shirajira
2026-06-28 07:06:30
23558文字
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BEYOND THE BYGON SKY(仮)

ビマヨダ日本一周本の冒頭部分(プロローグ、東京、埼玉)。校正がまだなので最終稿は中身変わるかもです


<埼玉県・古代蓮の里>
「ふむ。蓮だけの庭か。わし様の宮殿にあった庭と比べたらゴージャスさには欠けるが、悪くはないな」
 いちいち偉ぶらないと喋れねえのか、こいつ。思いながらビーマは蓮からドゥリーヨダナの横顔へ視線を移した。初夏とは言え早朝の風は爽やかで、日差しもまだ穏やかだ。ドゥリーヨダナの表情もまた、口調とは裏腹に景色を楽しんでいるものだった。
 時間が時間だからか、空いている公園を二人でゆっくり歩く。会話はない。ただ穏やかに過ぎる時間が、ビーマは嫌いではなかった。
 だが、ドゥリーヨダナは黙ってはいられない質なのか、しばらくすると「しかし、蓮なんてそう珍しいもんでもなかったが、マスターの国ではわざわざこうして観賞用に育てるのだな」と難癖をつけ始めた。
「しかもこの空間には蓮しか植わっておらん。贅沢と言えば贅沢な土地の使い方だが、蓮なんて年がら年中生えてるもんでもなし、他の季節はどうするのだ? この庭の入園料は取らんと言うし。民から集めた税金で賄っているにしても、よくそんな余裕が……
「それだけ豊かだってことだろ。お前の言う通り、俺たちからすれば蓮なんて、それだけ集めて庭を作るようなもんじゃなかったし、ましてやそんな庭を誰もが目にできるわけじゃなかった」
 だからこそ、素晴らしい庭、美しい花には価値があった。今もその普遍的な価値は失われてはいないのだろうが、形は変わっているのだろう。
 よく手入れされた蓮は、かつてその辺りで見かけた自然に群生したものよりも透き通るように美しく、繊細なように見えた。人の手に依らず力強く咲いたものと、どちらが美しいと思うかは人によるだろうが――どちらも美しく、人の目を楽しませることに変わりはない。
 もっとも、別に蓮は人を楽しませるために咲くわけではないのだが。勝手に人が楽しんでいる、それだけだ。
 花のような男に目をやる。花といってもこの男の場合は毒花である。少なくともビーマにとっては。口に入れたらひどい目にあった。しかも口に入れたくなくても無理やり入ってこようとするから最悪だ。
 だがこの男の毒の味を知ることなく、ただ愛でた者たちもいたのだ。
 理解できない。そう思う。けれども。
 咲き誇る蓮の前に立つ男は、美しかった。顔立ちの話ではない。そこには英霊となってなお、はちきれんばかりの生命の、人間としての輝きがある。汚泥から咲く、大輪の花。
 手折ったのは自分である。そのことを後悔はしていない。するべきことをしただけだ。
 ただ、その結末が己でも到底納得できるものではなかったから。今もビーマの心を毒が蝕んでいる。
 丸一日ドゥリーヨダナと共に過ごしてみたが、ドゥリーヨダナに対する嫌悪感が薄れることはなかった。当たり前だ、積年の想いがちょっとやそっとで変わるわけがない。
 ただ、同じ目的があるからか、それともペナルティのお陰か、あるいはドゥリーヨダナが黙っていられないのか何かとくっちゃべっているからか――場合によっては黙ってくれていた方がましかもしれないが――思っていたよりは、悪くなかった。
 子供の頃から何かといがみ合い、競い合っていたが、その頃に――ドローナやバララーマに師事していた頃に、戻ったような気すらした。
 嫌い合ってはいるけれど、それだけの、まだ決定的なことは起きていない、そんな頃に。嫌うだけにはなれなかった、それをよしとできていた、あの頃に。
