花筵シヂマ
2026-05-10 08:00:00
43083文字
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触穢(1~5)

触手持ち邪神父×神になった水×触手プレイ×小スカあり


 
 朝靄が山を覆い隠す早朝、木造建築の牛舎のなかは異様な雰囲気に包まれていた。隙間風で豆電球がゆらゆらと揺れ動き、その度、小屋に集まる人々の顔を照らした。老若男女が混じった輪の中心に若者はいた。
 藁の上に横たわった子牛であろう生物を見下ろす少年の全身は血に濡れている。
「礫、殺したんやろ」
 杖を付いた老爺は震える声でそう言った。
 礫、と呼ばれた少年は何も言わず、赤黒く濡れた上衣を手で撫でていた。
 酷く薄汚れた少年の着物から伸びた痩せた手足からも、彼は満足に食事を摂れておらず、そしてあまり裕福な家庭ではないことが伺えた。
「礫」
 少年は煌々とした両眼を半月型に歪めた。
 少年はこの小屋の中で、他の大人たちに比べて優位であった。
 優遇されなければいけないかった。
「いや、俺はしてへん」
 少年の無邪気な声はこの小屋のなかで不釣り合いなほど明るかった。
「みんな、聞いてみたい思うてたんちゃうんか」
 末尾は消え入りそうだったが、少年は再び顔を上げた。
 汗ばんだ貌の少年は震える声を張り上げた。
「き、聞いてみたかったんやろ! くだんの、くだんの予言」
 少年が指さした先には藁に寝かされて息絶えた牛———のようなものがいた。
 からだは確かに牛のそれであるのに、顔だけは人間の顔をしたその生き物の口の端には血泡がついていた。
「せやから俺は、この牛がくだん産んだ時、殺さへんかった………俺、……予言を聞いたんや」
「礫!しきたりを守らんとあかん! 聞いたらあかん言うたやろ!」
 礫の父は幼い息子の胸ぐらを掴み、青ざめた顔で揺さぶった。
 この村に古くから伝わるしきたりーーそれは、万が一、くだんが生まれたら予言を発するより先にその首をはねることであった。
 くだんの予言は必ず当たる。
 そしてどの予言もあまり明るいものではないと有名だった。
 古い昔、この村を訪れた僧侶が、この村のくだんは普通ではないと警告したのだ。
 予言をすることで未来を創作する呪われたくだんなのだという。
 そのくだんが百年に一度、この村に必ず産まれるという言い伝えがあったため、少年は百年目の今日産まれる牛に狙いをつけていたのだ。
 他の住民は少年ほど無邪気で無謀ではなかった。
 それゆえに、皆は聞くことを避け、生き続けて来た。
 それなのにこの礫という少年は、しきたりを破り、予言を聞いたのだ。
 少年を叱責する父のことなど誰も気にしていない。
 ただ、少年が聞いた予言。
 それはいかなる災厄なのか。
 それだけが村人の心をとらえていた。
 小屋の中に集まった村人は、少年 礫の一言を待っていた。
「これから三十年後の真夏、月が三日月に欠けた頃、左目に傷をもつ化生とも人ともつかぬものがこの村に訪れる。そのもの、この村の神となるだろう」
 礫はそう言い、口角をあげた。
「神様や! 神様がくるんやで!」
 少年の喜びに似た咆哮は、村人の心を激しく揺さぶっていた。
 災厄ではないという安堵と、神になる人間という言葉に興味を引かれていたのだ。
 礫は何かに憑かれたように笑い出し、礫の父は息子から手を離して横たわる子牛を抱き上げた。その肉体は急に、ぼろぼろと崩れていった。役目を果たしたその獣は、存在を残すことなく消えてしまった。
これが今から三十年前のことである。
 以降、村は人口を減らし、そのうちに土地開発の話題に上ったがその話題も掻き消え、人口は減少し続けていても村だけは残り続けていた。
 
