夏と言えばバカンス! とはいえルルハワにドバイ、南の島での絵に描いたようなバカンスはもう食傷気味。そんな飽き性でワガママなマスターさんに提案するのは、こちら♡
じゃーん! ずばり、日本一周! ちっぽけな島国かつ生まれ育った国と言えども、マスターさんも全てをよく知るわけではないでしょう? 懐かしさと目新しさを兼ねつつ、改めて優秀な後輩を持つ有り難みを感じていただく、スペシャルプレゼンツです♡
サーヴァントの皆さんもマスターさんのことをよく知るいい機会ですから、存分に課外活動に精を出してください♡ もちろん強制参加です♡ 夏休みには宿題が付き物ですから。
あっ、班組はこちらで決めさせていただきましたので♡ 最低一名最大五名、もしかしたら相手の知らなかった一面を知れちゃったり、普段絡みのないあの子とお近づきになれちゃったりするかも!? 夏休み明けに再会したクラスメイト二人の距離が妙に近い……そんな気まずさもまた夏の醍醐味……乞うご期待ください♡
夏といえば夏期休暇、夏期休暇といえばバカンス。しかも安全性の高さで知られたマスターの祖国。BBが絡んでいるから一筋縄ではいかないかもしれないが、強制参加とはいえ参加に消極的なサーヴァントはほとんどいなかった。
ドゥリーヨダナもその一人だ。誰と組まされるかわからないのは不安ではあったが――アルジュナと二人きりとかだったら寝込むかもしれない――自分の幸運値の高さであればまあ大丈夫であろうと、気軽にレイシフトした。
班割りや出発地点はレイシフト後に割り振られるという。詳しいことは到着時に説明されるとのことだった。
マスターの同行サーヴァントが誰になるかすらはっきりしなかったが、BBがマスターはマシュと同行となること、マシュを除いて四人の同行サーヴァントをつけることを約束したから、まあ大丈夫であろう。
自分がマスターの同行者に選ばれる可能性もあったが、なんとなく今回は違うという勘のようなものがあった。選ばれたら選ばれたで、自分の有用さを見せるだけだ。各都道府県で別荘を購入してやってもいい。
そんなことを考えながらドゥリーヨダナがレイシフトした先は、空港のロビーだった。流れているアナウンスからして、ドゥリーヨダナに割り振られた出発地点は羽田空港だったらしい。
それはいい。ぶっちゃけどこの空港がスタートがいいのかよくわからないし。問題は。
「ビーーーーーーマがおるではないか!!!!」
「……ドゥリーヨダナか」
目を開けたら、すぐ隣に宿敵が立っていた。かなり渋い顔を向けられているが、きっとこちらの表情だって似たようなものだろう。
「よりによって同行者が貴様とは、夏休みガチャ失敗というやつではないか! はっ、待てよ、他の同行者は……!」
辺りを見回すが、知った顔はなかった。ビーマが肩を竦める。
「どうやら、俺とお前だけらしい。趣味の悪いこった」
「なんだと!? せっかくの夏のバカンスだというのに! これではちーっとも楽しめんではないか!」
「そっくりそのまま返すぜ」
にらみ合う。剣呑な空気を感じ取ったのか、付近の旅客に遠巻きにされ始めた。ふと、ビーマが何かに思い当たったかのように視線を斜め上に向けた。
「つか、別に一緒に行動する必要もねえんじゃねえのか。別々に観光すりゃあいい」
「……お前にしては冴えておるではないか」
一人で観光は寂しいかもしれないが、この男と二人きりよりはましか。思ったところで。
『単独行動は許可してません! 団体行動を乱さないでくださ~い』
至近距離から聞こえる小悪魔ボイスに、二人して辺りを見回す。脳裏に浮かんだ黒衣の少女の姿は、どこにも見当たらない。
『到着されたようなので、ルール説明を始めます♡ 二度の説明はしないので、きちんと耳を傾けるように!』
「……こいつか!」
ビーマが左腕を掲げた。そこには液晶画面のついた腕輪――スマートウォッチのようなものがつけられていた。見ればドゥリーヨダナの左腕にも、同じものがはめられている。
「げえっ何だこれは! いかにも大量生産のコピー品、ナンバーワンでオンリーワンなわし様には似合わん!」
『さっそく私語で話を聞かないドゥリーヨダナさんにはおしおきです♡』
「あ痛ぁっ!?」
魔力回路を焼かれるような衝撃が左腕から走って、思わず悲鳴を上げる。スマートウオッチからくすくすと意地の悪い笑い声が聞こえた。
『そもそも百人のコピー品のドゥリーヨダナさんに、大量生産がどうとか誰も言われたくありませんよ』
