asari_pome
2026-03-30 17:52:07
9961文字
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白銀異情 その三(バルオス長編3話目)


 翌朝。バルジェロの目に飛び込んできたのは、朝日ではなく青い光だった。その光にバルジェロは覚えがあった。ウィッシュベールの相棒が嵌めていた聖火神の指輪が放つ青い輝き、そして聖火の青。数度瞬きして身を起こす。だが早朝の部屋のどこにも、そんな青は存在していなかった。見間違いか、あるいは夢か。それにしては、鮮やかな青だった。
 オスカはもう目を覚ましていた。ヴァローレで一緒に暮らしていた頃――ティツィアーノは毎日アジトという名のバルジェロの家で寝起きしていた――も、いつもティツィアーノが先に起きていた。朝食を作ってくれていることもあった。
 上体を壁に預け、オスカは窓の外を見ていた。白砂は朝日を浴びて輝き、壮麗な宮殿は青空によく映えている。〝白銀の泉〟の名の通り、スフラタルジャは美しく澄んだ町だとバルジェロは思う――その二つ名が、授富の砂宮の奥にある真の〝泉〟を隠すために付けられたものだとしても。

「自力で起きられたのか」

 バルジェロの声にオスカが振り向く。

「なんとかな」

 しかし、オスカは肩で息をしていた。バルジェロの知るティツィアーノは、軟派を装いながら、その実非常にプライドの高い男だった。妙に格好つけたり、気取ったり、やせ我慢をしたりなどは日常茶飯事だった。今も、バルジェロの前で無理をしてみせている。

「薬師のところへ行ってくる。杖くらいは貸してもらえるだろう」
「じゃあ、ついでに朝メシも頼むぜ」
「粥だろうがな」

 借りた布団を片付けてから、バルジェロはソレイユの元へ向かった。傍にバルジェロがいなければ、オスカも虚勢を張りはしないだろう。



 朝食は、バルジェロのぶんも粥だった。ソレイユは杖を貸してはくれたが、「まだ使えないと思いますよ」と釘を刺された。
 部屋に戻ると、オスカは横になっていた。やはり無理をしていたのだろう。
 オスカは手が動くようになったからと、自力で粥を食べたいと言った。バルジェロは彼の意思を尊重して、オスカの体を起こし、椀とスプーンを渡した。しかし体幹が衰えているせいか、手よりも胴に負担がかかって、姿勢を維持できないようだった。あまりにも苦しげな様子を見ていられず、結局はバルジェロがスプーンを奪って食べさせた。
 食事を終えた後、オスカはバルジェロに支えられながら両足をベッドから下ろし、足の裏を床につけた。

……立てねえ」

 包帯を巻かれた足が震えている。背中を支えるバルジェロの手に思い切り体重がかかっており、放したらそのまま後ろに倒れてしまうだろう。しっかり支えるため、バルジェロはベッドに座り、身体を密着させた。オスカの動悸がバルジェロの体にまで伝わってくる。昨日の夕方、ソレイユから説明を受けたとおりだ。この治療院でひと月の間眠り続けていたオスカの体は、動き方を忘れてしまっている。立ち上がることすら困難を極めるだろうと。

「一度横になれ。少しずつ慣らすしかない」
「クソッ……

 バルジェロはオスカの体をそっとベッドに預けた。その後は、息が整ったらもう一度身を起こし、限界になったら背中からベッドに倒れ込む、という動作を何度も繰り返した。

「足に体重を乗せるのがきついか?」
「ああ。立とうとするとめまいがするし、足元がおぼつかねえ。座ってるだけならなんとかなりそうだが」

 足裏を地面につけると、まるで針山の上に立ったような痛みが走るという。それでもオスカは自分の足で立ち上がろうとあがき続け、

「一度休め」

 とバルジェロが諫め、強引にオスカの脚をベッドに戻すまで、やめようとしなかった。

「今のお前は無理をしたら死ぬ可能性があると薬師が言っていた」
「立つだけでか?」
「ああ。詳しいことはわからないが、血の巡りと関わりがあるらしい」
「自分の体なのに、こうもままならねえとはなァ」

