バルジェロはオスカを入院着に着替えさせてから寝台へ運び、部屋を掃除した。血に塗れたローブの洗濯は諦めた。今はとにかく、オスカの傍にいたかった。バルジェロの腹に残る傷跡を見てあれほど激しく反応するのなら、記憶喪失が本当でも嘘でも、もう彼はヴァローレにいたころのティツィアーノではあり得ない。
掃除を終えると、病室の外から怒声が聞こえてきた。
「なんですか、あなたたちは! それが治療院を訪ねる態度ですか!?」
ソレイユの声だ。
「見てくるか?」
バルジェロが言うより先にオスカが尋ねた。
「俺は大丈夫だ、もう落ち着いてる」
「
……わかった。出てくるなよ」
治療院の玄関口で、ソレイユは数人の男と相対していた。商人らしき男の周囲を、屈強な男たちが固めている。
「薬師さん、どうかしたか」
振り返ったソレイユはバルジェロを見るなり迷惑そうな顔をした。商人らしき男が穏やかに微笑みながらバルジェロに尋ねる。
「我々はサンランドを拠点とする商会です。砂金の中から救助されたという方を探しているのですが、そちらの御仁は何かご存じありませんかな?」
ソレイユが嫌な顔をするわけだ。この男の目当てはオスカ
――正確には、オスカの外套に付着していた砂金だ。バルジェロが出てきては、話がこじれかねない。
「知らんな」
商人は笑顔のまま食い下がる。
「ふうむ。我々の探し人は浅黒い肌の男と一緒にいたと耳にしたのですが、それはあなたではないと?」
「俺はここで仲間のリハビリを手伝っている。砂金のことは知らん」
「そうですか。ところで、ヒュセイノフ家はご存じですかな?」
「聞いたことはある。よそ者なもんで、よくは知らないが」
「かつてこのスフラタルジャを治めていた一族です。ヒュセイノフ家の最後の当主が、白い砂漠のどこかに莫大な遺産を隠しているという噂があるのですよ。この町の先代領主スカラベ様はそれを探しておられた。見つけ出せば、この乾いた砂漠を豊かにできる、と」
「へえ。莫大な遺産か」
「我々はスカラベ様の意志を継ぎ、真なる〝白銀の泉〟を探しているのです。先日助けられたという人物はきっとその手がかりを持っている。服が砂金にまみれていたなんて尋常ではない」
商人は懐から取り出した革袋をバルジェロの手に握らせた。ずっしりと重い。中身がリーフであることは見なくても知れた。バルジェロはその革袋をソレイユに手渡した。
「薬師さん、寄付らしい。もらっておけ」
商人は目に見えて動揺した。
「いや、それは」
「あんたらはこの町を豊かにするために砂金を探してるんだろ? 俺のようなよそ者に金を渡してどうする。まずはこの町の人間と分け合うべきじゃないか?」
ソレイユは呆然とバルジェロを見つめる。商人はなんとか笑顔を浮かべてはいるが、額には青筋が立っていた。
「あんたは信頼に値しない。帰ってくれ」
追い打ちをかけると、商人は馬脚を現した。
「若造が
……!」
商人の周囲の傭兵たちが得物に手をかける。
「やめときな。ここで暴れたらあんたの看板に傷がつく。それに、俺に手を出せばファミリーが黙ってないぜ」
「ファミリー
……?」
商人はハッと驚き青ざめ、傭兵たちに構えを解かせた。
「機会を改めましょうかな。失礼」
そう言い捨てると、商人は傭兵たちを連れて治療院を出て行った。
「臨時収入だな。あの子供の治療費に充てるといい」
革袋を示しながら言うバルジェロに、ソレイユが尋ね返す。
「いいのですか?」
「ああ。あんたを巻き込んじまったからな。迷惑料とでも思ってくれ」
「では、遠慮なくいただいておきますが
……」
ソレイユは首を振り、それから盛大なため息をついた。
「お二人に聞きたいことがあるので、今から病室へ伺っても?」
「ああ、構わない」