「おい今わし様たちのことをコピー品と言ったか? 弟たちが全員わし様のコピーなら、あんなに手がかかるわけなかろう! 全員正真正銘オンリーワンでオーダーメイドのオリジナル品だわい!」
『端から見たら全員同じに見えたんじゃないかと思いますけど』
「……まあ、こんなのがそっくり同じで百人いたら、戦争前に国は滅びてただろうな。こいつはこいつ、一人きりだ」
ビーマが何かぼやいているのは無視して、ドゥリーヨダナはスマートウォッチに向かって叫んだ。
「おい! 何で高貴でハンサムなわし様が、この乱暴者な食いしん坊と一緒なのだ! チェンジだチェンジ! やり直させろ!」
『ダメで~す♡ いつもの気心知れた面子と楽しいだけの夏休み、それじゃあ普段と代わり映えしないじゃないですか。夏は冒険しないと』
「……ちなみに、他はどんなやつが組み合わされてるんだ?」
ビーマが尋ねると、よくぞ聞いてくれましたとばかりに、満面の笑顔が目に浮かぶような声が返ってきた。
『そうですね~。まずは酒呑童子と伊吹童子、そして坂田金時の三人組。それからアキレウスとヘクトールなんかはあなた方と近いですかね』
「嫌な共通点が見えてきそうなんだが」
『勘違いしないでください、他にもバリエーションはあります! スパルタクスと雑賀孫一とコロンブスの組なんて、なかなか素敵だと思いません?』
「アキレウスとペンテシレイアを一緒にしないだけマシだと思うしかない、ということがよくわかった。……この分だとマシュとリリスは同じ組にされてそうだな。マスターのやつは大丈夫かぁ?」
ドゥリーヨダナが呆れ混じりにそう言うと、『よくわかりましたね』と朗らかな声が返ってきた。ろくでもないAIである。
『さて、いきなりルール違反を起こそうとするので前後してしまいましたが、ルール説明です。ご存知かもしれませんが、マスターの祖国日本は四十七の都道府県に分かれています。皆さんは各都道府県を回ってもらって、観光ポイントを集めてください』
左腕に勝手に装着されたデバイス――スマートウォッチ――が、いかに装着者が観光で楽しんだかを計測し、ポイント化するのだという。
各都道府県の滞在可能時間は連続二十時間。時間を超えて滞在した場合はペナルティが与えられるので、極力避けるようにとのことだった。
「ポイントを貯めるとどうなるんだ?」
『全ての都道府県を回った後の最終ポイントを元に順位化して、上位のグループには景品が出ます。一位の特賞には聖杯を含む豪華なあれそれが出ますので、張り切ってポイントを集めてくださいね♡』
「聖杯ってほいほい景品にしていいようなもんなのか?」
ビーマがぼやいた。ここで言う聖杯は聖杯戦争での万能の願望機ではなく、あくまで膨大な魔力リソースの塊なのであろうが、それでも聖杯は聖杯である。
カルデアには問題児も多い。下手な英霊の手に渡らないようにと、今頃マスターは奮起しているであろう。マシュとリリスに挟まれながら。
「しかし、わし様は望みはたくさんあるが聖杯に叶えられるようなものは大してないし、そもそも組むのがこの暴食ゴリラじゃ、楽しむどころじゃないんだが。棄権とかできんわけ?」
BBには見えていないかもしれないが、ドゥリーヨダナはビーマを指差しながら訴えた。だが返ってきたのは、にべもない返事であった。
『残念ながら、これは夏休みでありながらマスターの祖国を理解するという宿題でもあります。宿題に棄権はありません』
「そこを何とか――」
『ああ、それから単独行動や一定期間ポイントの加算が見られなかった場合はさっきのようにおしおきがありますので、ご注意を。まだ説明前だったのでさっきは軽く済ませましたが、次はあんなものじゃありません。何度も繰り返すようだったら――とーっても素敵なことになってしまうかもしれませんね』
「何だ素敵なことって! 絶対良い意味じゃないよなあ!? 説明しろ、おい!」
『知らないままでいられるといいですね♡ では、一夏の旅をお楽しみください。BBチャンネル、切り抜き出張版でした~♡』
「おい、まだ全然説明が足りておらん! おーい!」
一方的に通信が切れた。ドゥリーヨダナが呆然としていると、ため息が聞こえた。ビーマだ。
「ま、そういうことなら仕方ねえ。そこの店にでも入って、ちとこれからのことを話そうぜ」