 ベッドに仰向けになったオスカは、忌々しげに毒づく。

「何がどうしてこんな状態になってんのかもわかんねえし、ムカつくぜ」
「そうだな」
「お前にもわかんねえのか?」
「ああ」

 どう見ても目の前のオスカは生きている。衰弱しているのは彼がこの治療院で眠り続けていたからだが、そもそも彼がなぜ生きているのかは謎に包まれたままだ。
 逆にバルジェロが問う。

「救助される前のことは覚えていないのか?」
「ああ、さっぱりだ」

 ソレイユが言うには、オスカは久遠の流砂付近で救助されたという。ならば、オスカが自力で砂金の中から這い出し、あの迷宮から外に出て、そしてスフラタルジャへと運びこまれたということになる。彼と決着をつけたのは二年前だ。治療院で眠っていたひと月は理解できても、二年の空白は不可解だった。
 昼食はソレイユが持ってきてくれた。少しではあるが、粥の中に細かく刻まれた野菜が入っていた。バルジェロの昼食も同じく野菜粥だったが、腹が膨れればなんでもよかった。日々の食事の質に執着するような暮らしをしてきてはいない。
 結局、リハビリ初日は、立ち上がれずに終わった。オスカはひどく疲れたようで、夜が更ける前に寝入ってしまった。ソレイユから借りた杖は、所在なく壁に立てかけられたままだった。
 二日目には、回復の兆しが見られた。ほとんど全体重をバルジェロに預けたままではあったが、立ち上がることができたのだ。オスカの膝は震えていたし、ひどい汗をかいてもいた。オスカがままならない自分の体に憎悪じみた感情をにじませて毒づくたび、バルジェロの頭の中で警鐘が鳴り響く――ゴッドファザーとしての自分は〝持たざる者〟オスカを忘れるな、警戒を怠るなと囁き続ける。
 三日目、オスカは杖を手にした。だがバルジェロの支えなしで立つことは叶わなかった。一歩踏み出したときの横顔を見れば、痛みをこらえているのが嫌というほどわかった。杖を握る手の節が白くなっていて、必死に力を込めているのが見て取れる。それだけ力を入れてもオスカの膝は笑っていて、少しでもバルジェロから離れようとすると、がくりと折れてしまう。

「クソがっ」
「慌てるな」
「他人事だと思って……
「確かに自分事ではないが、協力はいくらでもする。頼ってくれ」
……

 ほら、と声をかけ、オスカを自分に抱きつかせた。オスカもおとなしくバルジェロの首に手を回した。バルジェロよりもオスカの方が上背があるのだが、体が痩せ衰えてしまったせいで、彼がひどく小さく思えた。
 四日目。朝が来る度に、オスカの体が少しずつよくなっているのがわかる。オスカはついに、杖をつきつつ、バルジェロに支えられながら、部屋から出られた。

「やったぜ!」

 嬉しそうに言ったその瞬間にオスカは倒れかけ、すんでのところでバルジェロに助けられた。物音に驚いたソレイユが飛んできて、無茶をするなと釘を刺された。
 その後は杖をつき、あるいは壁伝いに治療院の中を歩き回った。
 バルジェロの手にかかる重みが小さくなるにつれ、喜びと不安が大きくなっていく。
 その日の夕食は、酒場の店員が配達してきたピッツァだった。ソレイユが気を利かせてくれたらしい。魚とイカとキャベツが載ったピッツァなどヴァローレでは見たことがなかったが、意外にも美味だった。かつてこの町を訪れた東方の商人が、郷里の料理に近いものを作るよう求めたが、似て非なる料理になってしまったのがこの〝異国風お好みピッツァ〟だとオスカは教えてくれた。
 五日目は、ソレイユに「リハビリのペースが早すぎる」と止められたため、四日目と同じく治療院の中を歩き回るに留めた。



 そして、六日目の朝。

「服、買いに行かねえか?」

 朝食を食べながら、オスカがそんな提案をしてきた。もう自力で食事が取れる程度には回復しており、今もバルジェロと同じメニューを同じテーブルで食べている。一人用の個室だったはずの病室には、もう一つ寝台が運び込まれ、今は二人用の宿屋のごとき様相になっていた。
 バルジェロは聞き返す。

