ながひさありか
2026-05-18 00:31:02
18184文字
Public STR-Phaidei
 

MOONLIGHT MILE2



 食事に呼ばれるまでモーディスの言葉に甘えて部屋のソファで休ませてもらうと、動けるまでに落ち着いていた。ノックに身を起き上がらせて応対する僕に、モーディスは気遣わしそうな視線を一瞬だけ向けたが、すぐに何か書き物をしていた小さなメモ帳に顔を戻し、何も口にしない。
「食事ができたって」
「ああ」
 タンクトップ一枚でいるのは本意でなかったのか、モーディスは僕がソファに沈んでいる間に黒い薄手のシャツに袖を通し、ボタンを閉めずに羽織っている。そのシャツの胸ポケットに小さなメモ帳をしまうと、ペンはテーブルの上に置いたまま立ち上がる。
 そのまま僕について部屋を出て来るかと思えば、今度は窓の鍵をすべて施錠し、寝室に向かった。がちゃがちゃと物音がするので、棚が施錠されているか確認しているらしい。
 殆どの人が正体に気付いていないし、何もない田舎なのに慎重だな、と思ったが、まあ用心するに越したことはないだろう。
「待たせたな」
「そんなことないさ。そうそう、おかみさんが本当に軽いものしか作ってないらしいから、もし足りなかったら受付で声かけてくれって」
「わかった。……お前は食えるのか?」
「さっきよりはましになったけど、また迷惑をかけても嫌だから今日は家に戻るよ。僕の分は君が食べてもいいし、いらなければ食堂に置いて帰ってもいいってさ」
 そうか、と頷くモーディスを連れて一階に降り、手短に宿を案内する。
「左が食堂、右が風呂場。入浴は朝九時から十二時までの三時間以外は何時に入っても構わないってさ。幸い今は君しかこの宿を利用していないから、気兼ねなく使えると思うよ」
 モーディスはじっと浴場の扉に視線を向け、何かを考えるような顔をしてから「そうか」と首肯した。もしかすると風呂が好きなのかもしれない。なんとなくそんなことを考えつつ、食堂へ案内する。
 先ほど部屋で伝えた飲み水の蛇口を教える。レンジや電気ケトルは部屋に備え付けがあるので、それ以上設備の説明が必要なことは多分ないだろう。
「予約したときに説明したって聞いてるけど、食事の時間は何も申告がなければ朝の七時と夜の六時だって。どうせ君しかいないから、いらない時はいらないって言ってくれればいいし、逆に遅くしたい時も言ってくれれば対応してくれるみたいだ。それで問題ないかい?」
「ああ。そう聞いている」
 真顔で頷くモーディスの視線は、さっきからずっと食卓に向いている。僕のことをからかっていたくせに、君こそ本当にお腹が空いてたんじゃないか、と言ってやろうかとおもったが、実際問題お腹を空かせているのならこれ以上引き止めるのは可哀そうだ。
 食卓には焼きたてのピタと付け合わせのチーズ系のディップソース、小さなサラダ、オーブンでハーブと焼いた小さなジャガイモ、黒と緑のオリーブ漬けが並んでいた。籠の中にはパンが何種類か入っていて、傍にリンゴのジャムと蜂蜜とバターが置いてある。エリュシオンではよく飲まれているハーブティーの入ったポットも一緒に。
 ハーブとジャガイモの香ばしい匂いが食堂に満ちていて、帰るっていったけど少し摘まんでもよかったな、と一瞬だけ後悔する。だけどまあ、今日しか食べられないものじゃないし、もう休んだ方がいいだろう。モーディスも初対面の他人と食卓を共にするより、一人で食べたほうが気楽だろうし。
「地図に僕の家はかいてあるし、広い村じゃないから迷うこともないだろうけど、わからなかったら村の人に地図を見せれば案内してくれると思う。もし何か困ったことがあれば、家を訪ねてもらってかまわない。家族には君がくるかもって伝えておくから」
「家族」
 すでにピタに手を伸ばし、ディップソースをたっぷりつけながらモーディスが顔を上げる。そのまま大口でかぶりつき、数秒真顔で咀嚼してから、満足そうに頷いた。人の顔を見ながら食うなよ、と思うが、親指で唇についたソースを拭う所作さえ何故か正しいマナーのように見えるから、美人ってお得だ。
「僕も自宅はオクヘイマにあるから、こっちでは実家で両親と暮らしてるんだ」
「そうか」
 自分から聞いたくせに、モーディスは僕の返答にはそれほど興味がなかったのか、次から次へと食事を口に運んでいる。そのくせ、最初の一口は随分味わってなにかを考えている様子があった。
 そういえば食通だとか言ってたっけな、といつだかの機内誌で、おみやげのコーナー(食べ物部門)にモーディスがコメントを寄せていたことを思い出した。記事ではアルバム制作の合間に甘いお菓子をよく食べると答えていたが、顔に似合わなすぎだろ。確か、一番好きなのはグリコクタリウー果物のシロップ漬けだとも言っていたので、本当に甘党らしい。
 僕も夏場に、涼しい部屋で特別甘いものとミネラルウォーターを一緒に食べるのは好きだ。収穫祭では甘いお菓子も結構並ぶはずなので、もしかしたら気に入る物があるかもしれない。明日以降、元気があれば聞いてみよう。
「それじゃあ僕は帰るよ。ええと、また明日」
 会えるといいんだけど、と少しだけ気まずい気分で口にした僕に視線を向けず、モーディスは「ああ、また明日」と静かな声で答え、ハーブティーのカップに口をつけた。
 その仕草にまた数秒見惚れ、ハッとして食堂を後にする。
 モーディスは言った通り、本当に一切僕の反応を気にしていないようだった。本当は不快感を隠しているだけかもしれなかったが、何故かそんな風には受け取れなかった。
 モーディスのその反応をちょっとだけつまらなく感じているのは、有名人とちょっと知り合っただけのくせに、距離感を間違えている証拠だろう。
「勘違いしないように気をつけないとな」
 僕はただ単に、彼が村を出て行くまでにちょっとした案内をするだけなんだから。