二人で病室へ戻ると、ベッドの上のオスカがひらひらと手を振った。
「よォ、薬師さん。大丈夫だったか?」
ソレイユはオスカに「ええ」とだけ答えると、床に脱ぎ捨てられたローブを拾い上げて広げた。
「血だけでなく吐瀉物も付着している。何があったんですか?」
「血はクソどもの返り血だが、吐いたのは俺だ」
「ティツィアーノさん、嘔吐したのですか? 何かきっかけはありましたか?」
「そいつの腹の傷を見たら、急にこみ上げてきてな。なくした記憶と関係あるのかもしれねぇ」
オスカはまるで他人事のように話して、ソレイユとの間に壁を作った。ソレイユもそれを察したようだ。
「今の気分はどうですか?」
「もう大丈夫そうだ」
「それならよかった。では、この返り血の方ですが
……お二人は、夕食は済ませましたか?」
バルジェロが「まだだ」と答えると、ソレイユは、
「私もまだでして。続きは食事をしながら聞きます。待合へ来てください」
と、有無を言わせぬ調子で告げ、病室を出て行った。
「やれやれ。きっと説教だぜ」
オスカはベッドを降りて外へ出て行く。バルジェロも彼について待合へと向かった。
玄関からすぐの待合には、見舞客用の歓談スペースがある。ソレイユはその一角に座っていた。テーブルの上には、野菜粥の椀が三つある。
「ティツィアーノさんも、食べられそうでしたらどうぞ」
席についた二人を見るソレイユの顔には、色濃い疲労が浮かんでいた。そんな彼女にオスカは言う。
「疲れてんなら、俺がメシ作ってやろうか?」
「結構です。患者は余計なことをしなくてよろしい」
ソレイユはオスカとバルジェロを交互に睨む。
「あなたたち、外で喧嘩をしましたね? 血だらけの用心棒が何人もこの治療院に運ばれて来ました。話を聞きましたが、彼らと争った人物の特徴がバルジェロさんと完全に一致していた」
ソレイユは眉間に皺を幾重にも寄せている。
「なぜ用心棒たちと争ったりしたのですか?」
「子供が鞭打たれていたのを見過ごせなかったんだ」
そうバルジェロが答えると、ソレイユの表情から険が消えた。
「
……あの子を運んできたのは、ティツィアーノさんでしたね」
オスカがソレイユに尋ねる。
「子供の容態はどうなんだ?」
「命に別状はありません。早めに処置できたので傷もほとんど残らないでしょう。あの子に薬を使ったために、ティツィアーノさんの火傷の治療薬が足りなくなってしまいましたが」
「痛みはないし、構わねえよ。しかしあの薬、外傷にも使えるなんてずいぶんな優れものだな」
「いいえ、あの子に処方したのはティツィアーノさんの薬とは違うものです。足りなくなったのは薬の原材料、〝カーマ〟です」
「カーマ?」
オスカが尋ねる。
「あれって飲み薬じゃねえのか? 万能の薬だからって、ガキの頃よく飲まされた」
「カーマ自体に薬効はありません。あるのは薬の吸収を助ける効果です」
ソレイユ曰く、カーマとは〝あらゆる薬効を高める添加剤〟らしい。しかしスフラタルジャでは、カーマは万能の治療薬だとずっと信じられていた。旅の途中だったソレイユがこの治療院に留まっているのは、カーマの正しい使い方を啓蒙してほしいと作り手から頼まれたからだそうだ。
「カーマか
……粉中毒の治療にも使えるかもしれないな」
バルジェロは未だヴァローレを蝕む〝粉〟の悪影響を思った。シャナの尽力で中毒者は減ってきているが、根絶にはまだ遠い。
「先ほどやってきた商人ですが、悪い噂の多い男です。今はティツィアーノさんの外套に付着していた砂金の出所を探っているようです」
「だと思ったぜ。ったく、この町の砂金には悪党ばかり群がってきやがるな」
ソレイユは表情を曇らせる。
「一刻も早くヴァローレへ帰るべきだと思うのですが、ティツィアーノさんはまだ長旅に耐えられるほど回復していませんし
