ながひさありか
2026-05-18 00:31:02
18184文字
Public STR-Phaidei
 

MOONLIGHT MILE2


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2-1

 開演前の雑多でざわついた空気は悪くない。
 時間に追われてピリついているスタッフ、集中しているメンバーの真剣な横顔、ざわめきと張り詰めたような空気が混ざり合うそこに、観客の楽しそうな声が混ざるのを聞くのはいい気分だった。
 いつだって緊張はしない。しないが、スイッチが押されているかのように開演前の自身の精神は凪いでいる。会場にかかるBGMが耳にふれ、なにももたらさずに素通りして行く感覚。
 スタッフが本番三分前と声を上げる。衣装とメイクの最終チェック、音声も特に問題はない。ステージ上の楽器のチューニングも終わっている。機材も照明含めてトラブルは今のところない。いい日だ。
 客電が段々と暗くなり、BGMのボリュームが上がって行く。観客の声が徐々に小さくなり、高揚感と緊張感が空気として袖まではっきりと伝わって来ていた。
 バンドメンバーがスクリーンに映し出された映像に隠れるようにステージへ上がる。小さなざわめき。
 自身の名やバンド名が連呼され、流れるのにはもう慣れた。返しイヤフォンの音も悪くない。ふっ、と息を吐く。緊張はしないが、爆発寸前の空気がビリビリと肌を刺激している。いい気分だった。喉の調子もいつも通り問題ない。今日で終わりだ。いつも通りで問題はない。ただ楽しめばいい。
 歩を進める。
 歓声と一曲目の大音声が鼓膜を揺さぶり、強すぎる照明が視界と肌を焼く。熱い。いつも通りだ。光の中で目を見開く。
 幾対もの視線が全身に突き刺さる。骨の中まで見せてくれとでも言うように、全身を舐めまわされる感覚がする。快と無の中間を何度も行き来し、全身の毛穴が開いて体が発火する。五感の全てが鋭敏になり、中でも視界がクリアになったのがわかる。
 ファンの紅潮した頬も興奮した表情も全て見えている。ウーハーの低音が心臓を直接揺らし、ギターの鋭い音が皮膚の上を走って行く。小さく息を吸う。
 熱くなった喉から、狙った通りの音が鳴る。自分の喉が精密楽器になるこの瞬間が好きだ。

   *

「案内と言っても小さな村だから然程ないんだけど、一通り全部紹介するよ」
 ギターケースを背負ったままの男——モーディスにそう話しかけながら、飛行場から村までの麦畑に左右を挟まれた長い道を歩いていた。麦の穂が揺れていい香りがする、と案内以外のことを考えなければ言葉が出てこなくなるかと思ったが、「仕事」として脳のスイッチでも入ったのか、自然と口角が上がって笑顔で話し続けることができていた。
 と言っても仕事ではないので敬語はなし(モーディスが「ただの旅行者なのだから畏まるな」と僕の接客、、を拒絶したからだ)、別に少し間違ったことを言ったとしても命に関わることもないので気楽なものだった。
「牧歌的でいい景色だ」
「気に入ってもらえてたなら良かった。麦畑が広がるばかりだけど、僕もこの何もなさを気に入ってる」
 僕の少し後ろをついてくるモーディスは変わり映えのない景色を眺めながら、時折立ち止まって何かを考えるように空や畑を見つめていた。そう言う瞬間は、遠くで白い鳥の群れが羽ばたきながら飛んでいたりする。彼が景色を眺めるのに合わせて僕も立ち止まり、同じようにぼんやりと景色を眺めていた。緩やかな風と暑すぎない心地のいい陽射しが、都会の喧騒に疲れた心身に沁みる。

