mishiadd
2026-05-17 17:53:39
17724文字
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いおりひとり旅・日本紀行:光芒射す

【現パロ】記憶はないけど『倭建命』に縁がある一般大学生の宮本伊織さんがヤマトタケルゆかりの地を一人旅するシリーズ2作目。草薙剣を祀る街。【その他】
前作『いおりひとり旅・日本紀行:宮本伊織の歴史ミステリー・吾嬬はや』:https://privatter.me/page/69f81c31de2dc
次作『いおりひとり旅・日本紀行:宮本伊織の歴史ミステリー・燃ゆる海』:https://privatter.me/page/6a01fd6059b79


四、

人事を尽くして天命を待つ――という諺がある。

中国の故事が由来であるとのことであったが、実際、伊織の二十年余りの人生の中でも、人事を尽くして天命を待つほかない局面というものはいくつかあった。
でき得る限りのすべてのことをすべて為して、それでも矮小な人間如きではどうにもならない最後の一手――即ちそれは、拮抗していた天秤がほんの少しその瞬間だけ傾くような、そんな偶然、つまりは『運』こそが、それまでの過程をすべてひっくるめた最終的な勝敗の結果を左右する。

運、というものはどうにもならない。別段運が良いわけでも悪いわけでもない伊織は、普段から運に関しては五分五分という経験を重ねてきたからこそ、ここぞというときの運の向きというものの大切さはよくわかっている。普段から勝負の世界に身を置いていればこそ猶更だ。

『運』も実力のうちとも言う。果たしてそうだろうかと思う。普段から努力に努力を重ねて人事を尽くしているからこそ、『運』こそは自分の力ではどうにもならないことを伊織は知っている。方々に手を回して策を練り、限りなく勝率を上げることはできたとしても、百パーセントにはできない。できたのならそれは最初から『運』の領域ではなかったということだ。

だからこそ、運が巡っているとき、伊織はそれが己の実力ではないことを確信する。自分の力の範疇外においてなんらかの力が働いていて、その力の真意は伊織にはわからずとも、己にはどうにもならない、それでも伊織がどうしても必要としているほんの少しの隙間をそっと埋めてくれる。――あるいはそのほんの少しが、単なる『運』では説明がつかないほど恣意的に大胆に働くことがあったとしても、そもそもその力が単なる偶然とは違うことをうっすらと感じ取っていたのだから、伊織が今更騒ぎ立てることではない。……ただ、なんらかの力が働いていることをより大きく感じることによる畏怖がほんの少し強くなり、ぴりりとした緊張感を覚えるだけだ。

伊織は、これまで己が必要としていたときに、自分ではどうにもならないところでそっと背中を押してくれた力が存在していたことを知っている。その力を当てにしてはいけないことも知っている。これまではたまたまそうだった。とても感謝している。畏怖も覚えている。だが、これからもそうだとは限らないし、そもそもなぜその力が伊織を助けてくれたのかを伊織は知らない。これまではたまたま助けてくれたことがあった。これからももしかしたらそういうことがあるかもしれない。だがそれは伊織が願ったり頼み込んだり当てにしたりすることではない。これまで通り、人事を尽くして天命を待ったとき、もしかしたらまた気まぐれに――そして強引に――背中を押してくれることがあるかもしれない、ただそれだけのことだ。

『力』の存在のあるなしにかかわらず、これからも伊織はただひたむきに誠実に、ただひたすらに努力に努力を重ねて生きていく。……だが、それはそれとして。



そういった『運』がなんらかの意思をもって伊織の前に示されたとき――伊織は、それに逆らうべきではない。



今の伊織が知ることではなかったが、あるいは昔、似たような経緯で強大な力を持つ黄金の王にいたく気に入られ、相手の好意と善意のままに諾々と従っていたことがあったかもしれなかった。その生来の性質からか、伊織は本能的に逆らってはならない相手というものを理解している。そこには相手の好意や善意を利用し、あまつさえ己のいいように使役してやろうなどという発想は一切ない。むしろ、可能な限りすべてを平穏に受け流すための処世術に近いのかもしれなかった。

押しに弱く流されやすいのは、伊織の欠点であり、伊織の長所であった。ともすれば死に急ぐ傾向の強い伊織の性格の中にあって、唯一の生存本能と言えるかもしれなかった。







A神宮を後にして、バスに乗って名物と名高いひつまぶしの店に入る。口にした鰻は肉厚でほろほろと柔らかく、噛めば旨味をたっぷりと含んだ脂が口の中に広がるようだった。
食自体には興味のない伊織でも、味の良し悪しには敏い。これまで馴染みのあるわけでもなかった『ひつまぶし』を知り、知ったからには――と頭の片隅でそっと妹への土産物リストに追加する。新幹線に乗る前に真空パック入りのひつまぶしセット一式でも見つけられたらいい。

一食分を綺麗に平らげ、両手を合わせて終いにする。食後の緑茶を啜りながら、さて――と予定を確認する。

多くの刀剣を所有しているという目的の美術館は、伊織が今いる場所からバスで二十分程の距離にあるようだった。
今から十分後には店の前のバス停に市営バスが来るようであったので、ちょうどいいとばかりに会計を済ませてバス停に並ぶ。伊織の他には乗客は誰もいないようだった。