 戻るなんてことはあり得ないのだけど。死者の影法師になったとは言え、ビーマたちは時の流れから完全に解放されたわけではない。サーヴァントとして霊基の型にはめられている以上、時は前に進むのみだ。
「わし様であれば、庭は無料にするにしても入り口までにするとか、あるいは何か金を落としたくなるような仕組みを作るがなあ。もったいない」
「ここを作ったやつは、お前ほどがめつくなくて心根の優しいやつだってだけだろ」
「はん。貧乏パーンダヴァが何か言っておる。心根だけで国を納められるだなんて、そんな甘っちょろいことはお前たちだって考えなかったろうに」
 美しい蓮を二人で眺める。生前この男と、こんなことがあっただろうか。ハスティナープラを離れバララーマのところで修行をしていた頃、二人で川辺に並んだことくらいはあったかもしれない。あの時は、たくさんいるドゥリーヨダナの弟たちも、カルナも、アシュヴァッターマンすらいなかったし。
 二人きりの時間を、当時の自分がどんな気持ちで過ごしていたのか、あまり思い出したくなかった。そういう自分がかつていたことは認めるが、それだけだ。今の自分ではない。
 今の自分は。思ったよりは悪くない、と思っている。けれどもやっぱり、物足りないような気持ちがある。
 飢えているわけではないのに、満たされないと感じる。
 無意識にビーマが腹を押さえていると、突然ドゥリーヨダナが「おっ」と声を上げて駆け出した。
「おい、ドゥリーヨダナ!」
 離れて行動するとペナルティがある。昨日痛い目を見たというのに、もう忘れたのだろうか。
 ペナルティがあるのは離れた方だから、ドゥリーヨダナが勝手に離れたところでビーマにダメージはない。それでも自然と足はドゥリーヨダナを追いかけるために前に出た。
 脳裏には昨日見た、痛みに踞ったドゥリーヨダナの姿がある。かつていがみ合い、殺しあった相手で、ビーマはドゥリーヨダナのことが嫌いなのに、それでも痛みに喘ぐ姿を見たくはなかった。
 嫌われ憎まれていると、相手が自分達に何をしたかを知っていて、それでも嫌いなだけになれなかった自分は、今も過去になりきれていない。
 意外にもドゥリーヨダナはすぐに足を止めた。ソースと油の匂いがする。ちょっとしたテイクアウトをやっている店を目敏く見つけて、それで走り出したらしかった。
「高貴な王子であり美食家のわし様を満足させるものはそうないとは言え、日本というのは何食べてもそれなりにうまいらしいからな~小腹も空いたことだし、どれどれ」
「おい、勝手に離れるなよ」
 追い付いたビーマが声を掛けると、ドゥリーヨダナは振り返りもせず「わし様に指図するな。束縛する男はモテんらしいぞ」と言った。
「昨日の今日だってのにお前は忘れちまったのかもしれねえが、離れるとペナルティがあるだろうが」
「ふん、わし様を痴呆扱いするなんて万死に値するぞ。お互いが視界に入る距離なら大丈夫だろう。そもそもお前がちゃっちゃとわし様に着いてくればいいだけの話だろうが」
「ああ言えばこう言うな、お前は。口だけは達者だ」
 ドゥリーヨダナが振り返った。睨まれたってビーマには屁でもない。そもそも喧嘩をしたいわけではないので、ビーマもメニューを眺めた。
「ゼリーフライ? 何だこれ」
 一番目を引くメニューを読み上げる。どうもこの店の売りらしい。店名より目立つ大きさで看板が掲げられているし、旗も立っている。他にはソフトクリームやかき氷もあるらしかった。
「お前もこれが気になったか。バナナの天婦羅みたいなやつじゃないかと、冴えた美食家のわし様は予想するぞ。意外性と甘さ、そして油の三点盛りだ」
 何やらしたり顔でドゥリーヨダナが言う。ビーマが「何だよ、バナナの天婦羅って」と返すと、腹の立つドヤ顔を向けられた。