 そうして歳月を重ね、やがて三十年後の夏を迎えた。


 触穢

昭和三十二年

 先日、剪定した垣根は太陽光を受けて青々と茂り、緑の葉を揺らしている。
 そんな垣根にホースで水をやりながら、水木は咥えタバコを地に捨てた。足裏で踏み潰し、新しい煙草に火をつけようと口に咥えた。
「ほれ」
 傍らから伸びて来た手に差し出された燐寸の炎に煙草の先を近づけた。水木に影ができるほど近くにたったおとこは、自らもまた煙草を吸っている。
 真夏だというのに汗ひとつ滲まないおとこの艶かしい首筋に水木はそっと視線を投げた。

 このおとこは水木の家の居候でゲゲ郎という。
 ちょうど一年ほど前に、いまや既に廃村となった哭倉村に仕事の関係で出向いた水木は、そこでこのゲゲ郎と出会った。
 ゲゲ郎というのは水木が付けた名前で本当の名前は知らない。
 このおとこは何せ、人ではないので人らしい名前ではないのだろう。
 村ぐるみでこのおとこの同族の血を利用しているという事実を暴き、そしておとこが同族の怒りを収める役を買って出てしまい、水木は彼の妻と腹の中の子を守るために村から退避するしかなくなったのだ。
 逃げる道中で村で狂骨に襲われた水木は、ゲゲ郎のことも細君のことも、忘れてしまっていた。
 隣に引っ越してきたゲゲ郎夫婦は呪いとその後遺症もあり、見目もずいぶんと変わってしまっていた。
 弱っていた二人はやがて亡くなってしまい、水木は妻を埋葬したのだが、その最中に鬼太郎が産まれたのだ。
 小さな赤子が泣きわめくのを見て、水木は薄っすらとゲゲ郎を思い出し、そして目玉だけになって生き延びたゲゲ郎と後日に再会を果たした。
 ゲゲ郎は自らの名も過去も語らなかったが、日を重ねるごとに、水木は名を思い出し、そして自らの欠けた記憶も思い出していたのだ。気づけば白髪だった髪は黒に戻り、休みがちだった仕事も軌道に乗った。

 そもそも仕事に行きづらくなっていた原因は、ゲゲ郎と出会ってからこの世のものではないものが見えるようになったことにある。
 ゲゲ郎から、お守りだと渡された彼の髪をひと房いれたお守り袋を胸ポケットに入れてからはあまり妖怪が見えることはなくなった。
 だがそのかわり、妙な相談を受けることが増えた。
 
 村から帰った一時期、水木には人とも妖とも見える不思議な空気を纏っていたと後ほど、職場の上司や同僚から指摘された。
そのせいなのか、現実ではありえない悩みや出来事を相談してくるものが増えたのだ。
 彼らはどうかしてほしいというよりは、話を聞いて欲しいのだ。自分しか見てない世界などないと、共感して欲しいのだ。
 ———そして裏付けと共犯者が欲しいのだ。
 水木とて、そうであるように。
「お前を見てると夏かどうか忘れちまうな。あまりに涼しい顔をしているから」
「そうかのう。儂もそれなりに、暑いと思うこともあるぞ」
「ふうん。そんなもんかね」
 ふう、と息を吐き出すと、ゲゲ郎の視線を汗ばんだ頸に感じた。先程まで水木もゲゲ郎を見てたのだ、お互い様である。
 しかしゲゲ郎の視線は、水木のそれよりも粘っこさがある。
 汗の一滴が背を滑るその先まで見つめられている気がして、隠すように頸を手のひらで撫でた。
 気のせいかもしれないが、確信が一つある。
 ————それはこのおとこが、水木に懸想しているのではということだ。
 人の好意に鈍感であった水木は、しかし、村での一件以降は人の感情というものに逆に敏感になった。
 人々の悩みを聞いてきたこともあるが、特にこの同じ時間を過ごすことが多いゲゲ郎の変化に気付かないはずはなかった。
 細君を何よりも思っているゲゲ郎の変化のきっかけは、ひとえに、水木がゲゲ郎の看病をしてからだろう。
 目玉から人の姿に戻ったゲゲ郎はしばらく、自分の肉体の動かし方すら分からずに水木の手を借りて生活をしていた。
 歩行もままならないゲゲ郎の下の世話もするうちに、水木を見るゲゲ郎の眼差しが和らぎ、欲望を宿していくことは自然な流れと言っても差し支えないだろう。
 それでも水木は、友人で同居人の立場を崩さなかった。

