ろ髪を引かれる思いで席を立つしかなかった。
断腸の思いでやっと戻った執務室での仕事は、目も当てられない惨状だった。
普段なら目を瞑ってでもできる通常業務でさえ、文字が滑って頭に入らない。
書類の不備を連発し、あろうことか決裁のサインを書き間違えるという、あり得ない失態まで演じた。
最終的にヤアドに深くため息をつかれ、「明日までに気持ちを切り替えてきてください」と、執務室を放り出されてしまった。
仕事ができると自負していた俺にとって、それは耳の奥が熱くなるほどの屈辱だった。
(全部あのデブのせいだ)
あまりに情けなくって、城の自室に泊まる気にはなれなかった。俺は久しぶりに、かつて使っていた酒場の地下の部屋へと足を向けた。
「おいおい、久しぶりじゃねぇか!」と大家の店主は大喜びで迎えてくれ、山盛りの賄いと冷えたエールを並べ立てた。
「王様どうしてる?」「おまえさんも偉くなっちゃってよう」
彼の底抜けの陽気さに救われ、酒の力も手伝って、張り詰めていた毒気が少しだけ抜けていくのを感じた。
ほろ酔い加減で薄暗い地下への階段を降りる。ひんやりとした懐かしい空気の部屋で、ドサリとベッドに倒れ込んだ。
目を閉じた瞬間、コンコン、と控えめなノックの音が地下の静寂に響いた。
再び身を起こすのが酷く億劫で、「はい」とも「うう」ともつかない、掠れた声を漏らす。だが、扉の向こうから漏れ聞こえてきた声に俺の心臓は跳ね上がった。
「カブルー」
聞き慣れた、穏やかな声。俺はベッドを蹴るように飛び起きて、弾かれたように扉を開け放った。
「
……
どうしたんですか、ミスルンさん。こんな夜更けに」
階段の上から落ちてくるわずかな灯りを背に、ミスルンさんが佇んでいた。
逆光の中で、彼の銀の髪だけが、淡く光って見える。
「トールマンのデートについて、私に教えてくれないか?」
◆
「デートって
……
あの、今日交際を申し込まれてた、キモ
……
ゴホン、男性とのデートに向けて、ってことですか?」
(は? 何それ。ミスルンさん、そんなにあいつとのデートに気合が入ってるってこと!?)
頭からすうっと血の気が引いていくのがわかる。一瞬視界が暗くなりかけたが、どうにか気力を総動員して言葉を絞り出した。
俺の狭いベッドにちょこんと腰掛けたミスルンさんは、思い出したように小さな謝罪を口にする。
「ああそうだ、今日はすまなかったな。お前と昼食の約束だったのに、キモヴくんと食べてしまった」
「いえ、お取り込み中だったみたいですから。
……
って、キモヴ
……
『くん』!?」
「そう呼んでくれと言われた」
……
図々しいな、あのデブめ。
右の頬がピキリと引きつりそうになるのを、俺は超人的な意志の力で抑え込んだ。
「ミスルンさんは? なんて呼ばれる予定なんですか?」
「普通だ。『ミスルン』と」
呼び捨てかよ! なんて厚かましいんだ。
この俺だって「隊長」からシフトして、いまだに「さん」付けだというのに。
でもまあ、もしあの男の口から「ミスルンたん」だの「ルンルン」だのというふざけた響きが飛び出していたら、次に会った瞬間、殴り飛ばしているところだった。
偏見かもしれないが、あいつ絶対、彼女いない歴=年齢だと思う。なんか拗らせた雰囲気が漂ってたもんな。
「それで? あの人、何歳なんですか? 仕事は? 家族構成は? そういう身元の確認はちゃんとしましたか?