「おやおや~? 料理人だというのにバナナの天婦羅も知らんのか? 雀の女将に教わらなんだか。はっ、もしやあの女将、わし様に気がある……? いやしかし、さすがにあのちんちくりんは女としては見れんなあ。ふっ、罪作りなわし様……
「女将に何かしやがったら、お前を四つ折りにしてフライにする」
「ガチでやりそうな目で見るな! 女として見れんと言っておるだろうが!」
 何でも、変わり種が食べたいと駄々を捏ねたドゥリーヨダナを見かねたのか呆れたのか、紅閻魔がバナナの天婦羅をデザートとして出してくれたことがあったらしい。サクサクとろりで甘くて美味しかった、と味を思い出しているのか、どこかうっとりした顔でドゥリーヨダナが言った。
「まあ、見た目は茶色くて地味だし、少しで十分ではあったが」
「お前は一言も二言も余計だよな。……ん?」
 ドゥリーヨダナ越しに、立て看板があるのにビーマは気付いた。ゼリーフライの由来、と書かれている。
「おいドゥリーヨダナ、ゼリーフライはゼリーのフライじゃねえみたいだぞ」
「何だと?」
 ゼリーフライは形が日本の古い通貨である小判に似ており、元々は銭フライと呼ばれていたのが訛ってゼリーフライと呼ばれるようになった、そう言われているが詳しくはわかっていないと、説明と言うよりは憶測が看板には書かれていた。
「材料はジャガイモにおから、にんじん、ねぎ……コロッケみたいなもんか」
「おからってあの、豆腐の親戚とかいうやつか? ふーむ」
 ドゥリーヨダナが店の中を覗き込み、何やら店員と言葉を交わした。かと思えば「何!? 揚げたてが食べられるのか!」と他の通行人が足を止めるほど大きな声を出している。
「やっぱり甘いものにしようかな~と思わんでもなかったが、そういうことならゼリーフライにするぞ!」
「おい、この五個入りにしろ。そっちのが割安だ。俺も食べるし」
「わし様はお前の家族じゃないぞ。分け合う義理はないわい」
「高貴な王子なんだろ。ケチケチすんな。後ろに並んでるやつもいるし、店主、五個で頼むぜ」
 横から口を出す。ドゥリーヨダナの大声につられたのか、いつの間にか後ろに客が並び、列を作り始めていた。
 会計をし、少し待っていると揚げたてのゼリーフライをさっとソースにくぐらせてから渡された。ベンチに座って食べる。
「はむはむ。うむ、揚げたてでホクホクでうま~い! ソースの塩味で不思議と甘さを感じるな」
「むぐむぐ。フライと言いつつ衣はついてねえんだな。風味が随分豊かだが……ただのおからじゃねえのかな」
 少なくともカルデアで食べたことのあるおからとは味が違う。ここに紅閻魔の女将や弓兵エミヤがいればすぐにわかったのだろうが――思いながら、ビーマは何気なくドゥリーヨダナの顔を見た。
 にこにことゼリーフライをぱくつく顔は、心底から食べることを楽しんでいた。他の客がドゥリーヨダナの顔を羨ましそうに見ているのを感じる。余計なことさえ言わなければ、広告塔としてドゥリーヨダナは優秀だった。
 昨日東京を観光していた時も、何度かこの顔を見た。その度にビーマの心には形容しがたい気持ちが湧き出た。
 それは闘志と似ていた。あるいは遠くにある山を、意志を持って見つめるような心地だった。
 一人の料理人として、自分の手でこの表情を引き出したい。そんな、あまりに色々あった相手に対して思うには、素朴すぎる想い。
 サーヴァントは座の影法師だ。切り取られた影は、座にいる英霊そのものではない。今の自分は、料理人としての面が強いのかもしれなかった。
「はむはむ、ごくん。さて……わし様は心優しいのでな、お前に三個食わせてやる」
「そりゃどうも」