  ———ただ、ほんの少し、二人の間に魔が刺し、鬼太郎が寝ている間に緩やかな火遊びをすることはある。
 
 ゲゲ郎の子、鬼太郎は今は昼寝をしている。
 邪魔をするものはいない。
 だからといって昼間に火遊びを、してはいけないのだ。
 情欲を思い出さぬように水木は話題をあえて振った。
「関西の山間部に、取引先の社長が旅行に行った話を聞いたんだが」
 ゲゲ郎の方を見れば、煙草を吸いながら続きを求めるような視線を投げてきた。
「くだん、という妖怪は知っているか?」
「無論。お目に掛かったことはないがのう」
「生まれ落ちた瞬間、口を開き予言したことは誠になるという生き物だ。しかし、少しばかり変わったくだんがいると聞いた」
縁側に腰を下ろし下駄を脱げば、ゲゲ郎も同じく下駄を脱いで胡坐を掻く。
「その山間部の集落では必ず百年に一度、くだんが産まれる。しかしそのくだんは未来を予言するのではない。予言して、未来を創造するらしい。それを忌み嫌い、その集落ではくだんが予言をする前に首を跳ねるのだという」
「その話……儂も聞いたことがあるぞ」
 ゲゲ郎は煙草を指で叩いて灰を落とした。
「有名なのか?」
「そのくだんが、予言を"させてもらえた"と聞いた」
 ゲゲ郎は唸りながら眉根を寄せた。ゲゲ郎の様子からもくだんの予言に関する情報を既に把握しているらしい。
 情報を擦り合わせるために水木は話を続けた。
 「数十年前、予言を聞いた子供がいたという。その子供はどうしても聞きたかったからと一人でくだんを取り上げた」
 ——くだんの予言を聞いてみたい。
 子供らしい願いではあるが、しかし、それは悪しき好奇心だ。
「予言の内容までは俺も知らない。だが、この村に、ある教授が調査に向かって以降行方知れずになっている。その教授の身内が取引先の社長だってわけだ」
「ふむなるほど。その教授の行方知れずも予言に関係があると睨んでおるわけじゃな」
「ああ。まさかと思うが、生贄がくるとかそういう予言だったのだろうか」
「それは分からぬ。近畿地方の知り合いに聞いたのは、くだんの予言が何年も前になされたが、その予言は今年の夏に果たされるということじゃ」
「そうか……
「お主はどうせ止めても、厄介ごとに首を突っ込むじゃろう」
 赤い片目を細めてそう言うゲゲ郎が次に言う言葉は分かっている。
「儂も行こう。鬼太郎は預け先がある。……その予言、不吉な予感がする」
 水木の口から煙草を取り上げたゲゲ郎は自然と自らの口に挟んだ。
 そして見せつけるように美味そうに吸い、意味深な眼差しを投げてきた。
 その視線にからだの曲線をなぞられていくと、それを止めるように水木はゲゲ郎の顔に手を伸ばした。
 指の間に煙草を挟み、抜き取ってゲゲ郎の形の良い唇を指先でなぞった。
 これが今夜の合図である。ゲゲ郎は視線を下げ、微笑を浮かべていた。


 蚊帳を張られた寝室で、ゲゲ郎の愛息は仰向けに寝転がり寝息をたてている。夜泣きは今日は無く、そんな寝顔を見て水木も寝かしつけから起き上がった。
 ほんの少しうつうつとしていたせいで、寝汗をかいてしまった。夏風を取り入れるためにシャツの裾を掴んで、引っ張っては風を送る。
「水木や」
 すう、と襖が開いて白い手が入ってきた。招くように上下に動くその腕に、呼ばれるままに水木は寝室を出た。
 ゲゲ郎が誘うような眼差しを向けてくるので、真昼の日差しの下で感じた欲が再び思い出したように水木のなかを這いまわる。
 水木は腰を下ろし、ゆるやかに足を開いた。
 ゲゲ郎は水木の足を大きな手のひらで撫で回す。ふくらはぎをなぞり、足の踵を包んで、足指をじっと凝視している。ゲゲ郎はその大きな体躯を丸め、床に這うような格好になり、水木の足の指に舌を伸ばした。足の親指と人差し指の間に舌が滑り込んだ。
 むず痒い感覚に足を引こうとしても、足首を掴む力が強く引き戻される。
 水木の足指の先の丸みを帯びた部分を、そろりと舐めあげながら、ゲゲ郎は大きく口を開けていく。
 陰茎を愛撫するように、口の中に足の指先を含み、赤子のように吸いつかれた。
 水木はそんなゲゲ郎を見ているうち、己の股座がじんわりと熱くなっていくのを感じた。

