つまり、顔が良い。
隣の席の同僚(先輩のすがた)×水木
「今日から我が営業部の一員となった水木君だ。皆、何かあれば協力するように」
部長に紹介された新人の男は、まるで銀幕スタァのような男前だった。
復員兵なのだろう。左目には縦に走る傷があり、左耳は欠けている。
銃創か、はたまた爆撃にやられたのだろうか。痛々しく生々しい傷だが、このご時世、自分を含めた若い男のほとんどが同じ境遇である為、多少の傷は珍しくもない。若者に限らず、年輩であっても先の戦争より前に出征経験のある者が大半なので、むしろ何の瑕疵もなく五体満足な方が珍しいだろう。
だので、その新人の傷に対しては女性社員が気の毒そうな表情を浮かべるだけで、男衆は何の反応も見せなかった。
激戦地にいたのだろうなア。男前なのにもったいない。
などと考えていると、新人はにこりと人好きのする笑みを浮かべた。キリとしていた表情から一変、笑うと雰囲気が柔らかくなるようで、なかなか愛嬌がある。
「本日よりお世話になります、水木と申します」
どうやらこの新人は容姿だけでなく声までいいらしい。ほう、と女性社員のうっとりとしたような溜息が聞こえた。
煙草の煙が
濛々と立ち上り、空気も視界も澱んでいる室内に、新人
――水木の低すぎず高くもない耳通りの良い声が朗々と響く。営業は初めてなのだと謳う姿は何てことのない平凡な新社会人のそれであるのに、あまりにもにこやかに堂々としているからだろうか、まるで朗読劇の舞台のように見えた。
「皆様。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」
締めに水木が美しい所作で頭を下げると、少しの間もかからず女性社員を筆頭にした拍手が起こる。小さく上がる黄色い声に男性陣が顔を顰めているのは、まア同性として分からなくもない。
女性陣と一部の男性陣の印象は正反対というところだろうか。自分はどちらかといえば好印象を抱いたが、穏やかな笑顔の裏に何やら底知れない不気味さを感じたので、出来ればあまり関わりになりたくない部類の人間かもしれない。
障らぬ神に祟りなし、君子危うきに近寄らず、だ。
あれだけ容姿がいいといらぬやっかみも受けるだろう。人間関係で問題が起きなければいいなあと他人事で途中だった書類に取り掛かった
――のだが。
「あー、君」
頭上に部長の声が降ってきた。ちらと視線を向けると、水木を背後に従えた部長が立っていて内心でゲエと声をあげる。他人事だったのに、触ってもおらず近寄ってもいなかった面倒事が向こうからやってきやがった。
何の罪もない新人に対して我ながら酷い思考だがそれをおくびにも出さず、今気が付きましたよという風を装ってゆっくりと顔を上げる。
「自分でしょうか?」
「うむ。君の隣を水木君が使うことになったから、そのまま君が指導してくれたまえ」
――歳も近いし丁度良いだろう。頼んだよ。
何が丁度いいんだと思うが、笑いながら肩を叩かれて「はぁ」と曖昧な相槌を打つ。
「はい
……ワカリマシタ」
隣が空席の時点で薄々予想はしていたのだが、とんだ貧乏クジを引いてしまった。愛想笑いを浮かべて頷きながら、内心で面倒だなアと嘆いていると、部長の背後からひょこりと顔を出した水木と視線が合った。
うわ、顔ちっさ。目ェでっか。
前にいる部長の顔との差がとんでもないことになっている。少し後ろにいるからという説明では追いつかない。倍以上違う。遠近が狂ってるぞオイ。
遠近の狂った小さい顔とは反対に、黒目がちな目は部長より何倍も大きい。近くで見ると更に男前ではあるが、まろみのある輪郭と目の大きさのせいかどうにもあどけない顔立ちをしているように見えた。いや、君何歳? 大丈夫? 年齢詐称してない?
なんか今まで会ったことない人種すぎて怖くなってきた。いや人種は日本人なんだろうけども、如何せん顔が良すぎる。
視線が合った水木は、師事するべき相手が黙ったままであることに対して嫌な顔ひとつ見せず、日本人にしては珍しい青みの深い色をした瞳を柔らかく細めた。
ふわり。そんな音が聞こえた気がした。
「よろしくお願いします、先輩」
花が咲くような、とでも言うのだろうか。
男相手にうすら寒いが、周囲の空気を変えるような、柔らかく爽やかな笑顔だった。煙で霞んだ室内で、この男の周囲だけ清浄な空気が流れているような錯覚に陥る。
先程の挨拶で見せたのとは全く違う、人懐こく邪気のない笑顔。そんな笑顔を向けられて、胸に銃弾を撃ち込まれたような衝撃に襲われた。衝撃すぎて、思わず己の胸を抑えてしまうところだった。
うっかりと見惚れてしまいそうになる己を内心で叱咤して、とにかく初対面で不審者となる失態だけは避けねばならぬと平常心を装うのに必死だった。
「
……よろしく」
己の想像以上に平坦な声が出て内心驚いた。
一年後、厳重に被っていた猫を脱いだ水木本人から聞いたところによると、当時の自分はとんでもなく無表情で、とんでもなく不愛想だったそうな。交渉事で培った平常心が役に立っていたらしい。
「先輩って全く僕に興味なさそうだったのに、今は僕のこと大好きですよね」
――何かきっかけでもあったんですか?
そう言って小首を傾げるあざとい仕草と、にんまりと悪知恵を働かせる悪童のような笑み。
あの時見た花のような笑顔は余所行きのモノで、今じゃとんだクソガキになってしまった水木だが、それでもこいつが他には見せない顔で笑うと、己の心の蔵は遅い思春期でもきたようにどきどきと早鐘を打つ。
最初こそ関わりたくないと思っていた男は、とんでもなく分厚い猫を被ったとんでもなく出世欲のある俗物だった。その野心に溢れた向上心故か、教えたことはなんでも吸収する柔軟性と、覚えたことを自分のものにできる立ち回りの上手さであっという間に業績一位に躍り出てしまったが、成績を抜いた後も凡庸な己を先輩と慕ってくれる。その理由を聞いたことはないが、まア悪い気はしなかった。
にまにまとした笑みで下から見上げてくる水木の、細められた深い海のような瞳としばらく視線を合わせたのちに、手にしていた残り少なくなった煙草を口にする。
「さ~てね。忘れちまったよ」
肺まで深く吸い込んだ煙と共に、ぷかりと言葉を吐き出した。
「ええ? 絶対覚えてるでしょ。はぐらかさないで教えて下さいよォ」
うるせぇ。こちとら二目惚れなんだ。絶対言わねえけどな。
24.05.25
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