ちらちらと道路を気にしながらも、スマホで美術館のホームページを開いて所蔵品リストを確認する。刀剣のコレクションは重要文化財から国宝まで幅広くあるようで、小さなサムネイルからもわかる程に美しくしなった刀や太刀の写真がずらりと並んでいた。
とくとくと胸が小さく逸っている。男児のような無邪気な興奮を覚えるのを自覚しながら、伊織が画面をスクロールしている。これほど多くの国宝を冠する刀を見られる機会はそうそうないだろう。

「国宝――か」

フフ、と思わず小さく口許に笑みが漏れる。さぞかし見事な一振りの数々であるのだろうと思う。なにせ国宝である

そうこうしているうちに市営バスがやってきたので、路線を今一度確認した後、伊織はいくらか軽い足取りでバスへと乗り込んだ。緊張感のない分、A神宮への足取りよりも余程軽く見えたかもしれなかった。

伊織を含めて半分程座席の埋まったバスが走り出す。窓の外を流れる景色を眺めながら、伊織が時折ちらちらと前方の電光掲示板を確かめる。二十分程乗っていれば目的のバス停には着く筈で、窓の外を見ていれば、きっとバス停に気付くよりも先に江戸屋敷の門構えを模した美術館の入り口に気付く筈だった。

――ところが、一向に辿り着かない。

ちらちらと腕時計を確認し、乗り込んでから十八分が経とうかという頃になっても電光掲示板に目的のバス停の名前が表示されないことに訝しむ。乗り込んだ際に確かめた筈の路線を再度確認し――「うん、」と伊織が思わず小さく洩らした。



――A神宮行、となっている。



そんな筈はなかった。美術館へと向かう路線バスはA神宮とは反対方向の筈で、そもそもあのバス停から乗り込んだ以上、そんなわけがなかった。
狐につままれたような気分だった。とはいえ既に乗り込んでしまった以上、どこかで降りなければならない。
今更適当なバス停で降りて路頭に迷っては元も子もなかったので、終点らしいA神宮まで大人しく乗っていることにする。内心やや焦りを覚えたまま再び前方の電光掲示板へと目を遣ると、ちょうど『A神宮前』というバス停名が表示されたところだった。

「次はA神宮前、A神宮前」

合成音声のアナウンスを聞きながら、スマホの画面を繰る。――二十分出遅れてしまったが、今からでもA神宮前で美術館行のバスを捕まえれば、閉館前になんとか辿り着くことができるのではないだろうか。
予定よりだいぶ忙しない旅とはなってしまうが、幸い一人旅で他の誰に迷惑をかけるわけでもない。なぜこうなってしまったのかは伊織にもさっぱりわからなかったが、自分の不注意が原因なのだろうから――他に考えようがない――現状を受け入れるほかない。

美術館の閉館時間を確かめるため、再びホームページを開く。それで、トップページに掲載されているお知らせの存在に気が付いた。……「定期点検のため本日十五時に閉館」とあった。

ちらり、と伊織が腕時計を見遣る。――十三時頃にひつまぶしを食べ、それからバスの路線を間違えて二十分をロスした。A神宮前に着く頃にはきっと十四時半を回っていて、そこからバスを乗り換えて美術館に向かったとしても、きっと閉館には間に合わなかった。

はあ、と酷く肩を落とす。……この美術館をひどく楽しみにしていたことを、自分の感情の機微に疎い伊織は今更ながらに自覚する。

バスが止まったのでA神宮前で降りる。この時間帯に同じバス停で降りる客は稀で、伊織の他には地元民らしき中年の女性がひとり降りただけだった。
ここからどうしようか、と思う。

ふとA神宮の方を見遣ると、小さな土産物の袋を手にした二人組の女性が門から出てくるところだった。ふと、そのビニール製の袋に印刷された文字を見る。――『刀剣宝物庫』とある。

うん、と伊織が首を傾げ、スマホでA神宮を改めて検索する。――なんと、敷地内に宝物館が二棟あり、そのうちのひとつは刀剣専門の宝物館であった。草薙剣を祀っているのだから、さもありなんというものである。
沈んでいた伊織の気分がやや浮上する。さらに調べてみると、もうひとつの宝物館にも国宝指定されている短刀が所蔵されているらしかったが、所蔵品が多く展示はランダムで、今の時期は他の展示物に替わっているようであった。
展示物が時期によってランダムであるのは刀剣の宝物館の方でも同じようで、今現在の展示物の中には残念ながら国宝指定の刀剣はないまでも、重要文化財相当は今日の時点でもいくつか飾られているようであった。

閉館時間は十六時半とのことで、伊織が改めて腕時計を見る。ちょうど、十五時になろうかというところであった。

気を取り直して、伊織が再びA神宮の構内へと向かう。『刀剣宝物庫』のチケットを買い、早速中へと入ってみる。