 ———こうやってゲゲ郎は、水木の手指や足指を舐め回すことを好んでする。
 無論、鬼太郎の前ではしない。
 きっかけは単純だった。
 水木が包丁で手指を切ったときに、ゲゲ郎がその傷を舐めてきたのだ。以降、なんとなく、夜中に目が合うと手指を舐められることが増え、やがてそれは最近になり足に変化した。
 なぜこんなことをするのかと理由を聞いたことはない。
 ただ、この行為はゲゲ郎に思われているという事実を確たるものにした。
 これが水木を、傲慢にしていった。
「ゲゲ郎」
 暗闇の中で手招くように小さく呼んだ。
 ゲゲ郎の赤い眼が灯りのように光り、そして瞬いた。
 水木の股の間の熱の存在をゲゲ郎も知っているとばかりに、指への愛撫は終わらない。静かに蠢く赤い舌が土踏まずをなぞって踵へ下降していく。
「お前、俺が好きなんだろう」
 そう言えば、ゲゲ郎は視線を下げる。
 肯定だととらえていいほどに、その所作は雄弁であった。
「もっと舐めたいところがあるんじゃないのか」
 ゲゲ郎は舌を引っ込め、急に萎縮してしまった。
 ほとんど毎回、聞いているのにゲゲ郎はまるで初心な反応を見せる。
「お前の御立派な欲望を見せろよ」
 夜の帳の中で水木はやや、尊大で、時折にして女王であった。
 女王蜂という単語が浮かぶ。
 女王蜂は生まれた時より、女王であり、そして子を産むだけの器官になる。産み育てるのはメスばかりだが、他のメスは女王を産めない。女王蜂のフェロモンが巣全体にいきわたっているので他のメスは排卵を抑制されるらしい。
 まるで支配だ。誰も彼女以外に、産む選択肢を与えられない。
 しかし女王は女王であること以外を選べない。
 そんな人生を喜び、そして座を守っているのだろうか。
 「水木………
 ふと意識を引き戻される。
 ゲゲ郎が着流しの裾を捲り上げ、下穿きを押し上げる陰茎を見せてくれた。
 水木はそこを、自らの爪先でぎゅうと踏んでやった。足指で亀頭を弄り、擦り上げるうちに滑った先走りが滲んでくる。
 何かを言おうとして、唇を開く。しかしそれは言葉にならずに消えてしまった。
 擦り上げた陰茎がやがて欲望を吐き、水木の足指を湿らせていく。水木は足を離すことはなく、ただ足裏を擦りつけるようにしてやった。
 ゲゲ郎は快楽に眉を寄せ、唇を引き結んでいる。肩で息をしながら四肢を震わせる様子が、愛おしくて堪らない。
 こんな夜は誰にも言えない。
 そして誰に教えるつもりもない。
 人はこれを異常というだろう。
 だが水木は、己を好いていると言いもしないおとこを支配していくのが楽しくて仕方がない。そしてゲゲ郎もまた、この小さな意地悪を悦んでいるに違いなかった。