「おい一瞬で食べ終わるな!? まったく、腹さえ満たせればいいのか」
「んなわけねえだろ。ちゃんと味わってら」
 ドゥリーヨダナが余計なコメントを口にして商売の邪魔をするより先に、ここから離れた方がいいだろう。ビーマが立ち上がれば、ドゥリーヨダナも着いてきた。
 売店のようなものを見つけたので入る。品揃えを見て、思わず「おお」と声が出た。
 付近で育てられたものだろう、そこには新鮮な野菜が並んでいる。値段が高いのか安いのかは判断ができなかったが、物は良さそうだった。ビーマの知らない野菜もある。
「おいおい、食べ足りないからといって、調理もしてない野菜によだれを垂らすな」
「垂らしてねえよ。料理して食べてみてえとは思ってるが」
 どこか拠点にする場所があるわけでもない。食材を買い込んで調理するというのは、旅行者の身では難しかった。少なくともこの時代、この国では。
 調理できる場があれば、こいつに俺の料理を食べさせることもできるのにな。ビーマは野菜には興味がないのか、菓子類を眺めているドゥリーヨダナの横顔をちらりと見た。
 カルデアで料理人として厨房に身を置いているビーマだが、ドゥリーヨダナがビーマの作った食事を食べたことはない。少なくとも、ビーマが見ている限りでは。そもそも避けられていたのか、ドゥリーヨダナはビーマがいない時間帯を狙って食堂を利用しているようだった。
 こいつを俺の作った料理で唸らせてやりたいな。そんなことを思う。それはやっぱり闘志と似ていた。目も舌も肥えた男を満足させるのは、さぞやりがいがあるだろう。
 どうしたらこいつに俺の料理を食べさせられるんだろうな。野菜を物色しながら、そんなことを考える。同時に、食べさせて、満足させて、それで自分はどうしたいのだろうとも思う。
 小心者な男はない悪意を勝手に見出だす。ビーマがドゥリーヨダナを唸らすような料理を作って出したところで、毒が入っていることを疑うか、あるいは何らか自分を馬鹿にするつもりかと、そんなことを言い出すような気もした。
 そんなだから生前から互いの間のことは何一つうまくいかなかったのだ。だが、大元にあるのは多分、幼いビーマが悪気なく百王子を痛めつけた出来事だろう。
 悪意は目に見えない。人は起こった出来事や起こした相手との間柄から、そこに悪意の有無を見る。ドゥリーヨダナにとってビーマは、何をしても悪意があるように見える、そういう相手だという、それだけのことなのだろう。
 やっぱり自分は、何かを期待しているのだろうか。生前何度も思い起こしては今更どうにもならないと、そう思っていたようなことを、今更?
「おーい、いつまでそうしてるんだ。買うなら早く買え。それとも金が足りんのか? ふふん、お金持ちのわし様が貸してやってもいいぞ。利子はトイチで」
 店内を見るのに飽きたらしいドゥリーヨダナにそう持ちかけられ、ビーマは「買わねえよ」とため息混じりに野菜を棚に戻した。
「金がないわけじゃねえ。……買ったところで調理できるあてがないからな」
 時代、あるいは国が違えば野営も気軽にできたかもしれないが、今回は難しい。移動の制限がかけられているのもある。一ヶ所に留まれるのであれば、色々やり方もあったろうが。
「ふーん」
 ドゥリーヨダナは何やらつまらなそうな顔をしていた。ビーマに借金を負わせるつもりが、そうはいかなかったからだろうか。
 左腕のスマートウォッチを確認する。観光ポイントはプラス四十といったところだった。どのくらい貯めればよいのかわからないが、道のりは遠いことは確かだ。
 全ての土地を回る頃には、何かの答えを得ているのだろうか。思いながらビーマは傍らの男を見たが、男は「わし様、甘いものを食べたい気分だ。ソフトクリームなんていいな」と外にある売店の方を見ていた。