近くにあったカフェを指差される。それなりに席は埋まっているようだった。ビーマはドゥリーヨダナの返事も待たず、のしのしと入り口へ向かうと、店員と「二名なんだが、席は空いてるか?」とやり取りを始めた。
ビーマはこの状態をすっかり受け入れてしまったようだった。ドゥリーヨダナはまだ全然、心の整理がついていないのに。
そもそもカルデアではほとんど同時に召喚されたが――ビーマの方が三時間ほど早かったらしいが、そんなのは誤差だと思う――ドゥリーヨダナはビーマとの接触を極力避けていた。
怖かったからだ。
別に、殺されたからではない。そういう生命的な恐怖を生前ビーマに対して抱いていたら、ドゥリーヨダナはもっと違う結末を迎えていただろう。生憎と命の灯火が消える瞬間も、その後も、ビーマに対してそういった類いの恐怖を感じたことはほとんどない。
怖かったのは、ここカルデアの環境だ。ここではどんな英雄もたった一人のマスターに召喚され、人理のために戦う同志である。
生前決して相容れることのなかったドゥリーヨダナとビーマですらも、そうなのだ。
同い年の従兄弟で同門でこそあったが、生まれた時からビーマとは決して相容れない立場だった。たった一つの、分け合うことのできないものを争うことが決まっていた。
だが、ここでは争うものがない。分かれて戦うことがない。
おまけにビーマは料理人として貢献することに決めたようだった。生前ドゥリーヨダナが知ることのなかった、宮廷料理長として。
記憶も記録も確かにあるのに、生前と、同じではいられないのだ。
先に召喚されていたカルナやアシュヴァッターマンは、既にアルジュナと良好な関係を結んでいるそうだ。二人はまるでそれが自然なことのように、そうしている。今はいがみ合う必要もないからと。
二人からはドゥリーヨダナは無理をしなくてもいいと親切にもそう言われた。言われなくとも、無理をして仲良くしようだなんて、そんなことは思わない。
だが、こんなぬるま湯のような環境で、自分が何を思い何を欲してしまうのか――変わることを望んでしまうのではないかと思うと、怖かった。
生前ドゥリーヨダナはビーマのことを随分と考えた。一番の脅威と思っていたからだし、何より――目を、心を奪われていた。
ビーマは強かった。その心のあり方は自然で、だからこそダルマ神の息子であるユディシュティラなんかよりも、よほど正しいようにかつてのドゥリーヨダナには思えた。
理屈ではなく、それよりも人の心に根差していて、だからこそ暴力的でもあるその有り様は、眩しかった。真に強い者のあり方を、ドゥリーヨダナはそこに見た。
格好いいと、幼い頃にそう思ってしまった。ああなれたらと思った。憧れた。
あれこそが真の英雄であると、そう思っている。卑怯な手で負けた、死後ですらも。だからずるいと、そう思う。
もしビーマが、カルナのように身内に引き込める立場の者だったら、ドゥリーヨダナはそれこそどんな手を使ってでもビーマを自分のものにしただろう。
だがそれはできないと、最初からわかっていた。憧れるだなんて、本当はすべきではないことも。
けれど、心は変えられない。変えられないから、代わりに足した。ピカピカ光る気持ちを、汚いもので覆って見えなくした。
嫌いなところをたくさん見つけた。乱暴者。いつもわし様のことを馬鹿にしている。わし様に恥をかかせる憎い五王子。賎しくもわし様のものである土地や金、財宝を欲しがっている。
倒さねばならない、敵だ。
一度でも勝てたら、憧れを捨てられる気がした。けれどもドゥリーヨダナは、一度だってビーマに勝てなかった。それこそビーマが宮廷料理長として包丁を振るっている最中も、ドゥリーヨダナは棍棒を振るって研鑽を重ねていたはずなのに。
卑怯な手を使っても。正しいやり方をしようとしても。何をしても、ドゥリーヨダナは最期までビーマを殺せず、勝てなかった。
だから今でもドゥリーヨダナの中には、誰にも見せたくないそれが、宝物のように隠されている。少しも輝きを損なわないまま。
ただの宝物、物だったらよかったのに、それはドゥリーヨダナの意思を無視して勝手に大きくなったり小さくなったりするものだから、手に負えない。
これからしばらく、ビーマとは同じ目的のために行動しなければならない。その間にドゥリーヨダナの隠し物が相手にばれてしまうくらい、大きくなってしまわなければいいのだが。
いや、共に過ごせば良いところが目に入るというものでもない。むしろもっと嫌いになる可能性もある。