うちの国民なら、こっちで調べてあげましょうか?」
「メリニの民ではないな。赴任で来ているだけだ。詳しいことはここに書いてあった」
ミスルンさんが、上着の懐から手のひらより一回りほど大きな小冊子を取り出した。
歩み寄ってそれを受け取った俺は、表紙の文字が網膜に飛び込んできた瞬間、危うくそれを床に叩き落としそうになった。
『キモヴ♡ミスルン 愛のしおり』
「愛」の字の端がくるりと伸びて、さり気なくハートを描いているのが異様に腹立たしい。
しかも、手書きだ。変な念が籠もってそうで触りたくない。
汚物でも触るように指先で端を摘み、ページを捲る。最初に奴のプロフィールがあった。余白には星やら音符やら、小さなイラストが散りばめられている。
やけに絵が上手いのが、また嫌だ。
それによればキモヴは三十五歳。
カーカブルード郊外の生まれで、家族構成は祖母、両親、妹、および犬(二代目)。
世界中に拠点を持つ大手貿易商会の会計として働いているらしい。
くそ。堅実な仕事じゃないか。
「リナにな」
「はい?」
「リナに言われたんだ。彼女と会っている時に、私の反応が薄くて寂しかった、と」
「あー
……
それは」
(あっただろうな)
俯いたミスルンさんのつむじを見下ろしながら、俺は努めて、優しい声を出す。
ふんわりとした細い銀髪が、俺の視界の下で小さく揺れた。
「でも、俺はミスルンさんの反応、結構わかりますけどね。
他人に伝わりにくいだけで、あなたが何も感じていないわけじゃないってこと、俺はちゃんと知っていますから」
「そうか」
ミスルンさんは、ほんの少しだけ眉尻を下げた。
口元だけがかすかに緩む。
――
これは俺の好きな表情。
「ただ、彼女には
……
せっかく計画してくれた遠出や、心尽くしの弁当に対して、彼女が喜ぶだけのものを返してやれていなかったのだな、と思って」
ミスルンさんは不甲斐なさそうに短い耳を伏せた。
……
あんた、結構ちゃんと、リナのこと気に入ってたんですね。
「だから。
せっかくこんな、何もない私をいいと言ってくれたんだ。もし次に誰かと交際する時には、私からも努力して、関係を築くべきだと思っていた」
「ミスルンさん
……
」
素晴らしい変化だ。かつて悪魔に全てを喰われ、空っぽだったこの人に「人の気持ちに応えたい」という新しい欲が芽生えたのだから。
――
だけど。その新しく芽生えた欲はさぁ、本来なら、俺との時に向けられるはずのものだったんじゃないのか!?
俺とあのキモ男と、一体何が違うっていうんだ。どう見たって、外見も、付き合いの長さも、俺があんな「デュフフ」とか言ってそうなデブに負けている要素なんて一つもないだろう!?
あー、いや。
あいつの方が、(現時点では)俺より年収が高そうなのだけがどうしても納得いかないが。
しかし、そもそも資産家のミスルンさんが経済的に頼れるほどの相手なんてこの国には存在しない。我がライオス王だって無理だ。
しかたないだろ、メリニは出来立ての新興国だ。これからだよ。
タッチの差だ。ただ、先に言われた、それだけだ。
「
……
それで、今回はご自身でもデートプランを考えようと思って、俺のところに相談に来てくれたんですね?」
俺は胸のドロドロとした感情を覆い隠し、"頼れる友人"の笑みを浮かべて問いかけた。
「いや」
ミスルンさんは首を振った。
「デートプランはもう、決まっているんだ。だから注意事項というか、トールマンとしてのアドバイスを聞いてから臨んだ方がいいかと思って、お前のところに来た」
「決まっている
……
?」
ミスルンさんが、俺の手の中にある冊子を視線で指し示す。
嫌な予感に苛まれながらペラリとページを捲った瞬間、情報量に目が滑った。
そこには、『キモヴ♡ミスルン 初デート計画』と、悪趣味なリボンの飾り枠の中に題され、見開きいっぱいに一日のタイムスケジュールが狂気的な密度でびっしりと書き込まれていた。
ぞわ、と二の腕の毛穴が恐怖で逆立つ。
こんなヤバい男に俺のミスルンさんをおとなしく奪われていい理由など一つもない。
俺は冊子を閉じた。
ゆっくりと。
丁寧に。
決して引き裂きたい衝動を表に出さないように。
そして、顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「確かに、ここまで詳細にスケジュールが決まっていると、失敗しないか不安になってしまいますよね。でも大丈夫です、何事も慣れですから」
――
内心に渦巻く計算と、奴への殺意を甘い声音で覆い隠す。
「まずは俺と、事前に『練習デート』をしてみましょう」
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