 依頼のあった近畿地方へは電車を乗り継いでいくことを提案した。
 しかしあまり人混みを好かないゲゲ郎は妖怪らしい乗り物を提案し、水木はそれを再三拒んだが、予言のこともあるのであきらめて乗り込むことにした。
 この妖怪らしい乗り物、というのが一反木綿である。
 一反木綿は水木を兄さんと呼び、親切にあまり揺らさないように送り届けてくれた。ゲゲ郎は鴉ヘリコプターで優雅に旅をし、数日とかからぬうちに目的の近畿地方の山間部にたどり着いた。
 くだんの予言があると言う山の手前の村で情報収集をすることを決めた。
 村人たちは皆、親切で、山の中にあるという村に関しては少しだけ憐れみを持って答えてくれた。
「あの村は数年前に酷い土砂崩れがあってな。一時、村が孤立したことがあったんだよ。村と儂らの村を繋ぐ梯子が切れてな」
「村にはもう老人しかいないはずなんだが、孤立している間に誰も死ぬこともなく、村から出て来たんだ。あんときはおどろいたな」
「んだからな、あの村は神の住む村と呼ばれておるんだ」
「神也村(カミナリムラ)とな」
 水木は手帳に書きとどめながら、同じく話を聞いていたゲゲ郎を見上げた。
 ゲゲ郎は山へ視線を向け、考え込むように顎を撫でていた。
「村には今は行けるのでしょうか?」
 話をしてくれた老人は手にしていた鍬にもたれながら、声を落とした。
「不思議なんだがな。あの村は行こうと思っていける村じゃねぇ。村に"求められんと"いけぬのじゃ」
 そう言って渋る老人を連れて川を渡る長いつり橋へ案内して貰った。
 確かにこちら側から赤いつり橋が真っすぐに伸びているが、その先が全く見えない。まるで深い霧がかかったように向こう側が見えないのだ。
 つり橋の真下には勢いのある渓流がある。耳に心地よいような、しかしながら飲まれてしまえばどこまでも流されていきそうな川に水木は息を飲んだ。
「ん、ありゃなんだ」
 老人が急に声を上げたので水木はもう一度橋の向こうを覗いてみた。
 かかっていた霧が晴れるように橋の向こう岸が見えるのだ。
 向こう岸に誰かが立っている。
 紺色の羽織を着たおとこは、深々と頭を下げている。無論、知り合いなどではない。
「おや、あれは絢爛さんじゃないか。するとあんたらは、どうやら村に呼ばれておるようじゃな」
 老人は首に巻いていた手ぬぐいを取り、頭を下げだしたので水木も深く首を垂れた。
「絢爛、というのはあのお方ですか?」
「はいそうです。絢爛さんは村の村長ですよ。……例の予言のことも、よく知っておられますよ。何せ、絢爛さんが聞かれたからねぇ」
「えっ」
 老人は何やら薄気味悪いような貼り付けた笑みを浮かべだしたので水木の背から血の気が引いた。
「またいけなくなっては困る。行くぞ水木や」
 躊躇いもなくゲゲ郎が下駄を鳴らして橋を渡りだしたので慌てて水木もついていく。風も吹いていないのにゆらゆらと揺れ動く橋は不安定で、今にも切れて谷底に落ちて行きそうだ。
 生唾を飲みながら水木は少し走るようにして橋を渡り切る。
 徐々に向こう岸が近づいてきたかと思うと、頭を下げていたおとこが顔を上げた。
 水木より少し年上に見えるそのおとこは、黒い髪を後ろに撫でつけ、釣り目を細めて笑った。
「どうも。お待ちしておりましたよ」
 絢爛は首元をするりと撫でているのでよく見れば、黒い蛇が絢爛の頸に巻き付いていた。
 白い着物を着た絢爛は水木たちを導くように、滑るように山の中を進みだす。
 村人が整えたのだろう、草一つ生えていない山道を歩いていけば、やがて木々に囲まれた視界が開けていく。
 点々と瓦屋根の民家が立ち並ぶ小さな集落が見えてきた。
 哭倉村を訪れたときのトンネルを抜けたような心地になり、落ち着かない。ジャケットの胸元を撫でているとゲゲ郎が水木の背をやんわり撫でた。
 落ち着かせるためにしてくれているのだろう、水木は深呼吸をして息を吐きだした。
「ようこそ、神也村へ。私は村長の、絢爛と申します」
「どうも、私は帝国血液銀行の水木と申します」
 水木は慣れた所作で名刺を渡せば、絢爛は丁寧に懐へ入れた。
「その……待っていたとは?」
 絢爛は口元に袖を当てて、くすくすと笑い出した。おんなのようなおとこであるような、中性的な笑い声だった。
「私には見えるんです。未来が」
 嘘を言っているようには見えない、はっきりとした口調だった。
「立ち話もしんどいでしょう。さ、どうぞ。お茶でも飲んでゆっくり話しましょう」
 
