望月 鏡翠
2026-05-13 21:01:24
9037文字
Public 庭師は何を口遊む 霊山班
 

残火

#庭師何を口遊む_霊山班


 仕事の時間を調整して、巩心の病室に向かうのが最近の習慣になっている。刑事という職の利点は、生活時間帯が動くことに体が慣れていることだ。起きる時間を前倒しにする生活に既に体は馴染んでいた。
 巩心からの聴取は意識があるときに行われ、内部の報告書に関しては比叡が作成した。チームとして出せば良いものはもう終わっているし、彼が出さねばならないものも復帰したときに判子だけ押してくれればいいようになっている。
 それらを片付けながら、自分の仕事も終わらせて定時で退社できるなら、仕事人間などとは呼ばれていないのだ。
 今はチームが三人になっていて、流石に事件の担当をするのは困難だ。代わりにチームを分けて他の課の捜査の応援に呼ばれていて、決して手が空いているわけではない。
 職務が時間通りに終わってくれるはずがないところも刑事の宿命で、病院を訪れる時間は普段よりも遅くなった。
 犯人が捕まって数日経ち、病室前の警備は外れている。
 いつも通り気配を消して中に入ろうとして、話し声がすることに気がついた。
 誰かがいる。ゼロのメンバーではないことは直前まで職場で一緒だった比叡にはわかっている。扉の奥に見えた広い背中を見て、知り合いの刑事の誰かだろうと思った。
 巩心は顔が広いから、噂を聞いた知り合いの刑事が見舞いに来たのだろうか。
 見覚えはない。少なくとも捜査一課の人間ではなかった。
 どの課の人間かは知らないが、比叡に対して外の人間が抱く印象は概ね悪い。悪意の有無は別として、人に悪印象を与えてしまうことが多いことは自覚している。
 少ない面会時間の中で、巩心が目を覚ましていられる時間は更に少ない。いつも同じ人間と話しているより、他の人と話した方がいい気晴らしになるだろう。
 比叡は明日も来るつもりだ。どうしても今日でなければいけない用事があるわけでもない。
 そっと扉を閉めて、病室を離れた。
 見舞いの品だけ預けられればいいから、面会時間の終わるギリギリにでも行って、病室に置かせてもらおう。
 時間を潰す場所を探したのだが、煙草を吸える場所は病院内にはなく、結局少し離れたところにあるコンビニに向かうしかなかった。
 聞き込みの途中でも、ここの喫煙所を借りた。
 たぶん、その目的で来る人が多いのだろう。灰皿の周りのスペースは広く、平日だというのに人が途切れない。
 巩心は、若く回復が早い。比叡のときよりも入院期間は短く済むのではないだろうか。むろん、なんの後遺症もなく回復した場合に限る話ではあるが。
 ぼんやりと紫煙の行方を辿っていると、隣の男の肩――といいうよりは身長差で腕の位置だった――が、肩に触れた。
「あ、すみません」
 顔をあげ、思ったよりもその両目が目がしっかりと比叡を捉えていたので戸惑った。弱そうに見えるから、知らない人間に絡まれることはある。警察ということを知ると離れていくような相手ではあるが、警官バッヂを勤務時間外にこんなことに使うわけには行かない。
 どうしようかと検討している内に暴力に晒されているなんてことはよくあるわけだが、幸いここは病院の近くだ。
「その丸メガネ、もしかしてアキハルさんだな」
 指を向けられて、首を傾げる。
 知り合いの心当たりは多くない。スーツに背広の色を見て、病室で見かけた人だと気がついた。
「もしかして、巩心くんのお見舞いに来ていた人、ですか」
 刑事の職につくものは、当たり前のように比叡よりは体格がいい。百六十センチというは刑事になることができる身長下限なのだから、当たり前だ。
「なんだ、見ていたのか。入ってくればよかっただろうに」
「ああ、ええと僕は」
 気まずいところがあるわけでもないのに、顔を背けてしまう。
「人見知りなので」
「警察にしては珍しい」
「向かない就職をしました」
 警察をしていたら知らない人間を話す機会しかない。人見知りには向かない仕事だ。