   *

 帰宅すると、ぷつんと糸が切れたように突然体に重みとだるさを感じた。玄関で思わずしゃがみこんでいると、「ファイノン?」と家事をしていたらしい母さんが、物音に気付いてこちらへやってくる足音がした。
 壁に手を付いてなんとか立ち上がり、リビングへ続くドアを開けた母さんに「ただいま」と意識して笑顔を作って声をかける。
「案内疲れたでしょ、なにか甘いものでも食べる? おかみさんから顔色が悪そうだって聞いてたから、帰って来なさいって言いに行くかちょっと悩んでたのよ」
 心配そうな表情の母さんに、思わず繕っていた笑顔を諦め、眉が下がったのが自分でもわかった。食事が出てくるのがちょっと遅いような、と思っていたが、どうやらおかみさんは母さんに連絡をいれていたらしい。
「大丈夫かなと思ったけど、そうでもなかったみたいだ。だけど、モーディス……ゲストの人がいい人でさ、部屋で休ませてくれたからそれほど悪くはないよ」
「そう? それならいいけど……。あなたは子どもの頃から人のために一生懸命になりすぎるから、きっと無理してると思ったのよ。人に優しく誠実でありなさい、とあなたには言い聞かせてきたけど、今は自分を優先していいのよ」
「はは……
 乾いた笑い声が漏れてしまったのは、母さんの言葉が正しいとわかっているからだろう。
 だけど素直に頷けなかったのは、性格上、モーディスがもし僕を頼ってきたら僕はきっと彼のために無理をしてしまう予感があったからだ。
 彼はゲストだと言い聞かせているから、仕事の延長のように感じて、過度に丁寧に接しようとしているだけかもしれなかったが、なるべく他人には親切にしたほうがストレスが少ない性格だった。
「なるべく気を付けるよ。ただ、村の案内が中途半端になってしまったから、もしかしたらモーディスが困って家を訪ねてくるかもしれない。その時に僕が寝てたら起こして欲しいんだ」
 母さんは「ほら、そうやって無理して」と僕を叱るように――そして半分以上は、ゲストに対してちょっとだけ怒っている顔で――眉を寄せる。母さんがそう言いたくなる気持ちは勿論わかったが、「いや、本当にいい人なんだよ彼。見た目から想像できないだろうけど」と慌てて庇ってしまう。
「村にネットが整備されてたら、僕がいなくてもあんまり問題なかったんだけどね。翻訳アプリが使えるからさ」
 と言いつつ、オフラインでも使えるように事前準備してたかも、と頭の片隅で考えていた。僕の前では言葉が通じるから、スマートフォンを出さなかっただけかもしれない。
 母さんは僕の言っていることの意味があまりよくわからなかったらしく、「ネットがないとだめなのね?」と言いつつ首を傾げている。
「とにかく、もし彼が来たら僕を呼んでくれ。なんとなく、今日は来ない気がしてるんだけどさ」
 母さんの肩を掴んでくるっと反転させると、背中をそっと押してリビングまで一緒に行く。
 食卓に腰を下ろすと、りんごとバターのいい香りがした。
「朝もあまり食べてなかったから、ちょっと食べたら寝なさい」
「ありがとう」
 皿に小さく盛り付けられた温かいパイを口に運ぶ。バターのきいたパイ生地のパリッとした食感と、口の中でとろけるカスタードのとろっとした舌触りの対比が楽しい。よく煮詰められたりんごのコンポートから染み出す甘くて爽やかなシロップからはレモンやオレンジの味もして、カスタードと混ざるとより一層美味しい。はちみつクレープに次いで、カスタードパイは母さんの得意な甘いデザートだ。
