vineh118
2026-06-06 21:00:00
7592文字
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続・ここだけの話。 ─他の刀剣男士から見たにほへし─






103.石田正宗



 石田正宗は頁をめくる。数多の時と智を紐解くように、連なる文字をなぞり、思いを馳せる。そこにあるのは真と偽。清と濁。あるいはそのどちらでもないもの。
 本丸の書庫にはあらゆる種類の書物があった。古い兵法や精緻な美術書、小説に随筆、料理の指南書、はたまた漫画と呼ばれる現世の絵巻物まで。
 とはいえ全体を見渡せばさすがに歴史に関するものが多くを占めていて、年代毎に分けられた書架が立ち並ぶ。
ぎっしりと詰められた棚もあれば、誰かしらに借り出されているのか、ところどころ抜けている部分もあった。
 必ずしもすべてを見てきたとは限らない。縁のない時代や場所やその先をこうして知ることができるのは、人の手によって残された記録のおかげだろう。それが歴史。おしなべて、勝った側が記したものではあるけれど。
 ふと、背後で扉が開いた。話し声とともにぬるりと廊下の光が入り込む。
「ったく、一度にこんなに持ち出すくらいなら、執務室にあるあの板っきれを使えばいいじゃねえか。いちいち戻すのだって一苦労だろ」
「仕方ないだろう、タブレットで読むより紙のほうが捗るんだ」
 どうやらふたりがかりで本を運んできたらしい。
「同意だ。あれはどうにも目が滑る」
 手にしていた本から目を離して声をかけると、ふたふりは同時に振り返った。先に口を開いたのはへし切長谷部だ。
「石田正宗か。どうした、なにか調べものか?」
「ああ、次の出陣の時代について頭に入れておきたくて」
「へえ、真面目なもんだ」
 後から入ってきた日本号はそう言いながら、抱えていた本をどさりと床に置いた。
「おい、もっと丁重に扱え」
「へいへい……っと。それ、出陣のたびに調べてんのか?」
 長谷部によるもっともな指摘をさらりとかわし、日本号がのぞき込む。図鑑さながらに分厚い、大きな本だ。開いていた頁には有名な合戦の様子が挿絵として載っていた。
「少しでも助けになればと思ってね。ここにいる以上は汚名返上を心がけるつもりだ」
 この名があの方を思い出させるというのなら、せめてそれに恥じぬよう。
……そういえば、きみたちの元の主は、」
 あの方と反目していた者たちの中でも真っ先に名が挙がる。いわば渦中を目の当たりにしていたともあれば、やはりこの名に思うところもあるはずだ。
 ここに描かれた合戦も当然よく知っているだろう。長谷部はちらと一瞥したに過ぎなかった。
 主には忠実であるが、どの刀にも一様に厳しく冷徹で容赦もないという近侍の刀。いつも眉をつり上げてせわしなく廊下を行き来している。
 そんな刀であれば尚のこと、一度でも敵とみなせば、おそらくは。
 それともくだらんと一蹴するだろうか。
「心がけは立派だが」
 冷ややかな面持ちで長谷部は口を開いた。
「それ以上はキリがないぞ。俺たちの中にはそんなふうに昔の主や因縁にこだわる者もたしかにいる。だが、……おい、なんだ」
「いや?」
 隣りでにやにやと笑う日本号を見上げながら、長谷部はあからさまな舌打ちをして、それから誤魔化すように咳払いをした。
「勘違いするな。この本丸に呼ばれた理由は刀工の矜恃を示すためでも、ましてや自分のものでもない汚名を返上するためでもない、違うか?」
 そう言って、まっすぐな目を向ける。うなずく他はなかった。
「そのとおりだ。けれどこれだけは言わせてほしい。……私もその場にいたわけではないから、ここで読んで得た知識にすぎないけれど」
 きっと、こんな目をしていたのかもしれないと、ふと思う。捕らえられたあの方に、自ら陣羽織をかけたという武将の姿を脳裏に描きながら。
「良いかただったのだな。黒田長政という人は」
「え? ……あ、ああ」
 長谷部は虚をつかれたようにまばたいた。一瞬、助けを求めるような顔をして隣りの槍を見上げたが、無言のまま、ゆるりと笑っただけだった。
「だからなんだ、もっと好き勝手にしていいと思うぞ。その、少しくらいは」
「珍しく下手に出てんじゃねえか」
「うるさい、いつまでにやついてるんだ? さっさと行け」
「おう」
 じゃあな、とひらりと片手を挙げて日本号は背を向ける。長谷部は長々とため息を吐いた。
「まったく……
「いいのか、本当に行ってしまったが」
「ああ、いいんだ。あいつはこれから遠征だから。もう集合時間も迫っているというのに、俺が運んでいたのを後から追いかけてきて勝手に、」
 そこではっとした顔で押し黙ると、気を取り直すようにつけ加えた。
「その本、まだ読むなら部屋に持っていってもいいぞ。ただし元の場所に必ず戻すように」
「ああ、そうさせてもらおう」
 手にしていた本を閉じ、書架の前から退くと、入れ替わるようにして長谷部は運んできた本を棚に戻しはじめた。
 目の前の作業をこなすその横顔は、もういつもの様子に戻っている。
 それを動かすのは元の主かいつも傍らにいる大身槍か、その関係性を記すものはここにはない。この目に映るものも硝子越しではあるけれど。
 きっと、錯覚ではないはずだ。