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夏蜜柑
2026-05-18 02:39:22
16282文字
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逃避行はポケットの中で
lkがぬいの中に入ってamに拾われる話。
※136話以降。捏造しかない。頭を空っぽにして読んでください。
1
2
3
4
規則正しい静かな鼓動に身を預け、ゆっくりと瞼の裏に暗闇を落とす。
厚い布地に守られたこの場所は、息苦しいほど温かくて、さっきまでのひりつくような寒さが嘘のようだった。
ほんの数時間前
――
わたしがまだ、自分の手足で冷たい土を踏みしめていた時の記憶が、微睡む意識の底から静かに浮かび上がってくる。
始まりは、船の食料を補充するために降り立った街で聞いた、不穏な噂だった。
街外れの森で、ゴーストポケモンたちが夜を待たずに暴れ回っている。もしもその原因が、未回収のストロングスフィアの残滓にあるのなら見過ごすことはできず、わたしはロイとウルトと共に森へと足を踏み入れた。
『
……
っ、リコ! そっちのルート、霧が急に濃くなってる! 気をつけて!』
スマホロトムの向こうから響くドットの焦った声が、少しずつノイズに塗れていく。
「ドット? 案内、聞こえづらくなって
……
っ」
鬱蒼と茂る木々が、夕暮れ時だというのに夜のように冷たい影を落としている。進むごとに底冷えのする白い霧が意思を持ったように立ち込め、あっという間に仲間とはぐれてしまった。
背筋を這い上がるような淀んだ空気が漂い、理性を失ったゴーストポケモンたちがぬるりと姿を現す。
身構えようとした瞬間、背後から突き抜けるような冷気が身体を真っ直ぐに貫き
――
ぐらりと視界が傾いた。
次に目を開けた時、世界は異様に大きく、そして歪んで見えた。
冷たい土の上に崩れ落ちた自分の身体を、ただ見開かれた丸い瞳で映すことしかできない。
マスカーニャの息が上がり、ひりつくような冷気に布の身体ごと飲み込まれそうになった、その時だった。
迫る夕闇を焼き焦がすような、見慣れた赤紫の炎が閃いた。
「ソウブレイズ、むねんのつるぎ!」
鋭く響いた声に、びくっと布の身体が跳ねる。
薄暗がりを切り裂いて現れたのは、彼
――
アメジオだった。容赦ない双剣の熱が、迫り来る影たちを大きく弾き飛ばしていく。
かつて何度も刃を向けられた相手だというのに、マスカーニャは彼の姿を認めるなり、ほっとしたように息を吐き出してわたしの身体へすり寄った。彼が危害を加えないと、その背中を信じているように。
周囲の気配が散り散りになるのを見届け、彼が静かな足取りでこちらへ近づいてくる。
倒れたわたしの身体を見下ろし、やがて、その視線がすぐそばに転がっている水色の塊
――
街の出店で目を引かれてポケットに忍ばせていた、わたしとお揃いのパーカーを着たぬいぐるみ、つまり今のわたしへと向けられた。
「
……
なぜ、こんなところに」
いぶかしむような低い呟きとともに、黒い手袋に包まれた大きな手が伸びてくる。
彼が、落ちている物を無造作に蹴り飛ばしたり、むやみに粗末に扱ったりするような人ではないことは知っている。けれど、今のわたしは彼にとって意味を持たない、ただの〝布切れ〟だ。興味を失って、そのまま森の中へ置き去りにされてしまうかもしれない。そう思って身を強張らせたけれど、彼は不器用なほど慎重な手つきで、わたしをそっと拾い上げた。
手のひらに乗せられた瞬間、薄い手袋越しに、彼自身のじんわりとした熱が伝わってくる。
(あ
……
)
彼がふいに眉を寄せた。冷え込み始めた夕暮れの森には不釣り合いな、わたしの小さな鼓動のような重みに気づいたのだ。
『
……
っ、アメジオ
……
!?』
気づいて。わたしはここにいるよ。
声を持たない喉で必死に名前を呼ぶと、彼がはっとしたように、わたしを目の高さまで持ち上げた。
夕陽に透かされて揺らぐ、切れ長な瞳と視線がぶつかる。
「おい
……
まさか
――
君、なのか?」