 
 絢爛の家は龍賀の家とは違い、こじんまりとした小さな古民家だった。
 女中もおらず、絢爛ただ一人の住まいであるらしい。
 鉄瓶で沸かしたお湯を急須に注ぎながら、我が家と同じ小さなちゃぶ台の前に座した絢爛はにこやかな表情を崩さなかった。
「先ほど、未来が見えるとおっしゃっていましたがそれはどういう?」
 水木から丁寧に切り出せば、絢爛は立ち上がって背後の硝子棚から一冊の和綴りの本を取り出した。
「この村には代々伝わる伝説があるんです。貴方たちもご存じでここに来られたのでは?」
「えっ、ええ………
 急に鋭い眼差しで射抜かれ、水木は少しばかり気圧された。
「私は昔から、その伝説を聞くたびに思っていたことがあるんです。くだんの予言を、聞いてみたいって」
 絢爛の指が和綴りの本へ伸びていく。中には誰かが描いたのであろう、顔が人、からだが牛の生き物が村人らしき人へ何かを告げている様子が描いてあった。
「誠になるなんて信じられへん。そう思うてたんです。せやけど、はは、これがまぁ、まさかほんまに当たるやなんて」
 絢爛の口元が歪に歪んだ。
 水木は反射的にからだを起こし、立ち上がり、ゲゲ郎も同じく水木をかばう様に腕を伸ばした。
「月が三日月に欠けた頃、左目に傷をもつ化生とも人ともつかぬものがこの村に訪れる。そのもの、この村の神となるだろう」
 絢爛が指で何かを切る仕草をすると、札を勢いよく投げつけてきた。それがゲゲ郎の頭に張り付き、そのままゲゲ郎は地面に勢いよく叩きつけられた。
「ゲゲ郎!」
 ゲゲ郎はまるで地面に張りつけにされたようにびたりと張り付き、動かない。
 声すら出せないようで苦悶の表情を浮かべて咳きこんでいる。
「簡単な術やから心配あらへんよ。前にここに来た鬼道衆に教わったんや。あんたからは変な匂いがする。邪魔せんといて欲しいねん」
「ゲゲ郎に何をした……!」
 水木が絢爛の胸倉を掴むと、水木の背中に硬く尖ったものを押し当てられるのを感じた。
 誰かが背後で刃物を押し付けているのだ。
 完全に油断していた、このおとこの穏やかな笑みに騙されてしまったのだ。
 いつかのように後頭部に鋭い痛みを感じ、水木は意識を失った。
 