「服?」
「ああ。ヴァローレ仕様の服じゃ暑いだろ? 頭も守んねえと日射病になっちまうし」

 確かに、外を歩くなら砂漠の気候に合わせた服装にすべきだ。この町には長居することになりそうだし、服を買い足しておくほうがいいだろう。
 服屋は宮殿へと続く通りにあるらしい。外出すると伝えるとやはりソレイユには渋い顔をされたが、なんとか許可を得られた。外出にあたり、オスカは治療院に常備されている入院着を借りた。
 ヴァローレでは、あからさまに貧民だとわかる格好をしていると悪党どもにカモにされてしまう。だからバルジェロも、金がないなりに身なりには気を遣っていた。ヘルミニアを倒しゴッドファザーと呼ばれるようになってからは、なるべく上質な服を着るように心がけている。一方ここスフラタルジャではそこまで身なりを気にせずともいいと思っていたのだが、オスカはそうは思わないらしい。

「舐められねえように、それなりの質のやつを選ばねえとな」

 楽しそうなオスカに案内され、バルジェロは服飾店の入り口をくぐった。内装は非常に上品で、展示されている服にはどれも値札がついていない。

「おい……ここ、とんでもなく高い店じゃないのか」
「この店しか知らねえんだよ」

 昔はこの店のほうからオスカの家に商品を持ってきて、その中から気に入った物を買っていたという。そんな買い物の仕方は聞いたことがなかった。

「どうぞ」

 杖をつきながら服を選ぶオスカを見かねてか、初老の男性店員が椅子を持ってきてくれた。オスカは「ありがとう」と、よそ行きの態度で応じた。バルジェロが見たことのない顔だった。

「こいつに似合うローブと頭巾をいくつか見繕ってもらえるか?」

 オスカが頼むと、店員は「承知いたしました」と応じた。砂漠らしからぬ黒コートと、入院着そのままの男二人といういかにも不審な客にも、初老の店員は動じることなく対応してくれた。
 結局二人は、足首丈の白いローブを二着ずつ、頭巾も二つ買った。砂漠の夜は冷えるから上着は必須だと店員に強く勧められ、言われるままに丈の長い羽織も買うことになった。バルジェロは青、オスカは赤の羽織を選んだ。

「この場で着替えて行かれますか?」

 店員はバルジェロに尋ねたが、「そうさせてくれ」と答えたのはオスカだった。

「やっとまともな服が着られるぜ」

 そう言って喜ぶオスカの姿と、ボロを纏っていた〝持たざる者〟の姿は重ならない。彼の本心は、今どこにあるのだろう。懊悩を振り払うべく、バルジェロはオスカに申し出た。

「手伝うぞ」

 そう言うとオスカは嫌そうな顔をした。しかし、店員がすかさず、

「では、奥の広い試着室をご利用ください」

 と申し出てくれた。今のオスカの状態では、ひとりで着替えるのは難しいはずだ。バルジェロは、立ち上がろうとするオスカを助け、支えながら試着室に移動した。
 案の定、腕が上がらないようで、バルジェロの助けなしでは服に袖を通せなかった。備え付けの椅子に深く座らせ、入院着を脱がし、新品のローブを着せながら、バルジェロはオスカをたしなめる。

「意地を張るのはやめろ。意味がない」
「なんか癪なんだよ。何もかもお前に頼っちまうのは」
「頼っていいと言ってるだろう」
「お前がよくても俺はよくねェ」
「怪我人が格好つけるな。そのぶん、回復したら頼らせてもらう」
「俺を頼る? お前が?」
「ああ」
……そうかよ」

 オスカはそれきり黙ってしまった。ここで軽口で返さず黙るのは、ティツィアーノらしくない反応だとバルジェロは感じた。オスカの内心は見えない。だが、バルジェロは態度を変えず本音で接する。バルジェロは皮など被っていない、常にありのままの自分を見せているのだとオスカに示さなければならない――そうできなければ、この先、彼は共に在ってはくれないだろう。
 腹に残る刀傷の痕は見せないほうがいいと考え、バルジェロは着替える前にオスカに背を向けた。いつもの服を脱ぎ、白いローブに頭と腕を通し、裾を整えて頭巾を被る。普段、白い服を着ることはほとんどないため、自分では違和感があった。だがオスカの感想は違った。