……薬師としては、退院の許可を出すわけにはいきません」
「ヴァローレへ、帰る、か
……」
オスカは聞こえるか聞こえないかくらいの小声でぽつりと呟き、それから、ソレイユに向かってはっきりと言った。
「薬師さん、あんたは自分の心配だけしててくれ。富に目が眩んでる手合いはどんな汚えことも平気でやる。あんたに危害を加えるのなんざ屁でもねえだろう」
「そうでしょうね。その際は応戦します」
意外な答えに、バルジェロとオスカは揃って目を丸くした。
「魔物から薬の材料を採取することもあります。戦えなければ薬師は務まりません」
「そ、そういうもんか
……ところで薬師さん、さっきの連中には何か言ったのか?」
「私は何も。しかし人の口に戸は立てられません。あなたが発見された場所が久遠の流砂だということは知られているようです」
「そうか
……」
授富の砂宮で目の当たりにした、まばゆい砂金の海。あれはオスカのものだ。全てを失ったオスカがいつか再び富を手にできるよう、富の力を信じるジュリアンが残したもの
――バルジェロはそう考えたからこそ、事切れたオスカをあの場所に埋葬した。それが、バルジェロなりの〝持たざる者〟への手向けだった。
翌朝起きてすぐ、バルジェロは異変に気づいた。外に、人の気配がある。昨日の商人の手の者がこの治療院を見張っているのだ。
「どうするつもりだ? このままだと、〝白銀の泉〟が見つかってしまうんじゃないか」
ベッドの縁に座るオスカの視線は、ハンガーに掛かったままのボロ布に向けられている。
「まさかとは思うが、お前、あの砂金に手をつけてねェのか?」
その物言いは、もはや三年前のティツィアーノのものではあり得なかった。彼の記憶に遠慮して言葉を選ぶ必要はなくなったらしい。
「ああ。俺たちは墓荒らしじゃないんでな」
「マジかよ
……だが、その墓はもう空っぽだぜ?」
「そうだな。だから、これからどうするか聞いている」
バルジェロを見るオスカの青い瞳の奥には、金色の炎が灯っている。
「本当にいらねェのか? ヴァローレのために役立てりゃいい話だろ」
「必要ない。あれだけの富があればヴァローレの住民全員を一生食わせても余るだろうが、それではダメだ」
「へえ
……なんでダメなんだ?」
「授けられるばかりでは、自分の足で立てなくなる」
全てを神から授けられた世界では、人は歩みを止めてしまう。一生ぶんの富を他者から与えられた者は、自ら幸福を求めることをやめるだろう。
「富は、今日より明日をマシにするためにある。明日を潰すためじゃなくてな」
オスカはぽかんと口を開けてバルジェロを見つめていた。珍しい表情だった。
「
……そうか」
立ち上がって頭巾をかぶると、オスカは部屋の扉に手をかけた。
「なァ、バルジェロ
……」
彼の背中に、バルジェロは答える。
「頼まれなくたってついていくさ」
オスカは振り向き、微笑んだ。
「ありがとな」
「どこへ行くつもりですか?」
治療院を出る直前、ソレイユに呼び止められた。
「ティツィアーノさん、あなたは馬鹿ですか。今のあなたの状態で傭兵たちと渡り合えると?」
「ちょっくら散歩に行くだけだぜ? リハビリがてらな」
ソレイユは眉根を寄せた。
「ここが見張られていることはわかっていますし、あなたたちが義理堅いことも知っています」
「薬師さん」
バルジェロはオスカとソレイユの間に割って入った。
「止めても無駄だ。俺たちはどうしても行かなきゃならない」
「
……ティツィアーノさんに渡したいものがあります。少し待っていてもらえますか」
ソレイユは治療院の奥の物置へ向かったかと思えば、すぐに戻ってきた。その手には、鞘に収まった刀があった。