ビーマの悪いところ、嫌なところをたくさん見つけてやればいい。たとえば、そう、写真を撮らせると必ず指が入ってるとか、そういう地味に嫌な部分があればいい。マスターや友たちへの土産話にもなるし。
「おい、何ぼーっと突っ立ってんだ? 入るぞ。まさかもう疲れたとは言わねえよな」
席が空いていたらしい。顎をしゃくられる。ドゥリーヨダナは「いちいちわし様を馬鹿にするな!」と憤慨し、やっぱりビーマのことは嫌いだと、自分に言い聞かせた。
☆
入ったカフェは軽食も取り扱っているらしく、ビーマはメニューを眺めた。ドゥリーヨダナはメニューもろくに見ず「わし様はコーヒー。お前頼んでおけ」とだけ言い捨て、ぼうっと窓の外を見ている。
わずかに眉間に皺を寄せながら、けれども誰かに心を向けているわけではなく、何を見ているでもない顔は、どこか絵画のようであった。
喋りさえしなければそれなりに整った、目を惹かれる顔立ちをしている、とこの男のことを評していたのは誰だったか。ドゥリーヨダナと仲がよかったが、戦争ではビーマたちに味方してくれたサーティヤキか? それともクリシュナか? 思い出せなかった。
ただ、そう言われた時に、何てことを言うのだと思ったのを覚えている。
確かにドゥリーヨダナは喋ると顔もうるさくなる男だ。表情が豊かなのだ。顔立ち云々よりも、何よりその表情変化が人の目を惹く、そういう男だった。
喋らず、表情も変わらないドゥリーヨダナなんて、ドゥリーヨダナではないだろうと、そう思った。
何せ決闘で負け地に倒れ伏し、あとは死ぬのを待つだけの状態になっても、うるさく喚いていたような男である。
……本当の本当に最期までうるさかったのか、ビーマは知らない。ビーマはドゥリーヨダナの最期を見届けなかった。負けたドゥリーヨダナを一人寂しい大地に残して、五王子たちパーンダヴァ軍は退去したからだ。
今思えばその選択は間違っていたのかもしれないが、後の祭りである。結果として勝利の味は取り返しがつかないほど苦いものとなった。
された分、やり返しただけである。ドゥリーヨダナは強欲で、卑怯で、悪だった。こちらには正当性がある。それだけを信じていられたら、どれだけよかったことか。
そんな因縁のある男と、同じマスターを持つ身としてカルデアに召喚されたのは、ビーマにとって愉快なことではなかったが、意外でもなかった。
中身こそろくでなしだが、ドゥリーヨダナは歴とした王族であり戦士である。人理を護る、善や悪で語れない、酸いも甘いも知る必要のある旅路であれば、この男の悪辣さが役に立つこともあるだろう。
はっきり言ってドゥリーヨダナのことは嫌いである。他に嫌いなものも概ねドゥリーヨダナ絡みだ。ビーマにとって嫌いという感情は、ドゥリーヨダナの形をしている。外に出すようなものではないので、マスターにも告げてはいないが。
だが、嫌いだけで終わらせられるわけでもなかった。それだけで済ませられたのなら――やはり、どれだけよかったことか。
「注文を頼む」
手を上げて店員を呼ぶ。若い女がやってきた。メニューを指し示しながら注文をする。
「このナポリタンと、あとはバナナジュースってのを頼む。……あとは、コー」
「バナナジュース? そんなものまであるのか」
目の前の男の分の注文を一緒にしてやろうとしたのに、当の本人にそれを遮られた。ドゥリーヨダナはビーマの手からメニュー表を奪い取るとしげしげと眺め、おっ、と目を見開いた。
「マンゴージュース! わし様コーヒーはやめた! マンゴージュースにする!」
不必要に大きな声の注文にも慣れたもので、店員はにこやかに「ではご注文を復唱させていただきますね。ナポリタン一つ、バナナジュース一つ、マンゴージュース一つ。以上でよろしいでしょうか」と確認をしてきた。
「うむ」
ドゥリーヨダナが頷くと、店員は軽く頭を下げて、厨房に注文を伝えるのだろう、去っていった。
「お前、まだマンゴー好きなのかよ」
「あ? 何か文句があるのか? お前だってバナナジュースなんて頼んでいたではないか」
「別に文句じゃねえよ。いちいちつっかかってくんな」
「はぁ~!? 何だその言い種は!」
本当に、ただ聞いてみた、それだけである。まだ決定的に仲違いする前のこと、こいつのためにマンゴーを森から取ってきてやったこともあったなと、そんなことを思い出した、それだけ。
喜んでほしいな、喜んでくれるかな。そんな期待に胸を弾ませたことだって、かつてはあったのだ。