……モーディスも好きだろうな」
「なにか言った?」
「ううん、独り言」
 自分が美味しいと思ったものをすぐ彼に紹介したくなるなんて、どうやら本当に舞い上がっているらしい。彼が本当にただたんにお金持ちのゲストだったらいいのにな、とぼんやり考えていることを自覚してしまい、急に恥ずかしくなった。
「アーティストのメデイモス」も、村にいる「ただの旅行者のモーディス」も、どちらも多分、本当の彼の姿なのだろう。休業中といっても彼は有名人で、僕はただの一般人だ。たまたま縁があって案内役なんて幸運な役目についているけれど、本来なら接点なんて持てない天上人にも等しい相手だ。
 妙な考えを起こしそうになっていることに早めに気づいてよかった。
 小さくため息をつきながらパイを食べ終えると、食器を片付けて自室に向かう。
 出かける前に充電しておいた無線のイヤフォンを耳に押し込み、ベッドに転がって電波を拾わないスマートフォンを操作する。
 容量の無駄だと思いつつも、サブスクでランキング上位からシャッフルで再生した曲のうち、気に入った曲をダウンロードしておく癖があってよかった。仕事で電波状況のあまりよくない国に立ち寄ることもあるから、いつも数本の映画と音楽をダウンロードするようにしていた。
…………………………
 再生ボタンを押し、瞼を閉じる。
 静かに刻まれるドラムと、這うように低いコーラスに重なる甘やかに伸びるメインボーカル、スピーカーで聞けばきっと肌がじりじりと痺れるようにウーハーの利いたベース、エフェクトが強くかかってひずんだギターと不快の一歩手前のようなノイズ音。
 ゆったりとしたテンポに反する、深くて厚く、ときおりハッとするほどクリアな音に全身を包まれる。音に耳を傾けているうちに、ドラムの刻むリズムが心拍音と重なるような錯覚を覚えた。そこに乗る、叫ぶような、縋るような、あるいは祈るような強いシャウト。伸びやかなリードの高音が気持ちがいい。何度も何度も叫ぶようなシャウトがコーラスのように流れ、永遠にも続きそうな三分半のトランスは、ばつん、と電源が落ちて目が覚めるように終わる。
 NO WHERE。モーディス――「メデイモス」が休業前に出したアルバムのリード曲だ。アルバムの中で唯一これだけが明確にネガティブな意味を持ったタイトルで、その理由が何故なのか知りたかった。歌詞を見ればネガティブな単語は時々でてくるけれど、タイトルにまで滲んでいるものはない。多分、発売当初のweb記事を漁ればインタビューなり、セルフライナーノーツなりが見つかるだろう。だけど、なんとなくそれを今は知りたくない気分だった。今は、自分の感じたものをただ抱きしめていたいと思っているのかもしれない。
 どこにもないNOWHERE。そう口にしておきながら、諦めきれずに期待して、星を掴もうと天へ手を伸ばし続けるような気迫を感じる声と歌詞だった。
 耳に悪いとわかっていながら、爆音で何度も何度も、同じ曲を繰り返し聞いていた。
 静かな曲を聞いているよりも、かえって精神が落ち着く感覚がするからだ。

 そうして彼の声を聞いているうちに、意識が落ちる。


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