「へえ、似合うじゃねえか。肌が黒いから白も映えるのな」
「そうか」
「酒場に行けば女たちが黙ってないぜ、色男」
「お前を置いて外に繰り出したりしない」
「んなっ……お前よォ」

 オスカはわずかに頬を染めてそっぽを向いた。

「面と向かってそういうこと言うなよ。照れるだろ」
「お前を口説いてどうする。考えすぎだ」
「いや、お前のそういう態度にコロッといった女が何人も俺んトコ相談に来たんだよ!」
「それは……迷惑をかけたな」
「ああ、大迷惑だったぜ。俺もピエロもな」

 ティツィアーノはよくピエロと二人で酒場に女をナンパしに行っていた。思えば、あれは単に女目当てなだけでなく、素直で騙されやすいところがあるピエロをそれとなく守るためでもあったのかもしれない。ピエロが酒場でタチの悪いイカサマギャンブラーにカモにされたのは、ティツィアーノがいなくなった後だった。〝持たざる者〟オスカなら、それも〝皮〟だったと言うのだろう――だが、今なら? 今のオスカなら、なんと答えるのだろう。

「ほら、行くぞ」

 バルジェロがオスカに手を差し出すと、オスカは素直に手をとる。今、彼の指に巻き付いているのはバルジェロが巻いた包帯だけ。おぞましい真紅に輝くあの呪われた指輪は、永遠に失われたのだ。



 店を出ても、オスカはまだ歩きたがった。その足は明確に宮殿――彼の実家へと向かっている。
 ヒュセイノフ家の宮殿を訪れたのは、ピエロ、ロッソ、レヴィーナ、そしてウィッシュベールの〝相棒〟だ。この町を簒奪したスカラベという男の死に様は、見るに堪えない凄惨さだったと彼らから聞いた。町の人々を食い物にし、人を人とも思わない所業を繰り返した輩など、どうなってもバルジェロは意に介さない。気になったのは、オスカの殺し方だ。できる限り苦しめて殺すというそのやり方が、バルジェロが見てきたティツィアーノとはどうしても結びつかなかった。

「間近にするとバカみたいにデカいだろ?」

 宮殿が近づいてきて、オスカは自嘲ぎみに言った。

「そうだな……

 巨大なだけではない。主が不在なのに門番がいるし、砂漠にあるのに周囲を水路に囲まれていて、一目でスフラタルジャとヒュセイノフ家の隆盛がわかる。

「これだけデカい家だと掃除が大変そうだ」
「はは、違いねえ。使用人もすげえ数いたからな」
……オスカ様?」

 横から声をかけられ、二人は同時にそちらを向いた。声の主は武装した中年の男だった。男は目を細めてオスカの顔を覗き込むと、感極まった様子で声を上げた。

「ああ……! お目覚めになったのですね! よかった……もっとよくお顔を見せてください」

 口ぶりから察するに、この男はバルジェロがこの町にやってくる前からオスカを見舞っていたという衛兵だろう。

「若い頃の先代によく似ておられる……坊ちゃんが領主になってくだされば、この町は安泰です。きっと昔のように住みよく穏やかな町に戻ります」
「お、俺は……

 オスカは言葉に詰まっている。戸惑っているようにも見えた。バルジェロは、衛兵の言い草にかすかな苛立ちを覚えた。今の弱り切ったオスカに、この町を背負えというのか。

「ティツィアーノ」

 だから、あえてその名前で呼んだ。衛兵の顔がこわばった。

「知り合いか?」

 オスカは曖昧な視線をバルジェロに向けてから、衛兵に言った。

「あ、あァ……悪い、おっさん。俺、ちょっと記憶が混乱しててよ。そんなにあんたの知り合いに似てんのか?」
「記憶が……

 衛兵は悲しげにオスカを見る。

……失礼した。オスカ坊ちゃんを最後に見たのは、まだ坊ちゃんが幼い頃で……もし生きておられるなら、あなたくらいの年になっているだろうと……とんだ早とちりを」
「期待に応えられなくて悪いな」
「いいえ……
「悪いがリハビリの途中でな。もう行ってもいいか」