信じられないものを見るような彼の戸惑いが、指の腹を通して静かに伝わってくる。
わたしがこんな姿になっているなんて、すぐに信じてもらえるはずがない。ただの布が熱を持っているなんて不気味だと、再び冷たい土の上に戻されてしまうかもしれない。彼が理由もなく相手を害するような人ではないと分かっていても、このまま見過ごされ、夕闇の森にひとり残されてしまうかもしれないという心細さに、自分でも止められないほど身体が小刻みに震え始めた。
どうか、見捨てないで。手放さないで。
すがるように彼を見つめ返していると、わたしを支える指先の力が、ためらうように少しだけ抜けた気がした。
その時、再び冷たい風が木々を揺らした。
弾き飛ばされたはずの影たちが、刺さるような冷気を持って再び這い寄ってくるのが見える。
張り詰めた恐怖に、短い布の腕がびくっと大きく跳ねた。
「
……
ソウブレイズ!」
再び鋭く声が飛んだ直後。
視界がぐらりと揺れ、あっという間に暗く狭い空間へと引き込まれた。
「
……
じっとしていろ」
頭上から降ってきたのは、低く抑えられた声。
彼は自身のジャケットの合わせ目を開き、その懐の奥深くへとわたしを滑り込ませたのだ。
冷たい外気が完全に遮断され、代わりに彼自身の落ち着いた香りがふわりと包み込んでくる。
すぐ耳の裏あたりから、トク、トク、と、早鐘を打つような命の音が聞こえた。
彼が身を翻し、ソウブレイズと共に影たちを散らしていくたび、分厚い生地越しに、かすかに上がる息遣いと柔らかな胸の熱が直接伝わってくる。
敵同士として遠くから睨み合っていた頃には、絶対に知ることのなかった温もり。
わたしは、言葉にならない熱で不器用に守ってくれる彼の胸の奥へ、小さく頭をすり寄せるようにして、乱れていた震えを少しずつ沈めていった。
しばらくして、ひりつくような冷気が遠ざかり、森に本来の静けさが戻ってきたのがわかった。
深く息を吐き出す彼の胸の動きに合わせて、わたしの身体も小さく揺れる。
やがて、外側からぴったりと覆われていた手が離れ、開かれたジャケットの隙間から夕暮れの淡い光が差し込んできた。
少しだけ前かがみになった彼と、視線がぶつかる。
「
……
怪我は、してないな」
低い呟きとともに、少し乱れていたフードの形を、黒い手袋越しの指先が優しくなぞって直してくれた。
「リコー! どこだー!」
「おい! いるなら返事しろって!」
遠くの木々の向こうから、ロイとウルトの切羽詰まった声が聞こえてくる。枯れ葉を踏み砕く足音は、もうすぐそこまで迫っていた。
「
……
迎えが来たようだな」
彼の声色がわずかに沈み、胸の奥へひやりとした風が流れ込んだ気がした。
大きく温かな手が、わたしを懐からすくい上げる。
外の冷たい空気に晒されてぶるりと震える身体を、彼は倒れているわたしの肉体のすぐそばへ、そっと横たえようとした。
「
……
早く、元の姿に戻れ」
不器用な祈りのようなその声に、わたしを置こうとする指先が、ほんの少しだけためらうように留まる。
(やだ、行かないで)
彼がこのまま背を向けて、また夕闇の迫る森の奥へ一人で消えてしまう姿を想像した瞬間、どうしようもない寂しさが胸を締め付けた。
わたしは動かせないはずの短い布の腕に必死に力を込め、離れようとする彼の指先を、ぎゅっと抱え込んだ。
「
……
っ、おい」
振り解こうと思えば、簡単に解けるはずの力だ。けれど、わたしのすがるような重みに驚いたのか、彼の手はピタリと止まった。
「離せ。
……
仲間がすぐそこまで来ている」
言い聞かせるような低い声が降ってくる。頭では、彼が一刻も早くここを離れなければならないと分かっていた。でも、どうしても手を引くことができなくて、わたしは彼の指の腹へ、何度も丸い頭をすり寄せるように押し付けた。
足音が、すぐ隣の茂みを揺らす。
「
……
相変わらず、強情なやつだ」
長く細い吐息が落ちてきたかと思うと、彼はわたしを素早く掴み上げ、再び自身の温かい懐の奥へと滑り込ませた。
マスカーニャが一瞬目を丸くして彼を見上げた直後、強い浮遊感が全身をふわりと持ち上げる。
風を切り、彼が音もなく高い木の上へと跳躍したのだ。