「精神面に不安のある患者に刃物を持たせるわけにはいかなかったので、こちらで預かっていました」
それは、かつてオスカが使っていた刀に違いなかった。あの嵐の夜、バルジェロに一生消えない傷をつけた刃。
「オスカ、大丈夫か?」
不安はある。昨日、オスカはバルジェロの傷跡を見て嘔吐している。この刀も同じように、彼の心を揺さぶるかもしれない。それでも、戦いに向かうならば得物が必要だ。
「武器は持っていてほしい。相手が手練れだったら、守り切れるかわからない」
「バカ言うんじゃねェ。誰が守ってくれって頼んだ?」
オスカは差し出された刀を受け取ろうと手を伸ばすが、その手は震えている。バルジェロは代わりに刀を受け取りオスカに握らせると、震える彼の手にそっと自分の手を添えた。
「オスカ、俺はお前を信じている」
「
……おう」
ソレイユはオスカの様子を見ても何も追及しなかった。ただ義務的に、
「カルテの名前はどうしますか? オスカさん」
と尋ねた。オスカは人好きのする笑顔で答える。
「そのままで構わねえよ」
手の震えは、もう治まっていた。
「わかりました。ティツィアーノさん、くれぐれも無理はなさらず。バルジェロさん、ティツィアーノさんをよろしくお願いします」
「できるだけ、あんたの仕事を増やさないようにするさ」
バルジェロの言葉にソレイユはまたため息をついて、首を振った。
久遠の流砂は、スフラタルジャから北西に向かった先にある。治療院を見張っていた連中は、商隊に扮して二人を尾けてきていた。昨夜の商人もいる。ここで商隊を攻撃しては、砂漠を行き交う旅人たちに不審に思われるだろう。手を出すのは、周囲に誰もいなくなったときだ。
「連中を始末するだけじゃ足りねえ」
オスカは小声で言う。
「あの砂金をすべて葬らねえと、また同じことが起きる」
「手はあるのか?」
「入り口を沈めてから、浮上の仕掛けをぶっ壊す。そうすりゃ砂宮は永遠に砂の下だ」
「わかった。お前に任せる」
久遠の流砂付近はオアシスもなく、ただ白砂が流れるだけの不毛の地だ。人が寄りつかない場所だから、富を隠すにはうってつけというわけだ。砂道から離れると、人の姿がほとんどなくなった。視認できるのは例の商隊だけ。二人は立ち止まって周囲を窺う
――人の気配がある。
「連中はここで仕掛ける算段らしいな」
オスカが高台を示す。
「デトフ族の狩人が高所に陣取ってやがる。あいつは厄介だな」
「数は?」
「一人だ」
「なら、そいつをお前に任せていいか。多人数を相手取るよりはいいだろ?」
「お心遣い痛み入るぜ。確かに今の俺の体じゃザコに囲まれるほうがキツい」
「下の奴らは俺がやる」
列を成して尾けてきていた商隊が散らばった。囲まれる前に、オスカは高台へ向かって駆け出した。
「行かせるか!」
傭兵のひとりがオスカを追う。バルジェロはそいつを真っ先に狙った。闇の魔法で足元を崩し、よろけたところに接近して腹を刺すと、その場に倒れた。まずは一人。砂金の採掘現場で戦ったときよりも敵の数が多く、加減はできない。一撃必殺のつもりでナイフを握る。傭兵たちはバルジェロを取り囲み、動ける範囲を徐々に狭めていく。こうやって標的の動きを止め、高所の狩人が射抜くという戦法なのだろう。バルジェロは真っ先に矢が飛んでくる可能性を捨て、目の前の敵にだけ集中した。それが命を預けるということ。いつだって、そうやって死線をくぐり抜けてきた。
「殺してはいけませんよ! 砂金のありかを聞き出さねばなりませんからね」
傭兵たちを盾にしながら、商人が居丈高に叫んだ。殺すな、という突然の命令に何人かが身を固くした。その隙を見逃すバルジェロではない。間合いを窺っていた相手との距離を一気に詰め、得物を握る手首を斬りつけた。