『もしかしなくともロックスターのメデイモス……で合ってる?』
 誰もいない飛行場でこっそり尋ねた僕に、モーディス——メデイモスはニヤリと口角と眦を釣り上げて笑った。その表情のオーラと妖艶さにあてられて口を開けたまま黙ってしまった僕に、「お前以外はまだ気づいていないようだ、できれば黙っていてくれないか?」とパブリックイメージに似合わない和かな笑顔で口にした。
 もし僕が彼のことを長年追いかけていたファンだったなら、その笑顔を見た瞬間全ての言うことを生涯聞くと誓ってしまっただろう。それほどインパクトのある無邪気な笑顔だった。
 幸いにも僕は時々チャートインした曲やアルバムを聞いたりはしていたし、職場でかかる広告やキャンペーンで見かけたり、フライト中に聴ける録音放送や動画で名前を見るから、時々それをチェックすることはあっても、所詮その程度のにわかだ。見た目の厳つさに反して全然悪い話を聞かないので(広報課のスタッフが時々、撮影の合間にサインをもらったと嬉しそうにはしゃいでいるのを見たことはある)、悪感情はないが、かと言ってファンとも言い難い。有名人に偶然出会ったことにテンションは上がったし驚きもしたが、我を無くしたりミーハー心を出しすぎて我を無くすこともなかった。オーラで瞬間的に心が持っていかれはしたもののすぐに冷静になったのは多分、職業柄もあるんだろう。
 モーディスの「お願い」は有名人の乗るフライトを担当した際、客室乗務員も合わせてのブリーフィングで出る話題だったりもする。要望は可能な限り「配慮」するように、若手スタッフは舞い上がったり過度な対応をして他の乗客にバレないようにすること。そんな内容だ。
『この村には休暇で訪れている。できれば静かに過ごさせてもらいたい。バレては仕方がないが』
 日差しが眩しいのか、サングラスを掛け直したモーディスが穏やかな声でそう言うのに、「わかりました」と頷いた。さっきはテンションが上がって失礼な態度を取ってしまったが、正体がわかった以上、知人でもないんだから丁寧に接するべきだろう。
『先程の対応で構わん。露骨に態度を変えるな』
 ところが僕の畏まった様子に、モーディスはサングラスの向こうから僕をじっと見つめて肩をすくめた。
『それともお前は他の旅行者にもそう言う態度なのか?』
『いや、僕も村に帰ってくるのは久々だから、人を案内するのは実はあな——君がはじめてだよ。だから対応に悩んでたんだけど……わかった。気軽に接して欲しいならそうする。君はちょっとお金持ちのただの会社勤めの旅行者で、ギターをかついでるけど芸能活動なんかしてないし、休暇を利用して物好きにもこの村に一ヶ月滞在する男。それでいい?』
 役場の人がどう説明したのかそう言えば確認していなかったが、モーディスの反応を見るに村の案内人を勤めている、とでも紹介されていたのかもしれない。
 残念ながら村に帰ってくるのは十年ぶりで、気分のいい時は村をうろうろしていたから現状を知っているだけだった。もし彼が慣れているように感じてくれたなら、それは職業柄だろう。
……細かく決める必要があるのか?』
『勿論あるさ。経歴をそんなに詳しくは知らないから失礼なことを言ったら申し訳ないけど、君の出身のクレムノスはかなり都会だろ? エリュシオンは田舎だから、噂なんてあっという間に広まるよ。それが君に取っていい内容であったとしてもね。だから正体を口止めしておきたいなら、僕と口裏を合わせておいた方がいい』
『ふむ……。確かにそうか』
『幸いにもこの村は今時インターネット回線が殆ど機能してないから、滞在中の写真とか話題を不用意にSNSにアップされる……なんてことはあまり発生しないと思うけど、お祭りの間、日中はあんまり人の多いところに出ない方がいいかもしれないね』
 と言いつつ、脳裏にペソとリウィアの二人のことが浮かぶ。二人は飛行場に来ていなかったが、村の噂話を聞いて少しピンと来てしまうかもしれない。別に二人は変に拡散するような真似はしないだろうけど、ちょっと様子は伺っておいた方がいいだろう。ついでに、後で宿のおかみさんにも「インターネット回線は彼以外に貸さないで」とお願いしておこうと決める(実のところ宿には有線しかないので、インターネットを使うにはパソコンなり変換なりが必要なんだけど)。

「村には十年ぶりに帰って来たと言っていたな」
 空を眺めているモーディスに倣い、勝手に隣に並んで空を見上げていた僕に、モーディスが視線を向ける。
「そうだけど、それが? 案内が悪いとか文句を言わないでくれよ、本当に君がはじめてなんだから」
「案内はこちらが無理に頼んだものだ、なんとなく所在や雰囲気が分かればそれでいい」
 首を横に振ったモーディスは、僕を値踏みするかのように、じっとサングラスの下から僕を見つめていた。金色の瞳が隠れていてよかった、と心の底から思う。あのシトリンのような輝く視線で見据えられていては、全て本当のことを話してしまいそうだったからだ。
「そうではなく、お前の共用語は完璧すぎる。言いたくなければこれ以上は聞かんが、職業は何をしている? 仕事を辞めて帰省したような雰囲気もないが、俺と同じく休暇か?」
「まあ、休暇だよ。仕事は航空関係」
 そう答えた瞬間、胸がズキッと強く痛んだ。落ち着け。仕事のことは今は考えるべきじゃない。
 モーディスは僕の表情が一瞬強張ったのを見逃してはくれず、何かを察したように唇を少し開くと、「そうか」とそれ以上の会話を打ち切るように頷いた。
 気を遣われてしまったのを感じ、妙な羞恥が込み上げる。人と話すのは別に嫌じゃない。無理をしていないのであれば、引きこもるより外に出て村の人と会話をして過ごしても問題ないと医者は言っていたし……
 思考が散っていることに気づき、慌てて会話を続ける。
「まあその、とにかく君は運が良かったよ。共用語が流暢な人が亡くなったから、たまたま帰省してる僕が案内役に適任だったんだ。宿にはインターネットがあるけど、そこ以外で翻訳アプリを使うこともできないからね。だから、もし滞在中に困ったことがあれば僕に聞いてくれて構わないし、家の場所を教えておくよ。もし家にいなくても、村の人に聞いたら多分どこにいるかすぐわかると思うから」
 昨日なんとなく作っておいた地図を取り出し、モーディスへと渡す。
 祭りの前後に旅人が来ることがあるとは言っても、観光地ではないエリュシオンには案内マップのような便利なものはないので、役場の地図になんとなくメモを書き添えただけのものだ。
 モーディスはそれを受け取ると、サングラスを外してざっと眺め、「世話になる」と口にし、僕へ微笑みかけた。
 その表情に、呻いたり視線を晒すこともできず、不躾に凝視してしまう。右目の下の赤い特徴的なアイライン(? もしかするとこれもタトゥーなのか?)と頬骨のタトゥーは、彼の美しい顔をさらに引き立てる要素になっていることが今わかった。
……………………
「どうした」
「その、言われ慣れてると仮定してあえて言うけど、本当に美人だなと思って……
「言われ慣れているし、お前のような反応にも慣れているから気にしないが、一々会話が途切れるのは面倒だ。この顔に慣れろ」
 両腕を組み、堂々と胸を張ったモーディスが僕をしっかりと見つめて偉そうに言った。偉そうだし、自惚れがすぎる傲慢な物言いなのに、その全てが似合っていた。
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