今となってはもう、ただの傷跡でしかないのだけど。ドゥリーヨダナといがみ合わずにいられたのは本当に出会って最初のうちだけで、あとはもう、叙事詩に語られる通りである。
顔を合わせたら、いがみ合わずにはいられない。生前も、死後英霊になってからも。
だがカルデアでは少々事情が異なった。通常の聖杯戦争とは異なる、人理を守るための、ただ一人のマスターによる数多の英霊への呼び掛け。時代も国も土地柄も、善も悪も、神も人も、かつてあい争った者たちも。皆一つの陣営で、一人一人の想いは違っても、ただ一つの目的のために戦う。
そういう環境だったからか、顔を合わせても――ドゥリーヨダナはビーマの三時間後に召喚された。レイシフト先でドゥリーヨダナと縁を結んだ記憶がマスターにはないというから、恐らくビーマの連鎖召喚ではないかとダ・ヴィンチが言っていた――揉めるようなことにはならなかった。
そのことに、少なくともほっとしている自分はいない。かといって積極的に揉めたいわけではない。拍子抜けしたというのが近いところだが、若干違う。
生前とは環境が違い、他に他国の王族もたくさんいて、奪い合うような土地もない。生前の経験からビーマは厨房勤めを選んだが、ドゥリーヨダナはどうするのだろうとそれとなく様子を伺えば、どうもしていなかった。
普通に戦闘要員として重宝されていた。何でも日々の素材集めに、ドゥリーヨダナの宝具は都合がいいらしい。百人で敵を蹂躙し、その百人がそのまま素材を広い集める。なるほど効率的だ。
ドゥリーヨダナは高慢ちきで生まれた時から煌びやかな王宮住まい、おまけに身内に甘やかされてきた筋金入りの王族であるが、優秀な戦士であり、カルナやアシュヴァッターマンなど一流の戦士を従えた旗頭でもあるのだ。あんなでも。
相変わらず賭博は好きだし財に目がないようだが、ビーマの知る限り誰かと敵対し貶めようとしている様子はなかった。とは言え態度がでかいので何かと人を怒らせ、マスター相手にビーマの悪口を言ってはいたらしいが。
ほとんど話に聞くだけのような形で、ビーマはただのドゥリーヨダナの話を他人からあれこれ聞いた。それは自分の知っているドゥリーヨダナのようであり、そうでないようでもあった。
避けられているのか、ドゥリーヨダナとはほとんど顔を合わせなかった。そもそも英霊の数が多い。皆常に顕現しているとも限らず、霊体化したり、用がない時は霊基グラフに戻って休んでいるものもいる。会わないことは不思議ではない。
それでも何か、空虚なものがある。確かにそこにある欠けを静かに見つめる度に、ビーマは自問自答を繰り返す。
俺はあの馬鹿に、いやこの環境に、何か期待してるのか? 一体何を?
わからない。自分のことがわからないだなんて、ビーマにはほとんどなかった。だが今回ばかりはどうにも答えを出せない。
本当は答えは最初からあって、それに気づくことを、認めることを、臆しているだけなのかもしれない。わからない。
ただ、この空虚はドゥリーヨダナに関することだと、それだけはわかる。ビーマに空いた穴は、全てドゥリーヨダナの形をしているから。
ドゥリーヨダナと面と向かってみれば何かわかるかもしれないと思ったが、相手と顔を合わせること自体がそうない。
あくまでビーマの心の問題で、サーヴァントとの活動に支障があるわけではないから、ビーマは欠けを抱えたまま、英霊として活動を行っていた。傍目には万全の笑みを浮かべながら。
だから、今回はいい機会なのかもしれない。ビーマはちらりと、運ばれてきたマンゴージュースを前に機嫌よく笑っているドゥリーヨダナを見た。それから自分の前に置かれたナポリタンに視線を落とす。
ビーマ自身が望んだことではないとは言え、しばらくは二人で行動しなければいけない。第三者はおらず、ドゥリーヨダナは逃げられない。当然ビーマは逃げる気はない。
いい機会だ。もう一度、心の中で呟きながら、フォークでパスタを巻き取る。大きく口を開けて、ぱくり。三分もせず食べ終わる。
顔を上げる。ドゥリーヨダナはストローでマンゴージュースを吸い上げていた。片腕を背もたれに回し片足を組み、いかにも尊大な様子で。視線は窓の外に向いている。
こっちを見ろよ、と思った。その感情がどこから湧いてくるのか考えることもなく、ビーマはバナナジュースに手を伸ばした。
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