「ぎゃあっ!」
傭兵は悲鳴を上げて武器を取り落とす。即座に背後に回り込み、首を捌いた。派手に噴き出した鮮血に怯まない者はおらず、傭兵としては二流以下だと知れた。こちら側に強敵はいない。統率を取る者もいないようだ。寄せ集めの有象無象など、何人いようとバルジェロの敵ではない。多少手傷を負いはしたが、ほとんどを戦闘不能に追い込み、残った者も命惜しさに逃げていった。
「あとはあんただけだな」
血のついたナイフを手に、一歩ずつ商人に近づいていく。商人は青ざめた顔で高台を見上げた。
「何やってる! 早く助けろ!」
デトフ族の用心棒は弓に矢をつがえた。そのそばに、オスカが立っている。オスカは刀を一度振って刃についた血を払うと、鞘に納めた。
「俺たちの勝ちだ」
バルジェロがそう告げた直後、矢羽根が風を切る音が高く響き
――商人の肩に、矢が突き刺さった。
「ぎぃやぁぁっ!」
衝撃に膝をついた商人の首にナイフの刃を添える。オスカはデトフ族の用心棒と共に、高台から悠々と降りてきた。
「貴様、寝返ったのかっ
……!?」
「それは違うなァ」
オスカは商人に冷たいまなざしを向けた。
「デトフ族は砂漠の守護者。狩るべきは砂漠を荒らす奴らであって、砂漠をマシにしようって奴に弓を引くのは大間違いだろ? こいつは、守護者の本分を果たしただけさ」
デトフ族の用心棒の足には、刀傷と火傷があった。オスカは力の差を見せつけ、用心棒を引き入れたのだろう。オスカの目が用心棒を向く。
「クソ肥えた豚の用心棒なんかやってっから誇りを見失うんだ。ほかに守るべきものがあるだろが」
「
……面目ない」
商人の目の前に立つと、オスカは無表情で言い放った。
「お前が溜め込んだ薄汚え富を、飢えて苦しんでる奴らのメシに変えろ」
「ふざけっ
……ぎえぇっ!」
オスカは商人の肩に突き刺さった矢をぐりぐりとひねった。
「テメェでやらねえなら、今ここでお前を殺して俺が代わりにやるが、どっちがいい?」
「わ、わかった! やる、やるから、殺さないでくれぇ!」
「聞いたな?」
振り返ったオスカに、デトフ族の用心棒が頷く。
「じゃあ、こいつを町に連れ帰って、衛兵の詰所に突き出してくれ。頼んだぜ」
二人は用心棒が商人を連れて去っていくのを見届けてから、再び授富の砂宮を目指して歩き出した。バルジェロは先を歩くオスカの背中に声をかける。
「やはり言葉で人を動かせる方がいいな」
オスカは顔だけで振り向く。
「利用させてもらっただけさ。あいつの迷いと自尊心をちょいとつついてな」
「いいんじゃないか。誰だって人からもらった言葉を支えにしているもんだろう」
「そうかもな。まァ、言葉より行動のお前にはなさそうだけどな」
「
……あるさ」
「へえ? 意外だな」
オスカは目をいたずらっぽく輝かせ、バルジェロの隣に移動して肩を組んだ。
「なァ、どんな言葉だ? 教えろよ~」
バルジェロは口を引き結んだ。心の奥でくすぶり続け、時に業火となって身を焼き尽くそうと猛る言葉
――これから、その言葉をバルジェロに焼き付けた男と共に、その言葉を受け取った場所を葬りに行くというのに、それを当の本人に明かすなんて絶対にごめんだ。
「ちぇ。ケチくせぇの」
やがて巨大な建造物の影が見えてきた。久遠の流砂には魔導飛器や機兵が徘徊しており、さながら門番のようだった。彼らが守っていたから、今日まで砂宮は誰にも見つからなかったのだろう。門番たちはバルジェロとオスカに道を開いた。主が誰なのか理解しているらしかった。
進んだ先、巨大な流砂の中央では、かつて見た授富の砂宮がそのまま口を開けていた。
オスカが口の開いた聖獣の石像の前に立つと、門番たちは一斉に砂宮の中へと向かっていった
――おそらく、砂宮と共に眠りにつくのだろう。