 からん、からん、とまるでドアベルのように軽やかな鈴の音に覚醒を促された。
 水木は後頭部に鈍痛を感じながら、薄っすらと目を開けた。
「大丈夫ですか」
 子供のような声がしたかと思うと、白い髪に白い耳を生やした水干姿の少年が水木を覗き込んでいた。
 視線を動かして、慌てて跳ね起きるが、頭はまだ痛かった。
 どうやらこの小さな格子戸がある土蔵に閉じ込められたらしい。
 蔵の中には米俵と今先ほどまで水木が寝ていた茣蓙が敷かれているだけだ。
 壁伝いにあるいて、出入口らしい鉄の扉を押してみたが少しも動かない。
 「ここからは人の力では出られないよ」
 白い髪の少年は柔らかく微笑んだ。
 人らしい気配がない。どちらかと言えば、まるでゲゲ郎の仲間たちと同じ雰囲気を感じる。
 少年は水木の周りを飛び跳ねるように回った。
「表に頑丈な閂が掛かってる。この部屋には壊すような武器もない」
「それで君は、そんな俺を笑いに来たのか?」
 少年は失笑し、しゃがみこんで肘をついた。
「僕は君に興味をもって顔を見にきたんだ」
 思わず身構える。しかし少年は何か武器や妖術の類をする様子も無い。
「君からは人間じゃない、幽霊族の匂いがする。とても色濃い匂いだ。恐らく君を守っているつもりなんだろうね」 
 過ぎるのは凡そ健全では無い遊びだ。
 こんな子供にと思うが、実際の年齢は違うのだろう。
「僕はもう何年も前からこの村を守っていた山神のようなものだ。もうこれ、このように……
 己の掌を広げて見せられると向こう側が見えるほど透けている。
 弱っているのだ。
 妖怪ではない水木にも簡単に理由がわかった。
「何で……
「妖力不足だけではない。僕の器が痛んでいる。器を探さなければ、この村の神はいなくなってしまうんだ」
「器が……つまり壊れた器にいくら妖力が合っても漏れていくってことか。それならその姿もお前の本当の姿じゃないのか?」
 少年の双眸が歪な弧を描いた。
「賢いね。そうだよ。僕は自在に姿を変えられる。時に鳥であり時に狼である。君たちがこの村に来たことも良く見ていた」
 つまり水木たちが来ることを知り、なおかつ、囚われるのを観察していたのだ。
 助ける気があるように思えない。
「そんな怖い顔をしないで。僕は君に取引を持ち掛けようと思っていたんだ。君はあの、幽霊族のおとこが大事だろう?」
 当然だった、鬼太郎の父親であるゲゲ郎を連れ帰るのが水木の使命ともいえる。
 旅に出る前に砂かけ婆たちに鬼太郎を預ける時、涙さえ見せなかったがゲゲ郎は肩を落として落ち込んでいた。
 元より家族を大事にするおとこだ。離れて居たくなくて当然だ。
 そのゲゲ郎がまるで哭倉村にいた時と同じように術で自由を奪われていた。
 思い出すだけで目の奥が熱くなる。
「ゲゲ郎は無事なのか……!」
 少年は意地悪く微笑を浮かべる。
「心配だったら自分で出て行って助ければいい」
 この少年は最初から見透かしているのだ。
 水木がゲゲ郎のためなら何でもできるということを。
 少年は目元を緩め、微笑を浮かべた。
「僕の神通力をあげる。そうすればこんな扉なんて簡単に開けられる」
「何が……望みだ」
 少年の望みが見えない。表情が仮面を貼りつけたように冷めているからか。
「僕の望みは……この村の神に君になってもらうこと」
「神に……?」
 そういえば、囚われる前に絢爛が神がどうとか言っていた。
 しかし少年が絢爛と手を組む理由がない。
 「そう。君はこれから何十年と生きられる。人間では得難い寿命を得られる。人間の君なら、幽霊族と生きることはできないだろう……?」
 悔しいが事実だ。長く生きてもせいぜい、八十ほどだろう。
 ゲゲ郎たちはそれよりももっと先を生きていく。
 水木の動揺を感じたように、少年は目を細める。
「それに老いることもない。ただ一つ、制限があるとすれば……この村から出ることは叶わないことだけだ」
 当然だと言えた。守り神なのだから村から出てはいけないだろう。
 しかし水木はこのままだとこの部屋からも出れず、ゲゲ郎を連れて家には帰れない。
 しかし、迷っている時間も無い。
 生ぬるい汗が項に浮き、手の甲で拭いても気味が悪い。
「わかった……引き受けよう」
「ああ、嬉しいよ。これで僕も肩の荷が下りる」
 少年は手を水木の胸に押し当てた。
 その手が水木の胸の中に飲み込まれるように沈み込んでいく。痛みはない。ただ冷たいようなぬるいような、不思議な感覚がからだに伝わる。
「ぁっ」
 腕の関節まで少年の腕が沈み込んだかと思うと、臍から腕が這い上がっていく。指一本さえ動かせないほど少年の腕に水木の神経が集中していた。
「きっと君に似合いの能力が授かるだろう……しかし君は……果たして……
 その先が聞き取れなかった。
 少年が歩を進めたかと思うと、半身ごと水木の肉体の中に沈み込んで行ったからだ。
そのまま少年のからだは霧散し、跡形もなく水木の中に消えてしまった。
 立っていられないほど足元がふらつき、壁に倒れかかる。まるで極上の美酒を飲み干したような心地良い酩酊感がからだを支配する。
 体温が上昇していき、頭が無性に熱い。皮膚が痒くなり始め、指で引っ掻いている間に頭髪が床につくほど伸びていく。
 黒い髪が雪のように徐々に白く染まり、手指の爪が伸びていく。
「っ、く、…………
 毛穴から汗が噴き出し、全身を掻きむしって身悶える。からだに籠った熱を吐き出したい。
 それなのに何をしても出て行かない。
 灼熱の太陽がからだのなかで暴れているようだ。
 次第に肩甲骨に水疱が潰れたような沁みる痛みが走りだし、爪で背中を引っ掻いた。
 薄い皮膜が裂けた、嫌な感覚が背に走る。
「ぐぅうっ……
 背に埋もれていた何かが、皮膚から這い出てきた。
 戸板や床に黒い血が飛び散り、背から生えた何かが意思を無視して勝手に動いている。
 恐る恐るそれに、触れた。
 それは少し硬く、指でなぞるうちに"それ"の正体がわかった。
 ——羽根である。
 水木の背中から白い羽根が生えている。
 髪が伸び、羽根が生えた以外に大きな変化はなさそうだ。腕も人である時と変わらない。
 こんな腕で戸を開けられるのか。
 鉄扉に手を這わせ、軽く引いた。
 途端、まるで意思を持ったように扉が自動的に開いた。
「あぁ……やはり、あなた様が新しい神さんやったんや……
 絢爛が腰を抜かして廊下に座していた。慌てて手を合わせて額を床に擦り付けている。
「神……俺が」
 絢爛は何度も頷いて、手が燃えそうなほど摩擦している。
 ほんの少しの愉悦が水木の中に芽吹く。
 ゲゲ郎を助けるために神と取引をしたのに、そのことすら頭の隅に追いやられていく。
 目の前で祈りを捧げる絢爛が、小さくて非力な痩せた少年のように見えた。
「どうか村人にそのお姿を見せて貰えませんでしょうか……さ、お召し物はあちらに」
「お、俺はそんなつもりは」
「いいえ、分かってるんや。あなた様は神さま。この村をずっと守ってくれる」
 水木に伸ばされた手が縋るようにシャツを掴む。
 神ゆえの慈愛かはわからないが、その手を振りほどけずに水木は絢爛の部屋に連れていかれた。
 