ガサリと茂みを掻き分け、ロイたちが空き地へと飛び出してきた。
「リコ! 無事!?」
「なんだ、マスカーニャも一緒じゃねぇか
……
って、やべぇ! 倒れてるぞ!」
眼下のひらけた場所で、彼らが倒れたわたしの身体に駆け寄り、必死に声をかけている。
息を潜め、太い枝の上に身を屈める彼は、左手をジャケットの上からそっと当てて、冷たい夕風からわたしを庇い隠してくれていた。厚い布地の奥で、彼自身の落ち着いた香りと、静かで確かな命の音が、わたしの芯へじんわりと溶け込んでくる。
「
……
君が戻るまでの間だ」
誰に聞かせるでもなく、唇の端からこぼれ落ちたような呟き。
素直に守ってやるとは口にできない彼なりの不器用な言い訳に、わたしは短い腕でぽすんと、柔らかな胸板を一度だけ叩いて応えた。
◇
「
……
リコ? お願いだ、目を覚まして!」
「くそっ、なんで
……
外傷はないのに。おい、リコ!」
眼下のひらけた場所から、ロイの震える声と、ウルトの切羽詰まった叫びが、夕暮れの冷たい空気を揺らして上へと立ち上ってくる。それに重なるように、スマホロトム越しに息を呑むドットの気配や、マスカーニャの喉の奥から絞り出すような鳴き声がかすかに鼓膜を打った。
すぐ下で、わたしの大切な仲間たちが、動かないわたしの身体を囲んで必死に手を伸ばしている。
(ロイ
……
ウルト、ドット
……
マスカーニャ
……
)
大丈夫だよ。わたしはここにいるよ。
そう叫びたくてたまらないのに、布で作られた喉はかすかな吐息すら紡ぐことができず、ただもどかしさに身をよじることしかできない。
枝の上に身を潜める彼は、その騒ぎをじっと見下ろしながら、微動だにしなかった。
ただ、わたしをすっぽりと包み込んでいる彼の左手が、わずかに、けれど確かに、胸元のジャケットを上からそっと押さえるように力を込める。
その無言の圧力は、決して私を縛り付けるものではなくて。冷たい風や、外の張り詰めた空気から、この小さな熱を切り離して守ろうとするような、不器用で静かな強さだった。
『
……
っ』
少しだけ身じろぎをすると、彼の柔らかな胸板と、ジャケットの裏地に挟まれた狭い空間に、彼自身の落ち着いた香りがふわりと満ちた。
夕闇の森の淀んだ匂いとは違う。かつて刃を交え、互いの息遣いさえ遠く拒絶していた頃には、絶対に知るはずもなかった香り。
耳のすぐ裏から、トク、トク、と、規則正しい鼓動が絶え間なく響いてくる。
冷え切った夕闇の中で、彼だけが持っている、確かな命の音。
そのリズムに耳を澄ませていると、仲間たちに応えられないもどかしさで固くなっていた胸の奥が、不思議と少しずつほどけていくのを感じた。
彼が、ふと小さく息を吐き出す。
その拍子に身体がわずかに沈み込み、開いた襟元の隙間から、ひやりとした夕風が流れ込んできた。
思わず身を縮めて、短い布の腕で彼のシャツ越しに身体の芯へすがりつくように力を入れる。
彼が、ぴくりと肩を揺らした。
こちらの姿は見えないはずなのに、肌を伝うわずかな震えで気づいたのだろうか。彼は無言のまま少しだけ前かがみになり、ジャケットの合わせ目をきゅっと引き寄せて、冷たい風の入り口を完全に塞いでくれた。
真っ暗になった視界の中で、ただ、彼の手のひらのじんわりとした温もりが、布地越しに背中を覆っている。
「
……
すぐに戻る」
誰に聞かせるでもない、唇の端からこぼれ落ちたような低い声が、頭上から降ってきた。
それは、眼下で必死に名前を呼ぶ仲間たちに向けたものなのか。それとも、懐の中で怯えるように身を固くしている、わちしに向けられたものなのか。
どちらかはわからない。けれど、そのひりつくような不器用な響きに、わたしはもう一度、彼の胸元へ頭をすり寄せるようにこつんと押し当てた。
(うん
……
わかってる)
言葉を持たない代わりに、せめてこの柔らかな熱だけは伝わるように。
わたしをかばうように添えられた彼の長い指先が、そのかすかな重みに応えるように、ぽん、と一度だけ、上着の上から優しく私を叩いた。
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