「お前になら、ここの砂金をやってもいいと思ってた」
オスカは石像の口に手を差し入れ、中に嵌まっていた物をガコンと取り外した。直後、地鳴りと共に、眼下の壮麗な砂宮が沈み始めた。
「ファミリーをデカくするとか、そんなんじゃなくてよ
……本当に〝マシな世界〟を作れるんじゃねえかってな。でも、さすがにちょっと多すぎるか?」
「ああ。あの量は俺の手には余る」
二年前、オスカと雌雄を決した〝白銀の泉〟は、見渡す限りの砂金の海で、グロテスクなほどにまぶしかった。あれの存在が知れれば、間違いなく血で血を洗う争いが始まる。
「膨れ上がった富は災いを招く。持ち主が望まなくても
……だから、親父は
……」
地鳴りがやんだ。莫大な富を抱え込んだ宮殿の姿はもう影も形もない。晴れ渡る昼空の下には、静かな白い砂漠だけが広がっている。
「あとはこいつをぶっ壊せば終わりだ」
オスカは聖獣の像の口から取り出した〝持たざる者の証〟を地面に置き、躊躇わずに踏み砕いた。
「終わったな」
バルジェロはオスカの肩を叩いた。もう二度と、あの砂金が人の目に触れることはない。〝持たざる者〟のまばゆい墓標と共に、永遠に眠り続ける。
「そう
……だな
……」
ぐらりと、オスカの体が傾いだ。
「オスカ!?」
地面に倒れかけた彼を慌てて抱き留める。ひどく息が荒い。体が熱い。
「おい、オスカ! しっかりしろ!」
オスカは呻くばかりで返事はない。バルジェロはオスカを背負い、町へと走った。
ソレイユの見立ては、過労だった。しばらく休めば落ち着くだろうとのことなので、バルジェロはオスカを病室へ運び、薬を飲ませてからベッドに寝かせた。オスカはすぐに穏やかな寝息を立て始めた。バルジェロはベッドサイドに椅子を運んで座り、オスカの寝顔を眺め続けた。
昼が過ぎ、夜が訪れ、燭台に火を灯しても、まだオスカは目を覚まさなかった。二年前の嵐の夜、オスカに斬りつけられたバルジェロは深手を負い、長く意識が戻らなかった。その間、仲間たちはバルジェロをずっと見守り、特にフラはつきっきりで看病してくれていたという。同じ立場に置かれてようやく、バルジェロは自分がどれだけ仲間たちに心配をかけたか理解できた。
傭兵たちとの戦いでバルジェロが無傷では済まなかったように、オスカの腕にも真新しい矢傷があった。オスカを戦わせるべきではなかった。そんなことはバルジェロにもわかっている。だが、状況は都合よく待っていてはくれない。無理を通さなければならないときはある。子供の頃からずっとそうやって生きてきたのだ
――信じられる仲間と共に。
頭をツンツンとつつかれる感触で、バルジェロは目を覚ました。どうやらベッドに突っ伏して寝てしまっていたようだ。
「よォ、起きたか?」
バルジェロは勢いよく顔を上げた。
「
……よかった、目が覚めたんだな」
起き上がっているオスカを見て、自然と安堵の息が漏れた。オスカはからかい混じりに言った。
「なんだ、心配してくれたのか?」
「当たり前だろ」
即答すると、オスカが戸惑ったように見えた。そして、自嘲めいた笑みを浮かべて言った。
「
……汝、持たざるべし。紳商伯ビフェルガンすら富に屈す」
それは、スカラベの手記にあった言葉だ。授富の砂宮への道を開く導きでもあった。
「富で肥えるとろくなことにならねえからほどほどにしとけ、って教えさ。まったく持つな、って意味じゃない
……富に屈するような神なんて、大した奴じゃねェと思ってた。ビフェルガンが宿ってた指輪も、邪悪に堕ちちまってたし」
オスカは一拍おいてから、冗談めかして言った。
「なァ、死後の世界があるって言ったら信じるか?」
「辺獄のことか?」
「んなっ
……なんで知ってんだよ!?」
「行ったからな」