 バルジェロがそう言うと、衛兵は頭を下げ、

「私はこの町の治安維持を担っております。なにか厄介ごとがありましたらお知らせください」

 と告げて、市街地の方へと去っていった。
 オスカは言う。

「あのおっさんは古株の衛兵だ。俺の見舞いに来てたっていう」
「お前のことをずいぶん買ってるようだったが」
「ガキだったからよ。大人が喜ぶのが面白くて、覚えたての知識を披露しまくってたんだ」

 本人は卑下するが、オスカが頭脳明晰なのは事実だ。ティツィアーノを失ったとき、バルジェロたちが真っ先に求めたのは頭の切れる仲間だった。

「ありがとな。正直あのおっさんになんて言やあいいか、すぐにはまとまんなかったからよ」
「今のお前を見てなお頼ろうとするのが気に入らなかっただけだ」

 正直な気持ちだ。ローブに着替えたことで痩せ細った体の線はごまかせているが、まだオスカの顔色は悪い。なにより、杖をつきバルジェロに支えられて立っているのだ。そんなオスカに「領主になってほしい」なんて、あまりにも虫のいい話ではないか。

……あっちで話そうぜ」

 オスカは宮殿の西側にある休憩所を指さした。



 宮殿そばのスペースはこの町の貴族たちの憩いの場となっているようで、着飾った先客が数人いた。水路を流れる水音が心地よく、苛烈な日射しを和らげてくれる。二人は他の客から離れた席についた。 

「領主になれ、か」

 オスカは天を仰いで呟く。

「ったく、どうなってんだこの町は」

 衛兵の口ぶりからすると、オスカの父ジュリアンが領主だった頃のスフラタルジャは相当にマシな町だったらしい。領主のひとり息子と一介の衛兵に交流があるくらいなら、身分の差もそれほど意識されていなかったのだろう。

「なァ、バルジェロ」
「なんだ?」
「ヘルミニアを倒したら、お前がヴァローレのトップになっただろ?」
「ああ」

 首肯すると、なぜかオスカはバルジェロに寂しげな微笑みを向けた。

「ヴァローレの奴らは、お前を信じてついていく。お前が道を誤ることはねえだろうから、ヴァローレは安泰だ。スカラベみたいなクソに目をつけられても、ちゃんと手を打てるだろうしな」

 オスカはバルジェロを褒めながら、暗に父親を責めている。スカラベに陥れられこの町の指導者の地位を失ったジュリアンを。

……ほとんどの奴は、支配されることを望んでる。何かに寄りかかって生きる方が楽だからな。お前みたいに、自分の足で立ち上がろうって奴は少ねぇんだ」

 弱々しく言うオスカは、顔に射す太陽の光を遮るように右手を上げた。

「なくしちまったのかな」
「何をだ?」
「指輪」

 オスカの口から、その話題が出るとは思わなかった。
 彼がその指に嵌めていた紳商伯の指輪は、授富の砂宮での決戦で〝選ばれし者〟――ウィッシュベールの相棒の手に渡った。その後はサザントスに奪われ、そして最後には邪神ガルデラと共にいずこかへと消えた。

「クソ親父の形見だったんだけどな」

 手を下ろすと、オスカは宮殿に目を向けた。青い空に映える宮殿は、ただ静かに威容を晒している。

「知ってるって顔だな?」

 オスカはそう言って、バルジェロの顔を数秒間じっと見つめたが、ふうと細く息をついた。

「でも、聞いたらまずいんだな。俺が忘れててお前が知ってるってことはよ」
「まだ何も思い出せないのか?」
……

 オスカはバルジェロから目を背ける。バルジェロはその視線の意味よりも、今の彼にかけるべき言葉を考えた。

「手を貸すか?」
「あァ?」
「この町を取り戻すのに」
……なんだよ急に」
「お前もヘルミニアからヴァローレを取り戻すために戦ってくれたろ」
「ったりめーだろ。こちとらお前に命を預けてたんだ」

