vineh118
2026-06-06 21:00:00
7592文字
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続・ここだけの話。 ─他の刀剣男士から見たにほへし─






102.八丁念仏



 八丁念仏はたじろいで、小さく口走った。うわ、うわうわ。待って待って。
 口の中からもれだした無意味な音は、さながら念仏のようでもあった。唱えたところでどうにもならないが、できることならそれにすがりたい気分だった。なんだってこう、間が悪いのか。
 八つ時過ぎ、北側の廊下はひっそりしていて、誰かとすれ違うこともない。気を緩めたまま大股で、鼻歌混じりに角を曲がったところで突然、なにかに視界を遮られたのだった。
 引き返すべきか、否か。考える間もなく目に飛び込んできたのは、向かいあったふたつの人影だった。ひとつのかたまりみたいにくっついて、片方が片方の身体に両腕を回している。ぎゅうと音が聞こえてきそうなほどだ。
 抱きしめられているもう片方は大きな体躯にほぼ埋もれ、色の後頭部だけが見え隠れしている。ええっと、誰と誰、だっけ。あれは確か。
 槍と刀。頭の中でその名を浮かべる。同時に、酒に灼けたような低い声がした。さらさらとした媒色をあやすように撫でながら、その耳許に顔を傾げて近づける。
「落ち着いたか?」
……ふん」
 腕を解きながらその刀、ヘし切長谷部はこくりとうなずいた。そうしながらも唇をとがらせている横顔は、どこか物足りなさそうにも見えた。
 とっちらかってばらばらな言葉と仕草と表情に、思わず首をひねる。ここに来てからまだそれほど経っていないし、だからよくわかってないんだけど、それってわりとフツーのこと?
 もっとわからないのは、そんな刀の様子を優しげに、目を細めて見つめる日本号だ。
 人の身を得た百振余りが一処にいるのだから、誰と誰がどうであってもおかしくもなんともない。だから、そう。そうなんだけど。
「あー……えーっとお、」
 八丁の声に、長谷部が驚いた猫のように跳ね上がった。
「ごめんっ。盗み見とか、そんなつもり全然なかったんだけどっ」
 やはりすぐに引き返すべきだったのだ。ここを通らなければ自分の部屋に戻れないとはいえ。
「あー、これじゃ通れねぇよな」
 邪魔したな、と日本号が壁際に身体を寄せた。とはいえ悪びれた様子はない。
「いやいやいや、こっちこそ」
 あわてて両手を広げて振った。
「気にしないでっ。俺なんてほら、いてもいなくてもおんなじようなもんだしっ。ま、空気かなにかだと思って」
 にこやかに穏便に、すみやかに。この場をすり抜けようとした、その時。
 おいちょっと待て、と鋭い声が背に刺さった。振り向くと、やはり気に障ったのか長谷部が鬼のごとく睨みつけている。
「なんだ貴様その言い草は」
「や、だからごめんって……
 すると、そうじゃない、とさらに眉をつり上げる。
「貴様を顕現させるのに、主がどれだけ手間と資源を費したと思ってる。それを空気などと」
 空気が敵を斬れるか、ともっともなことを言うので、押し黙るしかない。
 そうまでして呼ばれたのは有難いことなのだろう。けれど、求められているのは名刀の価値ではない。それでもいい、そういう契約だ。少なくともそう理解している。
 なんかいろいろ混じってるし、よくわかんないし。自分の口から語ることさえ不確かで、だからうやむやにするしかなくて。
 それに対して今、目の前にいるのは国の宝で、語り継がれて謡われて。彼らもまた、残されるべきものなのだ。
 まさにキラキラでつよつよって感じ?
 長谷部はふんと鼻を鳴らした。
「つよつよだかなんだか知らんが……
「おいおいその辺にしておけよ、そういうつもりで言ったんじゃねえだろうが」
 なぁ? と日本号がとりなすようにして笑った。
「だとしても早々にわからせておく必要が、……むぐっ」
 言葉が途切れる。日本号が長谷部の口に手を当てて塞いでいた。
「悪りいな、こいつも今、任務から戻ったばかりでちっと気が立ってるんだ。珍しく単騎だったもんだから」
 そう言って、また目を細めて長谷部を見つめた。その意味を、八丁は不意に理解する。
 あ、おっけおっけ、つまりそういうこと。
 光の輪郭をとらえるように柔らかくてどこか厳かで、すごく特別なものを見つめるような、そんなまなざし。目の前にあるものが、まるで宝モノか何かみたいな。
 じゃなくてきっと、宝そのもの。でしょ?