フリンズさんと不思議な楽師さんの話

あまこい7にて展示しました


【第三話】

 数回の空振りはあったのだが、今日は楽師の彼女がいるフラッグシップへ駆けつけることが出来た。やはり不定期ではあるが、なにか法則などを見つけられないかは、今後の課題にしたい。……まだ僕は、ここへ通う予定があるからだ。

「今回は『ベリーの小径』にしました。どうぞ」
「ありがとうございます」

 演奏を終えた彼女にまた声をかけると、今回も「一杯だけなら……」と返事が貰えた。アルコールは飲んだことがないとのことで、アルコール抜きのカクテルを注文しておいた。
 他愛のない話や世間話などを僕から振って、彼女からたまに話をして貰う。彼女が顔を上げて笑う時に見える淡いピンク真珠の瞳が、僕のお気に入りだ。今度、ヴォイニッチ商会で似たような色の宝石が無いかを探してみることにしよう。

 カクテルを飲み終えた彼女は、「では、そろそろ……」と僕に声をかけた。僕としてはもっと彼女と語らいたい所ではあるのだが、無理強いするのは本意ではない。椅子から降りようとする彼女へ、そっと手を差し出す。すると今日の彼女は、僕の手を取ってくれたのだ。
 前回は取って貰えなかった手に、彼女の手乗せられた。それだけで僕は少し舞い上がってしまい、遠慮がちに乗せられている彼女の細い指を見つめた。椅子から降りた彼女は手を離そうとするが、少しだけ力を入れて掴んだ。
 
……あの?」
「どうか、このままで」

 そう言って僕は彼女の手を引き、フラッグシップの店外まで彼女に連れ添った。少し慌てている可愛らしい彼女の姿を見て、僕は思わず心が弾んでしまった。
「ふふ、外までご案内したいだけですよ。……いけませんか?」
……いえ、あの、はい……
 少し恥ずかしそうに俯いた彼女を眺め、その艶やかな髪を撫でたいと思ったが、今回はグッと我慢することにした。

 扉を開けて店外へと出た所で、そっと彼女が僕の手から離れた。ふむ……ここまで、か。
 彼女が僕の方へと向き直り、軽い会釈をした。そして歩き出そうと後ろへ振り向いた彼女に対し、僕は思わず一歩踏み込んで彼女の手を掴んでしまう。

「また、消えてしまうのですか?」
……詮索は、おやめください」

 そんな事を言われてしまうと、僕はもう何も言えない。自ら彼女の手を離すと、もう一度彼女が僕の方へと振り返る。コクリと頷いて優しく微笑んだ彼女だが、それは何とも……悲しそうな笑顔に見えた。
 そのまま歩いて彼女が角を曲がる、それだけで存在が――彼女特有のクーヴァキが、その場で消えてしまう。もう彼女の存在を認識することはできない。
 まただ……この感覚はなんだ?まるでその場から彼女一人の存在が、一瞬で消えてしまったような、そんな感覚がある。
 
 ……まさか、彼女は?


 ***


 ――翌日。
 フラッグシップへ向かうと、あのクーヴァキを知覚することができ、店外から彼女の存在を確認することができた。迷わず店内に入り、静かにカウンター席へと座る。いつもの心地よい音楽に浸っていると、ふと視線を感じた気がする。自惚れでなければ……僕に気づいた彼女が、僕に目線を送ってくれた……ように思う。
 そこから数曲演奏した彼女は、演奏していた椅子から降りてお辞儀をした。終わりの合図だ。しかし時計を見たところ、今日はいつもより早めの時間であった。
 どうしたのか……と不思議に思って彼女を眺めていた所、楽器を片付けている彼女の足元が、ふらりと揺らめいた気がした。僕はすぐに立ち上がり、駆け寄って彼女の体を支えた。

――っ、大丈夫ですか?」
「あ、えぇ……はい。ありがとうございます」

 近くに寄ってみて気づいたが、いつもよりも顔色が悪いように思う。彼女特有のクーヴァキもいつもよりも微弱なように感じた。
「あまり体調が良くないのですか?」
「いえ、そんなことは……
 彼女はすぐに否定してきたが、そうとしか思えない。楽器を片し終えた彼女は、デミアンさんに楽器ケースを預けてから僕に会釈をし、そのまま扉へ向かって歩き出した。
 扉を開けようとした彼女の小さな手を取り、僕は告げる。
「今日こそ貴女をお送りさせてください。貴女が心配なのです」
…………
 彼女からの返事は、貰えなかった。小さなため息を吐き、僕は店の扉を片手で開くと、その隙間から彼女が店外へと踏み出す。

 僕に構わず歩き出す彼女の後ろ姿を、僕は見つめるしかできなかった。いつもの角を曲がる彼女を見送ると同時に、思い付きで腰につけた蒼炎のランプを手に取る。そのランプを曲がり角へ向けて勢い良く投げると同時に、ランプを利用して移動することで、人間には不可能な速度で角の向こうへと移動した。

 ――――あっ

 思わず声にならない声が出てしまう。そうか、だから彼女は……
 曲がり角の先で見えたのは、青と白の薄透明の小さな体をしていた。それは――月霊の姿をしていた。

 月霊の姿には目は無いのだが、彼女と目が合った気がした。僕はそのまま彼女へと手を伸ばしたが、その姿に触れる直前で彼女はその場から跡形もなく消えてしまった。



『塔-The Tower-』