二、昔日
落日。
銀色の月を眺めていると、肌がざわめきはじめる。が、照りつける太陽のしたにいるほうが、余計喉をしめつけられるような不可解な痛みを感じるので、私は夜のほうが好きなのだと思う。幼いころはずっと、夜しか出歩かなかった。夜のほうが紫外線が少ないから、と祖母と母は言っていた。私の肌を案じてのことなのだろう。夜の海に近寄らないようにと何度もいわれていたが、結局好奇心に勝てず夜の海辺に足首を差し入れた。ぬるい潮が、足首をくすぐった。
友だちはいなかった。時折、遠くから眺めていた同い年くらいの少女はいたけれど、あちらから喋りかけることも、こちらから喋りかけることもなかった。
夜でも分かった。日によく焼けた健康的な肌をした少女だったと。
私が望んで手に入ったものなど、いくらもなかった。
世界というものはこんなにも狭くて、澱んでいる。見慣れた青すぎる海も空も、美しいとは思わない。
二十歳になったころ、家に訪う人が多くなってきた。本州からきた人間もたくさんいた。みな、死人のように青白い顔をして、なにかをつけていた。背後に、四肢に、頭に。母がやまとことばでなにかを話しているのを坐して、身動きもせずに眺めていた。
彼らは死霊だったり、生き霊だったり、または動物の霊だったり、そういった
魔物を必ずつけていた。彼らと共にやってきた家族か親族かは分からないが
――後見人と呼んでいたその人たちは、私の姿を見るなり視線を逸らした。私は
白子と呼ばれるもので、体毛も肌も白い。つねづね、〝ふつう〟という概念を贄にだして手に入れた力のように感じていた。
霊を祓うこと自体は容易いものだった。容易かったが、なまぬるかった。それは僅かに、悪いもののようにも感じた。嵐のあとの晴天のように。
数代前の照喜納の当主は、私と同等程度の力を持っていた女性だった。王国に仕えた
祝女であった。若くして死んだ彼女の写真やビデオテープ
――そういった一切の画像を遺すことを許されなかったという。ただ名前だけが今もこの家に残っていた。私もきっと、そうやって生きて死んでいくのだと思っていた。いずれ名前すら消え去るのだろう。
きたものの霊を祓う、そういう日々を4年ほど続けてきたある日、家にやってきたひとりの刀遣いに出会った。
名刺をもらったが、母に取り上げられたので名前は覚えていない。その人は「君みたいな人がたくさんいるよ、天照には」と笑いかけた。「そういう力を持て余すくらいなら、天照に入って助けてもらいたいものだ」とも。彼は特別、軽口をいっているわけでも、仰々しくいっているわけでもなかったようだ。ただ、「そうだったらいいなぁ」くらいだったのだろう。けれども私の心には、不思議と
あまてらすという組織の名前が深く刻まれた。
私が家を出たのはその1年後であった。
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