「ゼロにはいろんな人材がいるらしいからな」
 鷹揚に笑う。面倒見がよく親しみやすい性格。巩心を可愛がってくれそうなタイプだし、巩心が好きそうだ。
「もしかして俺が邪魔だったか」
「あ、いや。そんなつもりで言ったわけではないんです」
 ほら、やはりこうなる。
 余計なひと言を口にして、人からの印象を悪くする。
「わかってるわかってる。山穂から聞いていた通りの人だな」
 何を聞いていたのか知らないが、あの子のことだからネチネチしているとかそんなことを言われたのだろうか。巩心を気にかけてくれる人とぶつかりたくない。本心かどうかは別にして、笑って流してくれたのであればよかった。
「ありがとうございます」
 彼も煙草を吸う人らしく、隣で火をつけたところだった。
「何がだ」
「彼を、気にかけてくれて」
「ん、はは」
 隣の男が突然笑い出し、比叡は戸惑いながらその顔を見上げた。
「僕何か、おかしなことをいいましたか?」
「保護者かよってな」
 笑いを噛み殺しながら、煙草を咥える。
「あ、いや……。おかしいですよね」
 そうやってわかりやすく彼との関係を定義してもらっていたら、手を伸ばすのもおせっかいをするのも、もっと簡単だっただろう。
 ただの同僚に向けるには異常な執着だ。
「いいじゃないか、喜んでたぜ。絵本も、ゲームも」
「どうして僕が持っていったと……
「本人が言ってた」
「ああ」
 これだけ通い詰めて、話に聞いていれば思い至らない方がおかしい。彼に家族がいないことを知っているのであれば、他に尋ねてくる相手がいないということはすぐにわかるだろう。
「事件、解決したんだってな」
 ここは警察署内の喫煙所ではない。その話題にここで答えることは適切だろうか。喫煙所を見回した比叡を見て、相手も言いたいことを察したようだ。
「ああ、悪かったな。どうにも俺は古い人間でな」
「古さでいうなら僕も似たり寄ったりですよ」
 同い年か比叡の方が少し上くらいではないだろうか。
「お互い時代の型落ち品だ」
「まさしく」
「名乗るのが遅れたな。組対の野茂だ」
「ゼロの比叡です」
 組対ということは、巩心が前にいた課の先輩だ。
「そちらの耳にも届いていましたか」
 大事件だったから、耳を澄ませていなくともニュースを見ているだけで、ことの次第は耳に入ってきただろう。だが、その中の捜査員がどこの病院に入院していて、それがかつての後輩であると知っているのは、耳が早い。
「一部、こっちの案件があったんでな。資料を見たんだ」
「ああ」
 具体的な単語を口にしない曖昧な言い方だったが、野茂の言わんとすることは察した。小野は臓器売買や危険物の入手に、反社会的のネットワークを使っていた。そちらの案件が組織犯罪対策課に引き継がれているのだろう。
「あ、もしかして今日、仕事の話で?」
「んなわけあるか。上司か、せめて健康体のところにいくわ」
 それもそうか。
「ただの見舞いだよ。あんたと同じだ。可愛がってた若いのが、入院したって聞いてな」
「すみません」
 怪我をさせた。守ってやれなかった。自分が現場にいたときは、あれほど慎重になったのに、一番大切な人に庇護が及ばなかった。
「なんであんたが謝る」
「作戦を立てたのは僕で、彼を守れなかったのも、僕です」
 野茂は比叡を見て、呆れたようにため息をついた。
「この世の不幸は全部自分のせいですって面してるな。新人ってわけでもないだろうに」
 それはもっと若いときに、克服しておくべきだというのだろう。自分の手でできないことまで背負いこもうとするのは幼児性だ。その自責は、何も生まない。わかっている。
 わかっているが、巩心に関しては冷静になることができない。
「彼の僕の間には、色々ありましたから。本当に、色々が。それで少しややこしくて」
「ゼロは特に〝色々〟ってやつが多そうだな。あいつもウチにいたときとは面構えが少し違う」
 以前の巩心がどんな顔をしていたのか、比叡は知らない。ゼロに配属になってからの姿と、魔術で奪われた記憶と、そして心の傷を負ったあとの姿。付き合いは浅い方だ。