 オスカはそう言うが、バルジェロは知っている――ヘルミニアに狩王女の指輪を与えたのは、ほかでもないオスカだ。そのオスカは、ヘルミニアとの戦いにおいてティツィアーノとして振る舞い続けた末、むごい拷問を受けた。それでも、バルジェロたちを売ることはしなかった。すべては魔女の隠し財産を奪い取るための計画だったのだとしても、彼が己を犠牲にしたのは事実だ。そして、彼は意識を失う直前、焦点の合わなくなった目をさまよわせながら拳を掲げた――「カッティーナ」と。

「お前は本当にバカだな」

 あの瞬間のオスカの本心を探していたバルジェロに、彼はさらりと言った。

「ヴァローレのことだけ考えてろよ、ゴッドファザー。それに、スカラベの野郎は……もう、俺がぶっ殺したと思う。だからほっとけばトライブリアが誰か寄越すさ」

 聞き捨てならない発言だ。

「記憶が戻ったのか?」
「ぼんやりとな」

 オスカは俯く。

「けど、あんまりはっきり思い出すと、お前にリハビリを手伝ってもらおうなんて気は失せそうだ」

 その表情は、頭巾の影に隠れて見えなかった。



 そろそろ正午という頃合いに、二人は治療院へと帰ることにした。ただ歩くだけでなく、服を買い、衛兵と話したオスカの疲労は相当なものだろう。来たときと同じように、バルジェロがオスカの腰を支え、オスカは杖をついてゆっくり歩く。

「新入りは元気にやってるか? ウィッシュベールのよ」

 宮殿が見えなくなり、市場に差しかかったところで、オスカがそう尋ねた。相棒と出会ったのは三年前だから、今の状態のオスカが相棒を〝新入り〟と呼ぶのは自然すぎるほどに自然だ。

「わからん。相棒はひとりで旅に出たからな」
「へえ……相棒、ね」
「気になるか?」
「まァな」
「言い出しづらいんだろ?」
「何を?」
「指輪のことだ」

 オスカが相棒の話題を出したのは、おそらく、相棒が〝選ばれし者〟だからだ。聖火神エルフリックの力を宿す指輪を嵌め、八つの指輪を集める使命を背負う者。その相棒が、紳商伯ビフェルガンの指輪の持ち主だったオスカと対立するのは必然だった――邪悪に堕ちた紳商伯の指輪は、持ち主であるオスカの心を蝕んでいた。

……やっぱ、知ってんだな」

 オスカはバルジェロの手をほどこうと身じろぎした。だがバルジェロはオスカを放すまいと、支える掌に力を込めた。

「知ってんなら、なんで俺を助ける?」

 オスカは足を止めようとする。バルジェロはそれを許さず、オスカが立ち止まれないように歩き続けた。

「俺にあるものはなんでも分けてやると言っただろ。今の俺には時間がある。休暇を取れとヴァローレを追い出されたからな」
「そうじゃねェよ!」

 オスカの怒声に市場の人々の視線が集まるが、彼は構わずにまくしたてた。

「俺が憎くねェのかって聞いてんだ!」
「憎いさ」
「なら……!」

 バルジェロは立ち止まり、まっすぐにオスカを見る。オスカもこちらを向く。

「だがそれ以上に……お前が大切で、かけがえないんだ」
「なっ……

 オスカの瞳が、青とも金ともつかない色に揺らいだ。

「どんなに憎くても、ヴァローレでお前と過ごした日々を忘れられない。この気持ちは……お前にも、俺にも、どうにもできん」

 心のうちを吐露したところで、何が変わるわけでもない。バルジェロの中には、ヴァローレを苦しめたオスカへの憎しみと、大切な仲間のティツィアーノへの情が共存している。二つの思いはどちらも、目の前の男ひとりに捧げられるものだ。

「本当に……バカだな」

 オスカは小声で毒づくと、杖を地面につき直して前を向いた。バルジェロは彼をそっと支える。
 その後は言葉を交わさなかった。ただ白日の下、治療院への道を、二人はゆっくりと歩いた。



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