 絢爛はまるで水木が神になるとあらかじめ知っていたように、黄金の黒い着流しに薄い水色の羽衣を与えた。
 準備されたお神酒を盃に注がれると、その酒の匂いに眩暈を覚えた。思い出したように喉がひりつき、渇いている。
 絢爛の手から奪うように盃を飲み干し、注がれるままに飲みほしていた。
 飢えが収まったかと思うと、脳髄が痺れるように心地よくなっていた。
 からだが軽く、どこまでも飛んでいけそうなほど足が軽い。
 「今日の為に全部用意してたんや。他の村人も新しい神を待っとったんや。さ、顔を見せてやってや」
 絢爛に案内されるまま、高下駄で小屋を出た。
 いつの間に詰めかけたのだろう、老若男女問わず小屋の前に押しかけ、水木を見るなり祈りを捧げている。
 中には藤かごの中に大量の作物を入れて祈りを捧げる老女もいた。
 その村人の顔はどれも痩せ、日に焼けて疲労が滲んでいる。
「最近は日照り続きで、みんな困っとったんや。このままやと米の収穫も危ういかもしれんて言われててな……
 絢爛がそう言えば、杖にすがりついて歩いてくる老人がいる。
「神様……何とお美しい……
 老人の目は開いておらず、盲であるとすぐに分った。
 それなのに水木の姿が見えているのだ。
 心の目で、水木を見ている。
「綺麗な羽根が生えておられる。まさに極楽浄土から来はった神様や……
 大粒の涙を流す老人に水木の胸は激しく脈打った。
 神様、と縋る村人たちには水木が必要なのだ。
 水木だけが、求められている。
 ——だが俺にはゲゲ郎が。
 伸ばされた手を握ることなく躊躇っていると、絢爛が背を押してきた。
「あの幽霊族はこの村から帰ってもらいます。無論無事に。僕たちの望みは、貴方だけなんですから」
 蕩けたような絢爛の双眸は、夏祭りのりんご飴に似ていた。
「そうか。……ならば頼もう」
 水木は自らの襟を引っ張ってただした。
 人間の水木は——死んだのだ。