「行ったァ!? どうやって
……いや、今は俺の話だ」
ふう、と息をついてから、オスカは話し始めた。
「お前らにやられたあと、俺は静かで薄気味悪い砂漠にいてよ。で、すげえ遠くの空が青く光ってたから、なんとなくそっちに向かった。道中は現世に未練たらたらの奴らが呻きながら右往左往してた。俺は生きてるときと同じように動けたが」
「そいつらは亡者だろう。お前は
……未練がなかったんだろ」
「まァな。で、方角もよくわかんねえまま歩いてたんだが、クリフランドとウッドランドの境あたりから同じ景色が繰り返すようになってな。そこで足止めを食らって、いつまでも青い光には近づけなかった」
オスカが見た青い光
――恋人との心中を選んだリンユウを導いた光だろうか。あるいは、ヴァローレを憂うあまり辺獄に囚われ続けていたドン・タヴィアーニを包んだ光か。そのいずれとも違うものか。
「いろんな道を試したが、どうにもなんなくてな。結局サンランドまで引き返して、ハイランド側から東回りでヴァローレに向かうことにした」
「青い光はヴァローレにあったのか?」
「ああ。オルステラじゅう回ったから、だんだん方角もわかってきてよ。それでもヴァローレにはたどり着けなかった」
はあ、とオスカは肩を落とした。
「俺が滅ぼした国や町があった場所を通るとよ、呻いてる奴らがうじゃうじゃいた。俺は俺のやったことを悔いちゃいねェが、だんだん足が重くなってきて
……死んだはずなのに消えられなくて
……ムカつくから、なんとしてもヴァローレに行ってやるって、もう一度青い光を目指した。そしたらよ、今度はヴァローレまですんなり行けたんだが、入り口で変な男に絡まれてよ」
「男?」
「ああ。これ見よがしに天秤を持った商人さ。んでよォ、そいつが俺に言うんだ。『姉も私も、そなたの一族の献身に感謝している。これは代価だ』
……ってな。そして、取引を承諾してもいねェのに、俺に小さな青い炎をよこしてきやがった」
「天秤を
……」
オルステラ十二神には、天秤を持つ商人の姿で語られる神がいる。オルサの第十一子、紳商伯ビフェルガンだ。バルジェロは指輪を巡る戦いの中で、聖火神エルフリック、黒呪帝ガルデラ、創造神オルサにまみえ、オルサの伴侶フィニスとは言葉さえ交わした。聖火神の指輪の持ち主はエルフリックに語りかけられたというし、紳商伯がオスカに語りかけても不自然ではない。
「その後のことは、覚えてねェ。気がついたらこの治療院にいて、お前がいた」
「なるほどな」
「納得すんのかよ! バカみてえな話だと思わねえのか?」
「神なら死者を蘇らせることができてもおかしくはない。フィニスもオルサを蘇らせようとしていたし」
「なんだそりゃ。マジの話か?」
「ああ」
オスカは訝しげな目でバルジェロを見たが、追及はしなかった。
「そういうわけで
……俺は死んだが、今はどうしてか生きてる」
「そのようだな」
「驚かねェのか?」
「もう十分驚いたさ。今はただ、嬉しい」
「
……嬉しいのかよ。テメェを殺そうとした奴が蘇ってきて」
「ああ。オスカ
……やっと、指輪を嵌めていないお前と話せる」
バルジェロはオスカの右手に自分の手をそっと重ねた。その指にあるのは、バルジェロが彼のために巻いた包帯だけだ。
「
……なら、俺がくたばってた間のこと、教えてくれよ。辺獄に行ったんだろ?」
「長くなるぞ。神界にも行ったからな」
「マジで何があったんだよ!?」
バルジェロが語るのを、オスカは時々茶化しながら聞く。
もうすっかり真夜中だったが、二人の目はすっかり冴えていた。
そのままずっと、朝日が昇るまで語り合った。
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