 彼を損ない、そして離れられないでいる。
 庭師の事件も、その余波も、カルトの起こした店も、爆弾も、解決した。
 事件は捜査官の手を離れ、法律の土俵に乗せられ、もう触れることはない。傷跡だけが、ここに残されていく。
「事件が終わって僕らの手を離れたとしても、火が消えるわけではない」
 残火は気づかぬうちに心の平穏を焼き尽くし、日常の住処を奪っていく。火傷が古傷となって体に残る。
 今回も事件はもう解決したが、巩心の件はまだ少しも終わっていない。怪我が残っても後遺症が残る可能性だってある。もし彼が刑事を続けられなくなったら、その心は誰がどうやって守ってやれるだろう。
 比叡には無理だということだけが、はっきりとわかっている。
 そのとき二人の関係は、より複雑になっていくだろう。
「事件が残したものが、あの子をもっと傷つけてしまわないか、怖いです」
「そんなにやわな男じゃない」
 そうなのだろう。
 野茂と、他のたくさんの彼を知る警察官がいうように、巩心は強い。心も肉体も、比叡が案じるような脆い男ではない。
「それでも僕は、あの子に安全な場所にいて欲しいんです。それはあの子の望みと反する。自分の信じた道を進んで欲しいですが、危ないこともしないで欲しい」
 これは単なる依存症であり、不安障害で、過去のトラウマの凝集でしかない。それを彼に押し付けている。
「いよいよ親目線だな。可愛がられるタイプと思っちゃいたが、その方向性に行くやつは珍しい」
「だから、困っています」
「なんでだ」
「僕は親になれはしないので」
「本人が嫌がってないなら、いいだろう」
 霊山のようなことをいう。
 言い訳がない。比叡だけは、それを肯定するわけにはいかない。
 歯止めが効かなくなるとわかっている。
 肺活量の差か、後で火をつけた野茂の方が先に煙草を吸い終わった。
 非難がましい目線を感じ取ったのか、彼は肩を竦めた。
「火とやらは、俺は知らん。怪我をしないか不安なら、鎮火するまで付き合ってやればいい。俺には自分の部下もいるし家族もあるからな。ならあんたしかいないってことなんだろうさ、比叡巡査部長」
 僕たちは側によることができない。互いの傷に触れてしまうから。
 それなのに、傍から離れてゆけない。互いの内側にある火が、いつか勢いを取りもどしやしないかと怯えている。そして、監視している。
 野茂が立ち去ったあと、比叡は巩心の病室に戻った。
 もう面会時間も残り少ない。
 見舞いの花だけ、新しいものに変えあとは眠っている顔を確認できれば、十分だ。体温は、戻りつつある。
 頬に触れるとそのことがわかって安堵する。
 そっと頬を撫でていると、巩心が薄く目を開いた。
「明治サンだ」
 寝ぼけているから言葉の輪郭が曖昧だ。
「よく気づいたね」
「煙草の臭い、します」
「ごめんね、臭かった?」
 煙草を吸ってきた指に、臭いが残っていたらしい。慌てて引っ込める。
「臭くは」
 そのままふわと欠伸をする。
「今日は時間がないから、明日改めて来るよ。欲しいものある?」
「こんなにあんのに」
 ベッドサイドに積み上がった、暇つぶしのものを視線で示す。
「何かしてると安心するんだ。付き合ってよ」
 萎れる前に交換する花も、絵本も、本当に彼が喜んでいるのかは知らない。怖くて聞けていない。だが、少なくとも比叡は、彼のために何かをできたと思うと、それだけで安堵するのだ。
「あとどのくらいいてくれます?」
「三十分くらい」
「本でも読む? それとも体を拭く?」
「本」
 時間があまりないから、絵本がいいだろう。
「煙草を吸っていたら、野茂さんとお会いしました」
「野茂サン」
「そう、野茂さん。僕のこと、保護者みたいだって」
 読み聞かせながら、半分寝入っている巩心の横顔をみる。
 僕の子供にしては、大きい。体も、年齢も。
 どう理解すればいいのかわからないが、この関係は確かに、比叡にとって心地が良いものだった。